4.ヒイラギ視点
戸子照島において、帝に代々仕える公家。その夫婦に望まれてヒイラギは産まれた。
父譲りの黒髪に、母譲りの赤目。周りから可愛がられ、外を歩けば近所の人やお店の人から色んな物を貰った。
幸せな日々。ただ、不満が二つあった。
一つ目は髪色。綺麗な黒髪なのに、何故か母と同じ小豆色に染められた。
これでも綺麗だが、わざわざ染める必要はないと思う。
『こうしないと、ヒイラギちゃんはこの家から離されてしまうの。分かった?』
一度、母に問いかけると泣きそうか顔でそう言われた。優しくていい人達から離れたくない。それ以来、髪色については我慢した。
問題は、もう一つの方。これだけ愛されているのに、大切にされているのに、何かが足りない。
いや、何かは直感で分かっている。
ヒイラギを大切にしてくれるいい人達は多い。逆に、ヒイラギが大切にするべき人がいないのだ。
いい人達が与えてくれるように、ヒイラギも持っている物を与えたい。
いい人達が互いを頼っている所を見て、ヒイラギは頼られたいと感じた。
ヒイラギが大切にしてあげて、ヒイラギを頼ってくれる人がいて欲しい。
自分の中で考えをまとめると、そういう願いになった。だが、そう簡単に相手が見つからない。色んないい人を見たが、ピンと来ない。
父に相談すると、どこか期待した顔で一人の男の子を紹介してくれた。
「ほう。これはまた、噂に違わぬ愛らしき女子じゃな?」
「ヒイラギよ。貴方は?」
「余はキンウ。帝子だな。だが、そなたとは主従なぞ関係なく、親しくしてゆきたいのう」
戸子照島を統べる帝の子供が目の前にいて、とても驚いた。父が帝に話を通して合わせてくれたらしい。
黒檀の髪に琥珀の瞳は穏やかで、同い年とは思えない程に落ち着いている。
色んなお話をしてくれて、いい人だと感じた。ただ、それだけである。それからも何度か会ったが、やはりこの人ではない。
幸せながらもモヤモヤと過ごすヒイラギだったが、その願いは十歳のある日に叶った。
「知らん知らん! ワシの子な訳なかろう!」
「そうよ恩知らず! 早く出てお行き!」
「わ、私は旦那様しか男を知りませぬ……せめて、吾子が産まれるまでは……!」
父と母の怒鳴り声と、女のか細い声。乳母がその間から遠ざけようとするが、ヒイラギは動かなかった。
父の吾子。つまり、ヒイラギの弟か妹。その瞬間、今までない程の嬉しさが全身を突き抜けた。
乳母の手を抜け走り出し、障子を開ける。驚いた父と母、侍女がこちらに振り向いた。
「父様! 母様! 私、お姉ちゃんになるのね!?」
「聞いておったのか……!?」
「ヒイラギちゃん違うわっ、その女の腹にいるのは我が家に関係ない輩よ! 今から追い出す所なのよ!」
「嫌! お姉ちゃんになるの! お姉ちゃんになる! 父様も母様もいい人だから、私のお願いを叶えてくれるでしょ?」
青白くなる父母に満面の笑みでヒイラギは告げた。その後、侍女の腹を見る。若干、大きい。ここに自分の弟か妹がいるのだ。
嬉しくて堪らない。求めていた物の正体がこれだったと、ヒイラギは飛び跳ねそうな程に喜んだ。
女はヒイラギの家で縫い物をしていた下働きらしい。
屋敷の離れに住むことになり、ヒイラギにとても感謝をした。それだけでも心がポカポカしたが、それよりも腹の子だ。日に日に大きくなる子が待ち遠しい。
ヒイラギの弟か妹が産まれるのに、両親や周りはどうしてか雰囲気が暗い。ヒイラギが話しかけると明るくなるが、時々大人だけで怖い顔をしながら話し合っていた。だけど、素直じゃないだけだ。
夜中に離れへ、弟か妹に会いに行っているのを知っている。
いい人でも、なかなか素直になれないものだ。皆が仲良しで、ヒイラギはとても嬉しくなった。
遂に、出産の時が来た。
侍女の唸り声と、両親が呼んだ産婆達の声が重なって聞こえる。大声で怖かったが、それ以上にやっとお腹の子に会える喜びの方が大きかった。
両親に中に入ってはダメと言われて、障子を挟んだ別の間でお腹の子を待つ。
どんな子だろうか。男の子か女の子か。かっこいいのか可愛いのか。名前は決めてあるのか。
小さな好奇心が沢山集まって楽しみ過ぎて、ヒイラギは心臓がバクバクしている。
やがて、赤ん坊の泣き声が聞こえた。次の瞬間、それよりも鋭い大絶叫が耳を貫いた。
あまりの声量に、肩がビクッと上がる。一瞬、心臓が止まるかと思った。
障子の向こう側で、赤ん坊の泣き声をかき消す位の声で叫び合っている。
「キジョだ!」
「なんて恐ろしい……!」
「早う始末せい!」
「ヒイラギちゃんにバレる前に、早く!」
キジョとは何だろう。分からないけど、始末は何となく理解できる。せっかくの赤ん坊を、ヒイラギから取り上げるつもりだ。
ゆっくりと障子に近づき、そっと開ける。僅かな隙間から、中を覗いた。
顔を真っ赤にして怒る両親。慌てている産婆。
皆、何かに怖がっている。皆の視線は、泣き続ける赤ん坊に向いていた。
敷いてある布団ではなく、床に転がされた赤ん坊。
小さな体で、必死に声を上げている。ヒイラギと同じ黒髪だ。
もっとよく見ようと目を凝らした時、瞑っていた赤ん坊の目が開いた。
綺麗で、不思議な、翠色。
目の黒い部分が縦長で、猫みたい。こんなに綺麗な物を、見た事がない。
見惚れすぎて、周りの煩い姿や声が離れていった。
障子を開けて、赤ん坊に近づく。上から覗き込むと、赤ん坊の全体がよくわかる。女の子だ。
「妹、私の妹……!」
恐る恐る手を伸ばし、妹を抱き上げる。
周りが甲高い声で止めるように言うが、ヒイラギはニコリと笑った。
「キジョ、が何かわからないけど、この子はとってもいい子に違いないわ。だって、わたしの妹だもん」
そう言えば、皆の止める勢いが弱る。ただ、いつもならこれで引き下がるのに、何故か妹を手放せという意見は変えない。
可愛い妹。頼ってくれるだろう妹。きっとキジョは悪い意味だと思うけど、それなら妹は当てはまらない。
「驚いて泣いてるのかな? 待っててね」
皆の勢いに泣いていると思って、妹を抱えたまま部屋を出た。
ヒイラギが居なくなった間から、凄い喧嘩が聞こえてくる。赤ん坊に聞かせないようにと、なるべく早足に遠ざかった。
自分に与えられた間で、ふかふかのひざ掛けに赤ん坊を寝かせる。
泣き止んでいて、ウトウトしている赤ん坊はとても可愛い。
「名前……翠のお目目だから、植物の名前がいいよね?」
皆の様子だと、名前もつける気なさそうだ。だから、ヒイラギが付けてあげる。
植物図鑑を取り出し、パラパラと捲った。
そこで目を引いた頁があって、手が止まる。
「蓬……ヨモギ! 貴女の名前はヨモギよ!」
妹のヨモギ。ヒイラギの大切な存在。嬉しくてヨモギに指を伸ばすと、小さな手でギュッと握りしめられた。
心の足りない所が暖まっていく感覚に、ヒイラギはとても嬉しくなった。
ヒイラギの性格は先天性。