ソラとリク ~空豆が紡ぐ小さな出会い~
「今日も仕事、終わった、終わったー」
陸はそんなことを呟きながら、職場を後にし、颯爽と自分の車へ乗り込む。
エンジンと共に携帯の音楽アプリを起動しながら、ネクタイを外す。
営業の仕事をしているが、今日はタイトな商談スケジュールを組んでしまったせいで、ろくに食事が取れなかった。
30歳も近いのにこの働き方は流石に身体に堪える。
(とりあえず、今日もスーパーの惣菜で済ませちゃおう)
車を走らせ、陸は地元の小さなスーパーへ向かった。
そこは彼の借りているアパートから歩いて5分くらいの場所にある。
普段自炊しない彼にとってそこは天国であり、コンビニ感覚で立ち寄れる陸の台所であった。
余りにもお腹が空き過ぎている。
今日も真っ直ぐお気に入りのコーナーへ向かう。
ただ、その場所は入口近くの野菜売場から精肉売場を経由して向かう必要があった。
何の気なしに陸は空っぽのカゴを持ったまま、足早に野菜売場を通り過ぎようとした。
その時だった。
【あの、すみません!】
突然背後からやたら良い男の声が聴こえて来たのだ。
「はい?」
陸が振り向いてみると、そこには誰も居なかった。
驚いた表情でたまたま近くで買い物を楽しんでいたマダムと目が合ってしまった。
少し恥ずかしさを抱きながら、彼は小さく会釈した。
【すみません! 僕の事を】
また、心を掴まれるような声が聴こえた。
だが、姿が見えない。
(…空耳か? 疲れているのかな)
何度か頭を振るって意識を戻す。
「よしっ、今日は疲れを吹き飛ばすためいっぱい食うか!」
陸はそう小さく呟いてから、早足で彼の台所へと向かった。
大量の惣菜を買い、意気揚々と家に帰った陸。
テーブルに料理を並べ、お酒を嗜む。
こんな時は揚げ物が身体に沁みる。
加えて大好きなワインも相まって、何とも言えない充足感に満ちていた。
だが、陸はどうしても気になる事があった。
「さっきの男の人の声は、誰だったんだろう」
透き通った綺麗な声。男の人と言うよりかは青年と言えよう。
そして、どこか儚げな声。
姿は見えないのに、何故、こんなにも自分は惹かれるのか。
食事を終え、お風呂を済ませて、陸は早めにベッドに入る。
だが、眠る前になっても、あの声が心の中で反芻する。
もう一度あの声が聴きたい。
こんな気持ち、生まれて初めて抱いた。
そんな事を考えているうちに、陸は疲れも相まってすぐに眠りについていた。
次の日、陸は仕事を終えると、あの声に導かれるようにスーパーへ向かっていた。
「確か、この辺りで聴こえたはず」
陸は昨日同様、野菜売場でその声の主を待つ。
そんな時であった。
【また、来てくれたんだね】
グッと心が掴まれるあの声が聴こえた。
「君は、誰なんだ」
陸は思わず声を発してしまった。
その場に居た、人達が彼を三白眼で見つめる。
そんな視線を向けられようとも今の彼には関係ない。
【ここだよ、ココ】
声のする方を見てみると、そこは緑が眩しい野菜達が所狭しと並べられていた。
その中で、何かがキラリと輝いて見えた。
大量仕入と言うPOP文字と共に、鹿児島産の立派な空豆がそこにはあった。
「空、豆?」
【そうだよ。やっと近くまで来てくれたね】
まだ、声だけで姿形は見えない。
「君は、一体誰なんだ…って」
その瞬間、陸は言葉を失った。
空豆のさやに身体を預けてこちらを覗く、小さな青年の姿があったのだ。
金色の髪に、整った顔つき。手のひらサイズの姿。
【はじめまして】
その彼と目が合った時、陸は身体が強張ってしまった。
この世のモノとは思えない、美しいものに触れた時、ヒトはこんなにも無力になってしまうのか。
【僕の名前はソラ。やっと、君と話す事が出来た】
その透き通る声と姿に、陸の周りの時間が止まった感覚に陥った。
陸はソラに向けて手を伸ばそうとする。
もっと近くでその姿と声を味わいたいと思ったから。
だが、すぐに手を止める。
「俺、お前を買う資格、ないよ」
【えっ?】
「俺は料理しないし、お前をみすみす腐らせる訳には行かない」
【それでも、僕はッ!】
ソラは今にも泣きだしそうな顔をしている。
余りにも健気な姿に陸は息を止めた。
【僕は君ともっと…】
