第13話 見せしめ。
ラテルティアが皇宮から姿を消した事にザイルが気付いたのは、日も傾いた、夜も間近な時刻だった。
報せに来たのは、彼女付きの侍女たち。護衛や侍女と共に皇宮を出たラテルティアが、一向に帰ってこないというのである。向かう先も告げず、「少し出掛けてくる」と、そう言ったきり。
「……出かけた時刻は」
執務室での仕事もそろそろ終えようという頃に届いた報せに、ザイルは逸り出す心臓の音を耳の近くで聞きながら、低くそう訊ねた。
侍女は恐縮そうに頭を下げたまま、「昼食を召し上がり、お客様をお迎えした後の事です」と答えた。
「客人が来た後……。その客人と共に皇宮を出たのか」
「い、いえ……。その方は、皇宮の中庭を散歩してから帰ると仰って、ラテルティア様の部屋の前で別れました。ただ、その方とラテルティア様がお話ししていた際、もう一人の別のお客様がラテルティア様を訪ねて来られまして……。ラテルティア様は、そのもう一人のお客様と、護衛の者、侍女のシルビアを連れて皇宮を出られました」
そして、行方が分からなくなったのだという。
「その客人というのは」とザイルは訊ねる。侍女は言葉を詰まらせながら、「先にお越しになられていたのはキルナリス公爵令嬢、後からお越しになったのはゼイラル様ですわ」と答えた。
半ば予想していた二人の名前に、がしがしと、思わず頭を掻く。迂闊だった。メラルニアやゼイラルが妙な動きを見せているこの時期に、ラテルティアの周囲への警戒を怠るとは。
……いや、警戒はしていた。だが、裏をかかれた。
無理矢理連れて行こうとするならば、ザイルが彼女の周りに配置している者たちが簡単にそれを許すはずがない。しかし今回は、ラテルティア自身が望んで動いたような形だった。その場合、相手はあくまでも客人であり、下手に動くことが出来なくなる。ゼイラルはともかくとして、メラルニアは公爵家の令嬢であるため、より対応に困ったことだろう。
その上、ラテルティアと共に皇宮を出たのはゼイラルだという。彼がザイルと親交があることを知っている者は多く、判断に迷うのも仕方がない事かもしれなかった。
「……以前ならば、ゼイラル様がラテルティア嬢と共に皇宮を出たとしても、何らかの理由があるのだと、そう信じられたのですが、ね」
背後に控えていたジェイルがそうぽつりと呟く。彼の言う通りだと、ザイルは苦い物を噛んだようにその表情を歪めた。近頃の彼の動きは、あまりにザイルの思惑と外れていたから。
加えて、今日、彼がザイルの元を訪ねて来た時もそうだ。見知らぬ男を引き連れて来た彼は、外向きの愛想の好い笑みを浮かべて、「ご挨拶がてら伺っただけです」と言っていた。彼が引き連れていた男が何者か分からぬ以上、近頃の彼の行動について言及するわけにもいかず、「用がねぇなら帰れ」と言うに留めた。おそらくその後に、彼はラテルティアの元へと向かったのだろう。
「ラテルティア嬢が自らの意志でゼイラル様と……。傍から見れば、容姿の良い従者と第二皇子の婚約者が親密な関係になっている、という感じですかね」
溜息交じりに呟かれたジェイルの言葉に、思わずそちらを睨み付けた。びくり、と彼が肩を竦めるのを見て、気を落ち着かせようと目を閉じ、息を吐く。
おそらく、それが狙いだろう。護衛や侍女が共にいるからまだ言い訳も立つが、このまま夜になれば、一気に噂が広がるはずだ。最悪、自分との婚約にまで口を挟む者も出てくる。それに、何より、彼女が自ら皇宮を出るというような選択をせざるを得ない状況があったはずだから。
自分が彼女を助けなければ。ラテルティアが怯えているのではないかと思うと、ただただ。
……気が狂いそうだ。
そのためにもまずどう動くべきかと、再び髪をぐしゃりと掻き上げた時だった。
「ザイル殿下!」という男の声と共に、慌ただしく部屋の扉が叩かれたのは。
