第2話「蒸機兵、襲来」
新太たち玉造軍の眼の前に、ついに畔柳軍の巨人機械兵、蒸機兵部隊が姿を現した。
圧倒的な力で蒸機兵部隊が襲いかかる。新太は敵の巨大さにあらためて恐れおののくのだった……
玉造軍の兵たちに、動揺が駆け巡った。玉造軍が形作っていた〈魚鱗の陣〉の陣形が揺らぎつつあった。
ずしん、ずしん、ずしん……という規則正しい足音がますます大きく大地を震わせ始めた。
徐々に、畔柳軍〈蒸機兵〉隊が、その異形をあらわにした。
先陣を切って進むのは、大鍬形前立をあしらった兜状の頭部、胴は漆黒と朱に塗り分けられた装甲で覆われた蒸機兵〈増長〉であった。腰には長い雷焔大太刀を提げている。
その背後につづくのが、十二機の蒸機兵〈金剛〉隊であった。〈増長〉よりはやや小柄だが、濃緑色の全身がまがまがしい。身の丈を超える紫電槍を構えて、整然と並んで進軍してくる。〈金剛〉は〈青太郎坊〉と呼ばれて恐れられていた。
「くそおっ、白銀入道はどこだ?」
新太は恐怖で裏返った声で叫びながら、槍を握りしめた。今にも駆け出そうとする新太の背中にすがったのは、弥吉だった。
「兄ぃ! 無茶だよ、敵いっこないよ!」
弥吉は泣き出しそうな顔だった。
蒸機兵〈増長〉がゆっくりと右腕を伸ばす。と、その前腕部が朱色の光を放った。
玉造の騎馬兵が一度に五騎、もんどり打って草原にくずおれた。
連火筒である。火縄銃の数十倍の火力を持ち、連続して弾を放つことができる連火筒の威力を、今まさに玉造の兵たちは目の当たりにしたのだった。
つづいて、十二機の〈金剛〉隊が一斉に左右に散開した。玉造軍が陣形を整える間もなかった。〈金剛〉腹部の操所の真下で、大蛇の眼のような二つの朱色の光が瞬いた。二連火筒である。放たれた無数の銃弾が、玉造軍の兵たちを無残に次々に貫いた。
血しぶきが舞い散った。腕が飛び、脚が飛んだ。はらわたが引き裂かれた。悲鳴が春の空気を切り裂いた。
まさに、地獄絵図であった。
新太は呼吸をするのも忘れ、立ち尽くした。
しかしそのさなか、一人の騎馬武者が〈増長〉に向かって馬を駆って行くのが視界に飛び込んできた。
間壁三十郎である。
「われこそは間壁三十郎! 太郎坊のお相手いたす!」
大音声で名乗りを上げ、畔柳方の足軽たちを次々になぎ倒しながら、〈増長〉に向かって突き進んだ。
〈増長〉もまた、三十郎の姿に気づいた様子だった。その長い右腕が蒸気を噴き出しながら下がった。そして、腰の大太刀を一気に抜き放つ。
白刃が春の陽光に煌めいた――それも束の間、ブーンという音とともに、刃は柄から少しずつ赤黒く光り始めた。高温で鋼鉄すらも焼き切る雷焔刃である。
〈増長〉が雷焔大太刀を振り下ろした。が、すんでのところで間壁三十郎はかわした。槍を構え直す。三十郎の精悍な顔に不敵な笑みが浮かんだ。
そのとき、〈増長〉の前に一機の〈金剛〉の濃緑色の胴体が割り込んできた。
三十郎はすかさず槍を突き出した。穂先が〈金剛〉右股関節部に突き刺さる。一歩踏み出そうとした〈金剛〉はたたらを踏んだ。そのまま前のめりになり、どうと地面にうつ伏せに倒れ込んだ。背中の煙突からは黒煙が大きく噴出する。
三十郎は腰の太刀を抜き放った。馬首をめぐらせ〈金剛〉に近づく。そこには〈金剛〉胸部の操所から身をよじって抜け出そうとしている兵の姿があった。
「ええいっ!」
三十郎は太刀を振り下ろした。兵の首は、一刀のもとに斬り落とされ、飛んだ。
二十間(約36メートル)あまり離れたところで、新太は間壁三十郎の立ち回りを息を呑んで見守っていた。
