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ねずみ録  作者: mozno
第四章 家族

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伏見彩去れり


 ネズミは子が多い。

 次々にたくさん産まれるから、乳離れが済むと親の手が回らず、放っておかれる。だがまだ一人でエサを調達することは出来ないので、上の兄弟のおこぼれを狙って糊口を凌ぐのだ。あれはみじめである。兄や姉が気の回る良い年長者だと面倒をみてやったりする。私もロクマルの面倒をよくみてやったものだ。

 だから今更、姪っ子一人の面倒をみてやるくらいはなんということはない。だがそれにしても、

「よく食うね、お前は」

 廃棄された弁当箱に残った白米に上半身ごと突っ込みながら、黙々と食べ続けるサンゴに声をかけると、ひょこっと顔を出した。頭にはご飯粒が乗っている。

「だっておじちゃま、好きなだけ食べていいって言ったもん」

 子供の成長というのは早いもので、ついこの間まで母親の腕の中で泣いていた子が、すっかり生意気な口を聞くようになってしまった。これでも兄弟の中ではおとなしい方らしく、食い損ねることが多いという話を聞いてから、ヒトミさんに許可を貰ってこうしてたまに連れ出している。

「たしかに言ったよ。訂正しない。食え、食え。よく噛むんだぞ。おじちゃんが猫がこねえか見張っといてやるからな」

「猫が来ると駄目なの?」

「ああ、あいつらは俺たちネズミを捕って食っちまうからな」

 私ががおーと大きく手を広げると、サンゴはひえっと怯えたように米粒の中に体を隠した。

「ネズミの身に起きる悪いことのほとんどは猫の仕業だからな」

「悪い奴らなんだね」

「そうとも。だが俺たちを食うのは猫だけじゃない。カラスも蛇も人間も俺たちを食うからな。不用意に近付いちゃいけないぞ」

 なに? 私自身は良いのか? 化け術という用意があるから良いのである。それにこう言って聞かせたところで子供の好奇心が消滅するのなら誰も子育てに頭を悩ませたりはしないだろう。無いよりマシな先達からの忠告に過ぎない。


 お前だけいい思いすると、なんか言われるかもしれないからお土産持ってってやろうな、とサンゴに言い聞かせて、映画館の方へと移動する。折角だ、驚かせてやろうと思い、ヒトの姿へと化けて、姪を胸ポケットに入れて電車に乗る。

「でっかい蛇!」

「とんでもなく遠くに連れていかれるからな。お前一匹で乗っちゃいけないよ」

「うん」

 周りのヒトたちから見えないように乗降口の前に陣取ると、サンゴは外の景色を見て、はあーだのほおーだの言っている。こんなずっと変わらない地下鉄の壁見て面白いか?


 目的地、映画館の裏手に辿り着くと、早速ゴミを漁る。私が度々土産にチョイスしているからか、匂いで見当がついたらしく、サンゴが胸ポケットの中で「ポップコーン!」と叫んで震えた。この場でゴミ袋を広げたくはなかったのだが、この調子では我慢できないだろう。それに私も些か小腹が空いた。変化を解いて、紙バケツの中に二匹揃って飛び込んだ。



「こんにちは、ミロクくん」

 廃棄されたポップコーンの山に頭をうずめていると、後ろから声をかけられた。童女の姿のさいさまであった。

 サンゴは全身を総毛だたせると私の背中へと隠れた。

「こんにちは、彩さま。奇遇でございますね」

 ぺしぺしと頭にくっついた塩粒を叩き落として、挨拶を返す。

「えぇ、映画でも見に来たのですか?」

「いえ、姪御の子守でして。ほら、サンゴ。怖がることはない。京都で神使をしてらっしゃる彩さまだ。ご挨拶しなさい」

 サンゴはおずおずと顔を出すと、ぺこりと頭を下げて恐る恐る聞いた。

「食べない?」

「えぇ、食べませんよ」

 私が良いと合図をするとポップコーンの方へと戻っていったが、不安げにチラチラとこちらの様子を伺っている。

「あの子は僕が人間に化けていることを分かっているようですね」

「私が近くでよく化けているので、見分け方を覚えたのかもしれません」

「なるほど、英才教育の賜物でしたか」

「彩さまは今日も映画ですか?」

「そうしたいのはやまやまなんですが、十月に野暮用がありまして。それに正月までには向こうに帰らなくてはならないのです。もう秋口ですし、そろそろ本格的に仕事を始めようかと」

