おっさんは、少女の依頼に介入する。
「私の落ち度です。申し訳ありません」
ミズチはそう言って深々と頭を下げた。
レヴィと共にパーティーハウスに現れ、状況を説明した後のことだ。
リュウは自分のデスクに腰を預けて腕を組み、レヴィはミズチの斜め後ろで肩を縮こまらせている。
そんなやり取りを、ジョカが壁際で見ていた。
クトーとリュウが事件捜査の話を詰める間に、1度退出して戻って来たのだ。
「無理は、命を縮める。今回は運が良かったがな」
「……ごめんなさい」
不機嫌そうに押し殺したリュウの声音に、レヴィが顔を伏せた。
『わっちも、強くは引き止めなかった。嬢ちゃんたちを責めないでやって欲しいねぇ』
プカリと浮いたトゥスも2人を庇うと、リュウは大きく息を吐いた。
そして次にこちらを睨んでくる。
理由は分かり切っているので、何かを言われる前にミズチとレヴィに対して声を掛けた。
「お前たちの落ち度ではない。俺のミスだ」
その言葉に頭を上げたミズチに見つめられて、クトーはメガネのブリッジを押し上げた。
「トゥスから瘴気の報告を受けた時点で、レヴィの試験を取りやめるべきだった」
レヴィもハッと顔を上げてクトーを見るが、彼女への説明は後回しだ。
「お前は正規の手続きを取って対処したんだろう?」
「甘かったのです。瘴気の報告を受けて監視役を交代するのではなく、報告の返事を上層部から迅速にもらうべきでした」
ミズチは、かたくなだった。
が、聞く限り彼女は、クトーの報告を受けた後に十分に迅速な対応をしていた。
魔族が現れる可能性があるのなら、と、即座に監視役を交代して自分でレヴィを追っていたのだから。
リュウは、表情を強張らせたままのミズチに大きく息を吐いた。
「そう、お前のせいじゃねぇ。原因はこのバカが、相談もせずにいつものムダな慎重さを出したからだ」
「ですが……」
「すでにリュウとニブルの許可を得て、陛下へもう一度連絡を取っている。じきに返答があるだろう」
ミズチとレヴィ、そしてトゥスの言葉を受けて、クトーは自分のミスをもう認めていた。
規律と危険を秤にかけ、規律を破るほどの事だとは思わなかったのだ。
だが、しくじった事をいつまでも悔やんでいても仕方がない。
どう声をかけるべきか考えていると、レヴィが口を開いた。
「クトー」
「なんだ?」
「私は、瘴気の気配があったら魔族がいる可能性が高いって、トゥスに言われたわ」
「間違っていない」
何が聞きたいのか、とクトーはレヴィの顔を見つめる。
そして褐色の肌が全体的にいつもより赤い事に気が付いた。
「火傷をしているのか?」
「え? ああ、ファイアスクロールの余波を受けたから……」
痛みを我慢できないほど重い火傷ではないのだろう。
だが、ケガはケガだ。
「癒せ」
クトーは四竜のメガネに触れて、レヴィの外傷を回復した。
見た目に浅いケガであっても、女性の顔や体についた傷を放置しておく理由はない。
「それで?」
話の続きをうながすと、レヴィは緑の瞳でまっすぐにこちらを見つめて唇を舐めた。
「クトーが、私から依頼を取り上げなかった理由って、何?」
「確証がなかったからだ」
クトーは即座に応じたが、レヴィは納得しなかった。
「私の試験だからじゃ、ないのね?」
「違う」
念を押すように言ってきた彼女は、肩から力を抜いた。
拍子抜けしたわけではなく、どこか安堵したように。
「……良かった」
「何がだ?」
「私のせいで、被害が広がりそうなことをあなたが放置したんだったら、殴り倒してやろうと思ったのよ」
ふん、と鼻を鳴らしたレヴィに、よく意味が分からなかったクトーは首を傾げた。
試験は受け直しが出来るので今回限りというわけでもない上に、一度きりだったところで多くの者に被害が出るのなら放置する理由がない。
しかしリュウはレヴィの発言の何が面白かったのか、ニヤッと笑みを浮かべる。
「そりゃ悪くないな。二人掛かりなら一発くれてやれるかもしんねー」
「え?」
「さっきリュウちゃんがね、ミズチちゃんの報告書を見てクトーちゃんを殴ろうとしたのよ」
ジョカが口もとに笑みを浮かべながらバラすのに、レヴィはどう反応したらいいのか分からない顔でこちらを交互に見てきた。
「け、ケンカしたの?」
「あら、しょっちゅうよね。最近はそうでもなかったのかしら?」
「レヴィさんが見ていないところでは、クサッツで1度ありましたけど」
ミズチも、少し気分を和らげたのか会話に参加する。
沈んでいた気分が上向いたのか、微笑みを浮かべていた。
