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強国の第二皇子は隣国の王太子の婚約者を娶りたい。  作者: 蒼月ヤミ
強国の第二皇子は敬愛する兄の婚約者候補を振り落としたい。
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第15話 異様な静寂。 前

 貴族たちのタウンハウスが立ち並ぶ区域の一画に、デンティネス伯爵の屋敷がある。デンティネス伯爵の領地は国境にほど近い場所にあり、主に交易によって栄えている土地柄だった。そのためか、代々のデンティネス伯爵もその夫人も社交に力をいれており、先代のデンティネス伯爵の時代に建て替えられたタウンハウスは、皇宮のそれにも劣らないと言われるほど、煌びやかなパーティホールがあることで有名なのである。

 本来ならば、今のようなシーズン以外の時期に皇都に残っているのは珍しいのだが、パーティ好きな貴族たちは、地方のカントリーハウスよりもタウンハウスの方が居心地が良いらしい。そんな、趣味の合う者たちだけを集め、小規模の夜会を開く方ことを選ぶ者も少なくはなかった。

 エリルに指示されたため、おかしくない程度に髪と服装を取り繕った状態で、ザイルはジェイルと数人の護衛たちと共に、その有名なパーティホールへと足を踏み入れた。

 自分が返事をしたわけでもないというのに、すでにこの場にザイルが現れることは決定事項だったようで。高らかにザイルの訪れが叫ばれた後でも、皆当たり前のように頭を下げるに留めていた。


「……ザイル殿下。あちらに……」


 顔を合わせた高位貴族たちを中心に、軽い挨拶を交わしていたザイルの耳に、囁くようなジェイルの声が聞こえる。

 ちらりと視線だけを彼の示した方へと向ければ、そこには複数人の令嬢や令息たちに囲まれた、美しい令嬢の姿があった。淡い茶色の髪に、翡翠色の瞳、儚げな容貌。まさにザイルが捜していた相手、キルナリス公爵令嬢、メラルニアである。

 彼女が纏っているのは、黒を差し色に使った、真っ赤なドレス。その色味が連想させる人物が誰なのかなんて、分からないはずもない。まさか、皇帝陛下の色だ、とは誰も思わないだろうから。


「何を言っていると思う。あの女」


 相手をしていた貴族への挨拶を早々に切り上げ、ぼそりとそう、斜め後ろに立つジェイルに問いかける。ジェイルは乾いた笑みを浮かべた後、「誰とは言えないですけど、このドレスは頂き物だ、とかその辺では」と呟いた。

 その答えが、自分の頭の中にあったものと全く同じで、ザイルは何を言うでもなく、ただ深く溜息を吐いた。ちらちらと、メラルニアの周囲の者たちが意味ありげにこちらを伺っていることから、十中八九、自分とジェイルの考えは間違いないようだと思うしかなかった。

 ラテルティアを罠に嵌めようとした女が、さも自分と良い仲であると周囲に言い聞かせている、なんて。

 これ以上にないほど、気分が悪かった。

 もし今回のようにネルティアや、ゼイラルが気付くことなく、彼女の計画が成功していたならば、ラテルティアは自分との結婚はおろか、純潔を誰とも知らぬ男に捧げた女として、ラティティリス王国でさえ身の置き場のない状態になっていたはず。最悪、命を落としていたかもしれない。

 考えれば考えるだけ、血の気が引く。何よりも、自らの手だけで彼女を守りきれなかった自分自身に腹が立った。

 だが今は、そのことに言及するべき時ではない。


「デンティネス伯爵たちには、騒ぎが起こることを伝えている、と兄上が言っていたな」


 視界の端に、娘の様子を窺うように意識を向けるキルナリス公爵の姿が映る。

 一先ず、エリルの指示通り、彼らを足止めしなくては。

 始めたのは、あくまでもそちらの方。よりにもよって、自分がやっとのことで捕まえたラテルティアに手を出そうとしたのだから。

 それ相応の報いは、受けてもらわなくては。


「……フィフラルの皇家は異様に愛情深いことを、忘れているようだからな。思い出させてやらねぇとなぁ」


「……ザイル殿下。顔。それ皇子の顔じゃないです」


 ジェイルが引き攣った声を上げるのを聞きながら、ザイルはとても皇族とは思えない悪人面の笑みを、一瞬にして普段の第二皇子としての表情に書き換え、目的の令嬢の元へと歩き出した。

