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第1話「戦場と少年」

 宝雲(ほううん)二年卯月(うづき)一日(うま)(こく)のことである。

 のちの世に語り継がれることとなる鬼舞ヶ原(おにまいがはら)の戦いが、今まさに始まらんとしていた。

 観月(みづき)の国、玉造(たまつくり)家領地の西方に位置する鬼舞ヶ原には、決戦間際とは思えぬ静かな風が吹き渡っていた。暖かくおだやかな春の風は、鬼舞ヶ原に咲き誇る菜の花の黄色く可憐な花弁を静かに揺らしている。

 一羽の紋白蝶(もんしろちょう)が、はらはらと羽をはためかせながら、宙を踊るように舞っていた。

 紋白蝶は、天を貫かんばかりに伸びる、数え切れぬほどの「枝」の隙間を縫うように、軽々と舞い踊っている。

 紋白蝶に知るすべもなかったが、それらは「枝」ではなかった。

 天に突き出す無数の槍だった。

 約八百名の足軽たちが掲げる槍が、春の野原に生い茂るように突き立っているのだった。

 立ち並ぶ槍の間から、紋白蝶へ伸びる一本の腕があった。華奢な指先である。紋白蝶はその腕に気づいているのかいないのか、はらり、はらりと自由気ままに舞いながら、伸ばされた細い腕をかわして春の空に踊った。

「兄ぃ、なあ、新太(しんた)兄ぃ!」

 呼びかけたのは、青白い顔色をした細身で長身の少年だった。菅笠(すげがさ)の下にのぞくその顔は、まだ幼い。年は十五歳になったばかりだった。

「ああ? 何だよ?」

 すぐ隣にしゃがんだ同じ年格好の浅黒い肌をした少年が、紋白蝶に向かって腕を伸ばしたまま、振り向くことなく答えた。菅笠の下の顔は、春の明るい陽光をみずみずしく跳ね返していた。その褐色の双眸は、春の日差しのなかを舞う紋白蝶へ愛おしげに向けられたままだった。

「なあ新太兄ぃ、この戦い、勝つかな?」

 新太と呼ばれた少年は、青すぎるほど青い空へと、何かに引かれるようにその右腕を一気に伸ばした。が、彼の拳は宙を摑んだ。紋白蝶は春の空高々と舞い上がって去って行った。

「新太兄ぃ、聞いてるのかい?」

「勝つさ。鷺姫(さぎひめ)さまがついてらっしゃるんだ。きっと勝つ」

「敵の首獲ったら、鷺姫さまにご褒美もらえるかな?」

 青白い顔の少年は両眼をきらきらと無邪気に輝かせながら、隣の新太に訊ねた。

「ああ、たっぷりと米や金子をもらえるさ。おまえのおっ父とおっ母、目の玉ひんむいてたまげるぜ、弥吉(やきち)

 弥吉と呼ばれた少年は、さらにその茶色い瞳を輝かせた。

「なあ新太兄ぃ、褒美をもらえたらどうする?」

 新太は、青空に向かって突き立つ槍の穂先の群れをふと見上げた。

「そうだな……もしも金子(きんす)がもらえるなら、おっ(とう)の墓を建てる」

「そっか……兄ぃのおっ父は……」

 弥吉が言いかけて、慌てた顔つきで口ごもった。

「ああ、そうさ。俺は皆月(みなづき)村を出るとき、おっ父の(かたき)を取るって、おっ(かあ)とお(ばあ)に約束したんだ。絶対に……絶対にこの手で〈白銀(しろがね)入道(にゅうどう)〉のやつを討ち取ってやるってな」

「でも兄ぃ、そんな大それたこと、ほんとうにできるのかなあ。あの天を衝く無双の〈白銀入道〉だぜ?」

 新太は、槍を握る拳に力を込め、その穂先の向こうの空へと視線を向けた。

 もはや紋白蝶は、春の晴れ空のどこか遠くへと姿を消していた。ただ果てしもなく透き通った青い空だけが、新太の眼前には広がっていた。

「絶対に、俺がこの槍をあいつの心の臓に……」

 言いかけた新太は、ふと小首をかしげた。

 草原を踏みしめて駆ける馬の足音に気づいたのだ。

 新太と弥吉は同時に――立ち並ぶ雑兵たちもほぼ同時に、顔を音のする鬼舞ヶ原北側へと向けた。

 先頭を切って走る赤毛の馬にまたがって現れたのは、紅糸(くれないいと)(おどし)五枚具足(ごまいぐそく)螭吻(ちふん)紋飾(もんかざ)前立(まえだて)の兜をかぶった壮年の武者である。兜の下に除く相貌は精悍で、太い眉がその意志の強さを表していた。口の周りに生やした髭が、その武者の顔をよりいかつく、力強く見せている。片手には長い槍を摑んでいた。

