第7話「決戦の酒爪川」
鬼舞ヶ原に霧が満ちた。新太は忍者、猫目組の雷蔵らと出会い、彼とともに漆黒の蒸機兵を奪う。
が、彼らの前に立ちふさがったのは、新太の父の仇である白銀入道こと、弓削銀之丞が操る敵蒸機兵〈多聞〉の姿であった。
「な、何っ!」
弓削銀之丞は操所であえぎ声を漏らした。信じがたい光景だった。彼の端正なうつくしい顔が歪んだ。
「返してもらおうか、我が〈婆羅門〉を!」
弓削銀之丞は、一気に操縦桿を押した。
〈多聞〉が駆け出す。その機体と漆黒の蒸機兵の胴体が、激しく激突した。
二つの操所が、間近にぶつかりあったのだ。
それはほんの刹那であった。
が、彼らにとってははるかに長いときのように感じられた。
新太は、はじめてはっきりと白銀入道こと〈多聞〉操所の武将――弓削銀之丞の姿を見た。腕を伸ばせば届きそうな間近に、父の仇の姿があった。
「貴様……できるな……!」
片眼に眼帯をして青白い顔をした仇が、つぶやくように言った。そのよく通る声が、新太の耳に届いた。
新太と弓削銀之丞は、お互いに視線と視線をぶつけあった。二つの目線が、鋭く交わり、絡み合った。
「おっ父の仇! 俺が討つ!」
新太が怒鳴った。すぐ向こうに見える弓削銀之丞は、ぴくりと眉を動かした。
「乱波者など、敵ではない!」
弓削銀之丞は気合を放った。
〈多聞〉が漆黒の蒸機兵の下腹部を蹴る。
漆黒の蒸機兵は衝撃に後ずさりした。川砂利を跳ね散らかせながら後退したが、倒れはせず持ちこたえた。
次の刹那、〈多聞〉の雷焔大太刀が上段から襲いかかってくる。
しかし、新太は自分でも知らぬうちに両手両足を巧みに動かしていた。漆黒の蒸機兵は、〈多聞〉の一撃を軽々とかわした。
二つの機体は離れた。十間(約18メートル)ほどの間を置いて対峙し、じっと二機は睨み合った。
新太の隣で、雷蔵は眼を瞠っていた。生まれてはじめて蒸機兵を操るはずの新太には、もしや天賦の才があるのかもしれぬ――雷蔵は言葉にはせずともそう思った。
一瞬の後、新太と雷蔵の操る蒸機兵の足元で銃弾が川砂利を弾き飛ばした。
畔柳軍の鉄砲隊が一斉に撃ってきたのだ。
続いて、さらに大きな弾が川原にめり込んだ。激しい砂煙が上がった。鉄砲隊の背後から、畔柳軍の蒸機兵〈金剛〉が八機、散開しながら一斉に連火筒を放ったのだ。
が、漆黒の蒸機兵はすさまじい弾幕によろめくことなく、しっかと大地に立っていた。
と、そこに新たな地響きが起きた。
さらにもう一機、背の高い蒸機兵が走り込んできたのだ。新太と雷蔵の眼前に、黒と朱を彩った機体が立ちふさがった。
「〈婆羅門〉、もらったあああっ!」
野太いがなり声が、新太と雷蔵のもとにも届いた。
蒸機兵〈増長〉が、赤黒い雷焔大太刀を振りかぶり、突進してきた。
「邪魔いたすな、佐々どの!」
蒸機兵〈多聞〉操所で弓削銀之丞はうめいた。
が、佐々忠秀の〈増長〉は肩で〈多聞〉を押しのけた。そして一気に漆黒の蒸機兵に突進した。
「新太、左の足で――」
雷蔵が言い終えるよりも前に、新太の両手両脚が動いていた。
「うわあああああああっ!」
新太は叫んだ。
叫んでいることに自分でも気づいていなかった。
声とともに、漆黒の蒸機兵が身を低めた。蒸機兵〈増長〉が迫る。漆黒の蒸機兵が飛び出す。
そして〈増長〉に左肩から突っ込んだ。
金属が引き裂かれる轟音が響いた。火花が散った。両機体のあちこちから白く熱い蒸気が一気に噴き出す。
佐々忠秀の蒸機兵〈増長〉は吹っ飛ばされた。十二間(約22メートル)ほど先の川原に仰向けに、川砂利を飛び散らせながら倒れ込んだ。数瞬の遅れの後、雷焔大太刀が岩の上に突き刺さった。大太刀の熱で焼かれ、一気に岩石が赤く溶解して沸騰した。
「できる……!」
雷蔵は刮目していた。すぐ脇の新太の横顔を見つめる。
額からひとしずくの汗を流し、ぎらぎらとした眼で敵をにらむ新太の顔は、もはやただの百姓あがりの足軽のそれではなかった。
雷蔵は唾を飲み込んだ。
その瞬間、新太と雷蔵は背部に激しい衝撃を受けた。畔柳の鉄砲隊の掃射だった。