「そ、そうですか」

 サボり魔が仕事を始めようというのだから、本当なら良いことに違いないのだが、なにぶんこの方は先生のことを探しに京都からわざわざいらしている。

「それでネズミたちに事情を聞いたりなどしているのですが、おかしなことがありましてね?」

「な、なんでしょう」

「いや、こちらに来た頃に聞いて回ったときはおかしな術を使うネズミなどと言えば、根津家のミロク以外におらんと皆が口を揃えて言っていたのです。それが今回聞いてみると半数近くがそんなネズミは知らんと言うのです。……君、口封じしていませんか?」

「してませんよ!?」

 恐らく浅草寺家の大工連中と、築地のネズミたちに仕事を回したことから、あいつらが知らんぷりをしたのだろう。もし私に何らかの不幸があれば貰えるはずの仕事と飯がぱーになってしまう。現金な奴等である。お陰で要らぬ不信を買ってしまった。

 事情を説明、しようかと思ったが、浅草寺の仕事のくだりを説明するには『狐用の碁盤』について説明しなくてはならず、それは墓穴以外の何物でもない。

「ネズミ、ですから忘れちゃったんじゃないですかね……?」

「……」

 じーっと見つめられると、隠しておくのも限界だと感じる。この辺りの圧の強さは先生とそっくりである。

「じ、実はですね……」

 先生のことは隠しておくために、カモフラージュとして築地のネズミたちに仕事を頼んだこと、それに恩を感じて匿ってくれたのだろうということを説明する。

「なるほど。それは良いことをしましたね。飢える子が減るというのは社会貢献に他ならないでしょう」

「そうですかね?」

「勿論。その仕事を手配したことで君はネズミ社会の立派な一員となったのですよ。素晴らしいことです」

 そこまで言われると悪い気はしない。

「いやー、えへへ。社会貢献ですか。あはは、良いことしてたわけですか。そう言われると気分もいいですな。と言ってもまるまる私の考えってわけでもないですから。ヒントを貰った姐御に今度こちらからご馳走しなきゃいけないなあ。いっつも奢って貰ってばかりじゃ悪いし」

 彩さまがうんうんと頷いた後に、首を少し傾げて口にした。

「ところで、その姐御というのはどなたです?」

 ……。

 ……。や、やっちまった。先生のことから話を反らすのに必死で二番目にバレてはいけない方をぽろりしてしまった。手の平の冷や汗を隠すためにぎゅっと拳を握った。お、落ち着け、根津ミロク。ここでしくじったら丸呑みコース一直線だ。

「姐御は私がお世話になっている弁財天さまの神使さまですね」

「ほう。ということは蛇ですか?」

「そうですね……」

「しかし、おかしな話ではありませんか。ネズミの君が蛇と知り合いなどと」

「たまたま縁がありまして。様々なお仕事を経営されている方ですので、私を食い殺すよりも商売に使ったほうが得だとお考えなのでしょう……」

 自分で言ってて悲しくなってきた。

「今度お会いしてお話を伺いたいのですが」

「うえっ!? い、いやー、どうでしょうね。お忙しい方ですからね。私のアルバイト先にも滅多にお姿を見せませんし」

「ん? ……ああ、成る程。君は人間の姿で働いているのですね? なら化けられる狐と知り合いになれるというのはその方にとっても損ではないでしょう。今度お会いした時にお時間を作って貰えるように伝えて欲しいのですが」

「…………はい」

 もう、こう言うしかなかった。

 後ろでは気にしないことにしたのか、むしゃむしゃとサンゴがひたすらポップコーンを食べていた。


 ***


 姪っ子を家に送り返した後、猛ダッシュでアルバイト先、この間尋ねた新しい美容院、その他経営店を回り、やっとの思いで姐御を見つけた。仕事の打ち合わせの帰りだったのか珍しくスーツ姿だ。私はぜえぜえ息を切らしながら、先生を探しに来た神使に見つかってしまった旨を報告した。

