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ねずみ録  作者: mozno
第三章 伏見彩来たり

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狐の碁盤


「身を隠せって言ったろうが」

「はい」

 昨夜都心に突如として現れた巨大ネズミはヒトの間で大いに話題になり、いつの間にやら映像まで撮られてすっかりお茶の間を賑わせていた。どのチャンネルでもその話しばかりしているものだから、畜生たちの間でもあっという間に話しが広がり、一瞬で個鼠が特定された。

 そんなこんなで先生から大目玉を食らった私は翌日、護国院にも呼び出され、こうして身を縮こまらせている。

「ったく、阿呆だとは思っていたが限度ってもんがあるぞ」

 そう言いたくなる伯父の気持ちも分かる。せっかく対浅草寺用に生死不明の駒を手に入れたというのに、ふいになってしまった。

「そんなことを言われたってこいつは遺伝だからね」

「開き直るんじゃねえ」

 やっぱり無理矢理にでも所帯を持たせるべきだったか、などとぶつぶつ呟いている。

「先生にこれ以上迷惑をかけられないし、本当にしばらく身を隠すよ」

「そうしてくれ」

 外出時は別の姿を取ることにしよう。蟄居したくても日銭を稼がねばならぬ世知辛さよ。

 護国院を出て、猫、今戸又七郎の姿に化ける。これならネズミは誰も寄ってこない。この間めためたにやられた腹いせにそこら中を奴の姿のままで、狂ったように走り回ってやったが、途中で虚しくなって止めた。

 仕事も休みですることもなし。どこへ行こうかとぶらぶら町を歩く。見知った景色に出たことで、叔母に今戸に行く前に挨拶をしていなかったと思い至った。

 弟の口を封じているので、彼女も私が死んだものと思っているやも知れぬ。丁度近くに辿り着いていたことだし、顔を見せに行こうと足を向けることにした。


 叔母の家に向かう途中の道で、ばったりこれから向かおうと思っていた家の主に出くわした。又七郎の姿のままだったから、その場で気絶でもされたらどうしようと思ってすぐに変化を解いた。

「随分、久しぶりね。……あなた、本当にミロクちゃん? 猫が化けているのでなくて?」

 驚いた顔をしただけで、逃げられたりはしなかったが、証明の難しい問いを投げられてしまった。私もたまに今日の先生は別の狐が化けているのではないかと心配になるときがある。大体直ぐに、いや、こんな怠け者が世にそうそう居るはずがないと、思い至って疑問は解消されるのだが。

「そりゃないですよ、叔母上。こんな男前なネズミが他にありますか?」

 私があごの下に手を当ててカッコいいポーズを取ると、叔母は頭痛でも抑えるように指でこめかみを押した。

「ああ、うん。ミロクちゃんだわ」

「分かっていただけましたか」

「ええ、こんな阿呆なネズミは他にないもの」

「なんですと。……さっき伯父貴にもおんなじことを言われてきました」

 やはり元夫婦だけあってどこか似た、ものの言い方をするときがある。

「あのひとは阿呆に振り回される星の下に産まれてきているから」

 阿呆難の相とはまた奇っ怪な天命があったものである。

「今日はどうしたの?」

「ああ、いえ、ネズミ界隈で私がついぞくたばったと噂が流れていると小耳に挟んだので、ご心配おかけしてやいまいかとご挨拶に」

「してないわよ。あなた、三ヶ月にいっぺんくらいその噂が流れるじゃないの」

 最早誰かに死を望まれている頻度である。事実浅草寺には望まれている疑惑がある。

「お昼ご飯は食べたの? まだならうちに寄ってらっしゃい」

「行きます。頂きます」

 弟と同じく、私が生きていることを口外しないように伝えておかねばならないし、なによりご飯が貰えると聞いたからには着いていかぬ訳はない。

 近況を道すがら色々と話ながら、私は叔母と共に彼女の家へと向かっていった。


 ***


「物凄く受けが良かったよ、ポップコーン。みんなまた食べたいってさ。特にキャラメルのついたやつ」

 再度様子を見に浅草寺を訪れると、ロクマルがそんな風に言ってきた。

「ならまた用意してやる、と言いたいところだが、今は駄目だな。映画がつまらねえものばっかりなんだ。時期が悪い」

 映画好きを自称する彩さまの前では口に出せなかったが、私が映画をあまり見ないのはその当たり外れが激しいためでもある。二時間かけてもやっとするのが嫌なだけとも言う。

「つまらないと駄目かい?」

「あぁ、みんな食う方に集中しちまう」

「あれだけ旨いものを報酬に貰っちまったんだ、って皆気合い入れてるよ」

「ん? いや、ありゃあただの差し入れだぞ。報酬は別だ」

「ええ!?」

「ポップコーン一杯なんてけちな報酬があるかよ。碁盤が出来たら、ここにいるネズミ全部に腹一杯食わせてやらぁ」

 私の言葉にロクマルの周囲のネズミたちが色めきたつ。ロクマルが慌てて私に耳打ちをした。

「あ、兄貴! そんなこと約束して大丈夫なのかよ!」

「当てならあるから心配しなさんな」


 ***


 それからしばらくして、ロクマルからついに碁盤が出来上がったとの報告があった。納品先は先生の住まいである結界の目前の鳥居に指定している。ネズミたちがえっさほいさと巨大な包みを抱えてやって来た。人間たちの着物の端切れから作られた風呂敷包みは大工の妻たちの合作のパッチワークである。黒から青に変わる空、消え行く星、その中に佇む一本の樹は白梅である。といっても満開ではない。既に春も半ばの花も落ち、枝が特徴的な白みを帯び始めた梅の樹だ。周囲には桜の花びらが散っている。ヒトはきっとそればかりみているのだろう。残された二、三の花弁が星と同じように煌めき映えている。

