おっさんは、起死回生の一手を放つ。
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レヴィは、意識を取り戻していた。
ドラクロに押し込められた内側から、クトーたちのやり取りを見ている。
あんなクトーは、今まで見た事がない。
今にも死にそうなほどに痛めつけられて、床に転がっている姿なんて。
どんな時でも平然としていて、強大に思える敵でもあっさり一蹴してきたのに。
「何、してんのよ……」
『俺は、ただの雑用係だ』と。
そう言いながらも、リュウ達に負けないくらい、強い人だと思っていたのに。
こんな、魔族ども相手にあっさりと負ける理由。
……そんなもの、レヴィが体を奪われた事以外にあり得なかった。
『ゲゲゲ。小娘、なかなかに美味である』
レヴィの前で、大きな窓のようにクトーが映る視界。
その前に立っていたデブな中年男が、こちらを振り向いた。
あの、物取りの体を使っていた魔族が、こいつなのだろう。
『貴様の怒りと憎しみの気配は、味わい深いのである』
「黙りなさいよ、ハゲ」
レヴィは、両手に力を込めながら中年を睨みつける。
家畜みたいな顔しやがって。
両腕の拘束は、ビクともしなかった。
『ゲゲゲ。ワシに向かってナメた口をきいたな?』
ピクリと口元を引きつらせた中年は、こちらにズカズカ歩み寄ってくると、いきなり頬を殴りつけられた。
ありえないほどの痛みと衝撃に顔を背けるが、すぐに髪を掴まれて醜い顔を突きつけられる。
『このワシに悪態をついていいと思っているのであるか?』
「あんたなんか知らないわよ。デブ」
再び、頬を殴られた。
『ゲゲゲ。気の強い小娘は大好きである。調教のしがいがある。肉体が得られれば、手足を切り落として可愛がってやるのである』
ベロリと頬を舐められて、レヴィは反射的に牙を剥いた。
しかし耳でも噛みちぎってやろうと伸ばした首は、あっさりと離れた中年に避けられる。
『狂犬のようであるな。ますます楽しみなのである』
今度は腹を蹴り上げられて、頬の気持ち悪い感触すらあっさりと忘れた。
大きく息を吐こうとしたが……そもそも、自分が息をしていない事に気づく。
痛みを逃す方法がなく、地獄のような苦しみが数秒間。
「う……ぐ……」
『魂のみで抵抗も出来ぬ貴様が未だ瘴気に侵されていないのは、ワシの温情なのである。なぜ目覚めたのかは分からぬが、むしろ好都合なのである』
ゲゲゲ、と嬉しげに笑って、ドラクロは大きな窓へ目を戻した。
ダガーを構える自分の腕と、間近に来たクトーが見える。
「やめなさい……!」
『偉そうな口を叩くなと言っているのである。今からあの忌々しい男が死ぬのを、よく見ておくのである。……その絶望はさぞ、美味であろうなぁ。ゲゲ、ゲゲゲ!』
悔しさがこみ上げた。
こんなゴミに、いいようにやられて。
手の拘束は、いくら力を込めても外れない。
デストロたちに利用されていた頃と、これでは何も変わらない。
ドラクロの目が、クトーを見る。
彼の口もとが小さく動き、何かを呟いている。
こちらを睨むその目を見た瞬間、レヴィは衝撃を受けた。
クトーはーーーまだ、諦めていない。
こんな状況で。
抵抗すら、もう無意味なはずなのに。
ボロボロでも、クトーは、クトーだった。
いつもの目を見て、レヴィは顔を伏せる。
あの人が諦めてないのに。
私は諦めるの?
