年神来たり
正月を迎えたというのに先生は案の定、掃除も飾り付けもしていない。普段から寝てばかりいる者が正月も変わらず寝ているのも寝正月と呼んでよいのか。
せめてもの慰めに門松でも飾ろうかしらんと思い当たり、思い当たったはよいものの材料がない。竹も松も万両もない、ので似ているもので代用することにした。結界の外の神社には罰当たりなことにゴミが捨てられている。それをかき集めて工作をする。竹は例のスネークバイトの空き缶で、松は女物のプラスチック製の櫛にした。万両は丁度よい赤い玉が無かったので、『袋』から取り出した秘蔵の金平糖をチロチロと舐めて丸くする。こんなに大きくなくてもいいかな? もうちょっと大丈夫かな? と思っているうちに消えて無くなってしまったので、渋々もうひとつを取り出す羽目になった。
「よし」
見た目は、まぁ、アレだが、大切なのは新年を祝う気持ちである。気持ちは十分だからこの門松でも問題ないはずである。
「なんだそれは」
いつの間にやら起き出していた先生が私の背後からお手製の門松を覗き込む。
「……ゴミで遊ぶな」
「遊んでませんよ! 先生がなんの正月準備もなさらないからこれじゃあ年を越せねえと、こうして門松を用意したんじゃありませんか」
「門松? いや、門松はマズイ。いや、こんながらくたの塊なら依り代にはならないか? いやしかし……」
先生が急にぶつぶつ言い始めた。
「ちぇっ、折角弟子が苦労してこさえたってのに、がらくたの塊ってのもねえもんだよな。思えばこないだ死んだ時も先生は全然優しくなかったし。彩さまの方が余程親身になってくれましたよ」
「誰だ、その彩さまと言うのは」
はっ、と気付いて口を両手で押さえるももう遅い。私がだんまりを決め込んでいると、「なんだ、隠し事か」と肉球で鼻の先を連打される。やめて、鼻の骨が曲がる!
「実は、ですね……」
とうとう隠しておけなくなり、私は彩さまと出会った経緯を先生に説明する羽目になった。
先生が私を今戸の猫どもの屋敷より救出して下さった後、京都から派遣されてきた神使の狐で、映画好きで、実はこれまでもたまにあっていて、と話していたが、先生が全く気付いてくれないので、とうとうぶちまけることにした。
「何を首を傾げているんです。先生の弟だと伺いましたよ!」
それを言うと、やはり怪訝な顔のまま、首の角度がとうとう90度近くなってきた。
「何を言っている? 私に弟などいないぞ?」
は? と今度は私が首を傾げる番だった。
『それに関しては僕からご説明しましょう』
突如光ったがらくたの塊、じゃなかった、門松から人の姿が飛び出してきた。
「やぁ、久しぶり、というほどでもないでしょうか?」
私の前に現れた彩さまは普段よくとる童女の姿ではなく、洒脱な白と紺の羽織袴姿である。召し物と合わせてか黒髪の男の姿だ。特別美男子という造形ではない。しかし何故だか平伏したくなるような威光を感じる。というか事実背中より後光が射していた。
この感じは近頃出会った方と同じだから分かる。この方は神なのだ。
「僕の本当の名前は大歳神といいます。あ、今まで通り彩で良いですよ。別読みの『たいさいしん』から取った名ですから」
にこにこといつも通りの笑顔で何の気なしに告げると、先生をちらと見てから、私に話を振った。
「君と言う奴はやっぱり嘘をついていましたね?」
「そういう彩さまも全部嘘っぱちだったじゃありませんか」
「ハハ、ではお相子ということで」
そう言うと彩さまはいたずらっぽくウインクしてみせた。
「ネズミを庇った狐の噂を聞き付けた妹に『お兄ちゃんどうせお正月以外暇でしょ。見てきて』と言われまして。本当は本人がくるつもりだったようですが、あれで豊穣神ですから仕事はそこそこにあるようで必死に止める神使たちが憐れになりまして」
だから来ました、久々に映画も見たかったので。と最早職務の方がついでだったことを隠そうともせずに言った。
「ではやはり先生を連れ戻しにいらしていたのですね?」
「いえ、仕事はまた別件ですし、それはもう済みました。豊宇気毘売神から依頼されたお仕事は終わりです。宇迦之御魂神からのお願いはついででした」
私が急に出てきた名に戸惑っていると、
「妹は豊穣の女神ですから、様々な神性と習合しています。そのうちのひとつが豊宇気毘売神です。だから彼女にとっては素戔嗚も稚産霊も父なのです」
と解説してくれた。それで気が付いたが、この方と先生が仕えていた宇迦之御魂神さまはあの素戔嗚さまのご子息なのだ。神の家系図を彩さまが木の枝で書いて教えてくれた。じゃあ、彩さまに言えば私が受けた神使詐欺のクーリングオフが出来るだろうか? ……無理かな。あのひと、実の息子の言葉すら聞かなそうな気がする。
「先生についてのお話しは本当のことなのですか? 例の家出の手紙とか、お父様が失神されたとか」
「あぁ、あれはすべて本当のことですよ。嘘は僕が狐でも彼女の弟でもないことと、彼女を連れ戻すために東京に来たということです」
