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ねずみ録  作者: mozno
第三章 伏見彩来たり
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伏見彩来たり1


 先生のところで匿われておけと言われても、ただ匿われているだけでも腹は減る。すっかり肥えてしまった私の舌は今さらドブをさらって見つけたパンくずでは我慢がならなくなってしまった。今戸のアジトにいる間、しばらく顔を出していなかったから顔見せも兼ねて不忍池の神使さまの所へ行き、ついでに仕事にありつこうと思い立ち、ヒトの姿へと変化して、結界を出た。

 先生も一緒にいかがです、と誘ったらわざとらしくぐぅぐぅと寝息を立てて無視された。行って参りますと告げると、気をつけてなと返されたのでもはや完全に働く意思がないだけであることは証明された。


「こっちも外れか……」

 最初は住まいを、次にバイト先、更にはその他経営店を覗いてみたがどうにも姿が見当たらない。先生とは違ってお忙しい方だからまた新たなビジネスチャンスを求めて東奔西走しているのかもしれぬ。バイト先で同僚に『れぽーと』が終わったからまたシフトを入れられる、と伝えておいたので近いうちに向こうから連絡が来るだろう。不忍池の神使本人に長期休む時はこう説明しておけばよいと言われたから使っているが、『れぽーと』とはなんぞや。仕事の前に済ませておかねばならないもの、つまり食事であろうことは明らかなのであるがどんな食い物であるか、とんと見当がつかぬ。

 手持ち無沙汰に耐えかねて目的もなくヒトの姿のまま街をぶらつく。思えば随分長く化けていられるようになったものだ。初めのうちは姿を保つのに精一杯で気が付かなかったが、ヒトの作った街というのはかなり細かいところまで意匠が作り込まれている。石畳の形一つ、それら複数個で形成される幾つかの模様、全体で見た時の色合いと形容。いっそ執拗とまでいえるその凝りようは先生の化け術を思い起こさせる。

『この世で最も化けるのが上手い動物は何だと思う?』

 ふとかつて先生にそう問われたのを思い出した。

『狐ですか?』

『違う』

 同胞を否定したのに楽しそうに先生は笑った。

『では狸ですか?』

『それも違うな』

 路地に入り、行く当てもなくくねくねと曲がっていくと都会の喧騒が聞こえなくなった。ヒトで溢れているようでこの街にはたくさんこういう場所がある。

「この世で最も化けるのが上手いのは人間だ」

 先生が言った意味の分からない言葉は反芻してみたところでやっぱり意味が分からない。


「なるほど言い得て妙ですね」

 だが、その声の主には分かったらしい。

「やぁ、こんにちは。ネズミさん」

 声をかけられるのと同時に正体を看破され、化け術が解けた。

 後ろを振り返ると、おかっぱ頭の童女がこちらを覗き込んでいた。

「僕の名前は伏見彩ふしみさいと言います。宇迦之御魂神様の神使の一人で、東京には姉を探しに来ました。この辺りで最近、猫と揉め事を起こした狐をご存じではありませんか? なんでも獲物のネズミを庇ったとか。ずばり君のことではありませんか?」

 かの神の使いということは先生と同じくその正体は狐であろう。おそらく今戸又七郎が稲荷の分社にチクったため、規則を破った狐を探しにやって来たというところか。

「申し訳ありませんが、心当たりがございません。別のネズミとお間違えではありませんか?」

「なんでも姉らしき狐は、化け術を使うおかしなネズミをかばったらしいのだけど、このあたりにはそんな奇妙なネズミがたくさんいるのだろうか?」

 しかもどうやらこの彩と名乗った狐、先生の弟のようである。私の下手な嘘は化け術同様、即座に看破された。

「確かに私は狐に弟子入りし、化け術を習いました。しかし我が師が彩さまの姉上さまであるかどうかまでは分かりません」

「君は自分の師の名前も知らないというのですか。姉の名は白梅というのですが」

「ええ、私はあの方のことを常に先生と呼んでいたので」

 大嘘である。

 ふぅんとからかうような口振りだが、嘘と見抜かれはしなかった。いや、見抜いてボロを出すまで泳がされているだけやも知れぬ。

 三十六計逃げるに如かず。私は気合いを入れ直して青年の姿に転じると「ではこれにて失礼」と手刀を切り、退散を試みる。


「ネズミさん。得意になって色々なものに化けるのはよいですが、そんなことばかりしていると妖怪になってしまいますよ」

 当然ながら、呼び止められた。別に無視しても良かったはずなのに、その話題に気を取られてしまった。

「化けすぎると妖怪になるのですか? 私はてっきり長生きしすぎるとなるものだと思っておりました」

「それは一側面に過ぎません。(あやかし)に成る者は道理を外れた者です。死すべき定めにありながら並外れて死なぬ者。壊れるべき定めにありながら壊れぬ物。そうした生まれ持った性質を三つ裏切ったとき、それは妖となるのです」