そんな……。
「私、を……」
肩から腕が抜けるほどに力を込めながら、レヴィは歯ぎしりする。
そんな無様な真似が……出来るわけがなかった。
その耳に、夢の中で聞いた気がするトゥスの声が蘇る。
『魂の強さってぇのは、肉体の強さとは関係がねぇ……』
魂の強さ。
その強さっていうのが何なのかなんて、分からない。
だけど、最後まで足掻くのだ。
邪魔されてもどうしたらいいか分からないし、命の危機も自分じゃどうにもできなくて……そんな自分の弱さくらい、嫌ってほど理解してるけど。
クトーが諦めてないなら、弟子の自分が、諦めるわけにはいかないのだ。
自分の体を使って見下ろしたクトーに向かって、目の前のゲスが吼える。
『ゲゲゲ……死ねぇ!』
私は弱い。
でも、それが何だと言うのか。
弱かろうがなんだろうが。
「この、私を……!」
ーーー私は、レヴィ・アタン。
リュウに憧れて、クトーに手ほどきを受けて、誰よりも強くなって、皆を救える冒険者になると決めた。
自分で、そう決めたのだ。
自分を捕らえる闇が、ギシリ、と軋む。
徐々に、力を込めれるだけ込めた腕が、自分の思い通りに動くようになる。
上等だ。
魂の強さが、体の強さと関係ないなら、こんな拘束引きちぎってやる。
ーーー今、この魂だけの状態で、私が、コイツに負けるわけがないんだから!
「この私をォ……あんま、ナメてんじゃないわよ!?」
根性だけは人一倍だって、トゥスも、クトーも、そう言ってくれた。
こんな、バカみたいな魔族に……力だけ得て、人を貶めて愉悦に浸るようなゴミに。
「さっさとぉ……!!」
ギシ、ギシ、と腕が少しずつ動くようになる。
「私の体、をォ……!」
ギシィ、と闇が一際大きく軋み。
「ーーー返しなさいよ、このクソデブハゲェ!!!」
拘束する闇が砕けるのと同時に、レヴィは目の前の魔族に飛びかかった。
※※※
「俺には、救えなかった者の、方が……救えた者よりも、はるかに、多い」
短く、少しずつ。
クトーは、トゥスに言うべき事を伝えた。
「俺は、ただの、雑用係だ……争いがあれば、常に、そこに間に合うことなど、出来ず……未来を、知ることも、出来ない」
自分たちが旅する中で良くしてくれた誰か。
あるいは、酒を酌み交わした誰か。
彼らが、戦いの最中に駆けつければ死んでいたことなんて、腐るほどあった。
「ファフニールの、息子も……」
惚れた女を、街中に侵入した魔物から救い出して死んだ。
「ニブルと、ユグドリアの、仲間達も……」
第三の鍵を得るために合同で入ったダンジョンの最後の罠から、クトーたちを逃がすために古の魔力炉の中に飛び込んだ。
「ジョカの、姉、も……」
本来ならジョカの家名を継ぐはずだった彼女は、クトーらのいない間に、魔王に与した腐った貴族の卑劣な交渉の人質となり『自分が魔王を殺す邪魔になるのなら』と、毒を飲んだ。
「俺には、救えなかった」
彼らの顔は、姿は、そして生きた笑顔は、今でも覚えている。
彼らの死を嘆いた仲間達も、今は、笑顔で生きている。
「だからこそ、だ。トゥス翁。救えなかったから、こそ……」
胸が裂けるような想いを、しなかったなどという事はない。
【ドラゴンズ・レイド】ではなくとも、彼らは、確かにクトーの仲間だったのだ。
「俺は、手の届かない死者への想いに、嘆くよりも……彼らの望んだ、今を生きる者を救う事を……全力で成すと、決めたのだ……!」
クトーは拳を握り、ダガーを構えるドラクロを睨みすえる。
「それを幼いというのならば、そう、なのだろう。冷静さを欠いていたというのは、自分でも、認めるところだ。……助けた少女の死に、折り合いがつかなかったのは、レヴィだけではない」
ただ、平静を装うために、理屈をつけただけだ。
少女の死を、仕方がないことなのだと。
理屈をつけただけだ。
ローラの捜査から、レヴィを外さないために。
そして間違った。
レヴィの気持ちが痛いほど分かるからこそ、間違えた。
