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ねずみ録  作者: mozno
第五章 花火のように

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浅草寺忠二郎


 ロクマルから連絡があった。

 浅草寺で家督の引き継ぎが行われるらしい。といっても浅草寺家の、ではない。根津家の家長を私からロクマルにすげ替えようとしているのだ。年の瀬が近付いてきている。神使引き継ぎのための票を少しでも稼ぐつもりだろう。

 別に大黒ネズミの地位など私にとってはどうでもよい。浅草寺だろうが護国院だろうがかつて叔母が言っていたようにやっていることは同じなのだから。

 だが、ロクマルは家長になれば家同士の寄り合い等に駆り出される。私はそんなものはシカトして、三歩歩いたら忘れられるがあいつは性格上そうもいかないだろう。ロクマルにはまだ大工仕事と父親業に専念させてやりたい。

 弟を下らない政治闘争に巻き込ませるつもりはないし、浅草寺の連中には問い詰めねばならぬことがある。私はその式に乗り込むつもりでいた。


「では先生。行って参ります」

「あぁ、気をつけて行って参れ」

 私が闘志剥き出しなのを知ってか知らずか、先生はいつも通り寝そべったままで声をかけてくれた。

 思えば私がこうして出かける時、先生はいつもこう返してくれていた。わざわざ後ろを振り返ることなどしなかったから、今まで先生が私をどこまで見送ってくれていたのかは分からない。

 今は振り返らずとも分かる。先生はきっと私の背中を見ていてくれている。ならば背筋を伸ばして行こう。あの方がご心配などなさらぬように、しゃんとして。


 ***


「八方手を尽くして探したが、現根津家当主、根津ミロクくんは見つからなかった。本日より当主死亡と扱うものとする。何か異論のある者は?」

 浅草寺に着くと丁度式典が始まったところだった。一段高い所に、浅草寺家当主、忠二郎が陣取り仕切っている。傍には彼の息子の若旦那、豊一の姿も見えた。

 誰も手を挙げない。それもそのはず、この場には奴の息のかかったネズミしかいないのだから。一番異論がありそうな顔をしているのがこれから当主に仕立てあげられようとしている当の本人である。

「これよりこの浅草寺忠二郎が後見となり、根津ロクマルくんを根津の当主としてーー」

「やいやい、勝手に殺してくれるなよな」

 私がネズミの黒山から声を張り上げると、さざ波のように動揺が広がり、ぱっくりと周囲が開けた。壇上の忠二郎と目が合った。若旦那は目をぱちくりさせていたが、老ネズミの方は僅かに鼻を動かしてつまらなそうな顔をしただけだった。私が生きてきたことなど先刻承知だったのであろう。

 つまらなそうな顔から一転、破顔すると彼は舞台に私を招いた。

「おお、ミロクくん。まさか生きてきたとは」

「ははは、そりゃあまさかでしょうとも。まさか猫に俺の始末を頼んだのに仕損じるなんてね」

 私が周囲に聞かせるように大声でそう言うと、動揺はますます大きくなった。もはや平気な顔をしているのは忠二郎くらいのものだ。顔色一つ変えぬとは当主歴の長さの成せる業か。

「おやおや、それは面白い冗談だ」

「冗談なものか。アンタらが猫と裏でつるんでるってことはとっくにネタがあがっているんだぜ」

 私は引き続き周囲のネズミたちに消える声量で言い放った。先生も声がデカイ奴が勝つって言ってた!

