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ねずみ録  作者: mozno
第三章 伏見彩来たり
14/45

酒は飲むべし、飲まるるべからず


 私にご馳走してくれた彩さまは別れを告げると、すっかりご機嫌な足取りで映画館の方へと戻っていった。あの調子では上映中に眠ってしまうのは確実だろうが、今日話を聞いた限りでは結構暇しているようなので、二度目を見ればよいだろう。

 彼に付き合って私もかなり呑んでしまった。ふわふわと浮かび上がるような心持ちで川沿いの道を行く。土手を下から吹き上げる風が上気した頬を冷ますのが、なんとも心地よい。

 このまま神社に戻っても酒臭いと先生に追い出されるのがオチだろう。せっかくだからしばらく夜歩きを楽しもう、そうしよう。


 この辺りはなかなか訪れないから見る景色が新鮮で、酔いも相まって深夜徘徊特有のふわふわとした多幸感が胸の内に満ちてくる。千鳥足になっているのを自覚して、少し酔いを醒ますことにした。見掛けたコンビニエンスストアに入店した。棚をぼーっと眺めていると、レジから声が聞こえてきた。


「こないだネズミ来たよ」

「えー!? マジ?」

 レジからそんな話が聞こえ、ドキリとした。よもや自分の正体が看破されたわけではあるまいと思いつつ、品物を眺める振りをしたまま、若い二人の女店員の会話に意識を傾ける。

「またエナドリ買ってた」

「マジで? また? カゴいっぱいにして?」

「そう。ウケる」

 二人は半笑いのまま話を続けている。余所には目もくれていないのを確認し、私はもう数歩近づいた。

「漫画家とかなのかな? 小説家とか」

「あー、それなら山ほど飲んでてても納得かも。でもあの腹はヤバいよね」

「ヤバい。猫背なのに顔より前に出てるもん」

「ウケる。ネズミなのに猫背とか。またキョロキョロしてた?」

「してた、してた。あれマジネズミだよね、鼻スンスンしてたし」

「ヤバ。でもスーツだからサラリーマンかもよ。よれよれのやつだけど」

「会社でもネズミって呼ばれてそう」

「ちょ、ヤバい。ウケるんですけどー」

 ウケるとヤバいが多過ぎて話が全然頭に入ってこない。だがどうやら私のことではなく、ネズミに良く似た客の悪口を言っているらしい。店内に客がいるのに平然と他の客の悪口を大声で話すとは、ここのアルバイト教育はてんでなっていないようだ。もし私が接客中にこんな態度を取っていたら、不忍池の姐御に頭から丸呑みにされること請け合いである。

「そういえばネズミが買ってくエナドリのCMのアイドル可愛くない?」

「分かるー! 肌めっちゃ綺麗だよね! 名前とか知らないんだけどさ」

「ネズミ憧れてんのかな」

「夢見すぎでしょ、ウケるんですけどー!」


 こういう若者はもはや別の言語となった独自の言い回し、略語を使うことで仲間意識を高めている。滅茶苦茶なようで適切なルールがあるのだ。だから化けようと思うならそれを理解し、考える暇なく使用できるようにならねばならない。そう思うと、私の化け修行はまだまだ道半ばである。

 昔話に聞く女であれば楽だった。男の後ろを三歩遅れで黙って付いていけばよい。男も仏頂面で「うむ」だの「ふぬ」だの言っとけばよい。それが美徳とされた時代があった。

 だが今の男女は大口を開けてげはげは笑うから、口の中の歯や舌、その動かし方まで作り込まねばならない。面倒で仕方がない。もしかしたら、あの大笑いは人間が狐や狸にこれ以上化かされぬように習得した技術であるのやもしれぬ。だとするなら一見間抜けで品位がなく、猿の威嚇じみたあの表情も、鳥が空を舞うのと同じく進化の果てということだろうか。

「ていうか、別に買うのはいいけど、全部小銭なの、マジウザイ」

「だよねー、分かるー。そういえばさーー」

 そうして全く別の話に変わってしまった。


 ***


 ネズミの姿に戻り、見かけたコンビニエンスストアの裏手に回る。ゴミ箱が見当たらないが、鍵のかかった倉庫があった。粘土に化けて鍵穴を進み、型を取ったら鍵へと転じる。かちりと音を立てて戸が開いたのを見て、しめしめと笑う。

