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ねずみ録  作者: mozno
第四章 家族
17/45

ネズミの弟子入り


 昨年の年末、私はフミ叔母上に大晦日と正月を迎える準備を手伝ってほしいと言われ、ロクマルのお守りをしながら、一人暮らしの彼女の住処へとむかった。

 彼女がおせちを拵えている間に、私とロクマルは家の大掃除をしていた。ロクマルが梁の上に登って落とす埃をキャッチし損ねて、頭から被ったせいでしばらくくしゃみが止まらなかった覚えがある。思えばあの頃から高い所に登るのが得意な奴であった。叔母上の家で晩御飯をご馳走になって、家路に着く頃にはすっかり暗くなっていた。


 最初に異変に気が付いたのはロクマルだった。なんだか分からないが、怖いと言って震えている。家に帰ることのなにが怖いってんだ、朝帰りの親父じゃあるまいし、と私が茶化しても頑として動こうとしない。

「じゃあ、兄ちゃんが見てきてやるから」

 ロクマルから見える位置で、こっそり家の中を覗き込む仕草をする。これで満足するだろうと思ったからだ。だが、実際に見えた家の中の景色は惨劇というに相応しいものだった。

 最初に見えたのはふりふりと揺れる尻尾だ。ネズミのものではない。家の中には一匹の雄猫がいた。そいつが腕を一振りするたびに我が家に訪れていた客や私の兄弟たちが背中に、腹に、真っ赤な傷跡を残して、倒れていく。

 飛び込もうとして、ロクマルのことを思い出し、一歩下がった。扉の向こうで最後に見えたのは、弟と妹たちを庇った母が切り裂かれる姿だった。


 ロクマルを護国院に預けると、私は伯父が止めるのも聞かずに家へ向けて走り出した。家に着く頃には、すでに猫の姿は消え、またすべて持ち去られたのか、家族の亡骸も残ってはいなかった。とても一匹のネズミでは足らぬであろうおびただしい量の血液が床や壁に飛び散っている。外に出て、猫の足跡を追うとやがて今戸へとたどり着いた。頭領を決めるための会場への途中で一匹で紐付きの箱を引く猫の姿があった。箱の中には我が親兄弟が山にされて積まれていた。私は燃え上がるような怒りを覚え、思わず猫の尻尾目掛けて噛みついた。猫はぎゃんと叫ぶとやたらめったらに転げ回り、尻尾の先にくっついていた私は遠心力でもって遠くへと飛ばされ、したたかに身体を木に打ち付けてようやく止まった。

 全身の毛を逆立てた猫がのそりと私の前で歩みを止めた。右手を振りかぶり、私の顔を確認して、その手を下ろした。歯噛みし、ぺっとつばを吐き捨てるとそのまま私を捨て置き、再び箱を引きずって行ってしまった。

 何故見逃されたのかは分からなかった。私はまだあの猫を追いかけようとしていた。だが体は動かなかった。打ち付けられたときに何本か骨を折ったのだ。


 木の根元でべしゃりと潰れたままの私を月明かりが照らしていた。このままくたばるに違いないと思った。

 ロクマルや伯父が自分を追ってあの猫と鉢合わせしてやしないだろうか。あの猫は何故自分を見逃したのか。何故我が家の場所が猫に露呈したのか。

 心配や疑問に気を取られていると、私の顔にかかる月明かりに影が差した。視線だけ向けて上を見る。

 月を後光にし、銀に輝くさらさらの毛並みの狐がいた。じぃとこちらを見つめている。目が合うと頭をこちらにもたげて近づいてきた。


 狐も猫と同じくネズミを食らう中型の雑食動物である。

 もはや尻尾の先さえ動かせぬ我が身に出来ることとあれば、目を閉じ、「南無三!」と口にするばかりであった。

 近づいてくる狐の口元にぷるぷる震えていると、丸呑みにされることはなく、そのまま咥えられた。

 ああ、このまま巣に運ばれて、子ぎつねたちのご飯になるに違いないと、長い廊下を歩く死刑囚のような気持ちでいると、どうやら古びた社らしきところまで連れて来られた。


 私をここまで運んだ狐は、私を食べるために運んで来た訳ではないらしい。私の傷跡をすっかり舐めてしまうと時々様子を見に来る以外は、日がな一日社の中で寝ていたり、どこかにふらりと出掛けて買ってきた稲荷寿司をもぐもぐと食べてはぐうたらしている。ただ毎日朝起きたときと夜眠る前には、きっと習慣なのであろう、自分とは違う動物や人間たちの道具に化けたりしていた。

