化けの決まり
約束の期日となった。
今日、猫と取引しているネズミの代表がやってくる。トラキチがあれだけ脅した以上、顔を出さないということはないだろう。事が終わったらもはや猫に化けている必要もない。隙を見てネズミの群れに混じり、内通者を尾行すれば良い。
せっかくこれだけの期間疑われずに過ごしてきたのに惜しい気もする。別れの一つでも言っておきたいと思う気持ちもあるが、不審がられるような真似をするわけにもいかない。
そういえば仕事の報酬を決めていなかった。
といっても欲しいものなどない。叔母に相談などしようものなら『お見合いを手配してもらえばいいじゃない!』などと言い出すに決まっている。真っ平御免である。
ふと、ほったらかしになっている実家の改装でもしてもらおうかと思い至った。根津家の元の住まいは木の虚に作られたそれは立派な屋敷であったのだが、大きかったがために猫の侵入を許し、縁起が悪いと結局いまだ買い手も借り手もつかぬまま放置されている。私は先生のところで居候、叔母は小石川に自宅があるし、ロクマルは修行中は奉公先で寝泊まりしており、今は浅草寺に家を建てている。だれも手入れをするものがいないからきっと荒れ放題だろう。
それがいい、それがいいと自分の思い付きになかなか感心しながらトラキチの元へと集合した。
「おはようございます。……どうしたんです? いつになく真剣な顔しちゃって」
「ああ、お前か。ちょっとな」
「今日は例のブツの受け取りでしょう? ご一緒しますぜ」
「ああ、それなんだが、今日はその前に一旦顔出しに来いと、又七郎、……親分が言ってたぜ」
普段は呼び捨てにしているが、ここだと他の猫の顔もあるからだろう、取って付けたような親分呼びである。
「何の話ですかね?」
「ネズミの話だそうだぜ」
もし交渉が決裂すれば猫たちは再びネズミを捕り始めることになる。同胞に危害が加わることを良しとしているわけではないので、私としてはその約定は維持したまま内通者の正体を暴きたいのだが……。トラキチをなんとか言いくるめ、ネズミに手を出さないように出来ぬものかと無い知恵を捻っている間に又七郎のもとへ到着した。
周囲には思い思いに日向ぼっこや爪研ぎをしている猫たちがいる。
「おう、来たか」
なんだか愉快げに笑っている。
「えらくご機嫌なようですが、何ぞありましたか?」
「ちょいとな。まあ、楽にするといい」
私とトラキチが腰を地べたにくっつけるのを確認すると、口を開いた。
「少し面白い話を聞いてなぁ。ここ最近でうちの縄張りに入ってきた奴全員に聞いているんだが……」
「前置きが長いぜ。そもそもその話を最初にしたのは俺だろうが」
トラキチが苛つきを隠さずに告げた。
「そう怒らなくてもいいじゃねえか。お気に入りの子分が疑われているってのが気に食わねえのは分かるがな。……なんでも狐や狸みてえに化けられるネズミがいるらしい」
表情は変えなかった。いや、変えることも出来なかった、が正しい。口の中に思わず溜まった唾を飲み込むのを隠すために肩をすくめておどけてみせた。
「そいつは珍しい。お目にかかってみたいもんですな」
「ははあん、信じてねえな? ところがそいつを見破る方法があるらしいんだな」
「なんです? ネズミ捕りにチーズを仕掛けて引っ掛かったらそいつはネズミに違いないとかですか?」
「いやいや、もっと簡単さ。こいつは冗談だから気を悪くしないで聞いて欲しいんだが……」
又七郎はニヤニヤと樹上から少女を見下すように笑いながら言った。
「お前は猫じゃない。お前の正体はネズミだ」
又七郎の低く落ち着いた声が、私に死刑宣告を告げる。
ヘソに力を込めて耐えることが出来たのは数秒だけだった。トラキチがやっぱり違うじゃねえかと又七郎に言い切らぬうちに私は正体を露呈した。
溺れるような感覚を覚え、私の体はみるみるうちに縮み、本来の灰色の小さな毛玉へと姿を変えた。面と向かって正体を告げられれば、化けの皮ははがされてしまう。これはどんな達人でも避けることの出来ない化けの決まりである。
「……いつ気が付いた?」
トラキチが口を開けたまま、こちらを呆然と見つめている。
「気付いちゃいねえよ。今の今までな。親切なネズミが教えてくれてな。俺たちの取引を嗅ぎ回っている奴がいる。そいつはネズミのくせに狐みたいに化けるから、正体を告げてやればいいとさ。眉唾だったが、言ってみるだけならタダだ。まさか本当にネズミとはな、恐れ入ったぜ」
嘘だ。始めから、とまでは言わずともその話を耳にした段階で私の正体に見当が付いたに違いない。そうでなければあらかじめ周囲に猫を集めておくはずがない。思い思いの行動を取っているように見えた猫たちは全てがこちらを睨み付けている。背水の陣? 否、中洲に取り残された。
「お前、猫に生まれてくるべきだったよ」
「そんなに俺の猫化けは堂に入っていたかい」
「化けのことだけじゃねぇ。お前の中身の事を言ってんのさ。呑気なようで抜け目なく、真剣な顔して好き放題やりやがる。人懐っこいのに、どうしようもなく孤独だ」
「……。さっすが一頭領ともなるとお眼鏡も洗練されておりますな!」
「トラキチ。やれ。俺はギザ耳のネズミは殺らねえと決めているんだ」
私の言葉を負け惜しみととらえたのか、彼は鼻をふんと鳴らした。又七郎の言葉に従い、トラキチがこちらへのそりと歩を進める。
「いままで騙していたのか」
「あぁ」
「友達だと思っていたんだがな」
「俺もそう思ってるよ」
「抜かせ。お前、あのネズミの結婚式の時の妖だろう? ぶち壊しにされたのが許せなかったか?」
「その件は確かに許せねぇが、それは置いといて俺とあんたはおんなじメシを食ったんだから友達でもいいだろう?」
たしかに最初に近づいたのは内情に通じていそうだという打算だった。だが仕事をともにし、寝食をともにした今、私はトラキチのことを本当に友人だと思っている。
「猫とネズミがか? ありえねえな」
「猫のくせに随分自由じゃない奴だ」
猫の数少ない良いところは自由であることだ。それを自ら捨てるとはもったいない。猫もネズミもみなもう少し「らしさ」というものにこだわったほうが良い。ん? 自由にこだわったら自由ではないのか?
