13
何分、何十分、何時間。短い時間だが、何もしていないと長く感じる。
やっと近づいてくる気配を感じ、イオは身体を起こした。ジャピタを見れば、起きずに眠っている。
「ジャピタ、起きろ」
「ムニャムニャ……イオ~……」
近づいて体を揺すったが、起きそうもない。通常の睡眠だから、あと数時間もすれば自然と目が覚める。
だが、待っている時間はなく、珊瑚の根元を持って浮上した。
水面に上半身を出した瞬間、独特な笑い声が響く。
「ブフォッ!? な、何故その持ち方ぇ!? 聖火ランナーですなこれは!」
「せーからんなー?」
「新しい仲間候補か?」
「それなら、イケメンがいい~!」
顔にかかる髪を分け、マイペースな会話をする面子を見上げる。
予想通り、大賢者とヘマタイト、胡蝶、エーチの四人が水辺に立っていた。
そちらに近づくと四人は身内間の話を止め、真剣な顔つきでイオ達を見つめた。
「先程ぶりですな、眷属殿」
「そうだな。あれから四、五時間程度か?」
「お見事なり! 眷属殿は、某の作戦に気づいておりましたな? 驚愕が微塵も見えませぬぞ?」
「あからさまなウインクだったからな。最も、コイツは気付いてなかったようだが」
そう言って珊瑚を前後左右に揺すった。その度にジャピタの身体も揺れ、そういう玩具のように見える。
又もや大賢者が吹き出して笑った。笑いのツボがイマイチ分かりづらい男だ。
ヘマタイトの空咳で我に返った大賢者は、真剣さを取り戻す。そのまま、空中を摘んで手を下に動かした。
すると、摘まれた部分を起点として、空中に隙間ができる。
見覚えがある。収納魔法だ。
驚くイオの前で、大賢者は仰々しく手を入れ、中から何かを取りだした。
それが現れた途端、空気が変わった。
深い紫色の歪な丸い塊だ。根を伸ばすように青黒い管が囲んでいる。そして、放たれる禍々しい気配。
何とも濃厚な負の感情だ。味を想像して、喉が鳴る。
「エサ! エサ!」
「起きたか」
「イオ、エサ!」
「見ればわかる」
あっという間に周りに広がるエサの気配に、ジャピタも喜んで跳ね起きた。手放しに喜ぶジャピタを制しつつ、イオは警戒をまだ解かない。
このエサの正体や秘匿していた理由がわからない以上、気を抜かない方がいい。
最も、正体については検討が着く。
「陽平の感情か?」
「さすが眷属殿、慧眼ですな! その通り、、陽平殿の辛い日々を吸い出した代物になりますぞ。一緒に、某のも」
「アンタも?」
「……百聞は一見にしかず。少々お待ちをば」
そう言うと、大賢者は塊に手をかざして何かを口ずさむ。すると周囲を漂っていた気配が、イオ達に向かってきた。
抵抗もせず、むしろ腕を広げて受け止める。
刹那、身体の中で負の感情が爆ぜた。
付随していた記憶が一気に頭に流れる。心に秘めていた絶叫が、幾重にもなって脳内に響き渡る。
辛うじて聞き取れた単語は、四つ。
痛い、苦しい、助けて、止めて。それ以上は重なりすぎて判別不能だ。
記憶には、一人の少女が主に映っている。カレンと言っていた少女だろう。確かに可愛らしい顔立ちだが、記憶に残っている行為は残酷である。
鞭、ナイフ、焼いた鉄。釘打ち機に、爪剥ぎペンチ。平手打ちや踏みつけが軽く見える程、非情な道具で痛めつけてくる。
それだけではない。成長した少女が恍惚としながら、全裸で跨る光景が映る。そこから、暴行は更にエスカレートした。
肉体的、性的。どちらの行為をされても、その何倍もの精神的苦痛が押し寄せてくる。
指を弾く音が軽やかに響いた。映像が一変する。
幼い少女が明らかにまともではない複数人に金を渡し、大賢者が鮮明に写る紙も渡し、何かを告げている。
愛らしいよりもおぞましさが勝る笑顔だ。
再度、同じ音が聞こえた。途端、イオ達にまとわりついていた感情は霧散し、現実へと戻される。
指を鳴らした姿勢のまま、大賢者がおもむろに尋ねた。
「これが陽平殿の本当の気持ちですぞ。邪神殿のエサとして如何ですかな?」
「問題ない代物だ。大部分を隔離していたから、陽平には薄い記録しかなかったのか」
「ですぞ。某が側にいても、仲間が増えても、フラッシュバックが酷くてですなぁ……飛び起きる、暴れる、時には自傷しかけましたぞ。陽平殿の心は限界でした故、守る為なら この容器を手に入れる労力も些細な物でしたな」
「デート旅行で、ちょっと楽しかったよぉ」
場違いにも楽しげなエーチの言葉に、ヘマタイトと胡蝶が睨みつけた。
「アホなこと抜かしてんじゃねぇ。主の為の遠方をデートなんかと一緒にすんな」
