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ねずみ録  作者: mozno
第三章 伏見彩来たり
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伏見彩来たり2


「ロクマル、ロクマル!」

 物陰から声をかけると弟はこちらに気付いて近づいてきた。

「兄貴! 生きてたんだな!」

「お前、久しぶりに会った兄貴に随分な挨拶じゃねえか」

「だって浅草寺じゃ死んだって話で持ちきりだぜ?」

「馬鹿野郎、俺が猫の屋敷に二週間忍び込んだくらいで死ぬか」

「それで死なないなら、もうなにやっても死なねえよ……」

 感心半分、呆れ半分といった調子のロクマルに本題を持ちかける。


「実はよ、お前に仕事を頼みたい」

「なんだい、藪から棒に」

「碁盤と碁石、その入れ物の碁笥、まぁ碁を打つのに必要な一式を作ってもらいたい」

「構いやしないけど、わざわざ作らなくても買ってくればいいだろう?」

「ところがそうもいかなくてな。なにせ作って欲しいのは俺たちが使う碁盤を三回りほどデカくしたもんだからな」

 人間の使う碁盤では大きすぎるし、何より値が張る。

「いっちょやっちゃくれねぇか。報酬は用意するからよ」

「いいけどそんなデカい碁盤なんて何に使うのさ。今度は猫と碁を打とうって?」

「いいや、打つのは狐とさ」

「兄貴……。あんまり無茶しないでくれよ……?」

 不安げなロクマルの肩を、心配しなさんなと叩く。

「あと俺が生きていることは誰にも言うな。浅草寺で死んだことになっているなら、そのままにしとけ」

「えぇ……。義父さんにもし兄貴から連絡があったら教えてくれって言われてるんだけど」

 伯父の言葉通りなら、私が死んだと噂を流したことも浅草寺の策略の一部であろう。私が姿を現さねば本当に死んだことにしてロクマルに家督を譲る儀を身内で執り行う。そうすれば根津家を浅草寺に取り込める。逆にもし姿を現そうものなら今度こそ猫に始末させる、といった具合であろうか。


「兄貴。その、兄貴が生きていたら頼みたいと思っていたことがあったんだけど」

 唐突にロクマルが真剣な顔をして、そう持ち掛けてきた。

「おう、なんだ?」

「子供が産まれたら、名付け親になって欲しいんだ」

 真剣な顔で言うその言葉を私は否定しなくてはならなかった。

「ロクマル、それはダメだ。一番最初に産まれた子の名付けは浅草寺の頭領にしてもらえ。二番目に産まれた子は次の頭領になる若旦那に頼め。その後の分は他に力を持っているネズミがいるなら、その方に頼むんだ。そうして浅草寺とのパイプを強く持て。俺への義理立てなんてものは良い。それよりも浅草寺への筋を通せ。それがお前自身と嫁さんとこれから産まれてくる子供たちを守ることになる」

「でも、俺は兄貴に名付けて欲しいんだ。父さんと母さんたちの分も代表ってことでさ。一匹だけでいいから頼むよ」

「……むぅ。そこまで言うなら仕方ねぇな。ただし、浅草寺で一通り頼み終えてそれでもまだ名前のついていない子がいるなら、だ」

「うん。分かったよ」

「それよりお前、そんな話をするってことはヒトミさんに子供が出来たのか」

「あぁ、この間分かったんだ」

「馬鹿野郎! どうしてそれをいの一番に言わねえんだ。出産祝いだのなんだのとこっちにも用意ってもんがあるんだぞ」

「いや、死んだことにしとくんじゃなかったのかよ。死人から祝儀が届いたら、嫁がひっくりかえっちまうよ」

「じゃあ、代わりにお前に渡しとくから、俺が生き返ったことにしてヒトミさんに渡したら、また俺が死んだことにしろ」

「まぁた、滅茶苦茶言ってるよ、このひと」

 感心がふっとんで呆れ全部になったという顔でロクマルがため息をついた。


 ***


 ロクマルに碁盤セットを依頼して数日後、仕事を振りっぱなしというのも体裁が悪いと思い、何か差し入れでも持っていってやろうと思い立った。

 コンビニに忍び込んで廃棄弁当でもかっぱらって来ようかとも思ったが、あれは唐揚げにありつける者もいれば、柴漬けの汁しか啜れない者もいて平等でない。何か差が生じづらく、量が多いものがなかろうかと町をぶらついていると、見知った童女姿を見つけた。慌てて脇道に逸れて隠れるが、その動きが良くなかったらしい。伏見彩さまは私に手を振り、ニコニコ笑いながら距離を詰めてきた。

