出雲小旅行
死して、霊体となった私は根の国へと赴くため、出雲の国へと旅立った。
浅草から熱海へ向かい、岐阜・京都・鳥取を経て出雲大社前へと辿り着いた。長い旅路であった。半日以上電車に揺られていたと思う。これなら飛行機に忍び込めばよかった。
だいたい死んだのだから、迎えくらい出してくれてもよさそうなものだ。どうして自力でいかねばならんのか。
社の前にたどり着いた時にはすっかり周囲は暗くなっていた。
かぁ、とどこかでカラスが鳴いて、思わず首をすくめる。闇夜の中できらめく彼らの目を、私は木に化け、草に化け、やり過ごしながら参道をたどり、鳥居をくぐる。カラスに襲われようがもはや死したこの身には関わりの無いことなのだが、ネズミの性分でつい物陰から物陰へと移動する。
突如轟音と共に、目の前が真っ白になり、気が付くと私はネズミの姿に戻り、見知らぬ大男に首根っこを掴まれていた。
「ネズミの癖に狐の化け術とは、面妖な」
地響きのような太い声を出しながら、髭面に近づけたり、遠ざけたりしながら私の瞳を覗き込む。その頭には牛のツノが生えている。
「わたくし、上野浅草にて根津家当主を務めておりました根津三六と申します。この度、現世とおさらばいたしまして、根の国に参ろうと馳せ参じたのですが、冥土の入り口が分からず右往左往していたところで御座います。よろしければあの世への行き方を伺いたいのですが……」
私がしゃちほこばって言うと、大男はその大きな口を裂けんばかりに開け、呵々と笑った。その嵐のごとき吐息に吹き飛ばされぬようにしがみついていると、べちゃっとつばが私の顔にかかった。防ぐ術もなく、大男が笑い終えるまで、私は目を閉じ、憮然とした顔で堪え忍ぶ。
「カラスどもが見つけられぬほどの侵入者と聞くから来てみればネズミ一匹! しかも自分が妖になったとも気付かず、死んだと思い込んだ粗忽者とは!」
「妖となったとはどういうことで御座いましょう? 確かに死んだと思ったのですが……」
両手で鼻先に着いた唾液をこすり落としながら、私は聞く。
「妖となる条件は聞いたことがあろう? 三つ道理を外れること。お前はそれを成したのだ。ネズミを食うはずの狐を師とし、ネズミを食うはずの蛇の元で奉公し、ネズミを食うはずの猫を噛み殺した。それゆえ化けネズミへと成り果てた」
「……」
やはり今戸又七郎は死んだのかとも思ったが、それよりも何故この大男は我が生涯をここまで把握しているのであろう。
「お前が死ぬよりわずかばかり先に猫の方がくたばったのであろうな。だからお前の肉体は死に、こうして魂だけが妖となって宙に浮いている。退治という形になるが、俺ならお前を祓ってやれるがどうするね?」
「是非にお願いいたします」
「おいおい、未練はないのか? 今、この手より逃れればお前は永遠に、言葉がおかしいが、まぁ、生きられる。一度死んだ身。二度死ぬことは出来んからな」
にやりと笑って言うその言葉は明らかに私を試していた。
「くどう御座いますな。親の仇はすでに討ち、残した弟はもはや一匹前の一家の主。師にも別れの挨拶は済ませました。いったいどこに未練が残りましょう? あるとすればせっかく師に習った化け術の本領を発揮できぬままくたばることだけで御座います。もしお許しいただけますならば、あなたさまに我が全力の化け術をご覧じいただきましてから、祓っていただきたく存じます」
「ほぅ、よいぞ。見てやろう。しかし、あの猫を打ち倒したのは全力でなかったと?」
「いえ、あれは又七郎用に特化したレパートリーでしたので」
そういう特定の相手の心理を揺さぶるための変化をメタ化けと先生は呼んでいた。メタと変化が掛かった高度なギャグであるらしい。知らんがな。
「では恐れ入りますが、少し周囲を明るくしていただきたい」
大男の背に炎が立ち上がり、周囲を明るく照らす。
「これでよいか?」
「ありがとうございます。ではこれよりこの根津三六、一世一代の大化けを披露させていただきます。どうか木の上からご覧のカラスの皆様もお見逃しめされるな!」
そして言い触らしてくれ。どうか我が名があの方の元にまで届くように! 死ぬ手前まで阿呆な奴と笑っていただけるように!