「何してるのよ、あなた……」

「申し訳ございません、申し訳ございません!」

 話がてら、駅の近くの喫煙所に移動した。

 少し考える素振りをして、煙草を咥えたので、私が横から火を着ける。

「もういっそ白梅に伝えて闇討ちさせたら?」

「それ、後に引けなくなりませんか?」

「そうね。冗談よ。そんなことしても別の神使が来るだけ、もっと強硬派のね」

 煙はすっかり飲んでしまったのか、ほとんど透明な息を吐いてから言った。

「しょうがない。私のところに連れてきなさい」

「よろしいので?」

「ま、今までもない話じゃなかったから」


 数日後、彩さまに連絡を取り、姐御の元へと連れてきた。軽い自己紹介の後に早くも彩さまが本題に入った。

「伏見白梅という狐を探しています。ご存知ありませんか?」

「ええ、知ってるわよ」

 速攻で暴露してしまったので、私は姐御にだけ見えるようにヒトの姿で両手の指でバツを作って、彩さまの後ろで飛んだり跳ねたりするが知らん顔だ。

「ていうかその子の師匠だし」

 あー!? 私が頑張って隠していたことまで!

「それは知っています」

 えっ。

「今、どこにいるかご存知ではありませんか?」

「さあ? しばらく前にその子を預けてどこかに行っちゃったわよ。いくらあのものぐさでも、自分が追われていることくらい分かっているんだから、そこら中を転々としているんじゃないかしら」

 否。常軌を逸したものぐさなので、ずっとこの辺りに滞在している。

「だとすればミロクくんを助けた狐というのは一体どこの誰だったというのです」

「ああ、それ。私よ」

 よくもまあ、こうも何の躊躇いもなく嘘がつけるものである。

「この子の化け術はとっても便利だからね。死なれちゃ困るのよ。だから助けたの。狐の姿を取ったせいで貴方の仕事を増やしたのは悪いと思っているわ。ごめんなさいね。ああ、でもミロクちゃんを責めないであげてね。私が口外しないように言ったから言えなかったのよ。……ね?」

 姐御が百点満点のウィンクを決めたので、私はあかべこのごとく首を縦に振り続けるしかなかった。

「だから貴方の探し人、探し狐? は私よ。お姉さんでなくてごめんなさいね。宇迦之御魂神うかのみたまのかみさまに紛らわしいことをして申し訳ないとお伝え願えるかしら」

「……なるほど。そういうことでしたか。どうやらこちらの早合点だったようですね」

 あの彩さまを引き下がらせるとは流石姐御。これが生き馬の目を抜く人間社会で培った話術なのか……。

「彩さまはこれからどうなさるので?」

「京に帰る、と言いたいところですが、まあもう少しだけゆっくりしていきますよ。折角東京に来たのですからね」

「ではまた映画館の近くでお会いすることがあるかもしれませんね」

「ええ。その時はよろしく。そうだ、ミロクくん。そのうち、映画を一緒に見ませんか?」

「映画ですか?」

「ええ。かつての名作を流している場所を見つけまして。ラインナップを確認しましたが、外れなしをお約束しますよ」

「それでしたら是非」

「ええ、ではまた今度」

 片手を挙げて、軽く挨拶をして帰っていった。

「ふう。なんとかなったわね」

「さっすが姐御ですぜ!」

 まあね、と再びウィンクをした。

「白梅の性根のひん曲がった屁理屈に比べれば、あんなの可愛いもんよ」

「はは……」

 方々で聞くうちの師匠の評価が低すぎる。

「でも完全に信じたわけでもないでしょうね。映画は良いけど、口を滑らせないように気を付けなさいな」

「やはりあまり会わないようにした方が良いですか?」

 折角仲良くなったのにそれは少し寂しいが、先生の安全には代えられない。

「それは一番の悪手ね。露骨に避けたら今のが嘘だとバレるわ。京都行きの電車に乗るのを見送ったら安心なさい」

 それはまた、あのサボり魔相手には長くなりそうな基準である。

 と、思っていたのだが、それから一週間もしないうちに彩さまは東京を去った。余りにも呆気なく済んだので、化かされているのではないかと思い、手を振る彼を見送った後に何度も後ろを確認しながら、帰路についた。


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