「そもそも何故この辺りでは猫がネズミを襲わなかった? そして、何故最近になって猫がネズミを狂ったように襲い始めた? 両方ともアンタら、浅草寺が原因だろう」

「何か根拠があるのかね?」

「築地から越してきたネズミたちが証言してくれたぜ。浅草寺に猫との取引の運び屋をやらされてたってな。スネークバイトって名前の炭酸飲料を猫どもは欲しがっていた。アンタはそれを猫に提供することで浅草寺の周辺では猫にネズミを襲わせないように今戸の猫の頭領と取引をした。いや、アンタが直接やった訳じゃないだろうな。あの、なんだっけ、コンコンケツソデとかいう白ネズミが窓口だった」

 そんな感じの役職だったと思うのだが、周囲の私への視線が阿呆を見るそれに変わってきた。

「そういや、あの白ネズミはどこ行った?」

 この場にならいてもおかしくないのに見当たらない。

「チャーリィ君ならしばらく連絡が取れていない。……猫に食われたのかもしれないな。君の言う通り彼は猫との取引の矢面に立ってくれていたから」

 忠二郎の発言に周囲がざわついた。

「……随分簡単に認めるんだな」

「事実だからね。それにここにいる者たちには、既にそのことを知っている者もいる」

「猫にスネークバイトを提供するのを止めたこともか?」

「なんだとっ!?」「それは本当か?」「取引はどうなる!?」

 私の言葉に反応したのは家長クラスのネズミばかりだ。取引がご破算になったことは知らせていなかったようだ。忠二郎が小さく舌打ちし、騒ぐ群衆に向けて手を挙げた。

「確かに猫との取引が終わったことは事実です」

「なら今、猫が暴れているのはそのせいじゃないか!」

 どう責任を取るつもりだ、そうだそうだ、と四面から野次が飛んでくる。

「肝心なときに欠片も協力しなかった連中が好き勝手……」

 忠二郎が小声でぼやいた。周囲は喧騒に包まれており、私以外には誰にも聞こえなかっただろう。

「ご心配なく!」

 唐突に忠二郎が大声を挙げた。皆が飲み込まれて、一瞬の静寂が訪れた。その隙間を突いて、彼はまくし立てた。

「今は暴れまわっている猫どもですが、それも時間の問題です。そのスネークバイトという飲み物には毒が入っています。もう少しご辛抱頂ければ、この上野浅草から猫畜生どもを一掃出来るでしょう」

「ならなおのこと何故取引を止めたのだ」

「摂取して即死するような毒ではありません。そんな物を入れれば連中に気付かれる。中毒性のある物です。女子供は時間経過でくたばるでしょう。そして残った雄は残りのスネークバイトを取り合って身内で殺し合う。流通量を減らさねば争ってくれません」

「外道が」

 私が吐き捨てた言葉を、何を馬鹿なことを言っているとでも言いたげに忠二郎が嗤った。

「家族を猫に殺された癖に随分と猫贔屓だな」

「てめえが余計な事をしなければ叔母上は殺されずに済んだ」

「……確かに急に猫がネズミを捕るようになって犠牲者も出たと聞いている。……だがこれは改革だ。この痛みを乗り越えねば猫の手にかかる者は永遠に減らせない」

 その犠牲者に自分のことは数に入れていない野郎が何を言っても説得力などあるものか。


「私は結果を残した! 今までどんなネズミだって成し遂げられなかった偉業だ! 猫の首に鈴を着けたネズミがいるか? 猫を山ほど殺したネズミがいるか? いいや、私だけさ。だが、これでは終わらんぞ。我が宿願は猫をこの世から排することなのだから!」

「そのために神使の加護が要る、と?」

「そうだ。私は猫の居ない世界が見たい」

 全くもって現実的でない。いくら神使の加護であろうとこの世の猫を全て殺し尽くすまでの時間など与えてくれるはずがない。


「我らの命はたかだか二年。その短い生で権力にしがみついてなんとする?」

 彼自身薄々気付いてはいるのだろう。だからこそ、私の問い掛けに激昂した。

「黙れ黙れ! 私が神使となればそれは子や孫たちに残る。私の思いも! それが生きるということよ。狐と戯れ、子さえ残さなかった貴様には分かるまいがな」

「はっ! 残して何になるってんだ。残らず消えてなくなっちまうからキレイなのよ。花火が夜空に残っててみな、月見も出来やしねぇ」

 誰しもが月のように永遠に生きる腹積もりでいやがる。だがそれは決して叶わない。なら我々はせめて花火のように生きる他ない。花火のように生きるのなら散り際は潔く在らねばならぬ。残る物は見ていた者の網膜に焼き付いた影法師だけでよい。