 廃棄品が無造作に突っ込まれたビニール袋があった。外に置くと悪臭の源になるし、カラスも寄ってくるからこうして隠しているのだろう。お陰で私が独り占め出来るというわけだ。

「おお、大当たり!」

 袋の中には余った大量のホットスナックがごちゃ混ぜに入っていた。これだから深夜のコンビニ巡りは止められない。

 ついでに酔い醒ましに消費期限切れのミネラルウォーターをかっぱらってから、倉庫をそそくさと後にした。


 しばらく歩いてから鍵を開けっ放しにしてきたことに気が付いた。これをやると鍵の掛け忘れがないよう目立つようにということなのか、備え付けの鍵の他に南京錠を掛けられたりするので、次からの手間が増える。手間が増えると見つかる可能性も上がる。

 しまったなあ、と思いながらも引き返したりはしない。酒を呑んで気が大きくなっているらしい。まあ、一回くらい大丈夫だろうと楽観的に忘れることにして、夜の川縁に陣取った。


 焼き鳥を夜風のつまみにしていると、ふと茂みの中から視線を感じた。串に一欠け残して投げてやるとおっかなびっくり口にした。茂みの中の光る目の持ち主は見知った虎猫だった。

「なにやってんだい、そんなところで?」

 私の言葉にぐるぐると喉を鳴らす。もっと寄越せという合図だろう。こいつさては私に気付いていないな? とくれば当然するのは意地悪である。

「もっと欲しいのか?」

「ぐるるる」

「可愛げのない奴だな。そんな奴にはもうやらん。俺は別に特別猫が好きというわけでもないのだ」

 そう吐き捨ててコロッケやら唐揚げやらをばくばく独り占めしてやると、慌てて足元にすり寄ってきてごろにゃんと猫なで声を出し始めた。猫という奴はどうしてこうも胸の悪くなるような鳴き声を出せるのか。

「ほれほれ」

 串の先に唐揚げをぶすりと突き刺して猫じゃらしのように右へ左へ振り動かすとトラキチは必死でそれを追いかける。やっとのことで追い付き、大口開けて食らいつこうとしたところで、

「ヒト相手に乞食とは悲しいねえ。今戸の二番手の名が泣くぜ」

 と言ってやると、開いた口はそのままゆっくり顔を上げて私を見た。なんとも間抜けな面である。

「テメエか、ミロォ!」

「もらいっ!」

 一瞬の隙を突き、奴が食い付こうとしていた唐揚げをぶんどって己の口へ放り込む。

「あっ!? ……ゆ、許さねえ。このクソネズミ! ぶっ殺してやらァ!」

「はっはー、やれるもんならやってみな! この猫かぶり野郎が!」

 私はゴールデン・レトリーバーに化けて、以前のように鼻先に食い付いてやろうとすると、跳躍して背中を遮二無二引っ掛かれた。

「痛っ! なにすんだ、こん畜生め!」

 トラキチを背に乗せたまま、川原をごろごろと転がり落ちていく。あっ、と思ったときにはもう遅い。回転のエネルギーはそのまま宙にふわりと浮かび上がり、大きな水飛沫をあげて水面へ転落した。二匹揃ってがぼがぼ言いながら、岸へとなんとか辿り着く。陸に上がったときにはお互い体毛が体にへばりついて先程よりも二回りくらい小さくなっていたものだから、すっかり争う気も失せてしまった。


