表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ねずみ録  作者: mozno
第三章 伏見彩来たり
10/45

内通者


 ネズミが大黒天の使いであるように、狐は宇迦之御魂神うかのみたまのかみの使いである。

 京都伏見に生を受けた先生は、代々神使を輩出してきた名門一族の長子であったという。

 宇迦之御魂神の神使はなんと彼女自身が決めるのだそうだ。基準はたった一つだけ。いかに美しく、見事に化けるかである。

 そうして毎年一定数の狐が彼女の神使となり、その中で競争が行われて代表が選ばれる。あぶれた者は全国各地の稲荷神社へと派遣される。ちなみにあぶれた者のうち成績が良かった者ほど京都から遠くに派遣されるらしい。


 幼少のみぎり、先生は宇迦之御魂神の前で見事な白梅の樹に変化へんげして見せたという。その時に御神自身から将来はぜひとも我が神使にと、将来を嘱望された身であった。

 そうして先生には新しく名が与えられた。先生の本名を「伏見ふしみ白梅はくばい」という。

 幼き頃より才気煥発であった子ぎつねはむくむくと成長し、博覧強記たる若狐となり、御神の御殿にて神使となった。

 しかし御殿でのエリート狐たちの足の引っ張り合い、たびたび開かれるくせに遅々として進まぬ会議、優れたる化け術で雇われたというのに御殿内では変化禁止の謎ルールなどにより、心身ともに疲弊し、ある朝、自分の側頭部に十円はげを見つけた時、先生は仕事を辞めた。

 家業よりも職務よりも、そして名付け親の神よりも自分の自慢の毛並みの方が大事というなんとも先生らしい理由である。

 真っ当に辞めようとすればみちのくにでも飛ばされることは分かり切っていたから、手紙を残して失踪した。津々浦々を巡り、見聞を広め、もとより優れた化け術をさらに深めたことで気付かぬうちに妖狐となっていた。そうして灯台下暗しとでも言わんばかりに当てつけのように神社の鳥居と鳥居の間に結界を作り、そこに引き篭もった。

 今では由緒正しき姓も、仕えるべき神から賜った名の半分も捨て、ただの野狐の「はく」であると、先生は言った。


 ***


「馬鹿か、おめえは」

 今戸一家に潜入した旨を一通り話し終えると、胡座(あぐら)をかいて腰掛けたまま、彼は私にそう言った。

「ひでえなぁ、伯父貴。馬鹿ってことはないでしょうよ」

「ああ、そうだな。ただの馬鹿じゃねぇな。大馬鹿だ、このぼけなす。その先生とやらが助けてくれなかったらおめえは今頃猫のクソだぞ」

 九死に一生を得たのは事実である。

「ま、そのお陰でどいつが猫と組んでるかは分かったがな」

「へえ、流石伯父貴。今の話しだけで分かったのか」

 私がせっかく持ち上げたのにハッと小馬鹿にしたように息を吐いた。

「だからおめえは馬鹿だってえんだ。誰でもわからあ。猫どもは化けられるネズミが自分達の内情を探りに来ることを知っていたんだろう? で、おめえは(くだん)の先生さん以外にその事を話したか?」

「いいや、話しちゃいないよ」

「その先生さんはおめえを殺すような御仁か? 猫に内通していそうか?」

「まさか! 先生がネズミ一匹の生き死にに興味なんか持つもんか。それにたぶん俺が今戸に忍び込む前は一月(ひとつき)くらい独りでは住処から出てないよ」

「なんでおめえはそんなんを先生と呼んでんのよ……。まぁ、それは置いといて。そんなら決まりだ。おめえに猫の内情を探るように言った浅草寺親子、あいつらが猫と通じてる。相談役だっていう白ネズミが一枚噛んでやがるんだろうな」

「浅草寺が? じゃあ、なんで俺にスパイなんてやらせたんだ?」

「おめえを始末したかったから、猫どもの所に送り込んだんだろうよ」

「なんでさ。義理の息子の兄貴だぜ?」

「マルヒトの兄貴が猫に襲われて死んで以来、根津家の家長はおめえさんだ。で、ロクマルはその庇護下にある。家長のおめえが所属しているのはどこだ? 浅草寺か?」

「まさか。分かって言ってるんだろ? 伯父貴の、護国院一郎太の傘下だよ」

 私の言葉に、伯父貴はふふんと鼻を鳴らした。それに合わせて白毛の混じったずんぐりとした体が揺れた。

「その通り。つまり今、根津家で増えたネズミはウチ、護国院としてカウントされる。だがおめえが死んだらどうだ? ロクマルが次の家長になる。ロクマルは仕事を浅草寺から受けてるから、根津家全体が浅草寺としてカウントされるだろうな。つまりおめえが生きていればこれから次々産まれるだろうロクマルの子供たちもウチが総取り。逆におめえがくたばれば浅草寺が総取りだ」

