名付け
不忍池の姐御に焼肉をご馳走になった翌日、ロクマルが私を訪ねてきた。
「伯父貴には?」
「頼んだら断られたよ。死ぬまで面倒見切れないとさ。代わりに太一坊の従兄さんが受けてくれるって」
太一坊とは護国院一郎太と後妻の間の子であり、私たちの従兄弟に当たる。名家の長男らしくおどおどした気弱な性格であり、「アレで大丈夫か」とも思ったが、その台詞はそのまんま根津家の家長にも突き刺さるので言及しないでおく。
「そうか。じゃあ、……若旦那の弟で、あの絵描きだか陶芸だかやっている……」
「豊サトさんだろ。もう頼んだよ。それにあのひとがやっているのは歯医者だよ」
「じゃあ、若旦那の妹の、夫の、……兄貴とか」
「だからこうして頼みに来ているじゃねえか」
そうだった。いや、私以外にもその条件に当てはまるものは複数いるのだが。
今までのらくらと逃げてきて、話が出る度にあの御仁はどうだ、なに、もう頼んだ? ならそっちの御仁はどうだ? なんてやっていたものだから、とうとうネタが尽きてしまった。
「兄貴。そろそろ年貢の納め時ってもんだぜ」
借金取りのような事を言っているが、取りに来たのは名前である。以前に約束した子供の名付けを頼みに、この弟はわざわざ私の元までやってきたのだ。
「そうは言うがね、お前。俺のような親不孝者に名付けられてみなさいよ。どんなネズミの風上にも置けねえような輩になるか知れたもんじゃないよ」
「別にそれならそれがその子の天命だったというだけさ。今付けたくないってんなら、俺は後でもいいぜ。その時には末っ子しか残ってないかもしれないけど」
「それは勘弁してくれ」
末っ子を名付けるのはネズミの巷では特別な意味を持つ。オオトリを飾るのは勘弁である。
「分かったよ。名付けりゃいいんだろ、名付けりゃ。良く良く考えてみりゃあ、俺に名付けられようなんて大した野郎じゃねえか。折角だから、そのツラ拝ませて貰おうじゃねえか!」
「どうして素直に顔が見てみたいと言えないのかな、このひとは」
ロクマルの住まいは浅草寺の近くにある。大工修行をしていた頃に借りていた場所を結婚後にリフォームして、暮らしているようだ。正体がバレたら上手くない相手と鉢合わせすることも想定し、よく利用する太った成金ネズミの姿へと化けてから、ロクマルに着いていく。
家に着き、ロクマルが「今帰ったよ」と言うと、奥からドタドタと無数の足音が聞こえて来た。
少し見ないうちに随分と子供が増えた。子ネズミたちはわちゃわちゃとロクマルの足にすがり付き、「お帰りなさい」「お土産は?」「このオジサンだれ?」「お腹減った」と思い思いにはしゃいでいる。その奥から乳飲み子を抱えたヒトミさんが姿を見せた。
「お帰りなさい。あなた。あら、そちらのかたは?」
突然の来客に戸惑っている様子だ。ロクマルめ、家に招くことを説明していなかったな? おんなじことを親父がやって客が帰ったあとに母に叱られていたことを思い出す。
「突然お邪魔してすみませんね。ヒトミさん」
「どこかでお会いしたことがありましたかしら?」
「おっと忘れてた」
成金ネズミから普段の姿へと戻る。
「あら、お義兄さん。まあ、何度見ても不思議ですこと」
「なに今の?」「デブじゃなくなった!」「急に痩せると体に悪いぞ!」「すごーい!」「お腹減った」
私の手品は子供たちにも大好評のようである。
「前に兄貴に名付けを頼むと言っただろう? だから顔だけでも見てもらおうかと思ってね」
「そうでしたの。さあさあ、上がってくださいな。お義兄さん」
「ああいえ、お構い無く……」
子ネズミどもの尻尾を踏み潰さないように歩こうとしたが、足の踏み場もなかったので、ノミの姿に変化した後、一息に飛び越してからもとの姿に戻った。後ろから歓声があがる。
「瞬間移動だ!」「魔法だ!」「どうやったのどうやったの」
折角玄関から移動できたのに、また群がって来られたせいで、再び身動き取れなくなってしまった。弟夫婦が二人して部屋に戻るように言い聞かせているが、ヒートアップするばかりだ。