 髭面の騎馬武者は手綱を引くと、ずらり並ぶ足軽たちに向けて呼ばわった。

「みなの者、わしは間壁(まかべ)三十郎(さんじゅうろう)である! おぬしらの命、この三十郎が預かった。鷺姫さまをお守りし、そしてわれらの領地を守り抜くのだ!」

 玉造家に代々仕える間壁家の惣領にして、勇猛果敢な武者として名を馳せている三十郎であった。彼が野太い声で呼ばわると、足軽たちのあいだから、誰からともなく鬨の声が上がった。

 新太と弥吉もまた、負けじと大声を張り上げた。

 男たちの歓声が、鬼舞ヶ原を駆け抜ける。驚いた雲雀たちが、春の空を舞い上がった。

 しかし、玉造軍の兵たちは、すぐさま口をつぐんだ。

 うっすらと霞がかった鬼舞ヶ原の西方に、それは姿を現したのだ。

 黒地に蟷螂(かまきり)を象った紋を染めた数百本もの旗指物(はたさしもの)だった。それらは春の陽光を翳らせる黒雲であるかのように、まがまがしく揺らいでいた。

 遠波(とおなみ)の国、畔柳(くろやなぎ)八郎(はちろう)伴房(ともふさ)の軍勢である――その数およそ一万二千。

 玉造軍の足軽たちのあいだにざわめきが走った。新太、弥吉をはじめ、大半の足軽たちにとって、ここははじめての戦場であった。

 馬上の間壁三十郎が、大音声で呼ばわった。

「ようやく来おったか。待ちかねておったぞ……鉄砲隊、構えっ!」

 新太たちの眼の前に進み出たのは、玉造軍鉄砲隊、その数およそ五百。敵方に比して、あまりにも少ない軍勢であった。

 いきなり、轟音が春の鬼舞ヶ原に轟いた。

 先に火蓋を切ったのは、敵方の畔柳軍の鉄砲隊であった。

 まだ両軍の距離は二町あまり(約220メートル)もあった。敵軍から玉造陣地まで届いた弾はほとんどなかった。が、それでも玉造軍の雑兵たちを狼狽させるには充分であった。

 馬首をめぐらせ、間壁三十郎が呵々大笑した。

「ははははっ! 者ども、驚くでない! 畔柳の小童(こわっぱ)どもが、臆して先に撃ってきたのだ! まだ距離は遠いぞ。鉄砲隊、こらえろ。わしの下知を待つのだ!」

 畔柳軍から、鉄砲隊の第二撃が放たれた。無数の銃弾が玉造軍陣地の前の草原に突っ込み、砂柱を上げた。

「今だ、撃て!」

 間壁三十郎が命じた。

 玉造軍鉄砲隊が、一斉に発砲した。

 はじめて聞く耳をつんざく轟音に、新太と弥吉は両耳を押さえた。

「弓隊、構ええっ!」

 すぐさま、馬上の間壁三十郎が怒鳴った。すばやく弓隊が矢をつがえて上空へと構える。戦に慣れていないはずの玉造軍であったが、三十郎の泰然自若とした立ち居振る舞いが、兵たちの力を奮起させているかのようだった。