 一歩進むごとに、メラルニアの周囲を囲んでいる令嬢、令息たちが色めき立つ。その顔に浮かぶのは、やはり、というような納得の笑み。見たところ、皆貴族派の家の者たちのようだ。中心にいるメラルニアの家、キルナリス公爵家が、現在の貴族派の筆頭といえる家柄なのだから、当たり前といえば、当たり前か。

 もしかしたら、ラテルティアが見つけ出した、今回の件に関わっている者たちもいるかと思ったが、ちらりと視線を動かしてみても、その姿は映らなかった。経済的に余裕がない家ばかりだという話だから、それもまた納得である。もっとも、キルナリス公爵家から資金が流れているだろうから、ただこの場にいないだけかもしれないが。

 意識的にか、こちらを振り向かないメラルニアに、ザイルはその傍まで歩み寄り、「キルナリス公爵令嬢」と、低く声をかける。ゆったりと、勿体ぶるようにしてこちらを振り返る彼女は、驚いたように目を見開いて見せた後、開いていた扇を閉じ、完璧な礼の形をとった。


「ごきげんよう、ザイル殿下。先日のお茶会ぶりですわね」


 柔らかな表情で、貴族令嬢らしくメラルニアは嫋やかな笑みを浮かべる。ちらりと視線を周囲に振れば、誰もが彼女のその無垢な笑みに見惚れていたけれど。

 ザイルはただ、彼女に鋭い視線を向けるだけだった。普段ならば愛想笑いくらい浮かべることも出来ていただろうけれど、今回はただ嫌悪感を顔に出さないだけで精一杯だったから。

 それでも周囲は、さわさわと何やら含みのある視線をこちらに向けながら言葉を交わし合う。煩わしい事この上なかった。


「話がある」


 余計な言葉を挟まず、淡々とザイルはそう告げる。そもそも彼女と話をしたいとも思わなければ、ただ単に彼女をこの場に引き留めておくことが今回の目的であったから。

 メラルニアはザイルの言葉に不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げて。「ああ」と、何かに気付いたように、その顔に哀しげな笑みを浮かべた。こちらに同情するような、憐れむような笑み。しかし、その翡翠色の瞳には、どこか嬉しそうな色が浮かんでいるように見えた。


「お話とは、レンナイト公爵令嬢のことでしょう? やはり、そうだったのですね。あの時、もしかしたらと思いましたが……」


 「酷い話ですわ」と、小さく呟く彼女に、周囲がまた少しざわめき出す。急に話し出したメラルニアの様子に、ザイルが眉を顰め、「何のことだ」と問えば、彼女は少し困ったような笑みを見せ、「わたくしには、隠さなくても結構ですわ」と口を開いた。


「見て、しまいましたもの。今日のお昼頃に、レンナイト公爵令嬢とお話をした時、彼女の元に、ザイル殿下と親しい、あの美しい従者の方がやって来て……。お二人はとても親密そうにしていらっしゃいましたわ」


 声を潜めるように、しかし絶妙に周囲に聞こえるくらいの大きさで彼女が言えば、周囲は第二皇子の婚約者の醜聞に耳を傾ける。急に何を言い出すのだとザイルが言葉を発するよりも先に、メラルニアはその儚げな美貌に哀しげな表情を浮かべ、「実はその後、わたくしは皇宮の中庭に降りたのですが……」と、囁くように続けた。


「レンナイト公爵令嬢が、あの従者の方と連れ立って、皇宮を出て行くのを見ました。……そういえば、レンナイト公爵令嬢はどうしましたの? ザイル殿下がおいでになるのなら、パートナーとして出席するのがマナーでしょうけれど……」


 メラルニアはわざとらしく言い、その上で「まさか……」と小さく呟いて見せる。始めは、彼女を慕う派閥の者たち向けの一人芝居だったが、いつの間にか周囲のほとんどの貴族たちが、彼女の言葉に耳を澄ませていた。

 その証拠に、あちこちから聞こえてくるのは、ラテルティアに対する不信の言葉。「まさか、従者と……」、「この時間になって、二人きりで……」などと、彼女を疑う声ばかりが耳に入る。

 ラテルティアに対する暴言は許し難く、ザイルは横目で、ラテルティアを疑うようなことを口にした者たちの顔をさっと確認しておいた。彼らは自分やラテルティアに何か起きた時に、真っ先に疑ってかかる者たちだということだから。