「その通りだ。大体、ギルティは自分から志願して参加しただけだ」
「エペードの奴もそうだな。あいつ、埋め合わせで帰ってきてねぇーけど」
「デート旅行って、私と賢者くんの事なんだけどぉ? 別にぃ、二人もそうだなんて言ってないけどぉ?」
エーチは愉快そうに発言の穴をつく。腹が立ったらしく、ヘマタイトと胡蝶は無言で頷き合うと、エーチを連れて少し離れた。
文句を言いつつ小突いている二人に、どこまでも余裕そうなエーチ。
話が進まないから、自主的に遠ざかって助かる。イオは意識を大賢者に戻し、会話を再開する。
「そうして手に入れたソレに、陽平の辛い過去を閉じ込めた。軽く見た様子だと、奴隷に近い生活をしていたようだな」
「本当に……! まだ十五、未成年ですぞ! 毎日虐げられ、好きでもない女子を抱かされて、その様な扱いを受ける筋合いはありませぬ! そもそも全てが、あの女の策略なのですぞ!?」
「最後に見せた記憶か?」
「そうですぞ! 某も兄貴も義姉殿も! 七星華恋に殺されましたぞ」
「金目当ての犯行でもなく、不運な事故でもなかったのか?」
「そう! 某を蹴り殺したチンピラ、事故を起こした運転手、高価な積荷。全て、陽平殿を下僕にするべくあの女が仕組んだ罠!」
歯を食いしばり、怒りを顕に大賢者は言葉を荒らげる。
少し、疑念が沸いた。随分と感情的である。
あくまで、大賢者は生前の叔父を模倣した陽平の創作人物。『全てを見通す』という二つ名が示すように多くを知っているようだが、普通は主の想像範囲内に収まるはずだ。
思い返せば、通常なら思いもつかない邪神と眷属の存在を知っている。その点でおかしいと思うべきだった。
目前の男は、創造主の頭脳を悠々と超えている。
エサにありつきたくて、敢えて意識外に追いやっていた疑問。
今なら平気だろう。意を決し、口にする。
「……いくら何でも、詳しすぎないか? 大賢者、アンタは一体、何者だ?」
イオの疑問に、大賢者は小さく微笑んだ。どこか達観したような、不思議な表情だ。
そのまま紡がれた言葉は、予想だにしない事柄だった。
「陽平殿が某を慕う気持ちは強かったですぞ。それこそ、某が漂流者としてこの身に宿る程に」
目を見開く。隣で、ジャピタは顎が外れる勢いで口を開けた。
異世界召喚者とは違い、ごく稀に自然発生する異世界漂流者。
それが同じ世界から来て、同じ異世界に滞在し、隣同士にいる。
稀有なあまり、意図的な物さえ感じてしまう。険しくなるイオに、大賢者は微笑を崩さずに告げる。
「全ての世界を統べる、神々の長、総世神殿も驚かれておりましたぞ。『我が生の中、予測不能事態。摩訶不思議現象、致し方なし』と」
「ソーセー……?」
「アンタは気にしなくていい。正直信じられないが、そのムカつく口調は会わないと真似できないだろ。時空流の中で、アタシらを知ったって事か」
「いかにも!」
大賢者は大袈裟に頷く。時空流は世界を繋ぐ高エネルギーの流れ。そこには各世界の莫大な知識があり、イオとジャピタはそこを泳いで移動している。
魂が砕けずに触れられたなら、こちらの存在を含めた多大な事を知っていて当然である。
納得するイオの横で、ジャピタは口を開いたままだ。無理やり閉じさせ、改めて大賢者と対峙する。
力を授けるに相応しい対価を持つ。
ならば、目前の男が取引相手だ。
「さて、アタシらの事を知っているなら、取引の方法も知っているだろ?」
「モチのロンですな。こちらとしては……」
そう言い、大賢者は方法を告げる。
思っていたよりも簡単な方法で、聞く限りでは効果抜群である。前々から考えていたかもしれない。
ただ一つ、気にかかった点があった。話し終えた大賢者に、その点を指摘する。
「その程度なら問題なく出来る。だが、成功したらどうなるか。分かってるだろ?」
「無論。しかしながら、某のベースは『全てを見通す大賢者 カズキ・キシモト』なり! 陽平殿の平穏が優先ぞ!」
はっきりと言い切った。それ程の気概があるなら、とやかく言うつもりはない。
濃縮されたエサに、求められる力の少なさ。こちらが得る物が多く、舌なめずりしてしまう。
「なら、アンタの頭に浮かぶ邪神の名を言え。それで取引成立だ」
邪神の眷属らしく、蠱惑的な笑みで囁きかける。
漂流者の知識を有した創造人物は、創造主を守るべく邪神の誘惑に従いその名を呼んだ。
「頼みますぞ……! ジャンス:ピール:カブター殿!」
取引成立に、笑みを深めた。
復讐の開始である