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振り返ると、大賢者が立ち上がっていた。たっぷりと脂肪を蓄えた両手は、余分な部分がはみ出る程に強く合わさっている。
数秒遅れて、破裂したような音が拍手による物だと分かった。
不安そうに見つめる陽平に微笑みかけた後、真剣な顔でこちらに向き直った。
「邪神殿に敵対してはなりませぬ。そう言ってありましたぞ? 約束破りは針千本ですぞ?」
「や〜ん、見逃して賢者くぅ~ん」
「んもう! エーチちゃんは仕方ないですなぁ!? 代わりにたっぷりサービスしてほしいですぞぉデュフフゥ!」
何を見せられているのだろうか。ものの数秒で破顔させた大賢者とくねくね動くエーチ。
真顔で二人のやり取りを聞いていると、ヘマタイトが腕を振り上げた。高い位置から拳が振り下ろされ、エーチは媚びた悲鳴と共にへたり込む。
同時に胡蝶が空咳を数回して、大賢者は我に返った。
「しし、失礼っ。ついつい、エーチちゃんがギャンかわで持ってかれましたぞ!」
「……アンタらは何がしたい?」
「いやはや、お伝えしたい事がありましてな? もうすぐダンジョンのモンスターが活発な時間、つまり夜ですぞ。あまり戦いたくないようであれば、明日出た方が賢明なのは明白! これ、ガチですぞ!」
何故かポーズを決めて進言する大賢者。イオは口に指を当て、暫し考える。
ダンジョンに出現するモンスターは、基本的に同等の強さを持つ。
ダンジョンボス、中ボスといった、抜きん出た強さの個体もいるが、大抵は一方通行のダンジョンに出現するものだ。入口が一つしかないダンジョンがこれに当たる。
ジャピタに確認させた際、このダンジョンの入口は複数箇所にあると把握済みだ。よって、ボスと呼ばれるモンスターは存在しない。
それは、全てのモンスターがダンジョン内を散策できる事を意味する。
より活発になったモンスターは、戦闘を感知しては集まってくるだろう。いくら簡単に蹴散らせるとはいえ、大人数は面倒だ。
早くエサを探したい気持ちだが、慎重さも重要になる。
エネルギー消費量と摂取量が崩れれば、ジャピタはまた休眠へと至る。それこそ面倒くさい。
それに加え、大賢者には引き止める理由がまだあるようだ。大袈裟なウインクを何度も繰り返し向けてくる。
若干前に出た立ち位置から、陽平に聞かれたくない事柄らしい。
だが少々、いやかなり頭にくる。馬鹿にされている気分だ。さっさと止めさせるべく、不自然にならないよう言葉を挟む。
「……もし、明日にしたいと言った場合、アンタらは寝床でも用意してくれるのか?」
「モチのロンですぞ! 胡蝶殿、まだ水場は余っておりますな?」
「そうだな……新人は水中マンションに決めたらしいから、端の海水場が手付かずのはずだ。なぁ、ヘマタイト」
「ああ。あの養殖場予定地だな。繁殖させる魚が決まってねぇからって、マジで何もねぇ。んな所で神様はいいのか?」
ぶっきらぼうな言い草だが、表情からは若干の心配が見える。それに対し、イオは頷いて答えた。
「構わない」
「イオ、イッショ。ホカ、イラナイ」
「ではでは! ご案内頼みますぞ~! 某は陽平殿と夕飯の場所へ行かん!」
「はは、そうだね。叔父さん」
大賢者とは逆に、陽平は弱気なままだ。
イオから指摘された点が余程、心に来ているらしい。それだけ、大賢者達が真綿で包んで大事にしていたと分かる。
最も、何をしても蔑まれる日々から、何もかもを優しく見守ってくれる日々への急激な変化だ。
無意識にでも、辛い記憶を消したのだろう。だから、あれはエサではない。
「胡蝶。さっきもお前が案内してたんだろ? 頼んでいいか?」
「構わないが、ヘマタイトは?」
「エーチに説教」
「了解だ」
「やぁ~ん!」
ヘマタイトが睨みを効かせるが、エーチは気にもせずくねくねと体を捻る。癪に触ったヘマタイトは首根っこを掴み上げ、部屋の端に引きずった。
やっと扉が通れるようになり、胡蝶の案内に従う。素直に後を着き、往路とは違う道を進む。
段々と人通りや建物が少なくなり、街の中心から遠ざかっていると実感した。
少しして、コンクリートで舗装された大きな水場が見えてきた。
一見するとため池。だが、中央と縁の数箇所に鉄製の器具があり、恐らく給餌器と濾過装置だろう。
「こちらが話していた水場です。今晩はこちらでお過ごしください」
「ワーイ!」
胡蝶が説明し終えた途端、ジャピタが勢いよく水場に飛び込んで行った。
跳ねた水から潮の匂いを感じ、海水だと改めて確認する。
軽く礼をしてから、イオも中へと潜り込む。久しぶりの海水に包まれ、自然と笑みが零れた。
「イオー。ネドコー」
「別にいいが……寝るなよ?」
「ナンデー?」
純粋な疑問で首を傾げるジャピタに、イオは一瞬だけ呆れた。
考えてみれば、ジャピタに言葉の裏を読み取るなどできるはずがない。何かあれば叩き起こせばいいだけだ。
収納魔法を発動し、いつもの珊瑚の元を取り出す。下がコンクリートの為、下地になりそうな土も一緒に取りだした。
土を慣らし、元を植え、あっという間に珊瑚が生える。
ジャピタは歓声を上げ、そこに絡みついた。その様子を眺めながら、仰向けになる。
微かな水の揺らめきに合わせ、揺蕩う身体と変わる景色。
穏やかで心地いい時間だ。
波の音色や海洋生物の気配があれば更に良いが、陸地のダンジョンにそこまで求めてはいけない。
逆に、養殖場にしてはかなりいい環境だ。さぞかし美味な魚となって、口に運ばれるだろう。
うっとりと目を閉じて、夢心地を堪能する。
疲れた脳が休まる気がした。
この辺りの迷走が文章に出ていたらご指摘ください