 ぶるぶる体を奮って水気を飛ばしてから、再びヒトの姿に化けて、トラキチの隣にどっかと腰を降ろした。呆れた様子で奴が口を開いた。

「酔っぱらってんのか?」

「ああ。ちと付き合いで呑むことになって。いや、今のですっかり醒めちまったけども」

「付き合いって、ミロ、てめえ随分人間みてえなことをしているんだな」

 いやあ、狐と宴会するのはおよそ人間的ではないと思う。

「俺の本当の名前はミロクだよ。偽名なんだ、それ」

「へっ。何から何までウソっぱちか。ネズミが正体ってのまでウソでももう驚かねえぜ」

「トラさんこそこんな時分にどうしたね?」

 私の問いに少し逡巡してから答えた。

「……まあ、今更隠すようなことでもねえか。ちょいとまあ、アレと揉めたのよ」

「アレ? 又七郎の野郎と?」

「いや、あいつの場合揉めたら相手ぶっ殺すから。そうじゃなくてコレだよ」

 トラキチが一瞬だけ小指を立てた手を持ち上げた。

「なんでえ、ノロケかよ」

「んなんじゃねえよ」

 私が大仰に肩を竦めて見せると、小さく舌打ちを返してきた。

「虫の居所が悪かったのかね、昔はああじゃなかったんだが。少なくとも何かに当たり散らすような女じゃなかった。座っているだけで真っ白な花が咲いているみてえで……。ふう、どこで間違えたのかね」

「長く一緒にいるとそんな時期もあるだろうさ。人生ずっと昇り調子って訳にはいかねえもんだ。仕事でも家族でもさ」

「へえ、含蓄があるじゃねえか。一家の大黒柱の言葉は違えな」

「いや、俺は独り身だけど」

「あ? 別れたとかか?」

「結婚なんてしたこともない」

「……テメエに相談しようと思った俺が馬鹿だったよ。つーか、この間の式、テメエの弟の結婚式だったんじゃねえのかよ。追い越されてんじゃねえか」

「追い越されるも何も、俺は昔から遊び惚けていてロクに親父に大工仕事も習ってねえし、化けの修行をしている間は一家の建て直しのことなんて頭の片隅にもよぎらなかった不孝者だぞ。実質の家長はアイツだよ。歳が上だから名ばかり貰っているだけさ」

「とんでもねえクソ兄貴じゃねえか」

 何を得意気に語っていやがると吐き捨てられた。

「確かに俺はクソ兄貴だがね、親兄弟の仇に献上品渡して見逃してもらおうなんて恥知らずではねえつもりさ」

「なんだ、同じネズ公でも一枚岩じゃねえのか。……そりゃそうか、お前仲間に売られてたもんな」

「やかましいわ。大体アレは……」

 私が浅草寺との事の顛末を話すと、トラキチは露骨に顔をしかめた。

「なんだそりゃあ、つまり俺たちはネズミの票集めのために使われてたってことか?」

「そういうこと。例のブツの話を持ってきたのは又七郎なんだろう? つまり奴は知っているはずだぜ」

 チッとトラキチが舌打ちをした。この様子だとネズミ側の裏事情までは知らされていなかったらしい。

「他には?」

「あ?」

「他にもあるんだろう? そういう話が。又七郎の奴が止めてそうなネタがよ」

 勿論そんなネタは無いが、無いと言うのも癪なので、

「ハンバーガーを持って詫びに来たら考えてやるよ」

 私がそう返すと、トラキチは吐き捨てるように言った。

「そいつは土台無理な話だ」

 そりゃ当然である。なぜなら、

「俺はお前に詫びる気がない」

 だと思った。

「それが嫌なら又七郎の野郎をぶっ殺してアンタが猫の頭領になればいい」

「……そいつも無理な話だな」

 今度は意気消沈して答えた。過去に挑んで手酷く敗れたと聞いたことがある。

「じゃあ、俺が又七郎をぶっ殺した後に、棚ぼたでアンタが猫の頭領になればいい」

「随分大口叩くじゃねえか」

「はっはっは、ビッグマーウス!」

 そう言ってから私は三階建ての建物くらいの大きさのネズミに化けた。背が高くなるとさんざきらめく都会の夜景が良く見える。足元で小さなトラキチがぽかんと口を半開きにしている。私の爆笑ギャグに参っちゃったかな?