そして同時に、慣れたことだから、意識すらしていなかった。
仲間に、いつものように任せるのとは違うのだという事を。
レヴィは仲間だが、他の仲間達よりも遥かに弱いのだと……真の意味では、理解していなかった。
結果が、今だ。
俺は間違った。
「だが、レヴィは救う。……見ていろ、トゥス翁」
カツ、とブーツを鳴らして、ドラクロが毒牙のダガーを突き込んでくる。
『ゲゲゲ、死ねぇ!』
高速の刺突。
それの狙う場所に、残された力を振り絞って手を上げるが、わずかに間に合わない。
……と、思ったが。
「ーーーッのクソデブハゲェ!!!」
ドラクロの声ではなくレヴィ自身の声が聞こえて、刺突の勢いが緩んだ。
喉を狙った一撃の前に、間一髪滑り込ませた腕がダガーの刃を受ける。
疾風の籠手を貫いて腕の肉を裂いた一撃は、喉元には達しなかった。
『ゲゲ!?』
「クトー……ォ! 何、やられ、てんのよ……!?」
ビキビキと顔と腕に筋を浮かべ、睨みつけるようにクトーを見る瞳の色が、緑と赤の間で揺らぐ。
「さっさと……私ごと、殺しなさいよ……!」
投げられた言葉に、クトーはかすかに眉をひそめた。
「出来るわけがないだろう。……だが、助かった」
これで、起死回生の一手が打てる。
クトーは貫かれたのと逆の手でレヴィの腕を掴んだ。
そして、自分のくだらない拘りを捨てて息を吸う。
今更、あれが応えるかどうかは分からないが。
「創造の女神、ティアム……!」
あの女神に提案されて反故にした契約を、今こそ。
必ず応えさせてみせるーーーレヴィを、救うために。
「我が願いに魂を結び、血の贖いにその神威を顕現せよ……!」
「何……!?」
腕を組んで事態を見守っていたブネが、顔を合わせてから初めて声に動揺を浮かべた。
『まさか兄ちゃん……最初から、これを狙って……!?』
女神ティアムは、聖の頂点だ。
ブネと戦いながら、悟られないようにそれぞれに方位に合わせた五芒の頂点に置いた血だまりが、クトーから筋を引く血の上を走る魔力によって輝く。
「ようやく、油断したな……ブネ……!」
死にかける直前まで、本当にギリギリだった。
「後悔しろ……!」
「まさか……ドラクロ、さっさと体を……!」
焦ったブネが、言い終わるよりも先に。
「聖なる力もて、この場の邪悪を、打ち祓え……ッ!」
魔法は、発動した。
魂の契約と血の代償により発動する、最高位浄化魔法。
その行使を願われた女神は、血溜まりに留め置いたクトーの魔力を通じて、魔法陣の中に神威を顕現させた。
※※※
音のない白い光が、塔の天井を消し飛ばしながら天に向かって吹き上がった。
『ゴォウォァアアアAhaaaaaaaaaーーーー!!』
レヴィの体から、聖なる光に浄化されるドラクロの断末魔の悲鳴が響き渡る。
光の中で、ズルリと中年男性のシルエットが引き剥がされるのを、クトーは見た。
その黒い影が天に向かう光によって、一瞬にして消し飛ばされる。
目を潰すほどの輝きでありながら、人体には一切影響なく闇と瘴気のみを祓う光。
やがて、音のない光が収まった。
吹き荒れるように踊っていたレヴィのポニーテールが垂れ落ちる。
その手からダガーがカラン、と床に跳ねて、力の抜けた体がクトーの方へと倒れ込んできた。
「ぐ……」
傷を受け、血を失った状態では受けきれずに、クトーは体を壁とレヴィの間に挟み込まれる。
軽く頭を打つが、彼女が石造りの地面に叩きつけられるのは避けた。
聖魔法が吹き上がった空はそこだけ暗雲が払われ、青空から陽の光が降り注いでいる。
どうやら、結界を破ったようだ。
待っていれば、じきに消滅するだろう。
「……トゥス翁。レヴィは生きているか?」
『魂にゃ影響はねぇね。しかし、わっちごと昇天しそうな勢いだったねぇ……』
呆れ以外の何も浮かんでいない声音で、トゥスが応えた。
悟られないために策を口にはできなかったので、少し懸念はしていた。
「トゥス翁は、邪悪な存在だったのか?」
『少なくとも清廉潔白な存在ではねぇさね』
