【幕間】プロローグ
本作は森見登美彦先生の「有頂天家族」シリーズおよび、夏目漱石先生の「吾輩は猫である」をオマージュした作品です。
神代の御世において、葦原中津国を作り上げたという大国主命は妻を娶る際、義理の父となる素戔嗚尊よりいくつかの試練を与えられた。その中の一つにおいてネズミが彼を火から逃し、取ってくるように言われた鏑矢を見つけてきたという逸話がある。
それより幾星霜、現代では名を変え、七福神が一柱、大黒天となってもネズミは彼の使いである。
その「大黒ネズミ」と呼ばれる名誉あるお役目をネズミたちは大変ありがたがり、我こそはとこぞってなりたがった。我こそは、我こそはとあっちでちゅーちゅー、こっちでちゅーちゅー。終いには集まった者同士で家庭を作り、軒下で産み増え始める始末。
大変に辟易した大黒天さまは一年に一度、年の瀬においてもっとも大きな家族を持つ者をネズミの頭領とし、その者に同時に神使としての立場を与えるとおっしゃると、来た時よりも数が増えているネズミどもを自身の邸宅より追い出した。
それ以降、ネズミは変わらず産み増え続け、いかにして自分を長とした群れを大きくするかばかり考えている。
一方で神さえ辟易したネズミのとめどない大量生産を喜ぶ者たちがいる。猫である。
奴らは我らネズミのために餌を用意してくれる人間たちに寄生することによって、その醜い生を許されている下等にして下劣な腐れ畜生の害獣である。
ネズミが存在しなければ人間が彼らを大切にすることはなかったであろうという事実を忘れ、ネズミに牙を向け、人間相手にはどちらが主人かさえ忘れて自分こそ主であるかのように振る舞うあたり、種族総じて傲慢を通り越して健忘症のきらいがある。
そんな有様だから干支に入れてもらえないと知れ。なに? ネズミのせい? 騙されるマヌケが悪いに決まっている。
一方で干支には入っておらずともこの国では神の使いとしてもっとも名高い動物がいる。狐である。
彼らは豊穣の女神、宇迦之御魂神の使いとして人々に信仰されると同時に、人を化かす悪しき魔性としても知られている。
神は人に加護と試練を与える。人はそれゆえ神を有り難がり、畏れ敬う。
獣は時に人を襲い、友となり、糧ともなる。人はそれゆえ獣を殺め、飼い、感謝を捧げる。
だからこそ、狐という動物のあり方は神のそれに近いのだと我が師は言った。なんという傲慢であろう、猫に匹敵する。
ネズミは人から糧を奪い、病を運ぶ。猫はネズミを狩り、主人の枕元に供える。人はそうして保たれた糧の一部を狐を通して神に捧げる。狐はその上前を跳ねる。神はそれらを見てみぬ振りをして、天にありて今日も世は全てこともない。
私は一介のネズミに過ぎぬが、狐の師に習い、人のあわいに紛れて暮らし、天敵たる猫どもをこの世から排せんと目論む志高きネズミである。なにせ志高すぎてだれも協力してくれない。
あぁ、今日も今日とて増え続ける親戚たちに幸おおからんことを! 学の無い者のために補足しておくと、これは皮肉である。