「なにやってんだ、テメエ!? 全然酔いが醒めてねえじゃねえか!」

 街中に突如巨大ネズミが現れたことに気が付いた人間たちの喧騒があちらこちらから聞こえてくる。私が悪戯心の赴くままに声のする方へ歩き出そうとすると、トラキチは必死で私の足元にしがみついた。

「やめろやめろやめろ! テメエなにするつもりだ!」

 川縁の坂に足を取られ、蹴躓いた拍子に体がふわりと浮かんだ。こうした自分の体よりも極端に大きい物に化けると、質量が変わらないのに風に当たる面積ばかり矢鱈と大きくなり、巨大な風船の如く飛ばされてしまう。

 夜風に乗った私は右足にトラキチをくっつけたまま東京の空を下降と上昇を繰り返しながらぷかぷか飛んで行く。なんでえ、鳥のように飛ぶ練習をしなくたって、ヘリコプターの飛ぶ仕組みを知らなくたって、こうすりゃ空が飛べるじゃねえか。

「落ちる落ちる降ろせ、違っ、ここでは降ろすな、あぁぁ!?」

 降ろせというから足を震わせてやると、トラキチは爪を滑らせた。空中で何度も手足をじたばたさせながら、夜の川へと再び落ちていく。その様を見ながら私がけらけら笑っていると、どこからかヘリコプターの模型が飛んできた。

「はっ!?」

 悪寒を感じ、逃げ出そうとするもこのナリでは方向転換も上手くは出来ない。もたもたしているうちにヘリコプターは私の尻に激突するとそのプロペラで私の体毛を巻き込み始めた。

「痛い痛い痛い! 千切れる! ケツが千切れる!」

「何をしている早く変化を解け。この阿呆め」

 ヘリコプターが喋った。なんとなくそんな気はしたがやはり先生の化け姿である。痛みで化け術が解けて、本来の小さな灰色の埃玉へと縮んでいく。

「こんな派手に人目を集めおって。何を考えている」

「いや、私にも諸々事情がありまして……」

「酒臭っ……。まぁ取り敢えず降りるぞ」

「えっ、先生、まだ尻尾が絡まっ、あァァァ!」

 下降を始めると、私の尻尾がプロペラに巻き込まれ、その動きに合わせて、体が空中に放り出される。

「暴れるな」

「んぐぐぐぐ」

 暴れるなと言われても、動いているのは先生のプロペラで、私はその動きに合わせてジャイアントスイングされているだけである。地上に着く少し手前で絡まりがほどけ、毬のように地面をバウンドした後、川に落ちた。


 手酷く打ちのめされた平衡感覚を頼みに、なんとか上陸したが、そこで限界だった。私は胃の中身を盛大に川にぶちまける。何度も嗚咽を繰り返し、吐く物が無くなった辺りで、私より先に川に落とされたトラキチが上陸してきた。

「ったく、ひでえ目にあった……。って何で吐いてんだテメエは! 汚ねえな!」

 私より下流にいたせいでモロに吐瀉物を泳いでしまったトラキチは飛び上がるようにして再び川に飛び込んだ。

 ぐわんぐわん揺れる頭と、胃液でひりつく喉を癒そうと川面に顔を沈めて頭を冷やし、水を飲む。

 何度か繰り返したところで先生に尻を押され、川の中に転落した。

「あれはなんだ?」

 あっぷあっぷしている私を先生は上からとてつもなく冷ややかな眼差しで見下ろしていた。先生に毛をむしり取られた尻が冷える。尻尾は付け根が赤くなっていた、ちょっと伸びた気がする。

「大口を叩くと、ビッグマウスをかけたジョークでして……」

「は?」

「いえ、何でもございません。酔って前後不覚でした。お手間をおかけし、申し訳ございません」

 先生の声音の温度が下がったのを察知し、即座に平身低頭する。はあ、と大きな溜め息が頭の上から聞こえてきた。

「あれだけ派手にやらかして、神使に目を付けられても知らぬぞ」

 それは困る。ただでさえ既に彩さまに目を付けられているのに、これ以上先生の居場所が露呈する可能性を私のせいで増やすわけにはいかない。

「先生が身を隠しておられることを忘れておりました。かくなる上は暫く蟄居いたします」

「いや、別にそこまでしなくとも良いが……。隠れているといっても、向こうも探している訳でもなかろうし……」

 見込みが甘い。絶賛神使を名乗る人物に探されている最中だというのに。

「だいたい蟄居と言っても、そちは居候であろうが。もう良い、早く帰るぞ」

「はい!」

 それを言うとそもそもあの結界は不法占拠した領域なのだが、今それに言及する元気はなかった。

「……お前らと関わるとロクなことにならねえ」

 未だ川の中に浸かったままのトラキチがぼそりとそう呟いた。


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