「放てえっ!」

 三十郎の号令とともに、無数の矢が放たれた。降り注ぐ矢の雨に、畔柳勢に動揺が走った。

 が、それも束の間のことであった。

 玉造軍が二の矢を放つ前に、畔柳方の鉄砲隊が一斉に火を吹いた。すでに玉造軍は、充分に射程距離内におさめられていた。

 新太のすぐ前で、一人の足軽がもんどり打って仰向けに倒れた。その喉元から、真っ赤な血潮が噴水のように噴き出しているのが、新太には見えた。

 新太は叫びかけた口をすぐさまつぐんだ。全身が冷えていく。

 これが、戦なのだ。

 間壁三十郎は、馬上で槍を翻した。そして、玉造軍の先頭で大音声を上げた。

「進めええいっ!」

 槍を構えた足軽たちが、一斉に突撃を開始した。

「おおおおおおおおっ!」

 耳をつんざく閧の声。

 間壁三十郎が槍を構え、馬に拍車をかけた。先頭を駆ける三十郎を追うように、騎馬隊が疾走する。

 新太と弥吉もまた、声の限りに叫びながら、周囲の足軽たちに混じって、槍を構えて駆け出した。

 鬼舞ヶ原の中央で、両軍は激突した。

 敵味方が入り乱れる。激しい怒号が飛び交った。刃や甲冑が金属的な音を上げてぶつかりあう。

 新太と弥吉も闇雲に槍を振り回した。が、彼らの槍の穂先はただ空を切るのみであった。

 わめき声と悲鳴、馬のいななきが新太の耳を貫く。砂粒と汗と血のしぶきがそこここで飛び散っている。敵も味方も次々に鬼舞ヶ原の草の上に(たお)れた。すぐに息絶えた者は、まだ運が良かった。斬られ、突かれ、血を流し、はらわたを飛び出させ、なおも息のある者たちが、あちらこちらで声にならぬ悲鳴を上げながら、芋虫の群れのように蠢いていた。

 新太と弥吉は、凍りついたかのように草原で棒立ちになった。うつつのこととは思われなかった。

 新太は空を仰いだ。空は高く、明るくやわらかな昼下がりの春の光に満ちている。あまりにも明るすぎる、と新太は思った。空が遠すぎる。この地上での阿鼻叫喚は、とてつもなく現実離れしすぎていた。いつまでも覚めぬ悪夢に囚われているかのようだった。

 唐突に、新太は身を固くした。体の奥底に、震えるものを感じたのだ。

 それは、武者震いではなかった。

「し、新太兄ぃ?」

 両腕で必死に槍を抱きしめている弥吉が、恐怖に震えながら不安そうな顔を向けた。新太はすかさず這いつくばった。耳をひんやりとした地面に当てる。

 新太は感じた。ズン、ズン、ズン……という規則正しい振動が、土の奥から届いている。騎馬隊の蹄の立てる音ではない。もっとゆっくりとした、そして馬よりもはるかに重量のある「音」が、間違いなく近づいている。

 新太は跳ねるように立ち上がり、風の吹き渡る草原の向こうへ眼差しを向けた。

「……来る!」

 新太の視線の先、揺らぐ旗指物のなか、ひときわ高く翻る指物が何本も見えた。

 玉造軍に、どよめきが波のように広がった。

 黒地に蟷螂の指物とともに、暗灰色の煙が何本も立ち上っていた。その煙が、徐々に近づいてくる。

 新太から一町(約110メートル)ほど離れたところで、間壁三十郎も近づく新手の存在に気づいた。

「うぬ、来おったな……!」

 三十郎は真顔になり、馬上で槍を振るった。一気に三人の畔柳軍の足軽を吹っ飛ばした。三十郎は槍を構え直すと、その引き締まった顔がさらに緊張で鋭さを増した。

「この間壁三十郎の相手に不足はないわ!」

 三十郎はにやりと笑みを浮かべると、馬に拍車をかけた。

 彼の向かった先には、壁のように立ち塞がる巨大な兵たちがいた。

 いや、ただの兵ではない。

 姿形こそ人によく似ていたが、身の丈はゆうに五間(約9メートル)を越す。背中に指した旗指物の隣には、太い煙突が生えている。そこからは黒煙が上っていた。頭部は巨大で平らな兜で覆われており、鋼鉄の鎧で包まれた胴体からは、長い二本の腕が伸びていた。関節の各所では歯車がぎりぎりと音を立てて回り、真っ白い蒸気を断続的に噴き出している。

 新太をはじめ、玉造軍の多くの兵たちがはじめて眼にする敵の姿だった。誰もがおののき、あえぎ、棒立ちになり、唖然として、近づきつつある巨大な敵を見上げることしかできなかった。

「た、た、太郎坊(たろうぼう)!」

 そこここの足軽たちのあいだから、異口同音の声が漏れた。

 南蛮で生み出され、唐土(もろこし)を経て数年前に伝来した巨大蒸気駆動二足歩行機械兵――いつしか〈太郎坊〉という異名で呼ばれ、恐れられている巨人兵士。

 畔柳軍の〈蒸機兵(じょうきへい)〉部隊が、ついにその姿を表したのであった。


「戦国蒸機兵玄武〜鬼舞ヶ原の戦い〜」第二話へつづく

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