何事かと顔を上げると同時に、ジェイルがさっと扉へと歩み寄る。僅かに扉を開き、彼は扉の向こうの人物と言葉を交わして、「ザイル殿下」と、こちらを振り返った。
「ラテルティア嬢の部屋の衣装室に、侍女が一人気を失って倒れていたそうです。今ここに連れて来ております」
その言葉に、ザイルははっと目を見開く。何か、ラテルティアへと繋がる手掛かりが見つかるかもしれない。「入れ」と短く言えば、ザイルがラテルティアの部屋へ調査に向かわせていた騎士と、皇宮のお仕着せを着た一人の侍女が、ザイルの執務室へと入って来た。
ザイルの顔を見た途端、慌てたように深く礼の形を取る侍女に、「手短に話せ」と、ザイルは口火を切った。
「どうしてお前は衣装室にいた。気を失う前の状況は。ラティはどこに行くと言っていた」
真っ直ぐに侍女の方を見ながらそう訊ねかける。今は、最低限必要な情報さえ手に入れば良い。後のことは、ラテルティアが見つかった後でも遅くはないのだから。
侍女は僅かに肩を揺らした後、「私も、何故衣装室にいたのかは分かりません」と、話し始めた。
「ラテルティア様の元へ、キルナリス公爵令嬢がお越しになって、当たり障りのないお話をしておられました。そこへゼイラル様が訊ねて来られて、ラテルティア様に親し気に話しかけられて。キルナリス公爵令嬢は、二人がとても仲が良いようだとからかっておられました」
「ゼイラル様はそれを聞いて、嬉しそうに笑っておられました」と、侍女は続けた。
「ラテルティア様と……フェル、何とかっていうお花を見に行きたいとかなんとか、誘っておられました。紅茶がどうの、と……。話しながらゼイラル様は、皆様に持って来ておられたお菓子を振舞っておられたのですが、控えていた私に気付いて、自ら私にもお菓子をお渡しになって……。美味しいから、ぜひ今食べてみて欲しいと言われて口にしたところ、気を失ってしまいました……」
「申し訳ございません……」と、侍女は肩を震わせて呟く。
その姿に目を細めながら、ザイルは彼女の言葉を頭の中で反芻させた。
ラテルティアの元を訪れたメラルニア。そしてゼイラル。仲が良いと言ったメラルニアと、それを受けて笑みを浮かべたゼイラル。おそらく、話を合わせていたのだろう。二人は繋がっていると考えて良い。ゼイラルが特に用もないのにザイルの元を訪れたのもまた、皇宮へと入る口実だったのだろう。とすれば、彼の傍に控えていた見知らぬ男は、メラルニアが付けた監視だと考えられる。
状況だけを考えるならば、ゼイラルは間違いなく自分を裏切っていると、そう思えるのだが。
「……いや、お前はよくやった」
ぐず、と鼻を啜る侍女に、ザイルはそう声をかけた。おかげで、理解できた。ゼイラルがなぜ、急に自分の思惑とは外れた行動を取り始めたのか。メラルニアの側へとついたのか。
彼女が気を失った後に何かが起こり、ラテルティアは自らゼイラルと共に皇宮を後にしたのだろう。その肝心な部分は分からないままだけれど。
もっと大事なことが、分かった。
「ジェイル。お前は先に行ってくれ。……ダリス叔父上の……、ティルシス公爵家の別邸に」
フェル、何とかという花。紅茶という単語。それだけで、推察できる。以前も彼がラテルティアに話して聞かせたという、紅茶の話。フェルネシアの花から出来た、紅茶の話。
フェルネシアの花が咲く場所なんて、この国に一つしかねぇからな。
フェルネシアの花が咲く、フィフラル帝国唯一の場所。ザイルの母の生家であり、叔父、ダリスが引き継いだ公爵家の別邸。
いずれ自分や兄が結婚し、兄に後継者が出来、皇宮を出ることになった際に、ザイルがラテルティアと過ごそうと考えている、美しく、広い屋敷である。
「お前達は周囲に情報を流しておいてくれ。ラティは容姿の良い従者と共に皇宮を出たのではなく、第二皇子の頼みで、第二皇子と懇意にしている屋敷の管理人の従者と共に、新たな住まいの様子を確認しに行っているだけなのだ、と」
