13.ブルーノ視点
「へ、平和すぎませんか……?」
「これが普通だ。アンタの今までが異常」
「イジョー」
『ぶ、ブルーノ、良かったじゃん!』
人目につかない中庭。そこでブルーノは独りごちた。
正確には、ブルーノ以外にも姿を隠すイオレイナとジャピタが傍に、自分の中にクレゾントがいる。
疑問の声は、邪神達の冷静な指摘と魔王の無邪気な喜びに消えた。複雑な気持ちになりつつ、イオレイナから渡された果実を口に含む。
悪魔召喚の日から、約半月。その日からブルーノの生活は一転しており、未だに戸惑いを隠せない。
邪神を召喚した翌朝に、魔王との会話が可能になった。
クレゾントにしつこく請われるまま、知識を披露している内にイオレイナとジャピタが帰宅。
収納魔法という水のゲートから食物を取り出し、ブルーノに差し出してくれた。湯気が立ち上がる食事は、何年ぶりだかも覚えていない。
有難く食すと、今度は転移の魔法が展開された。
瞬きする間に学園に着いていて、改めて邪神に敬意を払うしか出来なかった。
それだけではない。
授業中や休み時間、生徒や教師が厭らしい笑みで小突き回しに来ると、決まって向こう側が不運に見舞われる。
悲鳴を上げる相手の近くで、イオレイナ同様に姿を隠している悪魔が数名いるのだ。
『ぼぼ、僕が頼んだ! 邪神から、あいつらに伝えてくれって! こ、こ、これからは、何人かが護衛で近くにいるからな! ぶ、ブルーノが怪しまれんようにって言ったから、安心していいよ!』
唖然と見送るブルーノに、クレゾントが誇らしげに断言した。
イオレイナとジャピタが透明化のアイテムを所有していたらしく、それを悪魔達が使用しているようだ。
転倒、舌を噛む、鳥の糞が直撃、などなど。本人達にはちょっとした不運にしか思えない、悪魔達の魔法による反撃。
追い返すだけなら過剰な気がしたが、本人達の鬱憤を晴らす目的もあるのだろう。
ガッサーがイビリに来た時など、不幸の連鎖を発生させて大笑いしていた。
昼食を摂る行為も、イオレイナ達が来てから久々に行った。
学食も弁当も許されないブルーノに、朝同様にイオレイナが食事を提供してくれる。
昼は水で膨らませていたが、幸福度が段違いだ。
そのまま帰りまで護衛され、転移魔法で帰路に着く。
夢のような生活が、ずっと続いているのだ。人並みの生活に、気をつけないと涙が溢れ出て止まらなくなりそうだ。
「ブルーノ、気になってた事を聞いてもいいか?」
「勿論ですよ、邪神様」
イオレイナが遠慮がちに尋ねてくる。紛うことなき格上の存在が、下の存在に配慮している事実に不遜ながら嬉しく思う。
人間達とは違い、邪神や悪魔は自分を邪険に扱わない存在だ。どの様な質問にも真意に答える所存である。
「あの環境で、今までよく耐えられたなと思ってな。何か支えになる物でもあったか?」
「支え、ですか。ええ、ありますよ」
人間達に向ける作り笑顔とは違う、心からの笑みを浮かべる。
イオレイナが興味深そうな表情でブルーノを見つめた。
邪神とはいえ、美しい女性に真っ直ぐな目を向けられると、頬の紅潮と共に心臓が大きく跳ねる。
気恥ずかしさから視線を斜め下に移動させ、胸に抱えていた想いを吐露した。
「旅に出たいと思っています。昔から願っている、生涯の夢になります」
それは、周りが変わる前から抱いている夢だ。
この国はイチロー・タナカという異世界からの救世主を呼び寄せた国として有名だ。
王都の一番地にタナカ侯爵家が建立しており、幅を広げている。また、異世界召喚を執り行った中心団体、大神信仰の教会本部も王都に並ぶ。
この学園も、悪魔使役の為にと最も初めに建設された場所だ。今では各国に数カ所はある学園の中でも、随一の人気を誇る。
だからこそ、タナカ侯爵家の力が強く影響する。
しかし、世界は広い。この狭く自分を見下す国に留まる理由はないのだ。
塩水で満たされて様々な生物が住む海という場所がある。
砂や岩石しかなく植物と水がほぼない砂漠という場所がある。
積雪が凍りついて一年中寒い雪原という場所がある。
他にも、人の手がないからこその美しい光景が沢山ある。
敵意しか向けてこない人間達よりも、見る価値が高いはずだ。
この国から遠く離れた場所で、見知らぬ人となら交流が出来るかもしれない。その可能性も含めて、考える度に気分が高揚していく。
「この身一つで、何処までも自由に飛び立ちたいのです。例え、その先で朽ちたとしても、この地獄で朽ちるよりも遥かに幸福だと言えます」
「なるほど? 楽しそうな夢だな」
「とても、楽しみです」
『ぶ、ぶ、ブルーノ! 顔! 赤い! 戻して!』
感嘆を漏らすブルーノに、イオレイナとジャピタは優しく微笑む。
何故か焦っているクレゾントの様子が分からず、疑問に思いながらも食事を続けた。
安心できる存在が傍にいる。頼れる存在に緊張の糸は切れ、注意力が散漫になっていたらしい。
昼休みが終わり、教室に戻ろうと動く。イオレイナとジャピタは悪魔がいる小屋に用があるらしく、すでに別れている。
傍から見ても自分でも一人の状況でいる中、相変わらず他人任せの移動で現れたガッサーは、ブルーノの前を陣取り告げた。
「お前! 旅なんて生意気でひゅ! ボクちんは許ひゃないでひゅからね!」
盗み聞きだろう。大切な夢が、敵に伝わってしまった。取り繕う余裕もなく、顔色が変わったと自分で感じる。
情報が真実であると、証明してしまった。
ブルーノの絶望に満足したガッサー達は、高笑いで移動していく。残されたブルーノは一人、その場で立ちすくんだ。
唯一の希望が、どう扱われるか。苛烈な想像しかできない。
『ブルーノ! し、しっかり!』
『クレゾントさん……』
『ぼ、僕の仲間達が、何かあったらすぐ言ってくんから! あ、あ、安心して!』
吃りながらも、自分を気遣う言葉は本物だ。暖かい。
緩みそうな涙腺を引き締め、ブルーノは歯を食いしばった。
書いている時はわりと短いと思っていましたが、丁度いい区切り具合が続いてます
投稿と執筆はやっぱり異なりますねぇ