19.卒業
月日が流れた。
魔法学校の演習場Cに約三百名の人間が集まっている。
──卒業する、生徒たちであった。
校長のキールが言う。
「諸君らはこの六年で何をやった? 苦境に立たされた時、ここでの経験を思い返せ。私からは以上だ」
それだけであった。
その後、教諭たちからの挨拶と、下級生代表からの挨拶があって、それでお仕舞である。
演習場から去る生徒たちに、道中、記念品が配られた。
中身は万年筆と進路についてのガイドブックである。
寮にて。
ヘレンと綾子は部屋の掃除と荷造りを行う。
「住み慣れた六年であったでござるなー」綾子が言う。
「やっぱり寂しい?」
「そりゃ第二の我が家って感じで! ヘレンは寂しくないの?」
「寂しいというより、残念という感じかも。実家は古すぎるし誰も掃除しないから、ここに置いてあるようなベッドだとかソファとかの繊細な家具はすぐ駄目になるんだ。湿気と埃は凄いね」
「ははは! なるほどね~! それじゃ、実家建て替えの為に稼がないと──軍はお金貯まるぞお~!」
「らしいね。お兄ちゃんに負けないくらい稼げたら良いな」
「ヘレンのお兄ちゃんは今も自動車業とダイナマイトを?」
「うん。あと肥料も扱ってる」
「肥料? この豊穣な国で?」
「思いのほか、使うとまるで違うんだって。お兄ちゃんは慧眼なのさ」
「ビジネスチャンスを掴むのが上手いね~。お兄ちゃんに実家建て替えて貰ったら?」
「出費が多いみたいでまとまったお金が無いんだって」
──それに、以前あったB国共同魔物討伐での私とマリア救出時に、商売道具を沢山使っちゃったからね。
ヘレンは口に出さなかった。
彼女らはまず荷造りをして、部屋の外に荷物を出す。
その後で、部屋の掃除を行う。
埃払いであちこちをぽんぽんと叩いた。
その後、モップで床を磨いて回る。
少しして、部屋は綾子入居時と同じ状態になった。
「ふう~疲れた疲れた。最後にさ、食堂に寄ろう!」疲れたと言うが、綾子の声は力がみなぎっていた。
「うん。行こうか」
二人は食堂に向かった。
今は授業の時間なので、在校生はいない。卒業生がかなりの数、いる。
「今日はカツ・ハヤシカレーだって」綾子が言う。
「カツ・ハヤシカレー......」
ヘレンは思わず苦笑する。異世界日本ではその組み合わせの食事は滅多に無い。
「やあ綾子、ヘレン」
二人が声のする方向を見ると、ジェンがいた。
「卒業おめでとー! いえーい! 一緒にご飯食べる!?」綾子はテンションが一気に上がった。
「おう! 並ぼうぜ!」
三人は配膳台を持って提供場所へ向かう。
少しして。
食堂の隅っこ、人がいない場所に三人は座った。
「いや~六年間お疲れだな! おいらも中々の魔導士になれるんじゃないか!?」
「一〇年後が楽しみだね! 冒険の魔導士なんて通り名が付いちゃったりして!」
「やっぱり冒険するんだ?」ヘレンの声。
「うん。とりあえず南の黄金郷は難しそうってのは分かったから、最初はジャスミンの古代遺跡を目指すことにするよ」
「ジャスミンの古代遺跡......警備ロボットが多数うろついていて一般人は近寄れない話だね」ヘレンは手を顎にやる。
「隠蔽魔法を覚えることが出来たから、多分大丈夫さ! 困ったことになったら、得意技の光の地平線でばったばったと倒してやるよ!」
「勢いあるね~! その調子でお宝持ち帰っておくれ!」綾子が嬉しそうに言う。
仲良く三人で食事をする。
「これで食堂での食事は最後か~。ま、この三人で飯を食う機会はこれからもあるだろうけどよ」ジェンがしんみり言う。
「そうとも! ジェン! ヘレン! お手紙待ってるからね! 勿論私からも手紙を出すよ」
「うん。私も手紙を出す」
少しだけ、ヘレンは泣きそうになった。
──転生者の癖に、これで泣きそうになるんだ。
ヘレンは自嘲するが、こうも思った。
──それだけ、楽しい六年間だったということかな?