「やあ、また会いましたね。ネズミさん」

 何の気なしに正体を告げてくれたおかげで、危うく化けの皮が剥がれるところだったが、日々の修行の成果かギリギリで耐えられた。

「ご無沙汰しております、彩さま。申し遅れましたが、わたくしこの上野浅草で根津家当主をしております、根津ミロクと申します」

「これはご丁寧にどうも。良い名ですね、由来は弥勒菩薩からですか?」

「はい、名付け親はそう申しておりました。いえ、本当は私が三十六番目の子供なので、それに当てたというだけなのでしょうが」

「それでもありがたい名ではありませんか。修行をたゆまず行えば、時間は掛かれどもいずれ目的へと辿り着く、ということでしょう?」

 彩さまがあまりに持ち上げてくれるので、私はなんだかこそばゆくなって頭やら鼻やらをぽりぽり掻く羽目になった。


「それで君の釈迦はどこに行ったか心当たりはありませんか」

 おっと、あちこちばりぼりやっている場合ではなかった。まったく抜け目ない。狐らしいといえばらしいが。

「いえ、なにせ便りもないものですから。ところで、彩さまはこのようなところで何をなされていたのです?」

「僕ですか?」

 話題逸らしのための質問だったが、功を奏したらしい。いくらかバツの悪そうな顔で、はにかみ笑った。

「いやあ、恥ずかしながら、僕は人間たちの作る映画に目がなくてですね。仕事の合間を縫っては映画館に通っているのです」

 ということはつまりサボりである。先生やこの方を見ているととても世の狐たちが真面目に仕事をこなしているとは思えなくなってくる。

「もしかしてそれで子供の姿なのですか?」

 もはや隠す気も失せたのか、ちょろっと舌を出して笑った。

「バレましたか。ええ、この姿だと子供料金で見られるのです」

 小さな映画館だとポップコーンをオマケして貰えたりします、などと悪びれもせずに言っている。

「ミロク君、君は映画は見ないのですか?」

「私はもっぱら落語ですね。映画は長いのでどうにも。じっとしているのが性に合わないのでしょう」

「ならアクション映画など楽しめると思いますよ。気が落ち着く暇もないという意味ではホラーも良いかもしれませんね」

「本当にお好きなのですね」

 彩さまは電光掲示板の時刻をちらと確認すると、そろそろ次が始まるので、と言い残し、小走りで映画館の方へと向かっていった。

 次、ということはもう既に一本以上見ていることは明らかである。狐でも語るに落ちることがあるのだなと思いながら、その後ろ姿を見送った。


 ***


 彩さまと出会った帰り道、映画館の裏口にネズミの姿で忍び込んだ。

 彼のお陰で差し入れの品が決まった。

 廃棄されたゴミ袋を漁り、ポリ袋から紙バケツに山盛りのポップコーンを回収する。廃棄してあったものだから色んな味が混じっているが、ネズミは対して気にしない。素知らぬ顔で映画館を出て、弟のいる浅草寺へと向かう。碁盤の進捗を知りたかった。