私は空中で一回転すると、着地と共に麗しき着物姿の乙女へと化けた。顔を袖で隠し、ゆっくりと立ち上がる。おぉと歓声があがる。
『見られていることを意識した女の動作は緩慢にせよ。そのほうが色気が出る』
手に持った鈴が鳴らすしゃん、しゃんという音に合わせて踊るように飛び回る。
やがてその乙女の足元に八頭の蛇が忍び寄る。私自身は乙女の姿のまま、影だけを蛇へと変えたのだ。肉体は既にないが念じて出せたのでほっとする。
おどろおどろしい異形の影より毒々しい紫の鱗がたゆたうように現れるたび、林の上の観客席から悲鳴とも感嘆ともつかぬ声が聞こえてきた。うねるように淀みなく地を這う動きは姐御がモデルだ。
乙女の姿をした私は恐れるように逃げ回り、逃げられぬことを知り、膝をつき、項垂れる。
蛇の牙が乙女の肌に迫ったその瞬間! 両者の間に、髭面の大男、ちょうど観客の一人と全く同じ顔! が入り込み、乙女を庇い、その手に持った刀剣でもって蛇の八つ首をなます斬りにする。
この時、私は身体を乙女と益荒男に、尻尾を腕と刀剣に、影を斬られる蛇へと変化させている。魂、千切れそう……。
『男に化けるときは、背筋を伸ばすこと。それだけでなかなか見られるようになるものよ。背筋を伸ばし、あごを引き、しかと相手を見よ。それさえ満たせばどれほど醜男に化けても格好がつく』
先生の教えが取るべき姿を教えてくれる。最後に益荒男が背筋を伸ばし、乙女の手を取り、高々と天に向けて剣を伸ばす。
数秒の間をおいて、私は変化を解き、深々とお辞儀をした。これにて終幕である。
カラスたちの囃すような口笛がそこかしこから聞こえてくる。拍手は出来ないから、これが彼らなりの賛辞なのだろう。どうやら我が渾身の「一人ヤマタノオロチ退治」は好評を博したらしい。
たった一つだけ拍手の音が混じっている。そちらを向くと、大男、……素戔嗚尊が笑みを浮かべてその大きな手を打っていた。
「見事。……いつ気付いた?」
「雷と共に現れ、地響きのごときお声、化け物退治がお得意、牛頭天王と習合したのであろう頭のツノとくればあなたさまかと」
「粗忽者と思ったが、なかなか頭の回る奴。いや、ネズミなのだから当然か。どうしたものかな。このままお前を母上の元にくれてやるのが惜しくなってきたぞ」
大変に評価されて、こそばゆいが、すべて先生からの受け売りである。そうでなければ他のネズミと同じように大黒天さまの義理の父親という逸話しか知らなかったであろう。
***
「化け術は見たことがあるが、それを神楽に使った奴は初めて見た。お前が気に入ったぞ。根津ミロク。どうだ、俺の使いと成らんか?」
髭面を満面の笑みで歪めて、素戔嗚尊が言う。
「我が神使の役目は凶兆を我が子らに知らせること。役目が無ければ故郷で普段と変わらず過ごしてもよい」
「約束と違います。化けを見たら祓って頂けるのではなかったのですか」
「化けを見てやるとは言ったが、見たら祓うとは言っていないぞ」
そんな話があるだろうか。詐欺では?