三人は食堂を去った。
寮に向かい、荷物を持つ。
それから、門へ向かった。
途中、ヴァランダと出会う。
「ヘレン君、良いかな」
「ああ、うん。──二人ともごめん。先行ってて」
「それじゃあ門で待ってまーす! あんまり遅いとこのままお別れだからね!」綾子はジェンとその場を去った。
「悪いね。上の政治の影響で、あちこちに挨拶をしなければいけなかったんだ。食事は済んだのかい?」
「うん。ヴァランダが食べるなら、隣で眺めていようか?」
「いや、実は僕も食べてしまったんだよ。ははは! それじゃあこのまま門へ行こうか」
ヴァランダは友人たちの進路をヘレンに聞かせる。
「スパイサーはせっかく魔法を学んだのに実家の稼業を継ぐそうだ。不動産の管理──いかにも上流階級だな」
「ジャッシュは?」
「政治家のボディガード兼、政策立案秘書見習いをする。ハードワークだろうが、うまくいくさ」
「ヴァランダは軍に入るということで、変更無し?」
「そりゃ君が軍に入るからね。妻が国に貢献してるのに、夫が国際貢献と称してあっちこっちふらふらするのはどうも──ちょっとね」
微笑みをたたえるヘレンとヴァランダ。
と、そこに。
「ヘレン! ヴァランダ!」
マリアであった。
「やあマリア、今日は取り巻きがいないんだね」ヘレンが言う。
「今日はあちこちへの挨拶で皆さん忙しいんですわ。ところで二人共、軍に入るのよね?」
「そうだな」ヴァランダが答える。
「私も軍に入りますからッ! よろしくお願いしますわねッ!」
「ええ! そうなんだ。てっきり聖女から令嬢コースかと」
「そんな温い生き方ではライバルに笑われてしまいますからね! ヘレン! 業火の聖女は銀の槍の聖女よりも上ですから! それじゃッ!」
マリアは駆け去った。
ヘレンとヴァランダはくすりと笑う。
風が気持ちよかった。
二人は手を握る。
それから歩き続け、魔法学校の門までたどり着いた。
二人は手を離す。
それから、門に体を預けてる綾子とジェンに手を振った。
「いよっしゃ~! それじゃあ最後の挨拶としますか!」綾子が言う。
「今生の別れでも無いけどな」これはジェン。
「楽しかった六年間だ。交流会のことは忘れないよ」ヴァランダがにっこり笑う。
「交流会は──良い刺激になったね」
ハンチング帽を深く被るヘレン。
その時。
遠くから声がした。
「ヘレーン!」
兄のアーガンであった。
「ヘレンのお兄ちゃんだ! よし、それじゃ──魔法学校、卒業おめでとう! 私たち!」綾子が叫ぶ。
「魔法学校、卒業おめでとう! おいらたち!」
「魔法学校、卒業おめでとう! 僕たち!」
「魔法学校、卒業おめでとう! ──私たち!」
陽光が降り注ぐ日であった。
筆者は今、ヘレン・F・カミンググラフの通っていた魔法学校の目の前にいる。
ご存じだと思うが、魔法学校は既に無くなり、今はホテルが建っている。
田舎の清廉な暮らしを、というキャッチコピーをホテルはアピールしている。
私はスマートフォンでとある人物に電話をかけた。
「もしもし?」
──柳田です。明日には到着しますこと、お伝えします。
筆者のペンネームは「ふわふわ羊」だが、それでは失礼かと思い、本名で先方には話をしている。
私はホテルから去り、ふもとの近代化されてる街を目指した。
この街の車はほとんどがAIによる自動運転で、それでも事故は滅多に起きない。優秀な都市設計者がいるらしいようだ。
私はタクシーを拾い、西モスキーナ山のふもとにある小さな街を指定した。
タクシーですら自動運転だ。運転手に座る人間はいるが、緊急時に手動で運転する為の人員である。
「お客さん、どうして西モスキーナ山の方へ?」
「アーガン・F・カミンググラフの子孫とお会いしに」
「アーガン・F・カミンググラフ......ああ、そういえば聞いたことあるなあ。ジャッキストック戦争で活躍した兵隊さんでしょう! これでも歴史には詳しくってね。ジャッキストック戦争は特にメジャーでしょう? だから分かりましたよ。へえ~アーガン・F・カミンググラフの子孫と......そこにお住まいだったんですねえ」
「ええ。アーガン・F・カミンググラフの小説を執筆しようと思いましてね......ところで、ヘレン・F・カミンググラフのことはご存じですか?」
「ヘレン? いや、知らないなあ。アーガンの嫁さんとか?」
「いえ、妹です」
「驚いた。妹さんがいたんだねえ。それも小説に含めるの?」
「いえ、実は、その妹が主軸になって進むのです」
「どういうことをした人なんです? そのヘレンさんは」
私はそこで窓を見た。風景が過ぎ去る。
「彼女はそうですね......聖女としてあちこちの戦場を渡り歩いた人間なんです」
「聖女さんだったんだねえ。これも驚きだ。ってことは魔導士か。この頃は転生者も魔導士も数が少ないからねえ。昔の話を聞いても中々実感が難しいよ」
「ははは。気持ちはわかります」
四時間ほどの速さで目的地にたどり着いた。
インフラが徹底的に整備され、AIによる効率的な運転もあり、たったこれだけの時間で辿り着いた。
私はホテルへ向かう。子孫の方と会うのは明日だ。