ヒヒヒ、とトゥスが笑い、クトーも軽く笑みを浮かべた。
胸元のレヴィの顔を見下ろすと、眠るように気を失ってはいたが表情は穏やかだ。
可愛らしい寝顔だった。
「本当に助かった。……お前はいつも、俺の想像を超えることをする」
まさか魔族の影響を、自力で打ち破るとは思わなかったのだ。
彼女の抵抗がなければ、死んでいただろう。
クトーが無事な腕でレヴィの頭を撫でると、トゥスが声音を引き締める。
『嬢ちゃんは取り戻したが、どうやら、もう1人はしぶとかったようだねぇ……』
言われて、クトーは目線を上げた。
気配が途絶えていない事に、気づいてはいたのだが。
浄化魔法のダメージを受けて体から煙を上げながらも、ブネが生きていた。
全身が真っ黒に染まっているが、瘴気は吹き出していない。
体を守るのに、大半を使い切ったのだろう。
『まさか、この土壇場でティアムと契約するとはな……あの忌々しい女神めが』
ブネの顔は無表情が剥がれ落ちて、怒りに染まっていた。
声も、どこか篭ったように変化している。
『随分と、力を失ってしまった』
「あの魔法を受けて、力を失うだけで済むのか。……お前の正体が分かったな」
女神の最上級魔法を、クトーの渾身の魔力で発動したのだ。
Aランクの魔族でも耐えきれないだろう一撃を、ブネは耐え切った。
『聞こう』
「かつての魔王との戦いにおいて、魔王軍四将の中で1人だけ、直接戦わなかった者がいた」
先王に憑いていた者と北で策動していた者、そして魔王城へ続く最後の鍵を有していた1人は、直接まみえたが。
「鍵を罠と魔物で溢れる迷宮の奥へと封じ、かつての英雄を死霊として操っていた者は、最後まで姿を見せなかった」
ニブルたちの仲間を殺した、最後の魔力炉の罠を張った張本人。
魔王が死した後も、捜索の手を逃れた魔族。
「それがお前だろう? 魔王軍四将が1人……エティア・ブネゴ」
『明察、と言わせてもらおうか』
ブネは、本性を顕した。
犬と鳥の頭が肩と首の付け根から生え、人の顔が仮面のように硬質になって肥大化する。
巨躯に変貌しながら、両手足が毛に覆われて鋭い爪が刃のようになり、蛇に似た尾とコウモリの翼を生やしたような姿に変異した。
「……慈愛を」
ティアムと契約したことで行使可能になった上位回復魔法をニードルで行使し、クトーは自分の肉体を修復した。
床に飛び散った血の一部が、クトーの体に向かって巻き戻るように吸い込まれる。
ケガは癒え、体力もある程度戻ったが……失われた血までは、そこまで回復しなかった。
魔力を失い、女神との契約に消費した分までは、返してはくれないようだ。
『やれんのかい? 兄ちゃん』
「……変異したブネとて、万全ではないだろう」
血を使用した魔法は、効果が跳ね上がる特性がある。
まして、ここは迷いの結界の中だ。
異空間とは、現世よりも人の魂や神、あるいは魔族という存在の本質に近しい場所に存在するものであるため、神の力を借りた魔法の威力はさらに増す。
そんな一撃を受けて生きていたところで、ブネが無事なはずがない。
本来ならば、生きている事でさえ驚異的なのだから。
現に、魔族としての本性を現したブネの肉体は輪郭が薄く、瘴気が黒い靄のように立ち上っては宙に溶けて行くのが、治まる様子を見せない。
「数分で、どちらかがくたばる」
『そういう予想は、相手の運命に言及する時だけにしとくべきだと思うねぇ……』
「性分でな」
もちろん、クトー自身は死ぬつもりなどさらさらない。
「……祝福を」
クトーはさらにピアシング・ニードルを介して、拾い上げた自身の剣に、女神との契約によって行使可能になった高位の聖属性付与魔法をかけた。
リュウの主装備である【真竜の大剣】ほどではないだろうが、それでもこの空間なら神々の武器に匹敵する効果を得られるはずだ。
身体強化の魔法はまだ生きている。
そうしてクトーは、魔王軍四将最後の1人の前に立った。
明日も更新です。