「そんなに悪い話でもない。我が神使となれば、お前は故郷に戻れるのだ、ミロクよ。お前がかつて望んだ通りにあの狐の傍に――」
「御神よ」
私は素戔嗚の言葉を遮り言った。
「そこまで私を勧誘するのは何故でございましょう? この身がすでに妖怪になったというのなら、滅ぼすのが道理では? それとも何か私を滅ぼすと不味いのでしょうか」
「……まあな。お前はちと有名になりすぎた。ここで祓っても狐に化けを習ったネズミの逸話が独り歩きし、いずれ信仰になりかねん。そうなればあの忌々しい石ころの夜行に加わることになろう。それを避けたい」
ここでもあの狐火の御仁が出てくるとは思いもしなかったので、面食らった。
「それほどまでに強大な相手なのですか?」
「それはもう。この国ではヘタな神より知られている。あらゆる物語で敵となり、味方となってきた。人の娯楽というのも考えものだな」
どの話でも性質を邪悪に描くあたりがなお救いようがない、とぼやいた。
「ならその化けネズミの最期は神によって討たれたことになさればよろしいのでは?」
「そうもいかん。たとえそうした最期を用意しても、『もしかしたら』と考えるのが人というものだ。だから上書きする必要がある。化けネズミは世間を騒がせた罰として、神の軍門へとくだり、独楽鼠のように働かされることになりました、とな」
「まあ、もう一つ方法がないでもない。要はあの石ころの手下と認識されなければ良いのだから、お前と奴の中継地点となっている妖怪を、……殺せばいい」
「……初めからそう仰らなかったのは、私への情けということでございましょうか」
「ああ。それにお前の化けは見事であった。それを教えた者をなくすのは惜しいと思ったのでな」
「化け術は妖の技術。それを誉めるようなことをしてよろしいので?」
「良いものを良いと言って何が悪い。作品を批判するのに作者の出自をあげつらうなど下の下だぞ。作品には穴がないと言っているようなものではないか」
何を言っているかよく分からないのが先生と似ている。唯我独尊タイプだからであろうか。たぶんこの神も普段はひがな一日ごろごろしていて、妖怪関係の揉め事が起こると楽しそうに出かけるはた迷惑な御仁だろうと推測する。
「まァ、いくつか仕事もあるだろうし、退屈はさせんと思うぞ。それに直属の神使となれば神通力も扱える。俺は雷霆神だからな、体から雷を出すくらいは出来るようなるかもな」
「え? 本当ですか。じゃあやります」
何を隠そう実は私は、同じドブネズミということもあってかの国民的人気電気ネズミにいささかの憧れを抱いていたのである。
「……お前、それでいいのか。まぁいいか……。男に二言はないな? ほら」
素戔嗚さまが私に手をかざすとそれで神使としての契約は終わったらしい。妖怪は血やら名前やら捧げねばならないのにこっちは随分お手軽である。
私は憧れの電気ネズミとなった力を早速試すべく、力を込めてピッピカ言ってみるが、何も起きない。
「あの、雷ってどうやって出すのでしょうか」
「ん? ああ。言ったであろうが。『体から』出すと。お前は既に体を喪っているのだから出せるはずがない」
「……詐欺だ、これ!」
「人聞きの悪いことを言うな。因みにさっきはいくつかと言ったが仕事は迷える魂を根の国へと導くことだからな、日に三千件くらい、いや人間だけでないからもっとあるぞ」
これは最近ヒトの間でよく聞く不当表示と、ブラック企業のダブルパンチでは? 違法では? だが悲しいかなヒトの法は畜生には適用されないのである。チクショー!
どうやら私はまた悪癖の無考えによって青天の霹靂を与えられ、……いや、与えられていない! 霹靂貰ってない!
「仕事があれば分かるようになっている。最初は慣れぬだろうがそのうち慣れる。何事もそんなもんだ。あァ、放棄しようなどと思うなよ。その分刑期が延びるだけだからな。ではな、用が出来たら顔を出す」
刑期って言っちゃってるし。つまりこれは妖怪に協力した者に死後与えられる罰ということなのだろうか。それともそういう体にしておくことで、私は妖怪ではなく、神の支配下にいるということになるとか?
簡素な挨拶だけを済ませると素戔嗚さまはまた地響きと共にどこかへ消え去ってしまった。ぽつんと暗い山中に取り残された私に樹上のカラスが阿呆と鳴いた。やかましい。