 彼女が犬に化けるとき、その仕草は犬そのものだったし、彼女が猫に化けるときは私はその姿に憎しみさえ覚えた。いつからか彼女の化け術を見るのが楽しみになっていた。

 もう体の調子もすっかり良くなって、いつまでも狐の前で狸寝入りをしているわけにもいかず、こちらから声をかけた。

「わたくしは根津ミロクと申します。行き倒れておりましたところを看病までしていただきまして、ありがとうございました。はばかりながら、あなたさまのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 私の言葉にちょっとだけ鼻先を向けると、小さな声で「(はく)だ」と名乗った。

「命を助けておいてもらいながら、何を言うかとお思いになるでしょうが、実はわたくし、白さまにお願いがございます」

 うろんげにこちらを見た狐の瞳の中には私のちっぽけな体が写っていた。

「化け術を教えていただけませんか」

 私の言葉に白と名乗った狐は目を丸くした。

「ネズミの身で狐の化け術を習おうというのか」

 続けて言った。

「不可能だ」

「なぜでございましょう?」

「お前が狐でないからだ」

狐狸こりでなければ化けられませんか」

「あるいは蛇のように人に化ける逸話を持つ者でないとな」

「それらの獣は皆、人間に害なす者でしょう。人間に嫌われる獣でしょう。ならばネズミにも可能性はありませんか?」

「お前の理屈で言うと蚊や蠅は化け術の達人になってしまうよ」

 なおも食い下がる私に呆れた様子でかぶりを振った。

「信仰が神を形作るように、神通力も妖力もその源泉は人の信心、認識というには薄ぼんやりとした、なんとなくあるだろうという想いに過ぎない。不確かなものなのだ。だから人はそれに名を付け、形を授ける。それを押し付けられたのが狐や狸というわけだ。嫌われ者なら何でも良いわけではない。……聞いておるか?」

「いえ、じゃあどうやって狐になろうかと考えていたところで」

「そち、すごい阿呆だな……」

 呆れた様子で溜め息をついた。

「……狐になる、か。確かに妖狐の眷属にでもなれば、その一部となるわけだから訓練次第では化けられるかもしれんがな」

「ではそれで」

「『ではそれで』ではない。なぜ私がお前を手下にしなければならんのだ」


 ***


「弟子にしてください! なんだったら先っちょだけなら尻尾食べてもいいですから!」

「だれがそちのようなドブ臭いネズミなど食べるか」

 弟子入りをすげなく断られても、私には他に道はなかった。いや、思い返せばそんな事はなく、ここで引き下がり只のネズミとして生きる道もあったに違いない。だが、当時の私にはその道以外は見えてはいなかった。私にとって、初めて目にしたあの方の化け術はまさに道標となる星の輝きだったのである。

 私が二日ほどぎゅるぎゅると鳴る腹の虫もそのままにずっと頭を下げ続け、とうとう三日目に餓死しかかって石畳の上で気絶していると、目の前に巻き寿司が差し出された。堪らず、飛び掛かりむしゃぶりつく。三分の二以上食べたところで周囲を見る余裕が出来た。目の前では狐が稲荷寿司を啄んでいた。私にくれたのは助六寿司の余りだったらしい。