「俺じゃ、お前を幸せに出来ない。それでもお前は俺の事を想ってくれるのか」
陸の言葉にソラは静かに頷いた。
「わかった。こんな俺でよければ、喜んで。よろしくな、ソラ」
彼はそう言いながら、空豆を優しく包み込むように手に取るのだった。
初めて二人が触れた瞬間だった。
陸は家に帰ってすぐ、携帯で色々と料理レシピを見始めた。
家にはほとんど調味料もないし、包丁ですら箱から出した事がない。
そんな中、ソラは台所でキョロキョロと辺りを見渡している。
「ごめんな。殺風景な場所で」
【ううん、全然。君の元にちゃんと来れただけで幸せだよ】
「ソラ…。ホント、ありがとな」
こんなに誰かに思われる事なんて今までなかったし、自分も誰かを愛おしく感じる事がなかった。
この歳になっても誰かを好きになると言う感情の意味がわからないくらいに。
だが、ソラと言う存在と出逢って、自分に明らかな変化が起きている。
それが何故か嬉しく思えた。
「お前と出逢えて、良かったよ」
【ありがとう、陸】
その透き通った声で自分の名前を呼ばれた時、彼は自然と自分の手を彼に差し出していた。
ソラがそっとその指に自らの顔を摺り寄せる。
陸は指からソラの熱を感じた。
仄かだけど温かい。確かにそこにソラは生きているのだ。
それから二人は他愛もない話をして、盛り上がる。
まるで以前から互いを知っていたかのようにいつまでも話は尽きなかった。
次の日は一日休みであった。
彼はリビングにあるテーブルに顔を突っ伏して寝てしまっていた。
(ああ。こんな所で寝ちゃったのか、俺)
すると、その隣には空豆の袋がそっと置いてあった。
確か、おやすみと言ってソラと一緒に眠った所までは憶えている。
「ソラ、おはよう」
だが、その言葉に想い人からの返答はなかった。
「ソラ?」
嫌な予感がし、陸は顔を青ざめながら、部屋中を探し回る。
だが、何処にも彼の姿はなかった。
ソラの気配が無くなった空豆が少し寂しくテーブルに置いてある。
「ソラ…」
今までと同じ部屋なのに、何処か暗くひんやりとした雰囲気を醸し出している。
彼との出会いは泡沫の夢だったのかもしれない。
寂しさが込み上げてくるが、何処か清々しくもある。
初めてソラと触れた時の、彼のあの弾ける笑顔が脳裏に焼き付いている。
陸にとって、その光景はいつまでも忘れる事は出来ないだろう。
それから陸はずっとしまっていた包丁の箱を開け、携帯で知り得たレシピで不慣れな空豆料理を頑張って設えた。
調味料もちゃんと準備して、一世一代の戦いに挑むのだ。
それから完成した初めてに近い手料理は、決して綺麗ではなかった。
だが、そこには見た目ではない、彼の愛がこもっていた。
ありがとう、そして、いただきます。
少し塩味が効いたその料理を、陸は大切に味わうのだった。
その日の夕方、陸は再びスーパーを訪れてみた。
もしかしたら、彼が居るかも知れないと言う一縷の望みを抱いて。
だが、昨日までソラの声がした野菜売場は今まで通りの静けさが横たわっていた。
その事実を受け止めた陸はフッと笑みを見せる。
あれだけあった空豆は全て無くなっていたのだ。
「あの、すみません」
陸は近くで品出しをしている女性店員に声をかけた。
「ここにあった空豆ですけど」
「ああ。すみません。全て完売してしまったんですよ」
「また、入荷しますか?」
「ええ。次は別の地域のモノになるかと思いますけど、いずれまた入って来ると思いますよ!」
そう言って店員は慌ただしくバックヤードに消えて行った。
(またいつか、お前に出逢えるかな)
陸はそんな事を想いながら、普段は通り過ぎる野菜や肉、生鮮売場を丁寧に眺めていく。
そして、カゴに色とりどりの食材を入れていく。
今までとは違う。
それはまるで彼の心がソラのあの笑顔のように明るく満たされているかのようだった。
「さあ。今日はどんな料理をしてみようかな」
ご拝読頂きありがとうございます。
本作品の挿絵は【mana@様】より頂きました。
本当にありがとうございます。
また、腐男子ごはんの生みの親【しゅんすけ様】には最大の敬意と感謝をここに表します。
このようなオマージュ作品に携わる事が出来、創作冥利に尽きます。