漆黒の蒸機兵が、ゆっくりと振り返った。その操所から、新太と雷蔵には、迫りくる畔柳軍勢が見て取れた。
鉄砲隊の両脇に蒸機兵〈金剛〉隊が左右に広がって足早に近づいている。先詰め三機、後詰め五機の二手に分かれているようだった。さらに彼らの前に、三百を超える騎馬隊が全速力で迫っていた。
もはや新太たちとのあいだは五十間(約90メートル)も離れていなかった。
雷蔵は痛む傷を左手で押さえながら、右腕を伸ばした。そして新太の手の上に自分の右手を重ねた。新太の手は、ぶるぶると緊張で震えている。
新太がちらりと雷蔵に眼を向けた。
雷蔵は静かにうなずいた。
雷蔵の意を、新太はすぐに汲んだ。新太もうなずき返した。彼の手は雷蔵の手のひらのぬくもりを受けて、もう震えを止めていた。
死地を駆ける二人に、もはや言葉は必要なかったのだ。
漆黒の蒸機兵の関節各部から、一斉に熱い蒸気が激しく噴出する。
新太と雷蔵、二人は同時に力を込めた。
二人は一気に操縦桿の引き金を引いた。
操所下部の三連火筒が二門、すさまじい殺気とともに火を噴いた。
放たれる無数の弾が酒爪川の空気を切り裂く。弾は畔柳軍鉄砲隊に降り注いだ。
鉄砲隊の陣形が崩れた。畔柳兵たちは混沌に襲われた。すぐ近くまで迫っている母衣騎馬隊の陣形も乱れていた。
「参るぞ……!」
雷蔵が静かに言った。
新太は黙ってうなずいた。
新太は、おのれの心が驚くほど凪いでいることに気づいた。もはや恐怖は消え去っていた。その手も震えてはいない。おっ父の命を奪い、弥吉を殺した敵への、静かな怒りだけがふつふつと胸底にたぎっている。
「参るぞ!」
今の新太には、漆黒の蒸機兵があたかもおのれの体の一部であるかのように感じられた。
漆黒の蒸機兵が、川原の砂利を蹴散らしながら全力で走り出した。
畔柳の鉄砲隊が散り散りになって逃げるのが見える。その背後に立つ、先詰めの蒸機兵〈金剛〉三機が、一斉に火筒を放った。
新太の操る蒸機兵は、弾をよけることすらしなかった。その強固な装甲板は、たやすく連火筒の弾を跳ね返した。
「えええええいっ!」
雷蔵と新太が同時に気合を放った。
二人息を合わせ、一気に引き金を引く。
三連火筒が火を噴く。
直後に、いちばん右に立つ〈金剛〉の操所が正面から被弾した。がくりとのけぞる。
その〈金剛〉が橙色の炎を上げて爆発、四散した。と、漆黒の蒸機兵がすぐ隣の二機目の〈金剛〉の腕を摑むのは同時だった。
〈金剛〉は闇雲に右手の紫電槍を振り回した。が、間合いが近すぎた。
漆黒の蒸機兵の左手が拳を握る。その拳が〈金剛〉の操所に叩き込まれた。装甲板が金切り声を上げて紙のようにひしゃげた。次の刹那、漆黒の蒸機兵の右手は〈金剛〉の腕をへし折った。紫電槍が宙に舞う。
「白銀入道、かかって来い!」
新太は鬼の形相で叫んだ。
蒸機兵は天へと腕を伸ばした。
そして宙空から落下する紫電槍を、しっかと摑み取ったのである。
「お、おぬし……!」
雷蔵は言葉を失って、新太の横顔を見た。
新太の双眸からは、まがまがしい妖気のような暗い光が荒れ狂いながら溢れ出ているかのうようだった。
漆黒の蒸機兵は、片手で摑んだ紫電槍を渾身の力をこめて投げた。
紫の光を放つ穂先は。一機の〈金剛〉の首筋にあやまたず突き刺さった。激しく蒸気が噴出する。行動不能となった〈金剛〉は、不意に力を失ったかのごとく、無様に川原にうつ伏せに倒れた。
「鬼の子か……!」
思わず雷蔵の唇の間から声が漏れた。
が、新太の耳には届いていなかった。ただ溢れ出る怒りと復讐心だけが、彼の脳裏を満たしていた。
漆黒の蒸機兵は身動きせぬ〈金剛〉に駆け寄り、その首から槍を抜き取ると、頭上で振り回した。
薄紫の稲妻が宙を走る。
「やあああああっ!」
気迫とともに、漆黒の蒸機兵は紫電槍を薙いだ。
足元に迫りきていた母衣騎馬武者たち十騎あまりが、人馬もろとも中空に吹っ飛ばされた。
漆黒の蒸機兵は紫電槍を構え直した。もう一度薙ぐ。と、さらに十数騎が蟻のように弾き飛ばされる。
