おっさんは、少女と仙人に説得される。
夕刻の大通りは、混雑していた。
市を出している売り子の交渉や呼び込みの喧騒が、人ごみのそこかしこから聞こえてくる。
そんな中を歩いていたクトーは、背後に妙な気配を感じた。
人波を抜けてメリュジーヌの店を目指しながら、クトーはレヴィに小さく伝える。
「こちらを見ずに聞け。……尾行されている」
「尾行?」
クトーもレヴィの方を見なかったので彼女の表情は分からないが、少し緊張と疲れの混じった声だった。
レヴィは朝からファイアスクロールの練習を行い、昼間に魔族とやり合っている。
そろそろ、体力的な限界が近いのかもしれない。
「事件に関係のある相手かもしれん。離れないようについてこい」
『捕まえるのかねぇ?』
「可能ならな」
本当は二手に分かれて挟み込みたいが、現状では相手の実力も分からない。
まして今のレヴィは、トゥスの助けがあっても1人で行動させる気にはなれなかった。
「トゥス翁、尾行者の姿が見えるか?」
『あいにくと、そういうのは苦手さね』
トゥスの返答に、クトーは違和感を覚える。
雑踏の人混みは時折正面から来た人々と肩がぶつかりそうになるほどだが、彼の気配を察する能力ならさほど難しい事ではないと思ったのだが。
『わっちは人里から離れて生きてきた。自然の中なら、小鳥のさえずりから虫の鳴いてる場所まで広く見渡せるさね』
軽く首をかしげたのを読み取ったのか、トゥスがさらにそう続けた。
『だが、瘴気みてぇな明らかに異質なもんはともかくとして、こうも人の雑念が多くちゃねぇ。誰か1人、特定の相手を探ろうとしても埋もれちまうのさ』
「なるほどな」
クトーは納得した。
つまり、研ぎ澄ました能力の方向性が武術の達人などとは違う、ということなのだろう。
「仕方がない。道を逸れて誘き出す」
『途中で離れようかねぇ。そんで、上手いこと顔が見れりゃいいがね』
表通りから角を折れた先でトゥスが待ち伏せ、相手を確かめるという話で一致した。
クトーはレヴィを連れて、建物との間にある狭い道を、湿った壁に肩を擦りそうになりながらすり抜ける。
そのまま、歪な形で交差する道に出て右に折れ、もう一つ先にある角に身を隠した。
レヴィを視界から外れない程度の位置までそのまま歩かせながら、クトーは息を殺して待つ。
しかしこちらの視界に入る前に、感じていた尾行者の気配が不意に消えた。
「……」
さらに鋭く感覚を研ぎ澄ませながら、クトーは頭上とこちらを振り向いたレヴィにも意識を振り分ける。
無言で彼女を手招きすると、慎重に足音を消しながらこちらに戻ってきた。
もし襲われても対応出来るように、腰の剣を抜く。
見上げた視線の先に、建物の壁面で細長く切り取られた赤い空が見えた。
相手の気配は消えたままだ。
「気づかれたか……?」
待ち伏せを悟られて引き返したのか、とも思ったが、尾行者が元来た道を戻った感じはしない。
最初に通った道は一本道で脇に逸れる事も出来ず、相手がこちら側に出てくるには今いる角から見える場所を絶対に通らねばならないはずだ。
他に移動するとしたら、後は頭上。
しかし結局、トゥスがこちらを見つけるまで尾行者は襲って来なかった。
「見たか、トゥス翁」
『……見た、けどねぇ』
ゆらっと姿を見せたトゥスは、獣の口もとを牙を剥くように歪ませていた。
どんな人物を見たのか、ひどく歯切れが悪い。
『兄ちゃん達が曲がった角に出る直前に、影に沈んで消えちまった』
「外見は?」
『……知ってる奴さ』
トゥスの声が、一段低くなる。
『こいつは思った以上に厄介な件だったかも知れねぇね。誘いなのか、ご丁寧に影に沈んだ後に向かったらしい方向へ、瘴気が臭ってる』
クトーはその言葉に眉をひそめた。
角の方を見るが自分には感じられない、という事は、本当にかすかな瘴気なのだろう。
「翁らを襲ったという男か? だが、表通りで相手の気配は察せなかったんだろう?」
トゥスは、その問いかけに肩をすくめた。
「そいつ、トゥスの知り合いなの?」
『わっちだけじゃなく、嬢ちゃんたちも知ってるヤツさね』
ヒヒヒ、と皮肉げに笑い、トゥスはその名前を口にした。
『追ってきてたのは、ブネだ』
「……ブネだと?」
温泉街で、クシナダを嵌めようとしていた黒幕と共にいた魔族だ。
彼女も驚いたのか、ピクリと眉を上げてから、いぶかしげな顔のままトゥスに問いかける。
「でも、あいつはクトーが倒したんじゃ?」
「あれも本体ではなかった、という事だろうな」
クトーは、トゥスより先に答えを口にした。
「ブネは傀儡の禁呪によって、自身の存在を人間のテイマーに偽装していた。俺に倒された時に使っていた肉体も、本体ではなかったんだろう」
クトーは温泉街での戦いで、ブネが取った行動を思い出す。
彼は戦っている最中に、デストロの死体を取り込んで本性を現した……と思っていたが、実際はあの時点で死体を利用して本体を逃したのかもしれない。
「あの少女を殺した魔族は、ブネか?」
「話した感じ、あのムッツリした奴とは性格が違ったような気がするけど」
レヴィは自信がなさそうにトゥスを見たが、仙人は彼女の言葉に対して大きくうなずく。
『ありゃ別口さね。旅館や最後の場所で見たブネとは思えねぇね』
レヴィたちを迷いの結界に取りこんだのは、ブネではない。
ならばこの地には今、人に取り憑いた状態の……しかも変化して本来の力を振るえる可能性を持つ魔族が2体いる、という事だ。
「たしかに、随分と根深い。……一体、何が目的だ?」
2体の魔族という脅威に対して、殺されたのは少女が1人だけ。
どこか違和感を感じるが、情報が足りない。
理由を考えても、相手の目的が見えないために答えが出なかった。
殺された少女は、特別な何かを持つ少女ではないとミズチも言っている。
少女を殺した事には何か意味があるのか?