と、次の刹那、頭のすぐ脇で空気が切り裂かれる音が走った。新太のかぶっていた陣笠に鋭く穴が穿たれる。新太は衝撃に仰向けに打ち倒された。
背中を地面にしたたかに打った。激しい眩暈と耳鳴りで、新太の周りの世界がぐるぐると回転した。
力を振り絞って身を起こした。まだ右手には槍をちゃんと摑んでいる。陣笠の顎紐はちぎれ、手の届かぬところに転がっていた。そこに、握り拳ほどの穴が空いているのが見えた。〈金剛〉の放った連火筒の弾が貫き、頭をかすめたのだ。新太は身震いして起き上がった。
「弥吉、やられっぱなしじゃいられねえ。俺らもやり返すぞ!」
新太は振り向いた。
総毛立ち、血の気が一気に引いた。
すぐ右隣にうつ伏せに倒れているのは、間違いなく弥吉にほかならなかった。
「弥吉いいいっ!」
新太は叫んだ。
かつて弥吉であったものの、上半身だった。引き裂かれた胸から血はわずかしか出ていなかったが、灰色の煙がぷすぷすと立ち上っていた。
新太は、もはやぴくりとも動かぬ弥吉の上半身にすがりついた。無駄だとわかりつつ、必死に弥吉の肩を揺すぶった。
「ま、ま、待ってろ!」
新太は這いつくばった。懸命に周囲を見回す。引きちぎられた弥吉の下半身は、三間(約6メートル弱)も離れたところに転がっていた。新太は駆け出した。頭上を鉄砲と連火筒の弾が無数に飛び去る。新太は弥吉の焼け焦げた下半身の帯を摑んだ。
「待ってろ待ってろ待ってろ待ってろ……」
熱に浮かされたようにつぶやきながら、弥吉の血みどろの下半身を引きずり、上半身に押し付けた。
「弥吉、眼え覚ませよ! 手柄立てるんだろ? 褒美もらうんだろ?」
新太は涙と汗とよだれで顔をぐしゃぐしゃにしながら、弥吉の上半身と下半身を必死にくっつけようと試みた。もちろん、それが無駄なことだとはわかっていた。わかっていながらも、やらずにはいられなかった。まだ人肌のぬくもりを保った鮮血が、新太の両腕を真紅に染めた。
「弥吉いいいいいいっ!」
新太の絶叫は、鬼舞ヶ原の空に吸い込まれた。その叫びを聴く者は誰もいなかった。
同刻、鬼舞ヶ原北東に位置する美並山の玉造軍本陣――
三尺(約1メートル)四方の立体遠見盤を見つめる玉造軍総大将である玉造家の姫である鷺の頬は、小刻みに震えていた。
萌黄糸縅の二枚胴鎧を身に着け、床几に腰掛けた姿は小柄ながらもまさに一国一城の主の風格と気品を醸し出していた。が、鷺の歳はまだ数え十六。近寄って見れば、その端正な人形のような顔には幼さが残っている。
立体遠見盤に投影された物見の兵の像が、悲痛な声で報告した。
「申し上げます! 徳馬川左岸に敵兵およそ二千。三國隊八百はほぼ壊滅です!」
立体遠見盤からその姿がかき消えるやいなや、べつの物見の姿が投影された。
「申し上げます! 鬼舞ヶ原西方に畔柳の軍勢およそ一万と蒸機兵十三! 間壁隊、手塚隊、勝呂隊が包囲されております!」
立体遠見盤から物見の姿が消えるやいなや、鷺は床几から出し抜けに立ち上がった。その小さな両の拳は強く握られ、赤い唇はきつく固く結ばれ、わなわなと震えていた。
「姫、焦ってはなりませぬぞ」
身を乗り出したのは、家臣、敷島軍太夫である。歳は六十六だが、その年齢よりも老いて見える。真っ白い口髭と頬髭に覆われた熊のような容貌で、その両眼は老いたといえどやはり熊のように鋭い光を放っている。四代続いて玉造家に尽くしてきた最古参の家臣であった。
鷺はうるんだ両の瞳を敷島軍太夫に向けて言い返した。
「こうしてはおれぬ!」