「なぜそうまでして教えを乞う?」

 食べるのに夢中になりすぎて、何を言われたか理解するまでしばしの時間が必要だった。

「家族の仇を取るためでございます」

「ネズミが猫に食われるのは自然の道理であろう」

「食うために殺されるのであれば、自然の道理でございます。しかし奴らは政治のために我らを殺すのでございます」

 年に一度、全国各地で各種族の代表を決める試合が開かれる。それはこの上野浅草においても例外ではない。

 選出の方法は種族、地域によって異なる。

 我らネズミの代表はもっとも大きな家族を持つネズミが選ばれる。そうして選ばれたネズミは同時に大黒天様の神使ともなる。

 そして上野浅草の猫の頭領は年末の一週間のうちに、いかに多くのネズミを狩ったか、で決めるのだ。狩られたネズミは食われるわけでもなく、見世物のように山積みにされる。

 ふぅ、と狐が小さく溜め息をついた。

「……何年かかるか分からぬぞ」

「では!」

「弟子としておいてやる。ここで干物になられても困るのでな。……後になって時間を無駄にしたなどと突っかかるでないぞ」

「はい! へへ、そいつはもちろん。ではよろしくお願いいたします。先生!」

「調子の良いやつ……」

 こうして私は先生の弟子となった。


 妖力を分け与えるために、先生は自分の血を少量私に舐めさせた。これで眷属となったらしいが、あまりに代わり映えしないので、担がれたのかと思った。

「化け術を学ぶ前にまず、そち、自分のことをなんと呼ぶ?」

「はぁ、『俺』ですかね。それが何か大切なのですか?」

「あぁ。ではそちはこれ以降、私の前で『俺』を名乗ることを禁ずる。代わりは何でも良い。『僕』でも『それがし』でも勝手にせい」

「それが何か、化け術に役立つっていうんですか?」

「例えばそちが『拙者』を名乗るとする。化けるとき、そちは常に『拙者』だ。その『拙者』を普段使いの『俺』に見張らせよ。化け術とは読んで字のごとく、誰かを化かす技術のこと。かといって誰かに見られていなければ化けられぬというのは三流以下よ。だから『拙者』で『俺』を化かすのだ。別に一人称でなくとも良い。口調でも良いが、それが一番簡単だ」

「えぇ、ほんとですか、それ?」

「我が師に習った由緒正しき化け訓練法だぞ」

「先生の師匠もお狐さまですか?」

「いや、師匠は石ころだ。旅をしているときに栃木で出会った」

「こいつぁ、いいや。俺は石ころの孫弟子って訳ですね」

 私がそう言うと先生は私の鼻先を肉球でむぎゅっと潰した。

「『俺』は禁じたはずだぞ。悩むなら『私』にしておけ。かく言う私の口調も師匠を真似たものだ。おのれの師にあやかるが良かろう」


「ミロク、師として教えはするがそちの行動を縛るつもりはない。止めたくなったらいつでも好きに止めるが良い。ただひとつだけ、化け術を他のネズミに教えることだけは禁じる」

「他のネズミの前では化けるなということですか?」

「違う。むしろ他者の前で化けるのは良い訓練になる。積極的にすることだ。私が言うのは弟子を取るなということだ」

「俺、じゃなかった、私が未熟だからですか?」

「……。そうだな、そういうことにしておこう。私に『そちに教えることはもう何もない』と言わせるまでは弟子を取ってはならない」

 師弟関係を結ぶ上で、私たちの間で約束と呼べるものはそれだけだった。


 ***


 初めのうちは小人になったり、尻尾の生えた人間になったり、前歯が顎まであったりしたが、その度に水に沈められたり、はみ出した部分を噛まれたり、ヤスリで削られそうになったりといった暴力的指導の甲斐あって私はなんとか人間に化けられるようになっていた。

 パワハラであると先生に訴えても痛くなければ覚えないの一点張りでまったく聞く耳を持ってくれなかった。

「どんな動物も同じだ。痛い目を見て、恥をかいて、今度こそと思ってそれでもうまくいかなくて、コツをつかめたと錯覚して、錯覚だったと気がついて、ようやく一歩目だ」

「いつかは猫に化けられますかね?」

「あぁ、そちが千や二千で諦めなければ」


 かろうじて人に化けられるようになってしばらくして、私は先生に連れられて不忍池の弁天堂を訪れた。

 参拝をしてから、蓮の池を眺めているとその中をうねうねと一匹の蛇が泳いでこちらへとやってきた。真っ白な蛇が私をじぃっと見つめて、口の端を上げた。笑った、のだと思う。