「こら、伯父さんの邪魔になるでしょ」
「伯父さんて何?」
「お父さんのお兄ちゃんよ」
「お兄ちゃんて何?」
「年上の兄弟のことよ」
「兄弟て何?」
「おんなじ両親から産まれた子供のことよ」
「子供ってどうやって産まれるの?」
「……」
「おかーさん?」
真面目に何何攻撃に対応していたヒトミさんが固まってしまった。後ろの方ではロクマルがケツを噛まれたらしく、拳骨を落とされた子供がびーびー泣いている。もう収拾つかないな、コレ。
「さてさて、お立ち会いの皆様方。本日わたくしめが参りましたのは、皆様に世にも不思議、奇妙奇天烈、摩訶不思議大百景の奇術をご覧頂くためでございます」
私が弟宅の廊下で声を張ると、ざわめきが収まり、いくつもの視線が集まった。
私は狸の置物に化けてから、徐々に小さくなっていく。これは体を縮めているように見えるが、都度都度ほんの少しずつ小さく化け直すという技術が必要で、結構難しい。ネズミの手の平に乗るほどの大きさになってから、わざと体を揺らして、もう耐えられないと云った体で、爆発するように一気に元の大きさへと戻った。おおー、と子供たちの声が上がった。
「伯父さんは本当にネズミなの?」
「実は違うんだ……。伯父さんはホントはね……」
私が最も得意とする姿へと形を変えた。
「猫なんだよぉ」
にゃおん、と顔の横で手を丸めると、口をあんぐりと開けた子供たちが、
「ぴぎゃー!!」
と断末魔もかくやという絶叫を上げて、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「あんまりお父さんとお母さんの言うことを聞かない子は食べちゃうぞぉ」
まあ、このくらいにしといてやろうと思い、変化を解くと、
「ひいぃ。ひいぃ、お助けぇ」
廊下の奥でヒトミさんが腰を抜かしていた。女子供には少々刺激が強すぎたか。落ち着くまで上がって待たせてもらおう。
「おい、ロクマル。悪いが案内してくれ。……ロクマル?」
弟の前に行き、面前で手を振るが何の反応もない。……こいつ、立ったまま気絶している。
***
「いやぁ、わりいわりい。ちょっとした冗談のつもりだったんだが」
「冗談でもやって良いことと悪いことがあるぜ、兄貴」
魂が戻ってきた弟に叱られつつ、出してもらった茶を啜る。子ネズミたちにはすっかり怯えられてしまい、扉の向こうから入れ替わり立ち替わりこちらの様子を伺っており、私が視線を向けると直ぐに逃げるようにどこかへ行ってしまう。
「まだ名付けて貰っていないのはこの子だけなんですが」
そう言ってヒトミさんがだき抱えてきた子は腕の中ですぴーと寝息を立てていた。あれだけの騒ぎの中で熟睡し続けるとは中々肝の座った赤ん坊である。
おっかなびっくり彼女から腕の赤ん坊を受け取って、まじまじ観察する。普段と違う気配に気が付いたのか、パチリと開いたくりっとした瞳と目があった。泣かれるかと思ったが何も言わずに私の顔を見つめている。化け術を使ってにゅっと鼻を伸ばしてにらめっこ勝負を挑んだところ、顔をその小さな足で蹴飛ばされた。
「いてて、お前は将来大物になるよ」
「いや、普通に嫁に行ってくれればいいんだけど」
「なんだ、女の子だったのか。随分とふてぶてしいから、俺はてっきり男かと」
「三十五番目の子なんだ。ホントは兄貴と同じ三十六番目の子供の名付けを頼もうかと思ったんだけど、まあ、そこは神のみぞ知るでさ、今のところその子が末っ子なんだよ」
ネズミの名前は産まれた番号とゴロ合わせであったり、そのまま数字が名前に入っていることが多い。そうでないと産んだ親自身がそいつが何番目に産まれたのか分からなくなるからだ。
どうゴロ合わせするかは名付け親のセンスの問題である。
「サンゴ。珊瑚ってのはどうだ? こんだけの器量良しだ。海の宝石の名前を付けたって名前負けにゃなるめぇよ」