「姫、お早まり召さるな。戦に焦りは禁物にござりまする」
「わが兵たちが討たれ、血を流して悶え苦しんでおるのだぞ。それをここで座して見守れと申すか?」
鷺の顔が悲痛に歪んだ。
「姫、辛抱でござる。姫は我が軍の総大将なのですぞ。総大将は山でござる。山は、軽々しく動いたりいたしませぬ!」
が、鷺は軍太夫を見下ろして、震える唇で言い放った。
「辛抱などもうできぬ! わらわも出る!」
「なりませぬ!」
前に立ちふさがった敷島軍太夫を、鷺は押しのけた。
「軍太夫、そちの指図は受けぬぞ。〈青龍〉の支度をせい!」
鷺は傍らに控える家臣へ命じた。
「畏れながら、〈青龍〉は先だっての、西條河原の戦いで負った傷の補修がまだ終わっておりませぬ」
「歩けるのであれば構わぬ! わらわは出るぞ。支度をせいっ!」
鷺の必死の決意に満ちた声を残し、早足で本陣を出た。
「ええい、わしも〈白虎〉で出る!」
敷島軍太夫は、険しい面持ちで鷺を追うのだった。
同刻――鬼舞ヶ原北西では、玉造軍の〈魚鱗の陣〉が崩壊しかかっていた。
玉造軍の兵たちは混乱し、浮足立っていた。彼らは次々に、迫りくる〈金剛〉部隊の槍に薙ぎ倒され、火筒に撃ち抜かれた。からくも生き延びた玉造兵たちには、黒い母衣を背に負った畔柳の母衣騎馬衆の槍が襲いかかったのだ。
「猪口才な畔柳の童どもめ! 恐れるに足らず!」
馬上から怒鳴ったのは間壁三十郎である。
地面に這いつくばる新太の耳にも、三十郎の力強い声が届いた。
「や、や、弥吉……弥吉……弥吉……」
うわごとのようにつぶやきながら、新太は立ち上がった。
新太は、かたわらに落ちた槍を拾い上げた。そして、迫りくる足音に向かって顔を上げた。
「弥吉の仇……!」
新太の眼前で青太郎坊――蒸機兵〈金剛〉が紫電槍を振りかぶっていた。その刃がぎらりと陽光を反射する。
その刹那だった。
新太には見えた。振り下ろされる太刀筋が、ありありと彼の眼の前に映し出されたのだった。
新太は駆け出した。内側から急速に膨れ上がる獰猛な力に衝き動かされるように、新太の体は動いていた。そして彼は、槍を摑んだまま跳躍した。
青太郎坊が紫電槍を振り下ろす。
新太にはすべて見えていた。
振り下ろされた槍の穂先に、新太は爪先で降り立った。すぐさまわずか五歩で柄を駆け上がる。青太郎坊の右腕に至ると、無数の歯車がきしるその手首から、さらに跳躍した。
「えええええええいっ!」
裂帛の気合が口から漏れる。同時に新太は、槍を胴部の操所目がけて 渾身の力を込めて投げた。
穂先が操所の兵の右肩を貫くのと、新太が地面に転がるのは同時だった。
ひと呼吸遅れて、〈金剛〉の機体がぐらりと揺らいだ。巨大な蒸機兵の躰が、新太の上に倒れ込もうとしていた。
新太は、今おのれが成したことが信じられなかった。眼前にのしかってくる巨体の下、ただ呆然としゃがみ込んでいた。
蒸機兵の躰が、新太の上に暗い影を落とす。背中の煙突から黒煙を吹き上げながら、巨体が新太の上に倒れ込んできた。その胴部の操所では、まだ若い兵が苦痛に顔を歪めながら、今しがた新太が投げた槍を肩から抜き取ろうともがいている。
ようやく新太は我に返った。すぐ眼前に、青太郎坊の巨体が迫り来ている。新太は声も出せず、反射的に両手で頭を抱えた。
新太は、おのれの身に降りかかる事態を覚悟した。
圧倒的な絶望と諦めが、今まさに蒸機兵の巨体とともに新太を押しつぶそうとしていた。
「おっ母ああああっ!」
新太の口からあふれたのは、母への思慕の叫びであった。
第三話へつづく