新太が紫電槍を操るのと同時に、隣の雷蔵も手を伸ばし、三連火筒を放った。
漆黒の蒸機兵は修羅のごとく槍を振るい、火筒を放った。
新太と雷蔵、二人の連携によって蒸機兵は酒爪川の川原で修羅のごとく妖しく舞った。
華麗とも言える蒸機兵の前で、畔柳の騎馬隊と鉄砲隊が次々に撃ち倒されていった。
しかし、それでもさらに後方から、続々と畔柳の騎馬隊と足軽たちが酒爪川河畔に集結しつつあった。文字通り孤軍奮闘する漆黒の蒸機兵を、たちまちのうちに五百騎もの騎馬兵と、千近くの足軽たちが取り囲んだ。さらに、後詰めの五機の蒸機兵〈金剛〉が、紫電槍を構えて徐々に間合いを詰めつつあった。
「白銀入道、どこだっ!」
操所から新太は、ほとんど悲鳴に近い声を上げた。
弓削銀之丞の操る白銀入道こと蒸機兵〈多聞〉の姿は、酒爪川河畔にはもはやどこにも見えなかった。
白銀入道は、忽然と姿を消していたのであった。
「落ち着くのだ、新太。これでは多勢に無勢。退く道を見つけることもまた、兵法であるぞ」
雷蔵の言葉に、新太は歯噛みをした。
松木孫兵衛の指揮する畔柳軍は、漆黒の蒸機兵が摑む紫電槍の届かない距離を保ちながらも、少しずつ間合いを詰めつつあった。
じりっ、じりっと漆黒の蒸機兵は後ずさった。そのすぐ背後には、酒爪川が静かに流れていた。
新太と雷蔵の乗る漆黒の蒸機兵は、追い詰められていた。
もはや、絶体絶命であった。
雷蔵の冷静な言葉に、新太はかぶりを振った。
「でも、おっ父の仇が……!」
さらに一歩後ずさった蒸機兵の足が、酒爪川の水に踏み込んだ。
「もはやこれまでだ。新太、おぬしは降りろ。逃げて、生きるのだ。俺が畔柳軍を引きつける」
「でも……それじゃあ雷蔵さん、あんたは……?」
「若い者が笑って生きられるよう、影で闘い、影の中に消えてゆくのが、俺たち〈猫目組〉だ」
そう静かに雷蔵は言い、新太の手をそっと操縦桿から離した。
新太は必死の面持ちで、操所から外を見やった。
「冗談じゃねえや……格好つけるなよ!」
新太の両眼に、ふたたび鈍く光が宿る。
「ぬっ……!」
雷蔵は新太によって手を振り払われていた。
「新太、何を……?」
雷蔵の言葉を新太の叫びが打ち消した。
「おおおおおおおおおっ!」
漆黒の蒸機兵が酒爪川の水を蹴散らし、一気に駆け出す。
迫り来た畔柳騎馬隊の馬が、ひるんで次々に棒立ちになった。声高々といななく。馬上の武者たちが振り落とされた。
「行けええええええっ!」
新太は叫んだ。
次の刹那である。
漆黒の蒸機兵は、紫電槍の石突を川原に突き立てた。そして一瞬の後、その槍を支えにし、蒸機兵は跳躍した。
漆黒の巨体が、宙を舞う。
数十騎の騎馬武者たちの頭上を超えた。
二十間(約36メートル)あまりも跳び、蒸機兵は着地した。と同時に紫電槍を〈金剛〉の胸に深々と突き刺す。
真っ白い蒸気を噴き出し、〈金剛〉が川原にくずおれた。
「見ろ、新太!」
雷蔵が操所の向こうを指差した。迫り来ていた畔柳軍が、浮き足立っている。その陣形が見る見るうちに崩れていた。
「あれは……!」
新太は眼を瞠った。
北方の丘から、土煙を上がっているのが見える。
玉造の騎馬隊であった。
「三十郎、遅いぞ……!」
雷蔵がつぶやいた。その唇は笑みを浮かべていた。
先頭を駆けている馬を駆っている武者は、間違いなく間壁三十郎の姿であった。
間壁三十郎に率いられた玉造の騎馬隊、その数七百。さらにその背後から、足軽が二千余。
完全に、形勢は逆転したのであった。
が、雷蔵の顔が瞬時にこわばった。
「来る!」
雷蔵の声に新太は周囲を見回した。
「な、何が――」
言い終えることはできなかった。
「これ以上はさせぬぞ、〈婆羅門〉!」
すさまじい怒りに満ち満ちた声が新太の耳を貫いたのだ。
新太と雷蔵は、同時に眼を見開いた。
黒と朱に塗られた蒸機兵が、新太の眼前に立ちふさがっていた。雷焔大太刀を右八双に構えて突進してくる。
蒸機兵〈増長〉であった。
その操所の佐々秀忠は、鬼神のごとき形相で新太と雷蔵を見下ろしていた。
第8話(最終話)へつづく