夕方が眩しい──。
「こんにちは! ホテルをお探しですか!?」
私は客引きに声をかけられた。
「いえいえ。すいません。既にホテルの予約を取っていまして」
「あ~! そうですか! では観光ですか!? よろしければ、明日にでもこの街を案内しますよ!」
「いえ、実は明日の予定もありまして」
「あ~残念だなあ」
私はそこで好奇心が湧いてきた。
「貴方、アーガン・F・カミンググラフをご存じですか?」
「そりゃ知ってますよ! この辺りで生まれたジャッキストック戦争の英雄さんだ! 墓も確かこの辺りにある筈──良かったらゆかりの地を案内しましょうか?」
「残念ですが、既に訪れていまして」
「ええ~」
「ちなみに、ヘレン・F・カミンググラフのことはご存じですか?」
「え? 誰です? ──わかった、アーガンの嫁さんだ。違いますか?」
「アーガン・F・カミンググラフには妹がいたんですよ。ヘレンはその妹です」
客引きは首を捻った。
「聞いたことないなあ。どういう人なんです?」
「聖女ですよ。あちこちの戦場で活躍した──」
私は客引きと別れ、ホテルに着いた。
チェックインし、部屋に入る。
翌日、朝九時。
私はホテルをチェックアウトし、街へ出た。
山の方へ向かう。
この辺りも規模は小さいが最先端技術が使われている。
ホログラムによる公告の表示、ロボットによる障がい者介護。
ナノマシンで構築された武器で武装する警官たち──。
私は山と街の境目辺りにある住宅街へ足を踏み入れた。
モダンな建築が目立つ。つまり、シャープなデザインを採用している家が多いということだ。
私はその中の一つに近づき、インターフォンを鳴らした。
「はい。柳田さんですか」
「はい。柳田です。本日はお会いして頂き、ありがとうございます。アドロフさん」
扉が開かれた。
私は扉の向こうの人物を見る。
そして、入室した。
「柳田さんは──作家さんなんですっけ」
「はい。ご存じの通り、ヘレンさんを主軸にした小説を執筆しようと思っています」
「先祖のものとかあんまり残ってないんですよねえ。ほら、世界大戦でこの辺りが大規模な空襲を受けたでしょ。それで色々、紛失してるんですわ」
私は応接室に通された。
アドロフ氏はしばらく戻ってこなかった。
部屋を見渡す。
お茶を飲んだ。
熊の毛皮が壁にかけられている。
アドロフ氏が戻ってきた。
「せっかくだし見てもらおうかと思って」
そういうアドロフ氏が持ってきたのは箱──中身は魔導士の指だった。
「現存──していたのですか」
「まあ、何とか。呪われた指とか言われてますが、私は特に何とも。魔導士では無いからですかな」
「ヘレンさんを除いて、誰かが使いましたか?」
「いーや、誰も。ですから、もしかしたらこの指にはヘレンの魔力が僅かに残ってるかもしれませんわ。ささっ。記念に触って下さいな」
私はお言葉に甘えて、魔導士の指を手にした。
大きい。そして、皺が多い。爪は綺麗なピンク色。これを切り落とした時はどういう気持ちだったろうか──。
私は丁寧に魔導士の指を返した。
アドロフ氏は満足して箱の中にそれを格納した。
「ヘレンさんに関して、何か言い伝えのようなものはありますか?」
「いやあ、私も親父から色々と聞いてたのを思い出してみたのですがね、あんまり──」
「なるほど。やはり公文書や日記の類を当たるしか無いようですね」
「そうなりますな。私としても──カミンググラフの姓を持つ人物がどういう生き方をしたのか興味がありますので、応援させて頂きます」
「ありがとうございます」
「今はどこまで執筆を?」
「青春期を執筆しています。記録によれば、陰謀に巻き込まれることもありましたが、概ね楽しい時代だったようです」
「それは良かった」
それから私はカミンググラフ家の歴史を尋ねた。
やがて時は過ぎ。
私はお暇することにした。
「本日はありがとうございました」
「いえいえ。こちらこそ。小説を楽しみにしております」
それから数か月後。
私は再び、ヘレン・F・カミンググラフの墓を訪ねた。
執筆作業に区切りがついた為である。
花を飾り、祈りを捧げる。
そして宇宙から吹く風を顔に受けた。
私の脳裏に、風景が浮かんだ。
銀の槍を手にしたヘレン・F・カミンググラフのはにかんだ顔が──。
忘れ去られた存在がいる。
筆者は青春期の彼女を描写した。
ジャッキストック戦争にはあまり触れていないが、ヘレン・F・カミンググラフがいなければ、その戦争の結果は変わっていただろうと筆者は考える。
思うに、青春期は奇跡の連続だった。豪運の魔導士、決闘の魔導士、交流会、ライバルとの出会い。そしてB国との合同魔物討伐。
これらが無ければ。
ジャッキストック戦争はどうなっていただろうか。
筆者は読者にその思考実験を──委ねて、終わりとする。
ヘレン・F・カミンググラフ。
あの時代に間違いなく、銀の槍の聖女は生きていた。
読了ありがとうございます。
これにて完結です。面白かったらブックマーク登録とポイント評価をお願いします。
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