15.ブルーノ視点※
二日という期間はほんの僅かだ。不安が消え失せる前に、その日が来る方が早い。
教会本部の礼拝堂は広大であり、学校の全校生徒及び教員を席に入れてもまだ三分の一は空きができる。
「大礼拝にこんな前で参加出来るのも、ガッサー様のおかげだよな」
「タナカ侯爵家様々だよ」
「教皇様の説法、楽しみだわー」
談笑する生徒達は、声量を気にしていない。響き渡る自分達の声に、恥という概念を覚えないようだ。
タナカ侯爵家の人、それもイチロー・タナカの生まれ変わりが生徒として在籍しているということで、学校関係者は前方の良席を確保している。
縦にも横にも大きなガッサーが最前列の数席分を陣取っていて、後方からはまともに祭壇が見えない位置だ。
後方に回された信者から不満不平が出るだろうが、タナカ侯爵家とわかればすぐに撤回されるだろう。
ブルーノは何故か、ガッサーの隣へ強制的に着席させられた。今までなら最後列で直立させられるか、そもそも参加を許されないか。嘲笑がいつも以上に歪んで見え、寒気を覚えさせた。
『ぼ、僕がいる。お、おち、落ち着いて』
『……そうですね。心強いですよ、クレゾントさん』
『ホント!? な、なら良かった!』
悪魔は教会への立ち入り禁止だ。生徒や教師は皆、学校同様に近くの粗末な小屋に押し込んで来ている。
ブルーノ以外には視認できなくしている邪神二人も、今回は近くにいない。
万が一にでも見破る猛者がいたら、ブルーノの今後が危険になる理由だ。ブルーノ優先の考えに、涙が零れ落ちそうになった。
自分の魂に存在するクレゾントも、発破をかけてくれる。
クレゾントがいてくれるからこそ、現状に耐えられているとも言えるだろう。
居心地の悪さは変わらないが、気の持ちようが全然違う。
暫しの時が経つ。司祭達が礼拝の準備を行い、祭壇が豪華絢爛に飾られた。
司祭達が恭しく頭を垂れる中、威風堂々と教皇が入場する。オルガンが賛美歌を奏で、壮大な雰囲気的で礼拝が始まった。
賛美歌から始まり、祈り、聖書の一節と説法。これはどこの教会でも同じ流れであり、この大礼拝でも同様だ。
だが、祭壇に立った教皇が手の平でオルガンを制止し、ゆっくりと口を開く。
「此度の大礼拝を正式に始める前に、全世界の人々へ告げねばならぬ事があり」
低く、それでいて通る声に、傾聴していた人々がざわめき始めた。横目で僅かに見たガッサーは動揺していない。
ガッサーが知っていること、若しくは画作したことのようだ。その事実に胸が酷くざわつく。
教皇の腕が動き、手の平がブルーノへ向く。合わせて映像送信機がブルーノの姿を捉えた。
「教皇の名において断言いたす。彼の者、ブルーノ・ファルケーは英雄イチロー・タナカの名誉を踏みにじる罪人である」
唐突な宣告。目を見開く間に、教皇の言葉は続く。
「英雄イチロー・タナカは我が世界の救世主。その英雄を軽んじるブルーノ・ファルケーは野放しに出来ぬ。故に、彼の者は我ら教団の主たる場所、英雄の血が色濃く残るこの王都にて見張る必要あり。この地より離れる事を禁ず。各人よ、心に深く刻むべし」
告げ終えた瞬間、場が一気に湧いた。立ち上がり、惜しみなく拍手を送り、教皇を讃える人々。
その音全てが、ブルーノを絶望の沼へと沈ませていく。
理解できない。上手く息が出来ない。
呼吸は、鼓動は、雑音は、思考が完全に停止してわからない。
必死に積み上げてきた想いが、粉々に砕けた。それだけ、理解してしまった。
ブルーノの蒼白した顔を、ガッサーが覗き込んできた。形容し難い程に醜い笑顔だ。
「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっと、自分の立場が分かったようでひゅねぇ?」
「何、で……」
