家族1
本日は2話投稿です。こちらは1話目です。
浅草寺に近付くということで、私はいつも通りの成金ネズミの姿に化けた。隣のサンゴがでっぷりとした腹を指でつんつんと突いてはくすくすと笑っている。叔母もつられて笑っている。こうして見るとこの二匹はとてもよく似ている。叔母の笑みが子供のように見えるせいかもしれないが。
いつもの道を通っていると、二人が急にぶるりと体を震わせた。
「おじちゃま……」
「猫か?」
私の問いに叔母が頷いて答えた。
そう言えば築地のネズミたちが浅草寺の近くで猫の見掛けたと話していた。例の契約のせいで浅草寺周辺ではネズミを襲わない取り決めになっているはずだが。
「大丈夫。おじちゃまが見て来てやるからな」
同じセリフをどこかで言った気がした。その不吉さが胃にのしかかってくる。
二人には身を隠させて、帰路を確認すると複数匹の猫がうろついていた。ネズミの住処の入り口付近の家屋の柱をがりがりと爪でひっかいている。目が血走っており、明らかに様子がおかしい。その中の一匹に見知った顔を見掛けた。
仁王像もかくやという迫力。間違いない。今戸のアジトで門番を務めていたあの巨漢の猫だ。
私は以前使用していた野良猫ミロの姿に変じて、彼の前へと姿を現した。
「よお、久しぶりだな」
「お前……。あのときの……」
毛並みは野良にしてもあまりに乱れており、血走った目を除いても、健康状態が良好とは思えない。
「確かお前、本当はネズミなんだよな? ならアレを出せよ」
「アレ?」
「とぼけるなよ。お前も飲んでたじゃないか。あの人間たちの飲み物のことさ」
スネークバイトのことを言っているのだろう。
「俺に言われてもな。ここらのネズミを脅しつけて運ばせればいいじゃねえか。前もそうしていたろう?」
「最近運んで来なくなったのさ。運ぶネズミたちがいなくなったとかでな」
築地のネズミたちは私が提案した仕事で新たな食い扶持を得た。だからあんな危険な運び屋稼業をする者がいなくなったのだろう。そうなれば浅草寺の中で人員を用立てるしか無くなるが、当然やりたがる者などいないだろう。
「お前たちが独り占めしているんだろう!?」
「独り占めも何も元々アレは人間どもの飲み物だろう。そんなに欲しいなら連中からかっぱらって来いよ」
「何度かはそうしたさ。だけど飲んでも飲んでも、喉が渇いたままなんだよ!」
何の根拠もない独り占めという話、意味の分からない言い分からもう話が通じないだろうと判断した。トラキチを探して問い詰めた方がいくらか生産的だ。私が「もういい」と会話を打ち切ると、突っかかってきた。
「置いていけよぉ! アレを寄越せよぉ!」
口元に白い泡が浮かんで、それが喉まで垂れている。どうみてもマトモではない。周囲の猫が、門番の出した大声でこちらに注意を向け始めた。
門番が私の肩に手を掛けようとしたのをひらりとかわし、跳躍した。質量を再現したいから、あまり大きな物や複雑な物には化けない。私は金たらいに化けると目一杯の力を込めて、奴の後頭部目掛けて突っ込んでやった。ごいんと低い音が響いて、ばたりと体が崩れ落ちた。純金製の金たらいで気絶出来るとは幸運な奴め。
おんなじ調子で足元の覚束無い猫どもを気絶させていると、
「キャアアアア!」
背後から甲高い悲鳴が聞こえた。聞き間違えるはずがない。サンゴの声だ。声の元へと辿り着くと、どこからこんなに集めてきたのか十匹近い猫が叔母とその背に庇われたサンゴを取り囲んでいるのが見えた。私は鶏へと化け、鳴き声で連中の動きを封じた。その意識の隙間を縫って、二人を背に庇った。どうやら怪我はなさそうだ。
いつもなら先程の高音攻撃で逃げ出すところなのだが、正気を失った猫たちからは撤退という考えはなくなっているらしい、敵愾心もあらわに私に目掛けて、フシャーと殺気だった威嚇を飛ばした。
飛び掛かってくる猫の顔面をフライパンに化けて打ち返し、狼に化けて首根っこに噛みついて投げ飛ばし、千切っては投げの戦いを何分続けただろうか。お互いに肩で息をしている。何匹かが後ろに退いたのを見て距離を詰めたが、