「別にどう取っても構わないが、温泉街での件は人が見ていないところでリュウが好き勝手していたからだ」
「ありゃティアムのせいだって言ってんだろが……」
「ビッグマウスを最強の魔物だのというホラを、レヴィに吹き込んだのもか?」
「畑荒しの魔物は1番厄介だろ! 食いぶちを潰されんだぞ!?」
一理あるが、その勘違いのせいでレヴィが妙な価値観を持ったのは事実だ。
しかしそんな話は今どうでもいいので、本題に戻る。
「瘴気の気配を感じたというトゥスの言葉を疑う訳ではないが、勘違いという可能性もあった。それに瘴気の発生には魔族が関わっているが、瘴気があるからといって魔族そのものは関わっていない事がある」
クトーの言葉に、レヴィが訝しげな顔をした。
「全然意味が分からないんだけど?」
「王都には、聖属性の守護結界が貼られている」
クトーはごく当たり前の事実をレヴィに伝えた。
大きな街や都には大体、こうした結界が張られている。
王都を包む結界は天地の気を利用した巨大なもので、普段の出入りに支障がない。
この結界は、大規模な攻撃魔法や闇属性の強い存在に反応するのだ。
「だから強い力を持つ魔族は、直接この地に、誰にも気付かれずに立ち入る事が出来ない」
「……そうなの?」
「ああ。例外として、温泉街で会ったブネのように禁呪を使って分体化し意識のみが侵入する事や、遅効性のアンデッド化魔法によって作られた死霊の類が侵入する事が考えられるが」
クトーは1度言葉を切り、指を立てた。
「少女を1人殺す為に、魔族がそこまでする理由が思い当たらない」
「その、殺された女の子自身に、何か特別な事情がある可能性はどうなの?」
ジョカが尋ねると、ミズチがいつも窓口に立つ時のような顔で首を横に振る。
「彼女の件をレヴィに依頼する傍ら、商家の内情を調べましたが、特別な事は何も出て来ませんでした。この王都の外に出た事もありません」
「アンデッド化の魔法は特殊で、アンデッドは瘴気によって魂を侵された存在だ」
この瘴気は負の情動が渦を巻いて自然発生する事もあるが、負の情動というのは魔物や獣、あるいは人に殺されただけではすぐに霧散する類いのものでしかない。
「自然発生する瘴気というのも、始まりはそこに在るわずかな瘴気に、負の情動が触れる事によって核を形成して、成長する。だから根本的には魔族が関わっているんだ」
人類の脅威である魔族に関しては、下手をすれば種々の魔物に関する事よりも研究が進んでいる。
付随して、その魔族に由来する瘴気の解明も盛んだった。
大元が天地の気であり、それを魔族が操っているのだというくらいの事が、どうにか分かっている程度だが。
「だから最初は、アンデッドの仕業である可能性が高いと睨んでいた。アンデッドも、わずかながら瘴気を発する事があるからだ」
「魔族よりも、アンデッドの仕業って可能性が高いの?」
「この王都の中ではな」
レヴィがだんだん眉根を寄せ始めた。
理解の許容量を超え始めているらしい。
『嬢ちゃん。魔族もアンデッドも、人や獣が成るってぇ事実そのものには疑いがねぇ。兄ちゃんが今、言ってただろ? アンデッドを作る魔法があるってねぇ』
「……でも、それは魔族が使うんでしょ?」
『魔族は結界の中に入れねぇんだ。だから、人に呪いをかけて目的の場所に送り込む。……そうだろ?』
トゥスが、キセルの煙を吐きながら問いかけた相手が誰なのかは分からないが、ミズチが答えた。
「ええ。人の結界が張られた地では、そういう方法で突き崩されている事が多かったですね。中から結界の要を破壊させたり、それが不可能なら権力者を乗っ取って内部崩壊を招いたり、といった方法で」
遅効性である理由はそこで、魂というのは本来侵し難い領域なのだ。
魂の侵食が浅い場合は、瘴気と魂に内在する負の情動の見分けはつかず、そもそも魂を見分ける手段というのも、ただの見張り役が使えるほど軽々しいものではない。
熟達した魔術師やトゥスの目は、ミズチ程ではなくとも稀有なものなのだ。
「アンデッドを送り込み王都内部に混乱をもたらす目的があるのなら、殺された相手もアンデッド化するのが望ましい。しかしあの少女はアンデッドにはなっていない」
なっていれば、今頃王都は大騒ぎだ。
「それに、トゥスとレヴィが出会った男は、アンデッドではなかったんだろう?」
『イマイチ見分けはつかなかったが、少なくともアンデッドってのは、吸血鬼くらいにならねぇと知性の欠片もねぇさね。吸血鬼は昼間出歩けねーもんだしねぇ』
