おっさんは少女の過去を聞く。
「なんであなたが付いてくるのよ!?」
元々、最初に仮眠を取っていた場所まで戻った後、クトーは薪を組み直していた。
そして道案内の後も姿を消そうとしないトゥスに疑問を投げると、同行すると言い出したのだ。
レヴィが噛み付くが、まるで動じない仙人は皮肉そうな中にも愛嬌のある笑みを浮かべる。
『いやぁ、お前さんら面白いからよ。兄ちゃんは変なヤツだし、嬢ちゃんも度量があるしよ』
「俺は別に構わんが」
「ちょっとクトー!?」
ヒヒヒ、と笑うトゥスと驚いたような顔をするレヴィを交互に眺めて、クトーはメガネのブリッジを押し上げた。
「燃えろ」
メガネの縁が赤く光って炎の魔法が、新しく組んだ薪を燃やす。
周りが少し明るく暖かくなると、トゥスが別に寒さも感じないだろうに、いそいそと焚き火のそばに陣取った。
クトーは、ちらりとレヴィを見て問いかけた。
「何がダメなんだ?」
「こんな薄気味悪いの、夜中に目が覚めた時に見たら心臓止まるわよ!」
ビシッとレヴィがトゥスを指差すと、彼はプカァ、と煙を輪っかにして吹かしてからコキリと首を鳴らした。
寿命から解き放たれたありがたい仙人のはずなのだが、やはりどうにも俗っぽい。
親しみが持てると言えばそうかもしれないが。
そんなトゥスが、キセルの吸い口を噛みながらますます笑みを深める。
『ははーん。嬢ちゃん、もしかして怖い話が苦手なタイプかい?』
「そそそ、そんな訳ないでしょ!? ここ、この私に怖いものなんて!」
『分かりやすいねぇ、ヒヒヒ』
「な、何笑ってんのよ!?」
ギクリ、とでも言いたげな表情で身を引くレヴィと面白がるトゥスに、クトーは焚き火のそばに置いた木製の小椅子に腰掛けながら口を挟んだ。
「仲がいいな」
「何の冗談よ! こんなの連れて行くの、絶対嫌だからね!」
別に冗談を言ったつもりはないのだが。
「そう嫌がる事はないだろう? こんなに可愛い存在も珍しいというのに」
「……………………はぁ!? これのどこが可愛いのよ!?」
「どう見ても可愛いが」
クトーは、二人の和めるやり取りを見せてもらっているので上機嫌だった。
絶句した後にさらに騒がしくなったレヴィから目を離し、ニヤニヤと笑みを浮かべた半透明なトゥスを見る。
猫に似ていながらどこか丸く愛らしい外見。
柔らかそうなふわふわの毛並み。
丸い形の眉に見える模様。
長くピコピコと動く尾。
クトーは仙人の姿をじっくりと眺めて、満足して息を吐いた。
「……何度見ても完璧だ。思わず撫で回したくなる」
「あなた、可愛かったら中身は何でもいいの!?」
「む」
クトーは、レヴィの言葉に眉をひそめた。
「なんでも良くはない。トゥス翁は自然と共に永きを生きる老師だ。その智慧は必ず為になる。可愛く聡い相手を拒否する理由がどこにある?」
膝を立てながらクトーが首をかしげると、レヴィが驚いたように言葉を飲み、トゥスがいっそ感心したような声で言った。
『へぇ、兄ちゃんはわっちから何かを学ぼうってのかい? 言っとくが、わっちは物知らずさね』
「生きる智慧を持つ相手は、知識とはまた違う学びをもたらしてくれると俺は知っている。トゥス翁の存在そのものが、レヴィには特に有用だ」
魔物に取り憑く能力はレヴィの訓練にも役立つしな、と打算も込めながらクトーは言葉を続けた。
「レヴィは駆け出しだ。戦闘のための知識もなければ、自然の中での過ごし方も知らない。夜中に山で安全な場所から飛び出したら、無事に済まないのは経験として知っただろうが」
「うぐっ……!」
『そいつは、わっちを買い被り過ぎじゃねぇかい?』
「翁はレヴィを、惜しい、と思わないか?」
クトーはのらくらと自分を卑下するトゥスに問いかけた。
パチパチと焚き火が爆ぜる音の中に、仙人の、煙を吐く息が混じる。
『なるほどねぇ。嬢ちゃんを死なせない為に、かい?』
「ついてくる条件としては妥当だと思うが」
別に、働けと言っているわけではない。
トゥスは何故かクトーとレヴィを気に入ったようだし、彼女が無茶をしないよう目付けとなる存在がもう一人いるならありがたかった。