それこそがおそらく、ザイルの思惑さえも無視した、ゼイラルの狙い。今回のように、メラルニアの策略により、ラテルティアがどこの誰とも知れない男と噂になる前に、自分がメラルニアの側につき、その立場を奪ったのだ。
あいつの事だ。先に情報を掴んでいたのかもしれねぇ。メラルニアの企みに関する情報を。……メラルニアの従者の前で、ラティと親し気に振舞っていたのも、そのためか。
ラテルティアがゼイラルと親し気にしていたのは、周知の事実。その上、ゼイラルは見目も良い男である。ザイルとも親しいことから、下手にザイルから横やりを入れられることもないと思えば、メラルニアからしてみれば、これ以上にないほど都合の良い人材と言えよう。
そしてゼイラルはといえば、ラテルティアとの仲が噂になった時、ザイルと懇意にしていることを利用して、その噂を掻き消すことを考えたのだろう。その証拠に、彼はフェルネシアの花の事を、何度も口にしていた。遠回しに、ザイルに伝えるように。
自分は、味方なのだ、と。
ふ、とザイルは思わず笑みを浮かべた。
フェルネシアは、ザイルが運営する研究施設の植物部門の統括者、自らも植物学者でもあるノイレスが、どうしても実験したいからと言って、数年前にティルシス公爵家の別邸に植えた花である。何でも、疲労回復に良いとされており、薬品としての効果も期待出来るらしい。
そのため、屋敷をダリスから借り受け、屋敷の管理はザイルの指示で、ノイレスとゼイラルが行っていた。知っている者は、ごく限られているのである。皇宮からそれほど遠くない場所にある、広大な敷地の中にぽつんと建つ屋敷のため、喧騒も遠く、皇宮に通うにも丁度良い別邸。
その場所を、訪れたこともないメラルニアが知るはずもない。
メラルニアは気にもしてねぇだろうな。ゼイラルが口にしたその場所が、誰の持ち物か、これからどう使われる予定なのか、なんて。取りあえずラティがゼイラルと二人で出かければ、それで良かったんだろ。
おそらく今頃、どこかの夜会にでも出かけて噂を流しているのではないだろうか。自分の目の前で、ラテルティアがゼイラルと親し気にしていたと。二人でどこかに向かうようだったと。
そうして、明日まで見つからなければ、彼女の噂話は、ラテルティアを追い落とすに相応しい情報となるのだ。
もちろん、そうさせるわけがねぇがな。
「今日開かれてる舞踏会や夜会、全てに人を送り込め。向こうは先に手を打っているだろうからな。追加で、第二皇子は結婚したらすぐにでも二人で過ごしたいと考えているようだと言うのも良いんじゃねぇか。……話を広げろ」
そうして噂を流し、今日の内にラテルティアを迎えに行けば、全ては白紙に戻る。ザイルがラテルティアに惚れ込んでいるようだと、周囲が理解するだけの話となるのだ。
「仰る通りに」と、ジェイルがその場にいた皆を代表して口を開いた。
「して、殿下はどこへ? ……まさかとは思いますが、キルナリス公爵邸へ向かうつもりではありませんよね……?」
胡乱気な視線を向けてくるジェイルに、しかしザイルは笑みさえ浮かべて見せた。
このままでは済まさない。絶対に。
「さっさとラティの所に行って、慰めたいんだが、油断している今が一番叩きやすいからな。ゼイラルが変わらずこちらの味方だと確信出来た。最悪の事態は避けられる。屋敷を探るついでに、武器の輸出に関しての証拠を固めるのも悪くねぇ。……ラティに手を出した罪は重いんだよ。それを、あの女だけじゃなく、帝国中に知らしめねぇとなぁ」
地を這うような声と、冷え冷えとした笑み。ジェイルがその頬を引き攣らせるのを横目に見ながら、ザイルは席を立ち、執務室を後にした。
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