11.
始まりますは、平穏への儀式
「姫巫女様の御成〜り〜!」
東屋の奥から、宮司らしき男性が駆け寄り声を張り上げる。浮き足立つ人々の視線を受け、同じ方向からヒイラギが現れた。
恭しい足取り、神妙な顔で進む。
纏う神力の光は今までよりも強い。感嘆の声が辺りから漏れるが、イオは淡々と歩く様を眺めた。
最終儀式にしては、纏う神力が少ない。そう思うも指摘はせず、ただ眺めている。
囲まれていた空間の中央まで辿り着いたヒイラギは、ゆっくりと天を仰ぐ。
そして、固く閉ざされていた口を開いた。
「これより始めるは、神降ろしの儀、終幕の舞。天に御座すアマノ様へ、この祈りを捧げまする」
淡々と話す姿は、知らぬ人々には神々しく見えるだろう。イオからすれば、暗記した文章を読み上げたにしか思えない。
横目で見たヨモギも同じ考えらしく、より不快さが滲み出していた。
多勢の期待の目と、一人の怪訝な目。全てをその身に浴びながら、ヒイラギは鈴を鳴らして舞を始めた。
笛や太鼓の調べに合わせ、ゆったりと踊る。
袖が、髪が、揺れ動く。
幻想的な光景に、涙を流す者もいた。
手を合わせ拝む者もいた。
魅入っている者が殆どだ。
姫巫女の献身で、グールに怯える日々が消える。
前の平穏な生活が戻ってくる。誰もがそう思っていただろう。
調べが終わり、高らかに最後の鈴の音が響いた。
刹那、世界が一変した。
天から降り注いでいた光が消え、闇が全てを包み込む。幸い、人の目で何とか目視ができる程度の暗闇だ。
おかげで、混乱が伝達し、その場があっという間に無秩序状態と化した。
動揺し、硬直し、混乱し、叫喚する。
邪神と眷属には、先程同様に鮮明に混迷が映った。
「なん、で……?」
数多の声が駆け回るが、それでもヒイラギのか細い呟きは鮮明に聞こえた。
帝や連なる者達は、姫巫女に助けを求めようとそちらを見る。そして、絶望していた。
ヒイラギの身体に纏っていた神力は、全て消え失せている。
神々しい光は跡形もなく、血の気の失せた顔で自分の手を眺める姫巫女。
宛が外れて、崩れ落ちる帝達。困惑して暴れる高貴な人達に慌てる侍従達。
幸福の目前から地獄の底に叩き落とされた顔が、とてつもなく愉快で堪らない。
「あは、あははははっ」
「「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」」
抑えきれず、腹を抱えて笑う。イオ一人だけではない。もう一人、若い女性の高笑いが響く。
イオとジャピタはまだ魔法を解いていない。故に、視線は残りの一人へと向かわれる。
その人物を確認して、見る見る怒りに顔を赤くしていく人々。唯一、ヒイラギだけは驚愕していた。
何せ、場に合わない笑い声を上げているのがヨモギだからだ。
「やり切ったね! あなたが! その儀式を! おかげで、この島は終わった!」
「ヨモギ……?」
「鬼女を殺せ!」
意味が理解しきれなくても、ヨモギがこの異常事態を引き起こした。そう理解した帝子が叫ぶ。
命令を聞き、護衛達が刀や槍を構える。
無駄だ。人よりも邪神の眷属の方が速い。
「ジャピタ」
「ウン!」
地を蹴り、上からヨモギの元へ駆け寄る。
一声で察したジャピタが偽装と擬態が解き、本来の姿でヨモギの頭上に舞い降りた。
鬼女に降り立つ禍々しい人魚。
武器を構えていた護衛達は情けない悲鳴を上げ、その場にへたり込む。ただでさえ空いていた周りとの距離が、人々が後退する事で更に遠くなった。
イオとジャピタに気づいたヨモギが、二人を見上げる。その顔は、惚れ惚れする程に不気味な笑みが貼り付けられていた。
「アンタの願い通り、儀式は失敗したな」
「ホント! こーんなに上手くいくなんて嬉しい! ありがとう、邪神様!」
狂った女同士の会話に、畏怖の念が全身に突き刺さる。次々と起こる出来事に、人間達の処理能力を超えてしまったかもしれない。
楽しく笑い合うイオとヨモギに、勇気を出したのはヒイラギだった。
「ちょっと、どういう事なの!? ねぇ、ヨモギ! 何でイオと仲がいいの!? 私がお姉ちゃんよ!?」
「やだー! この状況でも自分優先? ホント、人の気持ちを何一つ考えない女」
「何言ってるの!? 私はいつも、ヨモギの事を」
「黙らっしゃい!」
ヨモギの怒声に、ヒイラギはたじろいだ。ヒイラギとて、この異常事態に困惑している。
全てを受け入れる余裕がなくなっており、頭の回転が遅くなっているようだ。
無様な姿だ。これだけで、イオが渋々旅に付き添っていた甲斐が有る。
「もうね、戸子を、常闇を照らす、 神の力は存在しないんだよ。この島は終わり。屍食鬼が徘徊して生者を喰らい続ける、黄泉の島へ生まれ変わったの! それを引き起こしたのは、姫巫女、貴方よ」
「…………え…………」
ヨモギがそう告げれば、人間達の視線がヒイラギに向く。呆然と立ちすくむヒイラギに、ヨモギはまた笑った。
「わかんない? わかんないよねぇ!? 貴方が分かるはずないもん! だから……一から教えてあげる」
歯茎を見せてヨモギは嘲笑う。手に取るようにわかる愉悦に、イオも釣られそうだった。
始まりますは、絶望への日々