か細い吐息と共に零れた疑問。
長年、返答されるはずがないと頭の片隅に避けていた。
魔王の封印、その強度は魂の強さに比例する。
その人物が生を謳歌していれば封印が強まり、悪魔を下僕として扱える。
悪魔を使役して楽な生活を送りたいが為に、イチロー・タナカの生まれ変わりを甘やかすのだ。
自我を持ち始めた頃から学ぶ、誰もが知る話だ。
無論、ガッサーも例外では無い。嘯いてその地位を得ているからこそ、しかと把握しているはずだ。
その割には、本当の生まれ変わりであるブルーノを粘着質に迫害している。更に、唯一の支えであった旅を封じた。
ここまで縛り付けるなぞ、魔王の封印が解けてしまう可能性を考慮していないよう思える。だから、現状が認識できない。
呆然とするブルーノに、ガッサーは黄ばんだ歯を見せて笑う。
「お前の考えなんて分かっているんでひゅよ。旅ぃ? ひぉんなの、ボクちんの力がない場所チヤホヤひぁれる為! お前の考えはお見通ひぃなんでひゅよ!」
「なに、いって……」
「ふんっ! 白々しい演技はもうお腹いっぱいでひゅ! チヤホヤひゃれるのは、ボクちんだけでいいんでひゅよ!」
忌々しい目つきでガッサーは見下ろしてくる。その姿に、今まで思いも浮かばなかった疑念が出てきた。
「ここは、ボクちんだけの特等席でひゅ。誰にも渡ひぁないでひゅ」
ブルーノを睨みつけながら明言してきた。漸く、ガッサーの思考回路を紐解くことが出来、更に血の気が失せる。
ガッサーを過大評価していた。
目の前の男は、魔王の存在も先祖の偉業も、何一つ信じていない。
ブルーノを異様に迫害していた理由は単純明快。
自分だけが悦楽を得たいから。
その為に同類が目障りだったから。
ブルーノの話が真実とは欠片も考えていない。たた、愉悦な日々の邪魔になりそうだから、徹底的に排除した。
それだけだ。
それだけの為に、ここまでブルーノを追い詰めている。
前提条件が異なっていたのだ。考えつくはずがない。
周りの湧き上がる声が五月蝿い。
目の前のガッサーが気持ち悪い。
様々な感情が入り交じり、考えがまとまらない。
『ブルーノ』
蔑みの声の中で、慈しむ声がしかと聞こえた。
「クレ、ゾント、さん」
『な、なぁ。ぼぼ、僕は分かってる。ブルーノは見知らぬ人間の為、必死に耐えてた』
誰よりも優しい声色が、空虚な心に染み込んでいく。
『で、で、でも、今は違う。クソデブとあの偉そうな奴の所為で、どんな人間もブルーノを貶めてる。そんな奴ら、必要?』
何処に行こうとも、軽蔑の目が向くだろう。
もしも王都から出れば、必ず捕獲され連れ戻れてしまう。
誰もがブルーノを見下す。逃げ場のない生き地獄だ。
必要ない。要らない。
『ぼ、僕達、悪魔は違う。ブルーノを大切にする。ブルーノと対等の立場になる。ブルーノが臨むなら、何処にだって飛んで行ける。だ、だって、悪魔のトップ、魔王の僕がブルーノを一番に想ってるもん!』
対等な立場。自由な行先。ブルーノが求めている物だ。
迫害してくる人間と、手助けしてくる悪魔。
言葉や態度で攻撃してくる人間と、魔法や行動で守護してくれる悪魔。
自分より下の立場を顎で使う人間と、自分寄り上の立場を救出しようとする悪魔。
ブルーノを罪人とする人間。ブルーノを大切とする悪魔。
声だけでも大きな支えとなっている、魔王クレゾント。
どちらが必要か。否、どちらがブルーノにとって大切か。
後者に決まっている。
「…………いいです。もういいです。クレゾントさんの言う通りですね。出てきて構いませんよ、クレゾントさん」
小さく弧を描いた口から、自然と言葉が綴られる。
直後、ブルーノは体から何かが抜ける感覚を味わいながら意識を手放した。
張り詰めていた糸は、いとも簡単に切断された