おっさんは、不利な戦闘を強いられる(後編)
クトーは迫って来るブネに対して、今度は遠距離で対応した。
カバン玉から引き抜いた投げナイフをそれぞれの指で挟み込み、3本同時に放つ。
2本はあっさり腕で弾かれ、最後の1本は逆に掴み取られて投げ返された。
斜め前に踏み込むようにして返された投げナイフを避けながら、今度は暗器を使用する。
相手が単独であっても、実力が拮抗している、あるいは相手の方が地力が上である場合。
クトーの応手はトリッキーにならざるを得ない。
搦め手を打たないと押し込まれるからだ。
外套の袖口から、先端に重りを付けた刃状の仕込み鞭を垂らし、蛇のように這わせてから跳ね上げる。
不意打ちで下から襲う攻撃が、ブネの左腕に巻きついていく。
途中で鞭が右手で掴まれるのと同時に、クトーは鞭を引いた。
刃が食い込み、ブネの動きを拘束する……と思ったが。
「強化されているとはいえ、人間の膂力で勝てると思うか?」
鞭の巻きついた腕でその鞭の根元に近い部分を掴んだブネは、両手に力を込めて力任せにクトーを引き寄せようとした。
が、その程度は想定内だ。
引かれる動きに逆らわずに暗器を手放し、同時にピアシング・ニードルによって魔法を行使する。
「燃やせ」
投げたピアシング・ニードルが炎の槍と化すのと同時に、暗器をクトーが手放したことでバランスを崩したブネが、防御姿勢を取った。
「防げ」
針の残量を気にするつもりは、クトーにはなかった。
即座に防壁に使ったニードルは2本。
1本は自分に、もう1本はレヴィの肉体を持つドラクロに対して行使する。
部屋の中で炸裂した炎が舞い、防壁がそれを防いだ。
圧縮された自分の攻撃と展開した防御の魔力が拮抗しあい、防壁がミシミシと音を立てながら真っ赤に染まる。
「この程度の魔法では、ムダだ」
ボッ、とまるで肉厚のマットを貫くような音を立ててブネの拳が脆くなった防壁を打ち破り、侵入した炎が半球状に作った防壁の内部で荒れ狂った。
が。
「いない……?」
ブネの不審そうな声は、クトーから大きく離れた場所から聞こえる。
「ッ、ドラクロ!」
『なんでありますか?』
間の抜けたやり取りを聞きながら……防壁の中から即座に抜け出していたクトーは、標的の姿を捉えた。
自分に展開した防壁は、囮だ。
腕を抜いた黒竜の外套を頭から被ったクトーは、油断しているドラクロの背後に回り込んでいた。
『! ゲゲ!』
外套を脱ぎ捨てながら、レヴィの細い首を後ろから腕で締め上げる。
そのままクトーは、体内のトゥスに話しかけた。
「頼む、トゥス翁」
『無茶するねぇ!』
言葉とともにトゥスが体を抜けていく感覚があり、クトーは即座にレヴィの体から離れた。
クトーの策に気づいたブネが、こちらを捉えている。
トゥスに侵入されてびくん、と一度震えたレヴィが、大きく首をうなだれて動きを止めた。
内部で、仙人がドラクロの魂と戦い始めたのだろう。
外套を失ったクトーは、防ぎ切れずに火傷した皮膚の痛みを無視して、ブネが振り下ろしてきた爪の一撃を剣で受けた。
「無駄な事を」
「どうだろうな?」
レヴィの体内からドラクロを追い出せれば、1つ憂いが消える。
最初から、クトーの狙いはレヴィの解放だけだ。
ーーーたとえそれで、さらに不利な戦闘を強いられることになろうとも。
「武器の持ち替えによる近中遠距離攻撃と、魔法を織り交ぜた手数の多さ……上手くいっていただろうに、自らそれを捨てるとはな」
「……」
あのまま戦闘を進めていれば、もしかしたらブネに対して互角以上の戦いが出来ただろう。
相手は頑強な肉体を持つ魔族であり、しかもそれを最大限に生かす速度と練度を兼ね備えた拳闘士なのだ。
剣のみで……それも至近距離で戦うには、ブネはクトーにとって相性が最悪の相手だった。
「凍れ」