自由に空を駆ける彼がいれば、もし今回のような事があった時にはもっと迅速に動けるだろう。
自然と共に生きる者は、己という存在の分を弁えている。
無駄に魔物や獣の領域を荒らさず、生きる為に必要なだけの食事をする。
己という存在の矮小さを悟りながらも、自然の猛威を柳のように受け流す方法を知っている、ということだ。
気に入った相手が死なないように見守り、必要があれば助言する、ただそれだけの事をクトーはトゥスに求めた。
そして彼は、正確にクトーの意図を悟っている。
『いいじゃねぇか。兄ちゃんは本当にわっちが付き合うに足る男だね』
「褒めても報酬は出さんぞ」
トゥスに金が必要とは思えないが。
そうクトーが思っていると、仙人はヒヒヒ、と笑った。
『ついて行かせてくれりゃ十分さね』
そんな風に二人でうなずきあっていると、レヴィが毛布で体を包みながら、むぅ、と頬を膨らませた。
「ちょっと! 何二人で納得してるのよ! 嫌だって言ってるのに!」
頬を膨らませているのも可愛いな、と思いながらも、クトーはその言葉を無視した。
※※※
『さて、わっちは山のヌシどもに、しばらく離れると挨拶してこようかねぇ』
そう言ってふらりとトゥスが姿を消した後、クトーは一緒に焚き火に当たりながらも拗ねた顔で黙っているレヴィに話しかけた。
「一つ気になった事を聞いても良いか?」
「……何?」
毛布の中で身じろぎした彼女は、不機嫌そうにこちらを睨んできた。
よほどトゥスの同行を許した事が気に入らないようだ。
だが、聞きたい事はあの仙人とは直接関係がなかった。
「ドラゴン一匹だけなら、というのは、どういう意味だ?」
それはクトーが耳にした、レヴィの叫び。
猛る中にも、悲痛な響きを帯びた声だった。
あの叫びが、妙に耳に残ったのだ。
そしてレヴィは、ビッグマウスを最強の魔物呼ばわりしながら、ラージフットやドラゴンのような強く巨大な魔物であっても怯まない。
そのちぐはぐな物言いも、クトーは気にかかっていた。
だからこれを機に聞いておこうと思ったのだ。
「ああ……」
そんな事? とでも言いたげな様子で、レヴィは焚き火に目を戻す。
「自分が喰われるかどうかなんて、ビッグマウスに畑を食い荒らされて村ごと飢え死にするのに比べたら大した事じゃないからよ」
「畑……7年前の異常発生の時、か?」
クトーの問いかけに、レヴィはうなずいた。
憂いを帯びた綺麗な顔が炎の照り返しに浮かび上がっている。
ビッグマウスの繁殖力は強く、数年に一度、どこかで大量発生する。
普通は、その地方にいる冒険者がある程度集まれば散らせる程度……村や町が一つ襲われて、緊急依頼が出るくらいの規模だ。
村ごと飢え死にするほど荒らされる事など滅多にない上に、ここ最近ではそうした話は聞いていない。
だが、今も記憶に残る7年前の大量発生は異常だった。
国土の南側、特に畑の多い地域でそれまでにない規模で発生したビッグマウスは、最終的に国土の6分の1を飲み込みかけたのだ。
その時もっとも迅速に各地に散り、襲われている可能性の高い村々を守ったのが、当時すでに大陸中に名を知られていた【ドラゴンズ・レイド】だった。
「特に私の村は一番南端にあって、畑を埋め尽くすほど大量に出たから」
「……全滅したのか?」
「作物はね」
人は誰も死んでない、というレヴィは、何かを思い出すように微笑みを浮かべる。
本当に懐かしそうな笑みは、今まで見た事がない無邪気なものだった。
「クトーも【ドラゴンズ・レイド】ってパーティー知ってるでしょ? リーダーのリュウさんがね、私の村助けてくれたの」
リュウは、畑から逃げ出した村人たちが別の村に助けを求めようと歩いていた時に現れたのだという。
彼は、引き連れてきた数人のパーティーメンバーと共に村人を守りながら村に帰り、瞬く間にビッグマウスを退治したそうだ。
そして礼を言う彼女の頭をわしゃわしゃと撫でて、こう言ったらしい。
『ビッグマウスは最強の魔物だからな! 人様の食い扶持荒らすから、俺も昔は手こずらされた!』