 だとすれば先生はすでに道理を三つ外しているということだ。

「君はネズミの身でありながら、狐の化けを学んだでしょう? 明らかに道理を外れた行いです。あまり長生きすることはお勧めしませんよ。なにかの拍子に妖怪になってしまうかもしれません」

「妖怪になると何か悪いことがありますか」

 永遠かそれに準ずるほど生きられるなど全国のネズミたちが聞いたなら、喜び勇んで妖怪となるだろう。

「妖怪となれば信仰と陰の気に引きずられ、いずれは人に危害を加えるようになります。人の敵となれば必ず討たれます。人かあるいは神使に」

 だからネズミは滅多に妖怪にはならないのか、と納得した。神仏の敵となるなど肝の小さい者たちに出来るはずがない。となると気になるのは先生のことである。

「神使が妖怪となったならば、いかがです?」

「神使とは読んで字のごとく神の使いです。そうなった時点ですでに道理は外れています」

「ならば妖怪と神使は同じですか」

「成り立ちを考えるとそうですが、神使は妖怪とは逆の信仰と陽の気に引きずられます。だから少なくとも人に討たれることはありません。討てば神罰がくだりますから」

「妖怪も討つと恨まれると聞きますが……」

「君、確かに狐の弟子ですね。そういう偏屈なところがそっくりです」

 自分も狐のくせに、呆れたようにそう言うと彩さまはくるりと背を向けた。

「まぁ初めてお会いしたわけですし、今日のところはその嘘に騙されてあげましょう。僕には他にやらなければならないこともありますし。しばらくこの辺りに滞在する予定ですのでどうぞよろしく」

 そういうと童女姿のまま、すたすたと人気のない路地を歩いていってしまった。あまりよろしくはしたくないのだが……。そもそもこのことを先生になんとお伝えすればよいのか……。ネズミを悩ます問題はメシのことと猫のことと古来より決まっているのに、狐のことでも頭を痛めねばならぬとは。この小さき身には抱えきれぬ量である。


 ***


 建物の影を通り、人通りの少ない裏道に出ると、私は人間に化けた。

 ショーウインドウの前に立って、前歯と尻尾が出ていないことを確認する。今の私はアルバイトに勤しむ苦学生、「根津三六」である。無造作に伸ばした黒髪、よれよれのワイシャツ、本人は清潔感があると思っている薄茶のカーディガン、そして指紋のついたメガネ。どこからどう見ても(つが)いのいない冴えない大学生だ。

 今日も自分の化けっぷりに満足すると、私はアルバイト先であるハンバーガーチェーン店へと足を延ばした。

 裏口から入り、ロッカールームへと進み、制服を着る。わざわざ着るのは先生のような主義に則るものではなく、毛が落ちるから着ろという指示があったためである。

 それにバイトの時間は決まっていて、同僚と帰りの時刻が重なることも多い。そこで一秒もかけずに早着替えをするわけにもいかない。

 上着のボタンを留め、帽子を被り鏡で身だしなみをチェックする。おはようございますと声をかけて厨房に入ると、数人の返事が帰って来た。


「お久しぶり~、根津くん」

「おはようございます、店長。長々と申し訳ありませんでした」

 目の下に隈を作った疲れた顔の中年男性が歳にそぐわない無邪気な仕草で手を振った。

「いやいや、学業優先でいいから。あ、レポート大丈夫だった?」

 実際にはレポートなぞやっていないのだが、ここでテキトウな嘘をつくと話題が膨らんだときに言葉に詰まってすぐバレることは知っている。だから今戸に忍び込んだ顛末をかいつまんで話すのがベストだ。