 どうやら私が依頼した「隠者の白梅」というお題は、私の想像を遥かに超えて達成されたらしい。天晴れ。これでこそプロの仕事、達人の妙である。

 私はぶうぶう文句を言う先生に社の中に移動してもらってから、ロクマルたちを迎えにいった。


 結界内にネズミたちを招き入れ、社の前に包みを置かせて整列させる。浮世離れした清冽な雰囲気に気圧されたのか、ネズミたちはその小さな体を更に縮こめている。

「先生。この度は日頃の感謝の念を込めまして、不肖の弟子ながらこの根津ミロク、先生への献上の品をご用意させて頂きました」

「ほう」

 私はヒトに姿を変えると、風呂敷の結び目をほどき、碁盤と碁笥の姿を明らかにした。

「以前、……お求めになられていた狐専用の碁盤でございます」

 まさか猫どもからおかっぱらいになられていたと言うわけにもいかず、一瞬詰まった。

 私はロクマルに視線で合図を送る。

「盤は銀杏(いちょう)、石は(はまぐり)、碁笥は桜より仕上げました。是非一度お打ちになり、音をお楽しみ下さい」

「ミロク」

「はっ」

 風呂敷ごと盤を持ち上げ、社の前へと降ろす。碁笥を盤上より降ろし、蓋を外して再び控える。

 先生の金色の姿が社からわずかに現れた。ネズミたちがかすかに身震いするのが分かった。

 先生は無造作に石を取り、器用にちゃりちゃりと肉球で弄ぶ。前足を落とすのと同時にパチリと音が鳴り響いた。パチ、パチと小気味良い音が続く。

「……いかがでございましょう」

「気に入った」

 ほっと私と、その他大勢が胸を撫で下ろした。

「ミロク、先程から気になっていたのだが、その風呂敷……」

「はい。これも献上の品でございます。恐れながら先生をモチーフとさせて頂きました」

 片ひざをついて先生の眼前に夜明けに混じる白梅のタペストリーを拡げた。

白梅(わたし)を星になぞらえるか。恥ずかしい真似をしてくれる」



「ミロク、この者たちに十分な褒美を取らせよ」

 先生はしばし碁石をもてあそんだ後にそう告げた。

「はっ。四週間のあいだこの者たちの家族が食うに困らぬだけの食糧を約束しております。腐らぬように一週間に一度ずつ用意いたします」

 先生がわざとらしく嘆息した。

「ミロク。そち、私が気に入ったと言った物にそれだけの価値しかないなどと思っているのではあるまいな」

 ぐぬぬぬ。これでも十分破格な条件なのだが先生のお気には召さないらしい。

「そう仰るなら、私も男です。倍にいたしましょう。八週間の食糧を用意いたします」

 私の後ろでネズミたちが大いにざわつく。古今東西探してもこんな太っ腹なネズミはいないぞ、こんちくしょー!

「うーん、もう一声」

 いやに明るい口調なので、絶対に楽しんでやっている。くそぅ。

「ご容赦を、先生。それでは私が破産してしまいます」

 私がおけらになって困るのは昼飯が無くなる先生も同じである。こう言えば引き下がるだろうと思って口にすると、

「ならば私がもう一月分出そう」

 予想外の言葉を口にした。あの芸事と着物以外には一切がま口を開かない先生が金を出すといったのである。天変地異の前触れであるに違いない。

 と思ったが、よくよく考えてみれば工芸も裁縫も芸である。芸事には金に糸目をつけぬいつもの先生であった。そのせいで私がすかんぴんなのもいつものことである。

「此度の仕事、実に見事であった。より励むがよい」

 先生の一言にネズミたちが平身低頭したが、その背中は毛が逆立っていた。それが飯にありつける歓喜か、狐の飯になるかもという恐怖か、どちらに端を発するものかは分からなかった。



 ロクマルを見送って、社に戻ると先生は早速碁を打っていた。白梅の風呂敷は壁にかけられていた。

「お気に召したようで何よりですが、三月分の飯はやり過ぎですよ」

「どうせほとんどをコンビニの廃棄品をちょろまかして補うつもりだったのであろう?」

 ギクッ。バレている。私の表情を見て、お見通しだと鼻で笑った。

「またには身銭を切るがよい。身軽でよいぞ」

 軽すぎてぷかぷか浮いてどこかへ飛んでいってしまいそうである。安心できる暮らしにはある程度の重力が必要なのだ。

 先生がパチリと二度三度と小気味の良い音を鳴らす。

「実は品について説明していたネズミが私の弟でして。奴に頼んで作ってもらったのです」

「そうか」

 盤面に集中しているのか、先生はいくらか上の空であったが、ふとこちらを向いた。

「良い弟を持ったな」


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