 するりと出てきたその啖呵は、かつて私が叔母上に言いたいと思いながら、生前はついぞ思い付かなかった言葉でもあった。私はいつも遅すぎる。どれだけ生き急いでも足らぬほどだ。

「我らネズミの大願である『大黒ネズミ』を否定するつもりか!」

「借り物の力でデカい(つら)してんじゃあねえや! てめえで食ってくための力くれぇ、てめえで身に付けたらどうなんだ!?」


「神使となり、長命を願うことの何が悪い! そもそもどうしてネズミは二年しか生きられない? 猫は十年も生きるのに。人間は八十年生きるという。あの間抜け面どもがだ! 不平等ではないか! ネズミが八十年生き、人間が二年で死ぬべきだ!」

 忠二郎が吠えるように叫ぶ。

「私はこのことから仮説を立てた。おそらく長く生きる動物ほど劣等なのだ。ネズミは優れているから二年しか生きられない。人間は我々の食事係でしかないから八十年も生きる。人間はネズミの四十分の一の能力しか持たないのだ!」

「それなら蚊や蝿は俺たちの何倍偉大なんだ?」

「虫けらと一緒にするな!」

「差別するなよ、不平等じゃねえか」

「何を馬鹿なことを! 平等とは自分だけが優遇されていることをいうのだ!」

 その傲慢はお前の嫌う猫のそれではないのか。


 ***


「てんで話にならねえな」

「貴様はもっと早くに始末しておくべきだったよ」

 忠二郎はそう呟くとにやりと嫌らしい笑みを浮かべた。

「見るがいい!」

 そういうと忠二郎の体が膨らみ始めた。手足が伸び、体が灰色から白と橙色のぶち模様に変わっていく。

「化けられるネズミが貴様だけと思ったら大間違いよ! これは私が諸国を巡っているときに、那須で出会った師に習った化け術。どうだ、恐れおののくがいい!」

「……そんな」

「ハハハ! 声も出ないか」

「そんな前歯のなげえ猫がいるか、このヘタクソォ!」

 助走と共に私はその猫? の口からはみ出た前歯に向けて、蹴りをくれる。

「ぐぇぇ!」

 忠二郎が歯の痛みにのたうち回る。

「何をする!」

「なんでえ、その中途半端な化けは! 前歯は言うまでもなく、尻尾が長すぎる! 耳の位置が違う! もっと毛は長い! ネズミを基準に考えるからそんな無様になるんだ! もっとよく観ろ! こう!」

 宙返りと共に私も姿を猫へと変えた。

「その首輪と鈴はてめえの願望か? 猫に着けてやりたいっていう? 化け術にてめえの主義を混ぜ込むんじゃねえよ、濁るだろうが! だいたい首輪が付いている猫の毛並みはもっといいもんだ!」

 私は首につけた鈴をちりんちりん鳴らしながら、忠二郎の首元の鈴を猫パンチする。ごすっと鈍い音がして、奴が悶絶した。

「鳴らせよ!」

 私がにゃおーんと大きく鳴くと、周囲で見ていたネズミたちがぶるぶるしだし、そしてたまらずといった調子で逃げ出した。足元の忠二郎もぶるぶるしている。もはや化けを保てないのだろう。私は彼の顔を覗き込み、シャーと威嚇してから言った。

「お前は猫じゃない、ドブネズミだ」

 ぽんと音がして、みるみるうちに体が萎み、足元の影と同じ一匹のネズミへと戻った。おお、普段は化けを看破される側だから、初めて味わったが、相手の化けを暴くというのはなかなか気分が良い。