先生がばつの悪そうな顔をしている。
「結局、先生を連れ戻しに来られたのではないのですか?」
「ええ。自分の神使の面倒すら見られない妹が悪いのです。もし悪事でも働いていれば考えましたが、別に僕はあなたをどうこうするつもりはありませんよ」
微笑みかける彩さまに、先生はしかめっ面のまま軽く会釈をした。正真正銘の神に対してなんと不遜な態度か。呆れを通り越して感心してしまった。
「なぁんだ、じゃあ先生のことがバレないようになんやかやする必要はなかったんですね」
とんだくたびれ儲けだったが、それなら良かった。
「余計なことを……」
先生がぼそりと呟く。
「そもそも神が本気で私を探そうとしていたなら、一秒も要らぬに決まっているだろう。あの猫でさえ、ここを探し当てたのに」
そう言えば本来の担当の神使から、苦情が出ているという話をトラキチがしていた。つまり当然稲荷大社にはずっと前に報告していたに決まっているわけで、その上で無視されていた、ということだろう。
「妹の采配であなたは妖怪との間蝶、スパイの任に着いているということにされています」
「お、先生、私と一緒ですね!」
「はあ……」
「なんで溜め息をつくんですか!」
「そう言えば、ミロクくん。父の神使になったそうですね」
「まあ、成り行きで」
「一つお願いがあるのですが、鼠年の時だけでよいので、僕の神使にもなって欲しいのです」
「もうお父上の神使なのですが」
私が答えると、困ったように笑った。
「そこをなんとか。12年も経つと辰以外の面子が様変わりしていて毎年探すのが大変なのです。その点君なら60年経っても死ねませんから、鼠年は楽が、いえ、手間が省けます」
楽が出来ると言おうとしたとか、どうせその時間でするのは映画鑑賞だろうとか、辰は実在するのかとか、言いたいことはたくさんあったが、色々な思いを込めて、一言だけ口に出せた。
「いやです」
「じゃあ、君の姪っ子に頼みます」
「それは反則でしょう。やっていることが素戔嗚さまと同じですよ!」
こんな形で将来大物になるという予想が当たることになるとは思わなかった。そりゃあ年神様の神使ともなれば一年の主役、花形中の花形だろうが、コネでそれになったなどと知れたら、サンゴの身にどんな危険が及ぶか知れたものではない。
「では向いていそうなネズミを紹介してください。顔が広いのが自慢なのでしょう?」
「まあ、それくらいなら……」
護国院にでも回しておけば、伯父の顔も立つだろう。
古くから神使を勤めてきた名家です、などとあることないこと言って、住み処の場所を情報漏洩した。
「まだ色々と話がしたいところなのですが、僕は今日は一年で一番忙しい日なのです。そろそろお暇しなくては。ミロクくん、最後に一つだけ。僕は君に嘘をついていましたが、……あの約束はまだ有効でしょうか?」
今際の際にも語った映画を観る約束のことだ。神でもこんな不安そうな顔をするのだと、おかしくなった。
「ええ、勿論。とびっきり面白い奴に連れていってください」
「あの」
立ち去ろうとする彩さまを先生が呼び止めた。二の句を継ぐのにしばらく逡巡する様子を彩さまは微笑んだまま見つめていた。
「うかさまは、いえ、宇迦之御魂神さまは私のことでお怒りでしょうか」
「どうでしょう。僕は神とはいえ男ですから、女性のことは分かりません。ですが怒っているというよりは一言くらい言ってくれても良かったのにと、不満に思っているという印象を受けました」
「そう、ですか」
先生は少しだけほっとしたような表情を浮かべた。
「妹に、自分のことを話さないでくれ、というのならそうしてもよいのですよ?」
「いえ、すべて大歳神さまの思われたとおりのままお伝えください」
「それで沙汰を待つと?」
「……」
先生は無言で頷いた。彩さまが肩をすくめた。
「伏見白梅。あなたは弟子から学ぶということを知るべきです。なにもミロクくんのように常に崖に向かって走り込みをする必要はありませんが、一歩踏み出してみてはどうですか? いえ、説教ではなく御神籤のようなものだと思ってもらってよいのですが」
おかしいな。先程友情を再確認したはずなのにボロクソに言われている気がする。
「先生、申し訳ありませんでした。彩さま、……大歳神さまのことをお伝えせず」
彩さまの姿が門松もどきに吸い込まれるように消えるのを確認してから、先生に向き直り、頭を下げる。
「いや、構わん。言おうが言うまいが、あの方にとっては同じことだろうしな」
ふう、と精神的に疲れきった様子で、ため息をついた。
「……」
「なんです?」
急に私の顔をじっと見てくる。
「いや、なんでもない」
「あ、そう言えば先生、初詣はいかがされますか。寝過ごしたせいで初日の出も見てませんし、そのくらい行きましょうよ」
「疲れた。明日にする」
今から着付けをして、わざわざ人混みに入る気にならん、とげんなりしながら言うと、社に引きこもってしまった。先生らしいと言えば、らしい。