クトーは、リュウを見た。
彼もジッと話を聞いていたが、臭うな、と言って腕組みを解く。
「喋り、昼間に出歩き、人体を変異させるとなりゃ、ほぼ悪魔の仕業だ。しかも迷いの結界を張ると来りゃ、まず間違いなく分体か成り上がりだろうな」
腰を浮かせたリュウの答えは、クトーと同様のものだった。
悪魔はアンデッドと同様に下級の魔物にも分類されるモノがいるが、人に憑く、人が狂わずに成り上がるとなれば上位悪魔……すなわち魔族と考えてほぼ疑いはない。
「迷いの結界を張るとなれば、猶予もないな」
「そうなの?」
「力を蓄え切っている。迷いの結界は一種の召喚術だ」
現世に、自分に有利な限定世界を構築して対象を引きずりこむ魔法である。
カバン玉の異空間と似たもので、違いは生き物をも取り込めるという部分だ。
ミズチが、クトーの説明にさらに付け加えた。
「自分の魔力が許す限り、その魔族の存在に近しい魔物を大量に出現させることも出来ます。……レヴィがファイアスクロールを使ってくれて助かりました。結界内で炸裂した魔力に干渉して結界を破ることが出来ましたから」
ミズチの言葉に、レヴィがきょとんとして彼女を見た。
「ミズチさんが何かしたの? もしかして、ものすごい爆発が起こったのはそれで?」
「そうです。最悪、『目』を使って自分が中に入り込むしかないかと思っていました」
また表情が暗くなった彼女に、レヴィは自分が本当に危険な状況にあったとようやく理解したのか、顔を引きつらせていた。
『運を使い果たしてなきゃいいけどねぇ』
ヒヒヒ、とトゥスがいつもの調子で言う。
不謹慎だが、レヴィは本当に強運に助けられている事が多い。
もっとも、それは彼女の持ち前の負けん気が引き寄せているのだとも思うが。
「気がかりなのは、その魔族が明らかに元人間だという点と、死んだかどうかが分からないところよねぇ」
頬に手を添えて困った顔をするジョカに、トゥスが大きく肩をすくめた。
『どうだろうねぇ。魔族の魂は肉体の死くらいじゃ滅せねぇ事もよくあるからねぇ』
「生きている、と想定する。ここからは常に、最悪を考慮して動く」
「最初から考慮しといて欲しかったわねぇ」
空気を和らげようとしているのだろう。
ジョカの言葉をクトーは甘んじて受け入れ、言い返さなかった。
「試験はどうなる?」
クトーが最後に尋ねると、ミズチが答えた。
「保留です。現状、依頼の目的は達成出来ていませんが、犯人に繋がるヒントを手に入れたのは彼女の手柄です」
「とりあえず、あいつがローラを殺した犯人っぽい証拠は手に入れたけど」
「何?」
言いながらレヴィが取り出したのは、緑の宝玉がヘッドに下げられたネックレスだ。
片方眉を上げてそれを掲げた彼女は自分の意見を述べる。
「カードゥーが教えてくれたのは、物取りの犯行だったけど。アイツ自身が魔族なら、犯人だった可能性、あるんじゃない?」
『わっちもその意見に同意だねぇ』
「なんの為に殺したのかは、よく分からないままだけど」
魔族との遭遇はレヴィにとって危険なものだったが、その分の収穫を得たようだ。
「よくやった。それを1度、メリュジーヌ女史の元へ持って行こう。そして陛下の返事があり次第、現場へ向かう」
クトーは方針を口にして、レヴィに目を向けた。
彼女は、ネックレスをかかげたまま、少し不安そうな目でこちらを見返してくる。
「……それはお前が持っていろ。俺と一緒にメリュジーヌ女史の所へ行くんだ」
「……! 分かった!」
パッと表情が明るくなったのは、自分が外されるかも知れないとでも思っていたのかも知れない。
「可愛い女の子には相変わらず優しいわねぇ、クトーちゃんは」
「そんなつもりはないが」
連れて行って支障がない要件でまで、外す必要がない。
レヴィの依頼が保留ということは、まだ別の依頼に試験が移るわけではないのだ。
再開した時に、情報の欠落があれば不利になる。
よほどのことがない限り、連れ回す方が暴走の危険も少ないだろう。
「俺も行くぜ」
「あら、それは無理よ、リュウちゃん」
「なんだと?」
リュウを制したジョカは、表情は笑みのまま瞳の色をより真剣なものへと変えた。
「ついさっき、3バカが戻ったの。それに、不穏な報告があったわ。この件の話し合いがひと段落するまで、と思って黙ってたんだけど」
続いて彼が告げた言葉に、その場の空気が張り詰めた。
「ーーー国境で、この国と北の小競り合いが発生したらしいわ」