突っ込んで来るブネとの間に、四竜のメガネによる魔法で氷塊を出現させるが、軽い時間稼ぎにしかなかない。
ブネは氷塊を回り込みながら、腕が伸びたかと思うほどのリーチを持って爪先を突き込んでくる。
1度目の右手は弾き、続けざまの左手は避け。
最後の足刀で左腕に深い縦筋を刻まれて、周囲に血が飛び散る。
「……ッ」
血を撒き散らしながらも、クトーは片手剣でブネを斬り上げた。
しかし、先ほどまでよりもさらに黒く硬質化した前腕で受けられ、刃の上を滑るような手刀によって逆に手首を叩かれる。
右腕を叩き落とされ、それでも裂かれた左手でブネの目を狙うが、わずかに首を傾けるだけで避けられた。
そのまま腹に回し蹴りを食らったクトーは、息が詰まったまま硬い床に叩きつけられる。
「……癒せ」
ピアシング・ニードルを抜く余裕はなく、メガネの下位回復魔法で傷のみを塞いだ。
そのまま、似たようなやり取りが数度。
部屋中を転げ回されながらレヴィを見るが、彼女は時折震えるだけで動かない。
ついに追い詰められて壁に背中を打ち付けたクトーは、なんとか立ち上がったものの、膝から力が抜けて体が傾くのを、どうにか耐えた。
「終わりか?」
そんなクトーを見て、ブネがつまらなそうに問いかけてくる。
なんとか倒れるのをこらえたクトーに呼びかけるブネの声に、すぐに答える余裕はなかった。
血を失いすぎている。
回復魔法はケガを癒してはくれるが、失った体力や血まで戻るわけではない。
また、遭遇戦が王都の街中であった事が災いしていた。
外套を失ってしまえば身につけた服も今は礼服であり、薄い皮の胸当ても引き裂かれて使い物にならない。
ワイシャツの袖がズタズタになった腕を持ち上げ、ただの重りになった胸当てを外して床に落とした。
同時に身体強化の魔法が切れ、かけ直そうと腰に伸ばした手に触れたピアシング・ニードルは後数本。
「まだだ……俺は貴様らを倒し、レヴィを取り戻す……」
クトーは、諦めていなかった。
目がかすむのをこらえながら、片手剣を両手で構えた。
※※※
レヴィの体内に侵入したトゥスは、即座に自分のやるべき事を行なった。
3つの魂がそこにあった。
レヴィの魂は闇に両手を呑まれて立ったままうなだれている。
もう1つの魂は、ローラという名の少女。
下半身が魂の尾になっている彼女は、浮遊しながら右手をレヴィの胸元に差し込み、もう片方の手をドラクロとおぼしき魂に同じように埋め込んでいた。
目が虚ろで、焦点が合っていない。
ドラクロは、背後から見ると頭が半分ほど禿げ上がった中年太りの男性であり、豪奢で下品な服装に身を包んでいる。
その体の半分以上が黒く染まり、そこから瘴気が漏れ出していた。
魂が魔に侵されたモノの姿だ。
『……ん?』
そこで、トゥスは不審を覚えた。
ローラの魂の尾から、細い糸のようなものが伸びて外界へと繋がっている。
『……なるほどねぇ』
フ、と咥えたキセルから煙を吐いたトゥスは、その煙をクルクルと火皿の部分で巻いた。
煙が紙風船のような形になると、滑らかにローラの前まで滑り降りて、肉球のついた両手で煙を挟み込むように叩きつける。
パン! と音が鳴ると同時に、ローラがハッと目覚めて焦点が合った。
『ウチへ返りな』
トゥスがキセルでローラの両腕をそれぞれに上からそっと押さえると、彼女の腕がそれぞれの魂から抜ける。
最後に、キセルを吸うと、魂の尾が伸びる方向へ向かってフー、と息を吹きかけた。
煙の流れが剛風となって、ローラの魂をレヴィの体から押し出していく。
彼女には、何が起こったのか分からないだろう。
軽く開きかけた口元で何かを言おうとしたが、それが言葉になる前にローラの魂は風に押し流されて消えた。
『魔族によりけり、なのかねぇ』
言いながら、トゥスは空中に座したまま、ブン、と横にキセルを振るった。