「ふぅん、弟子を取ったって本当だったのね」

「まぁな」

「なんの気まぐれ? 隠遁生活の細やかな暇つぶし? 暇なら手伝ってほしい仕事があるんだけど」

「今日は私の仕事を貰いに来たのではない。こやつのだ」

 先生が尻尾で私の体を押したせいでつんのめった。

「ふぅん、ネズミのお仕事ねぇ。悪いけど当てがないわよ」

「いや、欲しいのは人間の仕事だ」

「……もうヒトに化けられるの? 優秀だこと。どれくらい化けていられる?」

「不用意に驚かせられなければ二時間ほど」

「二時間かぁ。少なすぎるわね。しかもそれって化けだけこなしてでしょう? 仕事なんてできるかしら?」

「できるようになれなければ困る」

「最初はレジ打ちでも覚えてもらってそれ以外の時はネズミの姿でいてもらうとか……。これだとあんまりお客の来ない店でしかできないわね」

「できるだけ大勢の人間の前に姿をさらすようにしてくれ。そうでないと訓練にならん」

「だからってこっちも客の前で店員がネズミになられたら困るのよ。最終的には人前に出てもらうことになるだろうけど、今は無理ね」

「なんとかならんか」

 先生が困った顔で、私のために頭を下げてくださるのを見かねて、私は前に出た。

「お願いいたします。何でもします」

「……あなた、ヒト以外には何に化けられるの?」

「猫が最も得意です。後は動物園にいるようなのなら大体化けられます」

 ふぅん、と不忍池があごに手を当て、思索する。

「いいわ、雇ってあげる」

「当てがあるのか?」

「ええ。アンタの好きなアレよ」


 私が初めて働くことになった現場は、駅前だった。真っ暗闇の中でひたすら待機し、合図を受けたら、真っ白な鳩や猫になって、手品師のシルクハットから飛び出す。

 拍手喝采の後に、近場の観客に近づいてぽっぽ、ごろにゃんと媚びを売れば、幾らかお捻りも増えた。

 相方を務めていた手品師はなんでも四国から上京してきた狸であったらしく、化けられるネズミを見て、不思議そうにはしていたが、受け入れるのは早かった。

 長く化けていられるようになってからは、私が手品師の役をやることも多くなった。が、肝心の大道芸は化け術での誤魔化しが主なので一度見に来て下さった先生は馬鹿にしたようにハッと笑うと立ち去ってしまった。

 相方の狸が、アルバイトをしていた姐御の他の店で、レジの金を抜いたことがバレて丸飲みにされて死んだ頃には、私はヒトの姿でもある程度の時間を過ごせるようになっていた。



 ***


 それより後は先生のお口添えもあって、主に接客の仕事をするようになった。お捻りのような小銭ではなく、きちんと茶封筒に入った給金を貰ったのもそれからである。

 初めて給金を貰った時、鼻歌混じりに先生に自慢したことを覚えている。


「初めての給料だろう。何か美味い物でも食ってくるといい。今のそちであれば人前で化けの皮が剥がれることもそうあるまいが、油断はするなよ」

「……」

「どうした? 何を食うか迷っているのか?」

「いいえ。……他のことに使ってもいいんですよね?」

「そちの金だろう、好きにせよ。……何に使う気だ?」

「弟に何か食わせてやりたいなと。随分顔を見せていなかったので」

「なら二つ分買って行ってやることだな」

「いえ、一つでいいんです。昔みたいに半分こっつにしますから」

「……仲が良いのだな」

「あ、先生も欲しいものがありますか? お世話になってますから何か買ってきますよ」

「いらぬ」

「そう言わずに授業料ってことで」

「ならば昼飯を毎日私のもとに持ってくるがよい。稲荷寿司でよいから」

「毎日ですか……。ちょっと手持ちが足りそうにないのですが」

 ヒトの姿に化けられるようになってからは彼らの立ち寄るお店の商品をゆっくり眺めることが出来た。食事も日用品もどうしてあんなに高いのだろう。数点買ったらオケラになってしまう。一度洋服店を冷やかした時など驚きのあまりネズミの姿に戻るところだった。だが先生はそれらを何点も持っているし、人々も列を作って買っている。つまり物の値段が高いのではなく、私の給金が安いとそれだけの話だったのだが。

「それが稼げるくらい、化けていられるようになれという意味だ、ばか者。早く弟の所へ行ってやれ」


 久しぶりに訪れた護国院で、死人返りのような扱いを受け、大工の仕事に専念したいからとロクマルに家長を押し付けられ、そう言えば生存報告をしていなかったと顔を見せた叔母上に泣かれ、と私以外が皆揃っててんやわんやするものだから、私も自分が神隠しにでもあっていたのでなかろうかと思えてきた。

 だが、稲荷を土産にあの神社の鳥居をくぐってずれれば、先生はそこにいらっしゃる。ネズミの世界のような忙しなさはそこにはない。世界広しと言えど、自分で神隠しにあったりあわなかったり出来るネズミは私だけだろう。

 あんまりネズミらしくないので、こいつは私の信条には反するのだが、愉快だから止められない。


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