「じゃあ、なんだい? 結婚式の時にうった芝居は意味なかったってのか?」

 せっかく事前に尻尾で地面を叩くという合図を決めておいて、それをしたら敵対しているように振る舞うという決め事を作っておいたのに。

「あぁ、おそらくおめえがこっち側だってんのはとっくにバレてたんだろう」

「いや、ちょっと待った。それならやっぱりおかしいや。どうして浅草寺が猫と通じているってんなら猫はロクマルの結婚式に乗り込んできたのさ。慶事の最中に猫に襲われたなんて噂が立ったら不利益にしかならねえだろ?」

「さぁてな。思いつくとしたらそこいらで真打登場、浅草寺の頭領が出てきて猫を知恵で騙して退却させる、なんて筋書きが用意されていたんじゃねえのか? ところがお前さんがあのけったいな技でもって猫を追っ払ちまったもんだからご破算。それで腹に据えかねて前々から温めていたミロク暗殺計画を始動したってところかね」

 ひとさまの暗殺を懐で温めておいてくれるとはふてぇ野郎どもである。

「猫と通じているなら、去年うちを襲わせたのも浅草寺ってことかな」

「どうだかな、可能性はあるだろうが、動機が分からねぇ」

「裏切りの打診を断って護国院についたから、とか?」

「神使の立場が欲しいのなら根津家じゃなく護国院(うち)を直接襲わせればいいだろう。だから去年の時点では猫と組んではいなかったはずだ。今年になってから猫に言うことを聞かせることができるような、その例のパチパチした飲み物を手に入れた。今のところ分かるのはそれくらいだな」

 とにかく、と伯父はぽんと膝を手で打って、話を区切った。

「ミロク。おめえはしばらく身を隠せ。(くだん)の先生のところにでも匿ってもらいな」

「ロクマルは大丈夫かな?」

「浅草寺が何かすることはねえだろう。もし家族に加わっても安全が保証されないと分かれば、他の家も離れていく。あいつに浅草寺から嫁を取らせたのは正解だよ」

「そんなつもりで結婚させたんじゃねえや。あいつが惚れた女がたまたま浅草寺の娘だったんだよ。だから一肌脱いで結納米からなにから用意したのさ」

 正しくは人肌着て稼いだのだが。

「弟想いなこったな。親父さんに似るのはいいが、死に方まで真似るんじゃねえぞ」


 ***


 護国院はかねてよりの名家であり、その家系図をめくりにめくって遡ると遠く神代、大国主おおくにぬしの妻問いにまで遡るという。元は京都のネズミであったが、何百年だか前に江戸へと移り、この上野浅草地方で長らく神使を務めてきた。人間でいうところの神職と政治家の家系である。人間に吉兆を報せ、時に大黒天さまの乗り物となることで、かの神よりありがたい加護とさらにありがたーい俸禄おまんまを賜るのだ。

 我が根津家は大工の一家として、祭事の手伝いをすることが常であったから、両家はねんごろに懇ろを重ねたずぶずぶの癒着関係であった。その証拠に我が父は護国院家より娘を娶っている。それが護国院一朗太の妹であり、我が母でもある。

 一朗太は自分より一月ほど早く産まれたマルヒトを兄と慕い、我が父も伯父の事を実の弟たち以上に可愛がった。護国院より妻を貰った父は根津家の頭領となり、これからも両家共に繁栄しようと約束を交わし、自分の妹であったフミ叔母上を一朗太と結婚させた。

 しかしいつまでも続くと思われた両家の蜜月は唐突に終わりを迎えたのである。

 ネズミは一月(ひとつき)あれば子を成す。だが一朗太夫妻の間には三ヶ月経っても子供が出来なかった。後に判明したことであるが、叔母は子供が出来ぬ体であったのだ。そうと知れたとき護国院一家は叔母を追い出し、伯父に新たな妻を(あて)がった。伯父だけが最後まで彼女を引き留めたが叔母は首を振り、家を出たと聞く。実家に帰るのも申し訳ないとそれ以来、小石川の辺りで一人で暮らしている。時々私が訪ねる以外に滅多に来客もないようだ。

 大半のネズミにとって子を成すことこそ第一義である。だからそれが成せぬ自分が情けなくて悲しいと、叔母上は言った。

 私は知っていた。叔母上がずっと伯父のことを慕っていたことを。兄の政略とはいえ、結婚が決まったとき泣きながら飛び上がるほど喜んでいたと母から聞いたことがある。だからそのとき私は叔母上を励まそうと思った。けれどなんと言えば良いのか分からなかった。私は彼女にかける言葉を探して、まだ見つけられないでいる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