その軌跡を青白い光が走り、襲いかかってきた黒い靄のようなモノを吹き散らす。
『唯人の魂を操るにゃ、体が生きてる事が必須。ブネにはそういう制約でもあんのかい? 前にクサッツで使ってた体も、そういやヤツが離れるまで生きてたんだよねぇ』
『貴様、ふざけた真似を……!』
トゥスが視線だけを横に投げると、丸鼻の中年男が忌々しげに小さい目でこちらを睨み、怒りの表情を浮かべていた。
『ヒヒヒ。お前さん、ブネと違って油断してたねぇ。兄ちゃんをナメ過ぎさね』
ローラは生きていた。
彼女の魂を体から引き離して利用するために魔族が使ったのが、どういう方法かは分からないが、おそらくは時間を止める秘術に類するものだろう。
『あいにくと、魂に関する事はそれなりにわっちの得意とするところでねぇ。あの子に使ったのは、封じの秘術かい?』
トゥスが使った煙風船の術は、眠りやその他魔法など、何らかの理由で堰き止められている意識の流れを、時の流れに乗せる術だ。
引き離された魂を望むところに留めるのみでなく、食わず、埋められた肉体をも生かし続けるには、時の秘術を使う以外の方法はないはず。
ローラの魂は瘴気に侵されていなかった。
これだけの間、ドラクロの放つ瘴気の近くに在ったのなら、時が流れていては確実に侵されていただろう。
『お前さんらに好意は期待出来ねぇ。とくりゃ、必要があったからあの子を生かしておいた。ヒヒヒ。兄ちゃん達に教えてやったら喜ぶだろうねぇ』
トゥスは、チラリとまだ頭をうなだれたままのレヴィを見た。
時の秘術を使っているのがブネならば、肉体に魂を戻したところで、まだローラの時は止まっているだろう。
魂を肉体から引き離して死体として埋葬されている肉体を掘り起こせば、おそらくは腐っていない。
『お前さんは、レヴィの肉体を離れたらこの世に留まる力を失うよねぇ?』
トゥスが口元に笑みを浮かべると、ドラクロは顔を強張らせた。
彼の魂を封じていたネックレスは自分自身で破壊している。
瘴気に侵され、レヴィの外に叩き出されたドラクロの魂は、他の肉体に憑くか輪廻の輪の中で浄化される以外にない。
『後はブネさえ倒せば、他に封印を維持する魔導具を使っていない限りローラを縛る術の効力は失われるさね』
使っていれば、ブネを倒した後に急いでローラの肉体を掘り起こしに行かずとも、彼女が窒息死する危険はない。
『……ゲゲゲ』
軽く、強がるように笑い声を上げてから、ドラクロは拳を握りしめた。
『あのガキの体は、もう墓の下である。ネックレスを失った今、ブネ様を倒せば、すぐにそのまま本物の死体になるのである』
『さて、そいつはどうだろうねぇ?』
そこまで上手くはいかないらしい。
だが、クトーさえ余力を残していれば、まだ助けるだけの時間はある。
『貴様は、勘違いをしているのである』
『へぇ、どんな風にかねぇ?』
ドラクロの体から、瘴気とともに強烈な意思が吹き上がった。
魂のみの世界では意志力が全てを決定することを、トゥスは知っている。
『ワシを、貴様ごときがこの肉体から追い出せると思っている事である……!』
オォォオオオォォオォォ……と、怨霊が無数に歌うかのごとき音が、無の空間を支配していく。
魂の世界では、より強く意思を持つ者が力を持つ。
肉体がある世界よりもシンプルで、肉体を持つ者同士の闘争でも状況を覆す理由たり得る、魂の作用。
『魂の強さは、肉体の強さにゃ関係がねぇ……』
トゥスのつぶやきに、ピクリとレヴィの魂が反応した。
ヒヒヒ、と笑い、トゥスはアグラのまま、ゆらりと尾を揺らめかせた。
人の顔を持つ闇の塊と化していくドラクロに対抗して、自身の体を白い靄で包み込んで行く。
『来なよ、三下。お前さんの妄念とわっちの意志と、どっちが強いか試してみるさね』