「いえ、大失敗でした。今は潜伏中です」

「えぇ……」

「やはりもっと修行しないとダメですね。未熟だったようです。今回は九死に一生を得ましたが、次はもっと上手くやります」

「そ、そう。九死に一生を得たなら良かったけど……。勉強大変だろうけど頑張ってね……」

「はい! ありがとうございます。次こそは連中の鼻を明かしてやりますよ!」

「先生とは仲良くね」

「してます!」

「ならいいんだけど……」

 納得していなさそうな店長だったが、仕事の話を振ると真面目な顔付きになった。

「今日はどっちに入りましょう」

「あー、そうだな。キッチンでお願い。昼時で並ぶようならレジ入ってもらえる? 今日田中さん一人だから」

「承知しました」


 しばらく無心でハンバーガーを組み立てた後、来店客が増えたのを見計らってレジに入る。隣の女性店員に会釈をすると、お客に見えないように私に向かって軽く手を振った後にコーラを紙コップに入れて、接客に戻った。私も行列を作りはじめているヒトの群れを一刻も早く始末するために、加勢する。

「お待ちのお客様、こちらのレジへどうぞー」

 注文を聞き、レジを打ち、整理券を渡す。飲み物の注文があったときは私が対応するがそれ以外はレジで打った内容がキッチンへと飛ぶ。お金を受け取り、お釣りを返す。後は組み立てられたハンバーガーとサイドメニューを紙袋とポリ袋で二重に包んで渡すだけ。

 大事なのは疲れていても仏頂面をしないことである。店長もいつも笑顔でね、とよく言っている。慣れないうちは化け術で顔に笑顔を貼り付けていたが、先生にお見せしたところ、『不自然すぎるから二度とするな』との選評を賜ったので、それからしていない。止めてから不思議と他の店員が話しかけてくれるようになった。

 無心でレジを打っていると自分が一日で貰える給料よりも遥かに多くの金額が取引されていることに思い至り、哀しみとも怒りともつかぬ郷愁のごとき想いに胸を締め付けられる時がある。


「根津さん、戻って来てたんですね」

 私が歩いて数十分の故郷に想いを馳せていると、客がいなくなったのを見計らって隣の女性店員、田中さんが声をかけてきた。彼女は私がこの店舗でアルバイトを始める以前から、働いている先輩アルバイターである。普段は高校生? 学生の一種らしい、をやっているらしく、夕方からのシフトが多い。

 明るく、人見知りせず、最近の若い子の流行りをよく話してくれるため、とても化け術の参考になる良い娘である。ただ一つ欠点があるとすれば……。

「髪の毛に毛が付いてる」

「えっ。本当ですか? ……すみません。取れました?」

 私が指差した辺りを彼女がパタパタ叩くと、先ほどまで髪の毛にくっついていた白い猫の毛が床に落ちた。

 彼女は猫を飼っているのだ。それもおぞましいことにメス猫である。度々写真を撮ってきて自慢気に私に見せてくれる。猫化け修練中は人間から見た猫の仕草というものも気にしていたので、よく彼女に話を聞いていた。そのせいか、私はすっかり猫好きだと思われているらしい。まったく甚だ心外である。


「このあいだ、店の裏でネズミ見ちゃったんですよ~」

 私である。休憩中に変化を解いてだらけていたら見つかってしまったのだ。悲鳴を上げられたり、石を投げられるならまだしも、顔を知っていて話したこともある相手に恐怖でひきつった顔をされると精神的に堪えるものがある。

「今度、ホウ酸団子撒いておかないと」

 やめて。食べちゃうから。

「でもそれだと野良猫も食べちゃうかもしれませんよね~。猫ちゃんが可哀想かなぁ」

 ネズミは殺してもいいのに、猫は可哀想とはこれ如何に。これだから人間という奴は始末に負えない。

 あの邪悪なる猫畜生どもこそ真に駆逐されるべき存在であろう。


 業務が終わった夕暮れ時、私は殿様を前にしたもののふがごとく、平身低頭し、店長より茶封筒を受け取る。

「根津さんってなんで毎回、お給料手渡しで貰っているんですか?」

「家の事情で銀行口座が作れなくて」

 私がそう口にすると、なんかすみませんと田中さんに謝られた。

 ネズミが人間の戸籍を持っているわけはなく、当然私は保険証もなければ運転免許証も持っていない。化け術を使う者の中には葉っぱをそうした物に変えたり、そもそも葉っぱを紙幣に見せたりする者もいるにはいる。狸などはそうした化け術が得意である。もっともこの近辺でそんな真似をしようものなら元締めに丸呑みにされるのだが。

 身分証明が出来ないにもかかわらず私がここでアルバイトが出来ているのは先生のご友人による紹介のおかげである。


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