エピローグ
第1章ラスト。
先を丸めた鋏が、固定された指の爪を掴む。
力一杯振り上げられ、肉が剥がれる音と絶叫が木霊した。
覗き見た光景に、イオは笑みが止まらない。
「ウマーイ! 負の感情、ウマーイ!」
ジャピタも満足そうに、湖の縁で転がっている。
ニースチェン皇国の森の中、深めの湖という居心地がいい場所。そこで、イオとジャピタは復讐劇を堪能していた。
復讐者の望みは、復讐対象が長時間の苦痛にもがき苦しむ事。
それを叶える為に、イオは女達の時間に細工をした。
投獄を起点とし、死を終点とする。そうすれば、その間を繰り返し続けるのだ。
応用が利く反面、力の消費量というデメリットも存在する。今回、イオはそこにオリーブの寿命を当てはめた。
五十年ほど残し、残り全てを当てはめたループ時間は約350年。気が狂わないサービス付きである。
時間の逆行には気がついたようだが、もう数回繰り返した時にどのような表情をするのだろうか。
先が見える故に逃走したいが、最初に抗わなかった為に動けない状況。
正しく絶望だろう。
「ヒ、ヒヒッ」
口が大きく三日月を描き、そこから声が漏れる。
この感覚。待ち望んだ感覚だ。
そもそも、イオ自身が手を下した方が簡単で残酷な結末となる。だが、そういった方法をイオは好まない。
復讐者の背を押し、対象の足場を崩す。そうして、同じ世界に住む者が対象を転落させるのだ。
その方が、対象の絶望感が増す。
「クフッ、フフフフフッ……」
抑えきれない感情が、徐々に表れていく。耐えきれない声。開く瞳孔。震える身体。
愉悦。愉快。堪らなく興奮する。
「フハッ、アヒャハハハハハッ!」
腹がよじれそうな程に愉しい。高笑いが響く程に愉しい。
イオ達の食料は、単なる負の感情だ。
別に純粋な復讐心でなくてもいい。あの女達のような自分勝手な嫉妬でも腹は膨れる。
わざわざ話を聞き、自分で状況を見極め、復讐者に合わせて納得のいく復讐方法と対価を交換する。
このような面倒くさい方法をとる理由は幾つかあるが、一番は単純明快。
イオの趣味だ。
人生の強者、勝者だと思っている奴が、急に足下が崩れて奈落の底に真っ逆さまに堕ちていく。
そういう奴らほど、足掻いて藻掻いて絶望を叫ぶ。無様に、滑稽に落下する姿が、何よりも気持ちを高揚させてくれる。
この高ぶりが心地いいからこそ、面倒な方法をとり続けるのだ。
「アハハハハハハハハグッ!?」
「イオ、クスリー」
大きく開いた口に物を突っ込まれ、思わずそれを咥えた。銀色の巻貝を象るそれは、ある者が創った、魔法道具でもあるパイプだ。
既に点火されており、吸い込めば口内に爽やかなハーブの香りが広がる。
リラックス効果のあるハーブを詰め込んだパイプは、吸う度に冷静さを取り戻してくれる。
一回分を吸い終わると、自動的に中身の交換をして永久的に使える優れ物だ。
空間魔法に収納していた物だが、ジャピタが勝手に取り出したらしい。
普通なら、空間魔法は個人で違う空間を維持し、他人が介入する事はできない。しかし、ジャピタならそれが可能だ。
神という存在は、二種類に分類される。
最初から神性を持って神として誕生した者。
種の仲間と共に生きていた生物が、神性を持って神と位置づけられた者。
前者が邪神ジャンス:ピール:カブターであり、後者が邪神イオレイナである。
イオの邪神としての力は、ジャピタが持つ一部を分け与えられたものだ。その為、イオとジャピタの関係は眷属と主が正しい呼び方になる。
しかし、何においても燃費の悪いジャピタは、少しでも節約する為に姿を縮小している。
そのマスコットのような姿に威厳はなく、本人も堅苦しい事を嫌う。
だからこそ、対等な立ち位置で共に様々な世界を回れるのだ。
パイプが水に濡れないようにし、天に向かって煙を吐く。空へ拡散して消える様をぼんやりと眺めた。
「クスリ、オイシイー?」
「あー。とりあえず落ち着いた。もう少ししたら、次に行くか」
「イクー!」
小型化、相応に利益のある取引。これらを用いても、餌に対してジャピタの腹持ちは悪い。その上、胃袋も大きいのか満腹を感じないのだ。
だから、食事を終えたらすぐに、次の餌を食べる準備に掛からなくてはならない。
候補を絞っているとはいえ、世界は無数にある。餌候補はどこにでもあるのだ。
今回の復讐劇は満足した。次も満足な出来になるといい。
「ま、オリーブも大丈夫だろうしな」
エルフの自分を捨てたい。投獄を見届け、その願い通りになっている男を一度だけ思い浮かべる。
もう終わった関係だ。煙を吹かすと共にその姿も吹き捨て、思い返すことは無かった。
日が暮れる。小さな農村を橙色に照らす頃、不意に綺麗な旋律が響いた。
その調べに、作業していた村人は手を止めて聞く体勢に移る。
「まぁ、相変わらず素敵な音ね」
「今日もそんな時間か……」
「キレー」
各々が感想を口にする。村人達の目は、音の発生源の方に向けられていた。
美しい調べを奏でるのは、数ヶ月前に村に越してきたカーキという青年だ。
過疎が進んで少ない村に、わざわざ移住してきたカーキは名前通りの髪色をした、ごくごく普通の青年だ。
全身を黒服で包み、楽器を持って来た彼は村長に移住といくつかの願いを告げたのだ。
できれば村外れで、家と畑が欲しい事。
交流は必要最低限にしたい事。
日暮れから一時間程、音楽を奏でたい事。
訳ありのようだが、人が増えるのはありがたい。丁度いい空き家へ案内し、今に至る。
日暮れに奏でられる旋律は村人達の心を掴み、癒してくれる。大変ありがたいことだ。
「今日は横笛かしら? 素敵だわぁ」
「ねー。全部カーキさんが作ってるらしいわよ?」
「それも全部、亡くなった奥さんに捧げている鎮魂歌だそうだ」
「カッコイイ!」
交流しない分、話の話題になると盛り上がる。それでも、旋律を聞き逃すことはしない。
そこまで想われている妻が、羨ましい限りだ。
心を掻き乱すような悲しいメロディーに、村人達はただ聞き惚れるだけだった。
切ない響きはいつまでも。
これにて喪失エルフ編、完結でございます。
次回より、別の世界でお話が始まります。
できる限り、似通った展開にならないよう書いていきます。
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