10.イッザラーム視点
七夕らしい幸せな話デスヨー
砂漠を進む、数十人の人々。
ラクダに跨る者は剣を携え闊歩し、輿を持つ者は豪華絢爛な嫁入り道具を傷つけまいと丁寧に進む。
複数ある輿の一つの中で、イッザラームは外を眺めていた。
同じ砂ばかりといっても、サボテンや岩といった多少の目印はある。それとスピードから、日が暮れる頃合に目的地であるバンダルク国へ着くと予測できた。
丁度いい時間帯だ。ファティマは日差しに弱いから、そのまま歓迎の式を行うという話だ。
今宵は寝る間もない程の賑わいを見せるだろう。
正式な挙式は来年になるが、早めにバンダルク国へ入ることになったのだ。
ファティマがバンダルク国に慣れる為という建前だが、本当は元婚約者の魔の手から逃す為。
イッザラームは視線を別の方へと向ける。
視界には入らないが、婚礼衣装に身を包んだ妹が、帳の奥で開けられる時を待っている。
急に進んだ話だが、ファティマはとても幸せそうだった。それはこれからも続く。
そう思うと、自然と頬が緩んだ。
今でもはっきりと思い出せる。
父が手を出した異国の商人が孕み、三番目の側室として迎え入れられた日。
『ハジメマシテ。ヨロシク』
三番目の側室は、拙いながらも優しい笑顔で王族の全員に挨拶した。この辺りでは見ない、抜けるような白い肌がとても眩しかった。
それから、彼女の事が頭から離れなくなった。
顔を合わせる度に心臓が強く鼓動して、頬が赤くなる。
一目惚れだ。だが、決して叶うはずがない。
自分の婚約はともかく、相手は継母で腹に子もいる。芽生えた恋心に蓋をして、母子として仲良くしよう。
その決意も虚しく、側室は産後の肥立ちが悪く亡くなってしまった。あまりの悲しさに膝を着いたが、産まれた妹を見て希望が沸いた。
髪色以外、母親によく似た妹。血の繋がりがなければ、自分の手で幸せにしてあげたかった。それが無理だからこそ、彼女が最高の幸せを掴む手助けには躊躇しない。
ファティマの笑顔の為なら、自分の手などいくらでも汚そう。
今回の強引な婚姻に、ルーイナ国では批評が上がっている。
長年の婚約者が亡くなって一年も経たぬ内に、ファティマの婚約者を変えて嫁がせたのだ。流石に妙だと噂するだろう。
ただ、最も声を上げるべきバンダルク国では何もない。権力に屈した国の姿に、間接的に殺した婚約者へ僅かばかり情が湧く。
ディーナの死は確実だ。盗賊達は、飽きた女の処分を躊躇わない。数ヶ月、持てばいい方だろう。
ディーナを生かしておくとデメリットしかなかったのだ。ズバイッルにも、その点だけは嘘をついた。
それでも、後悔はない。
「ごめんね、ディーナ。でも、ファティマの幸せの為なんだよ。分かってくれるよね」
返事など求めていない、ただの独り言だ。
イッザラームにとって、ファティマが全て。しきたりで決められた長年の婚約者など、天秤に乗せるまでもない。
鏡がないから確認できないが、今の自分はとても狡猾な笑みになっているだろう。
自覚したイッザラームは、自然な表情に戻そうとする。
幸い、輿が止まる頃にはいつもの微笑を浮かべられた。
ファティマの夫になるズバイッル、義両親になる国王夫婦。
その後ろには兵士達や高位、下位、平民と数多く並んでいる。
日暮れの為か、子供や老齢者は見当たらない。だが、この場にいる全員がファティマの嫁入りを心待ちにしていると、明るい顔で出迎えていた。
輿から降り、一礼する。向こうも返した後、ズバイッルが帳を開けた。
「ようこそ、ファティ。我が花嫁」
「ズバイッル様……」
ズバイッルにエスコートされ、ファティマがゆっくりと地に足を着く。瞬間、盛大な歓声がこの場を包み込んだ。
民衆に顔を向け、笑顔で手を振る二人。ファティマの美しい笑顔に、イッザラームは満足だ。
そのまま案内を受け、バンダルク国のオアシスへと向かった。
砂漠において、オアシスは最も重要な箇所だ。どの国でも冠婚葬祭はオアシスを目前にして行われる。
篝火である程度の明るさを保ったオアシスは、静かな夜を映し出しているようだ。
自国よりも一回り小さく浅い水源だが、他五国も同じ広さだ。
ルーイナ国だけが広々としたオアシスを持ち、権力を持つ。
父の死と共に、その権力はイッザラームの手に渡った。最大限に活用するべきだろう。
人々に見守られ、ズバイッルとファティマがオアシスに近づく。
オアシスを背に、簡易な祭壇と神父が待っている。その前に行き、互いに見つめ合った。
「本格的な式は来年ですが、今日の良き日に誓いだけでも立てようとなりましてな」
「へぇ、それはいいね」
国王の補足説明に、イッザラームは口角を上げた。
誓いだけなら年齢関係なく行える上、書面も残る。元婚約者への牽制になるだろう。
大勢に見守られていざ神父が口を開こうとした瞬間、ジャラジャラと鐘の音が轟いた。
祝福のそれとは違う、不穏な音色。それを聞いたバンダルク国民は動揺している。
「鐘の音!?」
「これ、敵襲の合図じゃ……!」
「ウッソだろ!?」
「に、逃げなきゃ!」
鐘の意味を理解した時には、もう遅かった。
吉報の鐘の音ではなく、凶報の鐘の音が響いた。