まあ、ともかく私がいいたいのは「らしさ」を大切にしろということだ。らしくないことには、その違和感が生まれるだけの理由がある。たとえばネズミが猫を前にして逃げ出そうともしないこと、とかだ。
私はトラキチの顔を掠めて二メートル近い物干し竿に化けると、直後に変化を解き、彼の後ろの又七郎へと肉薄した。左端で化け、右端で解く。これぞ化け術を応用した縮地なり! その首もらった!
「ぐべっ!」
私の前歯が届くよりも又七郎の前足が私の体を押さえつけるのが先だった。
「本当に油断ならねえ」
私の体をころころと転がして、宙に浮かし、はたいて毬玉のように何度も弄んだ後に、一打で地面にしたたかに叩き付けた。私はそのまま跳ね、転がり、トラキチの眼前へと戻ってきた。
「ぐぅぅ」
痛みに耐え起き上がろうとするも足に激痛が走った。さっきので挫いたらしい。痛みに意識を取られ変化できずにいるうちに体を押し潰された。
「死ね、ネズミ」
霞む視界には振り上げられた虎柄の腕と、空を舞うカラスが見えた。
***
滑空していたカラスが突如丸くなり、ぐんぐんと近づいてきた。
トラキチが私を置き去りにその場から飛びすさる。直後、奴のいた場所に大きな衝撃、音と共に砂埃が舞った。私の体がわずかばかり宙に浮く。
落ちてきたのは傘を被ったお地蔵さまだ。その地蔵のケツから黄金色の尾が生え、私をくるみ込んだ。
「先生!」
私が声をかけた時には灰色の石像は、すでに黄色く輝く神の使いへと変わっていた。
周囲の猫たちが警戒を露わに背中の毛を立てて威嚇する。首領である又七郎だけが変わらぬ様子で不敵に笑った。
「どうしてネズミが化けられるか不思議だったが、なるほど、お狐さまのお弟子さんってわけだ」
「……」
先生と又七郎の視線が中空で交差する。
「そいつを寄越しな」
「どうして私がヤクザ者の言うことなど聞かねばならない?」
侮蔑たっぷりにはんっと鼻で笑ってから、先生が言う。
「仕掛けてきたのはそいつだ。落とし前はつけなきゃならん」
「お前たちの歯糞臭い決まりなど知ったことか」
「てめえごと片づけたっていいんだぜ」
又七郎のドスの効いた声を歯牙にもかけず、先生は挑発を続ける。
「ネズミ捕り風情がよく吠えるものだ」
「……なぜ狐がネズミを庇う? お前たちだってネズミを喰い殺す側だろう」
「さぁてのう。それを教えてやる理由もない」
「話し合う気は一切なしか。それならこっちにも考えがある。近場の稲荷神社には顔がきくからな」
先生が僅かに眉根をひそめたが、それは一瞬で消え、変わらぬ調子で吐き捨てる。
「……好きにしろ」
「なら、この件は伏見のそちらさんの代表に伝えさせてもらうぜ。相互不干渉を破った狐がいるってな」
「好きにしろ。何度も言わせるな」
先生は巨大な狼に化けると、わおーんと大きく遠吠えした。その衝撃で私はずるっと尻尾をすり抜け、地面に落ちる。蜘蛛の子を散らすように猫たちが慌てて退散していき、残ったのは先生と地面に無様に這いつくばった私だけである。
先生は何も言わず、私を咥えて口の中に放り込んだ。舌の上に座り、ギザギザの犬歯を裏側から見ながら、細部までよく化けるものだなぁと師の技術に改めて感嘆する。
「先生、間違って飲み込まないでくださいね」
私の言葉に先生が何か返そうとしたが、私が口の中にいるせいでもごもごとしか聞こえなかった。
しかし何を言わんとしているかはこれまでの付き合いで分かる。多分『誰がそちのようなドブくさいネズミなぞ食べるか』だと思う。
周囲が暖かくてつい船を漕ぎながら、そう言えば先生にはじめて出会ったときも同じ事を言われたなと考えていた。