リュウが『でも、生きてて良かったな!』と浮かべた笑みに、レヴィは希望を見たのだと。
容易にその様子が想像出来てしまい、クトーは思わず呻いた。
「……あの野郎」
突撃バカが、レヴィの妙な発言の原因はお前か。
お前は意識しなくても無駄に人を扇動するから注意しろと、いつも言ってるだろうが。
そうリュウを頭の中で罵倒してから、会った時の説教項目を一つ、心のメモに追加しておく。
「何か言った?」
「いいや」
クトーの言葉の内容までは聞こえなかったらしいレヴィに、首を横に振ってみせた。
レヴィはそこまで気にならなかったのか、話を続ける。
「ビッグマウスは消えたけど、生きるための手段もなくなった。途方に暮れてた私たちに、リュウさんはこう言ったの」
その時、レヴィの肩に手を添えたリュウは、村人全員に聞こえるような声で吼えたらしい。
『今、俺が一番頼りにしてる奴が国王に救援を掛け合ってる! お前らを助ける為にな! 安心しろ、あいつがやると言ったら絶対やる! だから前を向け!』
そんなリュウの励ましと、自ら畑を率先して耕し始める姿にレヴィ以外の村人たちも活力取り戻し、共に動いている内に本当に国からの救援があった、と。
「だから冒険者になろうと思ったの。リュウさんみたいに、皆を助ける人になりたくて」
「……そうか」
「結局冒険者にはなれたけど、親には反対されたし、前のパーティーの奴らには騙されるし、散々だった」
レヴィは微笑みをはにかむようなものに変えて、こちらを見た。
「でも、そのお陰でクトーに会えて、良かった……じゃなかったら多分、結局バカな事して、リュウさんに顔向け出来なくなるところだった」
そんな事はなかっただろう、とクトーは思う。
レヴィは根が真面目だ。
クトーと出会わなければ、もしかしたら魔物に殺されてしまったかもしれないが、結局、悪事に手を染める事はなかっただろうと思える。
盗みを働こうとしたのに、外部の抑えがない状態で直前に踏み止まれる人間は多くない。
「珍しく素直だな。いつもそうしていれば、可愛いと思う奴も多いだろうに」
クトーが思った通りに口にすると、レヴィは真っ赤になった。
少しクトーから離れるように体を傾けて身を縮める。
「ななな、何言ってるのよ!?」
「別におかしな事を口にした覚えはないが」
疑問も解消したことだし、と。
クトーは先ほどトゥスとのやり取りを眺めて思いついた事を提案するために、カバン玉からあるものを引っ張り出した。
「これを着てみないか。そうすれば、お前はもっと可愛くなると思うんだが」
取り出したのは、着ぐるみ毛布だ。
レヴィがこれを着れば、さらに和み度が上がる。
彼女のような小柄で可愛らしい女性に、会心の出来栄えのドラゴンのフードをすっぽりと被らせてトゥスと並べたら……最高の目の保養に違いない。
クトーは、我ながら素晴らしい名案だと思った。
しかしレヴィにはそうではないらしい。
「バカじゃないの!? そんな恥ずかしいもの、着れる訳ないでしょ!?」
「何故だ? どう考えても可愛いだろう」
「絶ぇ対、嫌よ! なんの罰ゲームなのよ!」
「む」
むしろ自分にとってはご褒美なのだが。
しかしだからといって、拒否されてしまうと無理やり着せるわけにもいかない。
それでも名残惜しいので手元の着ぐるみ毛布とレヴィを見比べるが、彼女はさっさと木の方へ向かって毛布に包まり、こちらに背を向けてしまった。
「もう寝る!」
「……そうか」
仕方がない。
ブカブカの着ぐるみ毛布を身につけたレヴィとトゥスが並んでいる光景を脳裏に思い浮かべるだけで我慢しつつ、クトーは焚き火を消した。
自分も木の根元に向かい、空を見上げる。
そろそろ白み始めておりさほど寝れないだろうが、仮眠程度でも体力は温存しておいた方がいい。
レヴィは疲れていたのだろう、すぐに寝息を立て始める。
クトーは自分も微睡みに落ちるのを感じながら、寝る間際に過去の事を思い返していた。
レヴィが話した7年前の出来事。
その時、国の南に位置する村々を助けるために国王に掛け合った男というのが目の前にいる自分だと知ったら。
レヴィは、どんな顔をするだろうか。