「馬鹿な、そんな、私が……、私の化け術が」

「けっ! そんな粗末なもんを化け術と呼んで欲しくないね。大方、狐に頼んで基礎だけ教わって、そのあとろくに訓練もしなかったんだろう?」

 しなかったのではなく、できなかったのやもしれぬ。彼は浅草寺家の次男として産まれたから、旅の間はそれなりの自由が許されたが、兄が亡くなってからは対護国院家の選挙工作に忙殺されたはずだ。自身も子を残さねばならなかったはずだし、そうなれば家族を養わねばならない。少なくとも私は結婚を捨てた。子を持つことを捨てた。彼は捨てなかった。その差である。

「どうして俺たち以外のネズミが小銭を集めるのかと思ったが、あんたが化けて使っていたんだな。そしてスネークバイトを買って猫に流していた。あれと引き換えに浅草寺の安全を買ったわけか」

 スネークバイトが世に出るまでは私と同じように食事を買うのに使っていたのだろう。そしてその羽振りの良さで大黒ネズミの地位を手に入れた。だがそれゆえ守らねばならないネズミが増え、限られた金銭を猫の買収に使ってしまった。そうなればおこぼれにあずかれなくなったネズミは彼の元を離れ、人手は減り、集められる金額は少なくなり、また配れる報酬が減っていくという悪循環だ。

「よくそんなけちな化け術で今まで人前で化けの皮が剥がれなかったもんだ」

「お前に何が分かる……。兄が死に、家族を守らねばならなかった。動機が不純であったことは認めよう。兄の嫁に懸想をしていたのだからな。旅に出たのもそれが理由だ。だが、クソぅ、こんな小僧に。何故だ。好物の落花生までったのに。……あ」

 ぶつぶつぼやいたかと思うと忠二郎は顔面蒼白になり、ぶるぶると震え始めた。猫の姿をした私に睨みつけられた時の比ではない。聞かれてもいない動機を自分から喋った間抜けに気が付いたかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「ああ、お許しください、落花さま。奇禍さま!」

 ゴウッと忠二郎の体を青白い炎が包んだ。彼の悲鳴が響き渡る。狐火だ。先生が前にマッチがわりに使っているのを見たことがある。その熱さに思わずたじろぎ、数歩退いた。

 炎の内よりギョロリと一つ目が開き、ぐるんと辺りを見回した。炎が喋る。

『やはりネズミでは駄目か』

 ぼうぼうと燃える音、火花の弾ける音、煤が擦れ合うような音が組合わさった不気味な声音だ。

『忠二郎。駄目な子だ。私の名前を呼んではならぬときつく言い付けたろうに。それにただの一匹でさえ弟子を取ることすら出来ぬとは』

「アアッ、もうしわけ、ありま、アアアッー! おやめくださ、おゆるしを! おゆるしを!」

 断末魔のごとき叫びに、耳を貸さずに炎はくすくすと笑っている。瞳が私を捉え、興味深そうに見開いた。

『その強力な神妖ない交ぜの奇天列な気配、そち、白梅の弟子だな? ふふ、ふふふ、十余年ばかり放っておかれたものだから、忘れられたかと思うたが、ネズミの弟子を取るとはどうやら私と同じことを考えているらしい。慎重を通り越して臆病の域だが、……一番優れた弟子の策を台無しにするのは忍びない。それにあまり長居して嗅ぎ付けられても厄介だ。ここらで引くとしよう。命拾いしたな、忠二郎』

 狐火が消え、忠二郎が解放された。全身の毛が焼け焦げている。

『白梅に保元(ほうげん)がよろしく言っていたと伝えておくれ。それとその猫化け、見事である。同じネズミでこうも違うものか。浅草寺忠二郎、そちは破門とする。これはその烙印だ。妖力は貸したままにしておいてやるゆえ、直したければそこなネズミに今一度、化けを習うが良かろう』

 消え去る間際にそう言い残した。気絶した忠二郎の体は膨れ上がり、縮みを繰り返し、最後にはネズミの大きさに戻ったが、右前足と左後ろ足が猫のまま、所々体毛が禿げ上がり、桃色と灰色の水玉模様をなしていた。


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