 ザイルは今や夜会中の人々の視線を一身に集めながら、しかし気負うことなく、深く息を吐いた。不快だという感情を、隠すことなくその顔に乗せながら。


「俺の婚約者は、少し遅れて参加することになっている。それに、キルナリス公爵令嬢は誤解しているようだから言っておくが。……ラテルティアは、俺の指示で従者と行動している。侍女も護衛も傍に控えている。何ら疚しいことはない」


 慌てることなく静かに言えば、やはり、というような安堵の声が上がるのが聞こえる。それだけでラテルティアに親身になってくれる相手だとまでは判断できないが、こちらもまた情報の一つとして覚えておこうと、顔の確認だけはしておく。

 メラルニアは一瞬その亜麻色の長い睫毛に縁取られた目を細めたが、気のせいだったかと思う程の素早さで、さっと痛ましげな表情を浮かべる。「殿下の優しさは、ある種の毒ですわ」と、彼女は意味の分からないことを呟いた。


「同情で結ばれた政略的な婚約だからと言って、殿下はその優しさゆえに、冷たくは出来ず、しかし想うことも出来ず……。隣国とはいえ、この異国の地で一人。レンナイト公爵令嬢が、淋しさゆえに愛情を求めたとしても仕方が有りません。……そのように見え見えの嘘で庇われるくらいでしたら、いっそ婚約を解消し、彼女が本当に愛する人と結ばれるように手を貸してあげるのが、本当の優しさではないでしょうか」


 淡々と、しかしこちらを言い聞かせようとするようなメラルニアの言葉の内容が、正直な話、理解できなかった。

 同情で結ばれた、政略的な婚約。おそらくはザイル自身が、ラテルティアを想うことが出来ないという事。そして婚約を解消し、ラテルティアが本当に愛する人と結ばれるように、手を貸せ、と。

 一体それはどこの誰の話だと、ザイルは深く息を吐き、夜会用に整えていた髪を思い切りぐしゃぐしゃと掻き乱した。いつもならばこのような場で髪を崩せば、胡乱気な目を向けてくるジェイルだったが、今回ばかりは同情的な顔でこちらを見遣るばかりだった。


「キルナリス公爵令嬢。申し訳ないが、一体何の話をしている? どうやら貴女が口にしているのは、俺とラテルティアの事ではないということだけは分かった」


 すと、その血のように赤い瞳を細めて、低く呟く。メラルニアは尚も、「いえ、わたくしは……」と呟くが、ザイルはそれを無視し、「警告は届かなかったようだな」と、彼女の声に被せるように口を開いた。


「俺はレンナイト公爵令嬢……、ラテルティアを愛していたから、彼女の婚約が解消された際、これ幸いと早々に婚約を申し込んだ。これ以上ない程、俺は彼女のことを想っている。ラティが他の誰かと結ばれる、だと? ……考えるだけで虫唾が走る」


 はっと、鼻で笑うように呟く声は、低く低く、冷えに冷えて、ざわめく声の一つさえも聞こえぬほど、広く煌びやかなパーティホールは、いつの間にか異様な静寂に包まれていた。


「俺は、ラティを貶めた奴をただではおかないと、先日警告したはずだ。ラティに傷一つ付けてみろ。その心に一抹の不安を刻んでみろ。……俺の持てる力全てをもってして、追い詰めてやるからな」


 やっとのことで苦しみから解放され、やっとのことで自分の腕の中に捕らえることが出来た彼女を再び傷付ける者を、自分は許すつもりなどなかった。

 夜会の会場とは思えぬほど、緊迫した空気が漂う。誰一人、身動ぎすら出来はしないらしく、誰かが生唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた。

 ザイルの視線を正面から受けるメラルニアは、その白い肌を青く染め、ぎゅっと胸の前で両手を組んでいる。よく見れば、その細い肩がふるふると震えていた。

 もしかしたら今の自分は、とても恐ろしい顔をしているかもしれない。ジェイルの言う、フィフラル帝国の第二皇子として相応しくない、そんな表情を浮かべているのだろう。けれど。

 たかがこれくらいで、と思った。少し怖い顔で、怖い声で、凄まれただけで。

 ラテルティアに、比べ物にならないくらいの恐怖を、味わわせようとしたくせに。

 エリルやネルティアの来訪を待つまでもない。いっそのこと、この場で彼女を追求し、決着をつけてしまうことは出来ないだろうかと、そんなことを考え始めた時だった。

 「ザイル様!」と、しんとした空気を裂くように、聴き慣れた愛しい声が自分の名前を呼んだのは。

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 きりが良かったので、今回はここまでで。

 後編の方が少し長くなるかもです。

 分からないけれども。

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