そしてこのタイミングで、誘いのような尾行をする理由は?
考えに沈んで黙り込んだクトーに対して、トゥスが言う。
『兄ちゃん。ハマり込むのはよくねぇね』
「……」
クトーが黙ったままトゥスに目を向けると、彼はニヤリと笑ってレヴィをキセルの先で指さした。
『嬢ちゃんは、どうするべきだと思う?』
問いかけられた彼女は腰に手をやって、つま先でトントン、と地面を叩いた。
「どうって、つけてきた奴の瘴気が分かるならトゥスが追えるんじゃないの?」
『そういう事だねぇ。さ、動こうぜ兄ちゃん』
「何?」
『兄ちゃんが今分からねぇなら、多分いくら考えても無駄さね。ひっ捕まえて話を聞き出した方が早ぇんじゃねーかい?』
言われてみればその通りだ。
が、クトーはさらに慎重に問いかける。
「相手は魔族だ。温泉街ではそうとは分からず、裏にいる人物に対しては『経済的にクシナダを追い込む』という明確な目的が見えていた。今、瘴気の気配を追って危険がないとは言い切れない」
『兄ちゃんがいりゃ問題ねぇだろうよ』
「俺はただの雑用係だ」
人より多少魔力を持っているだけで、リュウやパーティーの連中みたいな強運も腕前も持ち合わせがない。
最悪を想定すると決めたのだから、レヴィをこれ以上危険にさらす選択をするのには、ためらいがある。
2人の言葉に、理がないわけではないのだが。
しかしそんなクトーに対して、レヴィとトゥスは呆れたように目線をかわした。
「クトーって、もしかしてバカなのかしら?」
『たまにそうなるねぇ。自分の評価に関することと、ちんまいモンを愛でる時は特にさね』
何か失礼な事を言われている気がする。
2人は鼻の頭にシワを寄せるクトーに対して肩をすくめ合うと、レヴィが親指をブネの消えた角に向けた。
「いいから行くわよ。捕まえて自白させた方が話が早いじゃない」
「だが、相手の目的が分からない策に乗るのは危険が大きい」
「目的がどーとかまだるっこしいの、今はどうでも良いって言ってんの! 手に届くところに相手がいるんだから捕まえた方が早いってトゥスも言ってるでしょ!?」
彼女はそういう形で敵を追って、結局迷いの結界に取り込まれたはずなのだが。
しかし、彼女の生き生きとしだした緑の瞳と、口にした言葉がなぜかリュウと重なる。
「それに戦うことになっても、あなたがいればほとんど大丈夫だと思ってるし」
『お前がいるから安心して突っ込めんだよ。信用してるぜ』、と。
目の前で強気な笑みを浮かべて、ペロリと唇を舐めるレヴィはあの男よりよほど可愛らしかったが。
「買いかぶり過ぎだ」
「そう思ってるのはあなただけよ」
『違いねぇね』
クトーはため息を吐きながらも、考える。
このまま尾行者を放ってメリュジーヌの元へ向かい、ネックレスに何かがないかを調べた場合。
手に入る情報は不確定だ。
何もないかもしれないし、犯人に繋がる何かが分かるかもしれない。
少女が殺された、という話にも、まだ疑いの余地はあったがこの段階ではほぼ捨てていいだろう。
外傷などなくとも、魔族が絡んでいるのなら魂が食われていた可能性もある。
そうして得られる力は微々たるものだろうが、魔族は喜んでそうした非道を行う種族だ。
逆にこの場で尾行者を追った場合。
危険は増すが、逃すか下手を打たない限り、確実に王都に潜伏する魔族に関する事柄は分かるだろう。
2体の魔族に関わりがない可能性も低い。
関わりがないにしては、タイミングが合いすぎているのだ。
クトーは、結局2人の言い分にうなずいた。
「追おう。だが、無茶はしない」