 到着すると、誰も見ていない場所に山盛りポップコーンを置き、正体を隠すために小太りのいかにもな成金ネズミに変化する。

 ロクマルを呼んでくれるようにお手伝いの子ネズミに声をかけた。やってきた弟は見覚えのないデブに警戒していたが、私が耳打ちするとすぐに気が付いたようだ。

「例の手品かい?」

「まぁな。どうだい、進捗は?」

「それが親父の図面を漁っていたら、猫用碁盤てえのを見つけてさ。そいつを採寸さえ調整すればなんとかなりそうだよ」

「へえ、親父の」

「もしかしたら兄貴とおんなじことを考えていたのかもしれないぜ。碁で仲良くなって寝首をかこうってさ」

「ちょっと待て、俺は別に狐に恨みがあって碁盤を贈る訳じゃねえぞ」

 ロクマルがきょとんとした顔をしていたので、仕方なく先生のこと、化け術の指南を受けていることを話した。

「そういうことか、ようやく合点がいったよ。しかし兄貴の恩人、いや恩狐とあれば手抜きは出来ないね」

「おうよ、素材にうるさいお方だからな。しっかり目利きしてくれ。俺もこうなりゃ報酬に糸目はつけねえつもりだ」

 景気付けに土産でもと思って、とポップコーンのことを教え、運んで貰うように手配する。

「どうだ、ヒトミさんの調子は?」

「特に目立った問題はないってさ」

「それならいいが、妻が身重だってのに平気な顔して仕事してて文句の一つも言われねえのか? そういうのが後で夫婦仲に響くんだぞ」

「結婚してもいねえくせにどうして兄貴はそんな知った風な口をきけるのかが俺にはわかんねえよ」


 ***


「姉が神使であったということは知っていますね?」

「ええ。でもずいぶん前に辞めたとか」

 映画好きが高じて、映画館周辺で宿を取っているらしく、私がポップコーンを密猟しに出掛ける度に彩さまとはこうして顔を合わせる仲となった。

 次の上映まで時間があるのでと、食事に誘われた。無論、飯の誘いを断る私ではない。二つ返事でほいほいついていくと、近場の海鮮居酒屋に案内された。


 いつの間にやら彩さまは普段の童女姿から仕事帰りのくたびれたサラリーマンへとかたちを変えている。私もそれに合わせて冴えない大学生の装いをスーツ姿に化け直した。

 呑むと映画の途中で寝てしまうからと、酔うと化けの皮がしっちゃかめっちゃかになるからというめいめいの理由で、お互いソフトドリンクで乾杯する。

「我々はネズミやかつての猫たちのように交代制ではありません。一度神使となれば余程の罪でも犯さぬ限り一生神使のままです。ですから姉の一存で辞めることはできません。今は行方不明のため無期限休職中となっているだけです。周囲の狐たちはもう死んでいるに違いないなどと口さがない事を言いますが、僕はあの姉がそう簡単に死ぬとは思えません」

「随分と姉上さまと仲がよろしかったのですね」

 これなら会わせても味方をしてくれるかもしれないと私が淡い期待を抱いていると、彩さまは吐き捨てるように言った。

「仲が良い? そんなわけがないでしょう。恐れ多くも神から賜った職務を放棄し、一言も断らず逃亡するなど言語道断です。あれがなんと置手紙を残していったか分かりますか? 『家出します。探さないでください。勝手に辞めて申し訳ないと宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さまにお伝えください。でも私は本当は神使なんぞではなく、大道芸人になりたかったのです』ですよ? 信じられますか? この手紙を一番に見つけた母はその場で失神し、二番目に見た父は激昂のあまり犬に化けてその場をぐるぐる回って、一言ワンと鳴くと倒れて病院に運ばれました」

 私の期待は先生自身の過去の行動、否、悪行によって木っ端みじんに粉砕された。思ってても『なんぞ』って言っちゃ駄目ですよ……。


「僕はあの恥知らずの恥晒しを捕まえ、正式な手順に則って神使を辞めさせ、父と母の前で謝罪させるためにこの地までやってきたのです」

 遅れてやってきた食事に箸を伸ばしながら、あれやこれやと話をする。

 今日は呑まないと語った彩さまであったが、先程からちらちらとアルコールのメニューを眺めている。私が一杯くらいお付き合い致しますよと伝えるとではこれをと、間髪入れずにハイボールを指差した。注文時にわざわざ「濃い目で」と頼む当たり相当手慣れている。いや、おっさんの演技が堂に入っているというべきか。……演技か?

 私は梅酒を氷で頼む。炭酸を克服しないとサワー系を生涯楽しめぬままくたばってしまう。リベンジへの誓いを新たにしながら、二度目の乾杯をした。

「先程罪を犯したら神使を辞めさせられるとおっしゃいましたが、狐には法があるのですか」

 確かあの方、平気な顔して我らに法などないであろうとか言っていたような気がするのだが……。もしかして普段からこんな感じで嘘ばかりついているのではなかろうな。

「いくつかは。かつての大妖のようにいたずらに人の世を乱すことがないようにです。それと我々に限ったことではないと思いますが、同族殺しは禁忌とされています。ネズミとてそうでしょう?」

「いやいや、そもそも我らは飢えれば同族の亡骸さえ口にしますよ」

「君たちは頭が良いと思っていたのですが、存外野蛮なのですね。ではネズミの社会は全くの無法ですか?」

「いえ、だれが決めたわけじゃありませんが、一つだけ。『名付けた子を裏切ってはならない』。これを破る者はネズミじゃないと言われます」

「君たちの言う名付け子とは、自分の子供とは違うのでしょう?」

「はい。ネズミは子の名付けを自分ではしませんから」


 彩さまがいつの間にやら店員を呼んで追加の酒を頼んでいた。私の顔に気付いたのか、たははと恥ずかしげに笑う。はぐらかすつもりか、話の続きを促された。

「私達は神使となる条件から分かる通り、時に血の繋がった親子で争います。親が子を、子が親を裏切るのはネズミの歴史では珍しくありません。だからきっと昔にだれかが、せめて一匹くらいはだれにでも一生の味方がいても良いと思って作ったしきたりなんでしょう」

「そう言われると、その決まりは狐の名付けに似ていますね」

「狐の?」

 私がぴんと来ずに首をかしげると、上気した顔で彩さまはうんうんと頷いた。

「ええ、狐は神使となるときに神より名を賜るのです。そしてそれが本当の名前となり、神通力の源となるのです。つまり特別扱い、依怙贔屓の宣言のようなものです」

「神様が依怙贔屓とはそれはまた……」

「いやいや、神よりそれが酷い者はこの世におりませんよ。しかも贔屓しておいて逃げられているのだから、始末に負えない」

 こんなことを畏れ多くも神の使いが口にして大丈夫なのだろうか。いや、神も酒の席での放言くらい許してくれるだろう。……許してくれるだろうか?


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