以前、先生に露店で見かけた綺麗な赤い石ころがそういう名前だと教わった。買おうとしたら模造品だからやめておけと止められた。パチもんであれだけ美しいのなら、本物はいかほどであろうか。叶うならいつか見てみたいものである。
「おお、兄貴にしちゃ真っ当な……」
「ひとのことを何だと思ってやがるんだ、お前は」
私自身が弥勒菩薩に肖って、という有難い名前を頂戴しているので、もし誰かに名付けを頼まれた時には洒落乙な名前をと思い、八十番台までは一通り男女の分を考えておいたのである。
「んじゃあ、名付けついでに一筆書いてやろう」
積まれていた命名紙を一枚拝借して、『袋』から取り出した下敷きと文珍で固定する。硯に墨汁を垂らした。本当は墨から溶かした方が乾いたときの色合いなど良いのだが、私はせっかちなので溶けるのを待っていられず、これを使うことにしている。
筆に墨を浸けてから、珊瑚の漢字が分からないことに気が付いて、ロクマルに辞書を取ってこさせた。筆を構えた私の前でロクマルが腕をぷるぷるさせながら辞書を見開きで携える。
「王に冊、王に古い月だな。よし」
叔母の教えを思い出し、背筋を伸ばして顎を引く。精神集中の後に一息に書き上げた。二足で立ち上がり、距離を取って出来上がりを見る。我ながら豪快な書きっぷり、とても女子の名前とは思えん。芸術点は高いのだが、いかんせん迫力が有りすぎて戦国武将の名乗りもかくやといった自己主張具合なので、こんなもんを飾った日には嫁の貰い手が無くなりそうだ。
無難にもう一枚書いとくか、と筆を取り、小綺麗に珊瑚と書く。
「まあ、好きな方、飾れ」
「ありがとう、兄貴」
「じゃあ、用も済んだし、俺はそろそろお暇するよ」
「あら、そう言わずに晩御飯でも食べていってくださいな。もう作ってますから」
「いや、流石に悪いからね」
普段であったら一も二もなく飛びつくのだが、さしもの私と言えども弟夫婦相手にそこまで図々しくなれはしない。
「女房もこう言ってるし、食べてきなよ。兄貴と話したいこともあるし」
「まあ、そう言うなら……。あ、ただし、酒は無しだ」
「禁酒かい?」
「ああ、こないだ酔って東京の空を舞っちまったせいで、先生と伯父貴から大目玉食らったからな」
「ああ、あれやっぱり兄貴だったんだ……」
「兄貴には本当に感謝してるんだ」
「なんでえ、藪から棒に」
食後、やっと近付いてきた怖いもの知らずの子ネズミの相手をしていると、ロクマルがそう口にした。赤ら顔だから照れているのかと思ったら、一人で晩酌を始めていやがった。ひとの気も知らないでこの野郎め。
「兄貴が戻ってきてくれなかったら、俺が家長だろう? そうなったら、今のようには大工仕事に打ち込めなかったし、なにより……」
照れ臭かったのか、言葉を濁したが、ヒトミさんの方へとちらりと目をやったことで伝わりはした。
私が戻らなかったら、彼女と結婚出来なかったと言いたいのだろう。私はのらくらとかわし続けて遂には諦めさせたが、ロクマルであったら、伯父の娘と婚姻させられていたかもしれない。護国院一郎太とはそういう抜け目のない男である。
「やめねえか。背中が痒くなる」
「伯父さんを説得するときも、浅草寺への結納米だって……」
「そっちはお前自身の仕事っぷりが認められたからだ。それがなかったら口八丁だけじゃどうにもなってねえ」
「そんなことないさ」
「そんなことあるんだよ」
何の実績もない者に娘を娶らせるほど浅草寺忠二郎が政治を知らぬ訳がない。ロクマルが一家に加わることで明確な利益があるから、それを良しとしたのである。まあ、その目論みは私のせいで塞き止められているのだが。ネズミの癖にどいつもこいつも狸ばかりである。
後日、貰ってばかりも悪いと思い、正式な出産祝いの土産を持って、ロクマルの家を尋ねたら、またも子供たちが大騒ぎする中で我が名付け子はすやすや眠っていた。寝台の上にはそれはそれは豪快に描かれた彼女の名前が飾ってあった。