「危ない!」
という叔母の声に足を止めて振り返った。乱闘の中で後ろに回り込んでいた一匹に猫が木の上から、サンゴに向けて飛び掛かった。それを庇うように抱き抱えた叔母の背中が猫の爪に引き裂かれるのを見た。かつて弟妹を庇って又七郎に裂かれた母の姿が重なった。
「叔母上!」
駆け出しながら、泥色の猪へと姿を変えて着地したばかりの猫のどてっぱらに牙を突き立てた。私の突進をもろに食らった猫は腹から血液を撒き散らしながら、木へと激突した。
「叔母上! 叔母上!」
ぐったりとした彼女の姿を見て、総毛立つのが分かった。猪に跳ねられた猫は気を失っている。こいつは最後だ。
「……ぶっ殺してやる」
猪から猫へと変じた。宙高くその場で跳躍する。空中で変化を解いてネズミに戻る。大きく体を回しながら、ブーメランへと変化して猫の群れへと突っ込んだ。
ギャンッと悲鳴が聞こえた。高速で回転する、姿を鉈に変えたブーメランが一匹の猫の足をぶった斬った。空中に再度跳ね上がり、自分たち目掛けて突っ込んでくる鉈を目にしてようやく肝が冷えたらしい。足を失った猫を置き去りにして残りが逃げ出した。逃げ損ねた猫の眼前で鉈のまま地面に突き刺さった。
「失せろ、芋虫みてえになりたくなかったらな」
私が言い終える前に悲鳴を上げながら、不格好な這うような走り方で逃げていった。
***
「ミロクちゃん……」
叔母が擦りきれそうなか細い声で私を呼ぶ。彼女の手をぎゅうと握った。
背中の傷はあまりにも深い。押さえても次から次へと血が出てきて止まらない。
「私、あなたが遊びに来る度にお菓子を出してあげたでしょう?」
「叔母上、喋らないでください」
私が訪ねる度にどこからかお茶菓子が出てきたものである。最も多かったのは叔母の好物の金平糖だった。
「あなたのことだから、どこに隠してあるか探したでしょう?」
彼女の言うとおり、子供の時分にどこから出てくるのかと家中を嗅ぎ回ったことがあるが、ついぞ見つけられなかった。
「じゃあ、ヒントね。台所のどこかに隠してあります。私が一人で暮らし始めたときに、兄が作ってくれた物の中に隠してあるの……。見つけたらその中の物はミロクちゃんに上げるわ。入れ物はロクマルちゃんに見せてあげてね」
「どうしてそんな話を今……」
私の問いに彼女は微笑むだけで答えをくれなかった。代わりにサンゴを呼んで、私が握っていない方の手で優しく頭を撫でた。
「この子をちゃんと守ってあげるのよ」
そう言い残して、彼女の手から力が抜けた。もっと強くぎゅうと握っても返事が帰ってくることはなかった。
目を覚ました猫は先程までの狂乱状態はどこへやら、「殺さないで……」と腕で顔を覆いながら、命乞いをしていた。私の後方に見える仲間の足と血だまりを見て、怖じ気付いたのだろう。
お前は、お前たちは私の家族を殺したじゃないか。そう思いはしたが怒りよりも喪失感の方が大きく、今この場でこの猫を血祭りに上げようなどという気は起こらなかった。首を横に振って、「行け」と合図をするとへどもどしながら逃げ出した。
「こりゃあなんの騒ぎだ?」
声のした方に目だけ向けると大柄の二毛猫がこちらへやって来た。
「なんの騒ぎだと? てめえのところのしたっぱがこの辺りで暴れまわってんだよ。例の取引はどうした?」
又七郎は私の言葉は無視し、隣に横たわる遺体とその手を泣きながらまだ握っているサンゴに目を向けた。
「……それは?」
「俺の家族だ。そいつに殺された」
私が立ち去ろうとしていた猫をあごで示す。又七郎がゆっくりと近づくと後退りしたが、一瞬のうちにパッと鮮血が舞った。その爪で喉を一裂きにしたのだ。
「迷惑かけたな……」
血のあぶくを噴く、痙攣する自らの手下を踏みつけにして、こちらにやって来て、頭を下げた。言葉には何の感情もこもってはいなかった。上の空のまま、もう一度だけ叔母の遺体に目を向けると、私たちに背を向けてどこかへと行ってしまった。




