8.ディーナ視点
街一つが国そのもの。
その為、街がいつもより明るく、賑やかな様子が遠目からでもわかった。
まるで、年に一度の水神を奉る祭りの日のようだ。
そんな訳ない。
祭りの時期ではなく、ましてやディーナが行方不明だと伝わっているはずだ。
捜索の明かりだと、自分に言い聞かせて進む。
その思いは虚しく消えた。
楽器は陽気な曲を奏で、人の笑い声が響く。
恐る恐る、ウマラクダを降りて忍び込む。入口に警備がいるが、別の箇所に王族しか知らない抜け道があるのだ。
そこから母国に入り、目に映る光景に絶句した。
「歌え、踊れー!」
「こんなめでたい事はないぞー!」
立ち並ぶ露店、笑顔で楽しみ人々。祭りよりも楽しげな熱気に包まれていた。
おかしい。ディーナは建物の影に隠れ、胸を抑える。
もしかして、母国では自分の状況が把握しておらず、純粋に嫁入りを喜んでいるかもしれない。
淡い期待に逃げていると、それを打ち消す話が耳に入った。
「それにしても、ディーナ様が亡くなったって聞いた時は、心臓が止まりそうになったわ」
「そうね。ルーイナ国と繋がりも終わりかと、夫も焦ってましたの」
「まさか、代わりにファティマ様が嫁入りしてくださるなんて! 子が王になれば、我が国とあの国の繋がりはより濃くなりますわよ!」
「ええ、ええ! 結果良しですわね!」
夫人達が歩きながら話しているようだ。丁度、ディーナの近くで一番気になっていた話題を話してくれた。
自分が死んだことになっている。
それを知った上で、国民達は喜んでいるのだ。
ルーイナ=ファティマ。ルーイナ国の末王女で、ディーナの一つ下。
母が異国より来た商人であり、この辺りでは珍しい白い肌をしている。真昼の太陽光が肌を痛めると、城内で日々を過ごす深窓の王女。
庇護欲をかき立てられる可憐なファティマは、主に騎士達からの人気が高い。
その中から選ばれた一人と婚約を結んでいても、それは色褪せていない。
そのファティマも兄が結婚。最大のオアシスを持つ国の王族と血縁関係となれば、王女を嫁に行かせるよりも国益は出る。
ディーナの死により有益な状況となって、感謝している。
ディーナが死んで良かったと、生存を祈る声も死を悲しむ声も聞こえない。
自分の生還を待ち望んでいる、受け入れてくれる。
そう強く思っていたのに、悲しみで五臓が張り裂けそうだ。
それでも、家族なら、きっと。
僅かな希望に縋り付くように、震える体を進める。楽しげな人に見つからないよう、建物沿いに静かに城を目指す。
すぐ近くで賑わう雰囲気が五感全てを刺激して、針のむしろに包まれている気がした。
辛い。せっかく盗賊の根城から逃げたというのに、同じ位に苦しい。
城が見えてきた。目の前にできた草陰の空間に人の気配を感じ、ディーナは動きを止める。
建物越しに顔を覗かせ、様子を伺う。二人の人物が向かい合っていた。
「呼び止めてすまないね。ファティマは?」
「父上、母上と話している。ファティの純粋な心に、二人共安心している」
「それはよかったよ。策を練った甲斐が有る」
愛おしい声と、安心できる声と、不穏な内容。
凍りつくディーナに気付くことなく、話は進んでいく。
「しかし、俺が可憐なファティ王女に見初められるとは思っていなかった。確かに恋心は抱いていたが、立場上、不可能だったから」
「こちらも事情が変わってね。婚約者殿にアクシデントが起きて、ファティマが嫌がったんだよ。婚約破棄して、ズバイッルに嫁ぎたいと。それがボクの婚姻の数ヶ月前」
「ディーナとの婚姻を破棄する時間がなかった。だから、強硬手段へ手を伸ばしたか」
「そう。彼女はボクを強く愛していたから、説得には時間がかかったろう。ただ、ファティマの婚約者が粘着深くて、さらに時間がなかったんだ」
自分の息遣いが、心音が煩い。
片手で口を、片手で胸を抑える。話はまだ終わらない。
「護衛と侍女に大金を積み、指定された場所に輿を置いてくるよう命じた。その後、帰ってきた彼らには『休憩中に突然の流砂が発生し輿ごと沈んだ』と風潮してもらった。皆、悲しんでいたが、お前の提案のおかげで明るさを取り戻せたようだ。実際はディーナをどうした?」
「……人攫い。他国の富豪に使用人として売り払うんだ。今回は特例として、金を渡して好待遇の場所に丁重に渡すようお願いしたよ。可哀想な事をしたと思ってる。それでも、ファティマの願いを叶えたかったんだ」
「……あいつは強い。使用人としてでも、生き抜けるはずだ」
そんな訳ない。そもそも、イッザラームの話は嘘だ。
実際は質の悪い盗賊達に、売られるよりも弄ばれた。気に入られたから生きていただけで、あのままなら殺されていた。
兄も、売られても生き抜けるとは笑えない冗談だ。ファティマと比べて健康的だから、そう勘違いしているだけだ。
「……うん。そうだね。これが一番の最善手だったんだよ。ディーナ嬢には感謝しないとね」
限界だった。
その場から一気に走り出し距離を取る。
愛していた人が、信頼していた人が、誰も彼もがディーナを裏切った。
「ははっ」
信頼も純潔も何かも失った。
「あははははっ」
もう、苦しいだけの自分なんていらない。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
何も考えられない。考えたくない。
広がる砂、走る自分。
笑う、泣く、叫ぶ。
プツッと、何かが千切れる音がした。
信じていたからこそ、愛していたからこそ。
耐えきれない程に、裏切りの落差は大きかった。