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少女は迷いの結界に囚われる。


『多少は中和出来るが、瘴気を吸いすぎるのは良くねぇね……』


 トゥスのつぶやきに、レヴィは即座に聞き返した。


「どうすればいいの?」

『肌に触れるのはどうしようもねぇが、体ん中に入れないようにしな。回りが早くなる』


 レヴィはうなずいて、腰の水袋を手に取った。

 グルル、と唸りながらもこちらに飛びかかって来ない男に、疑問を覚えながら首に巻いていた布をグイと口もとに引き上げて軽く濡らす。


 そのまま、邪魔な重さの水袋を足元に落とした。


「これでいい?」

『ま、効果はあんまり期待出来ねーだろうけどねぇ……対策も打てないんじゃどうしようもねぇさね』


 瘴気というのがどういうものか、レヴィは知らない。


 しかし多分、毒のようなものなのだろう。

 確か、あの温泉街で瘴気というのに触れた男は気が狂ったはずだ。


 なるべく早く決着をつけるしかない。

 ついでにレヴィは、先ほど感じた疑問をトゥスに投げかける。


「ねぇ、トゥス」

『何かねぇ?』

「あいつ、意識があるのかしら?」

『あん?』


 トゥスがいぶかしげに言うのと同時に、男が飛びかかってこようと身を屈める。


 それを見ながら、レヴィは毒牙のダガーを構えた。

 せめて足を傷つけて動きを奪えば、多少やりやすくなるはずだ。


「毒は、効くのかしらね!?」


 レヴィは、男の動きを追うことに集中した。

 相手の動きは早いが、見切れないほどではない。


「雑なのよ!」


 レヴィは、男が大上段から振り下ろしてきた手のひらを、ダガーで貫くようにして受けた。


 腕力と(つば)で押し返した爪の先が、額の前で止まる。

 明らかに人のものではない紫に変色した手だが、手首から先は人間のものだった。


 ぼんやりと紫の光をダガーの刀身が纏うが、相手の手は腐らない。


「効かないわね」


 レヴィはダガーを引き抜くために体を後ろに倒して足を跳ね上げた。

 男の頬を横薙ぎに蹴り飛ばすと、男の顔が弾かれたように横を向いて動きを止める。


 クトーやパーティーの仲間に比べれば、遥かに雑な体の使い方。


 身体能力にモノを言わせている。

 そして魔物よりも本能的じゃない(・・・・)動き。


 だがかなりタフなようで、男は倒れなかった。

 無理をせずに距離を取ったレヴィは、ダガーを振って血を飛ばす。


「やっかいね……」

『そういう事か。……嬢ちゃん』


 トゥスは、何かに気づいたようだった。


『ありゃ、人間じゃねぇ』

「何ですって?」


 男が自分の手のひらを見下ろすと、見る間に傷が塞がっていった。

 そしてさらに、手がどす黒く染まり、前腕部までが不気味に色を変える。


『魔族化に似てるが、それにしちゃ弱ぇ』

「魔族化って?」

『温泉街で見たブネってを覚えてるかい? あれと似たようなもんだ。多分もう、人にゃ戻らねぇ』


 トゥスの声が軽く沈んだ。


『……殺さなきゃ、救われねぇ』


 殺す。

 その言葉に、レヴィは緊張を覚えた。


 それをトゥスも察しているのだろう、さらに彼の声音が沈む。


『そして殺さなきゃ、お前さんが殺される事にならぁね』

「……」


 レヴィはまだ、自分の手で人を殺した事はない。


 傷つけるのではなく、命を奪う行為。

 それはほんの少し刺す場所を変えるだけの事だが、得体のしれない抵抗を感じた。


 だが、躊躇している暇はない。

 ふー、と大きく息を吐き、レヴィは腰袋からナイフではなく、ファイアスクロールを引き抜いた。


『使えんのかい?』

「ついさっき覚えたばかりだけど。そんなに難しいものじゃないわ」


 殺すのなら、破壊力が1番あるものを使わない手はない。

 

 レヴィは、自分から男へ向けて駆け出した。

 男がガルゥ! と腕を振るうが、レヴィは止まらない。


 大きく頭を沈めると、逃げ遅れたポニーテールの先が爪の勢いに引っ張られ、同時に微かに腐臭のような臭いを感じた。

 駆ける勢いを殺さないまま、レヴィは吼える。


「爆ぜろ!」


 そのまま大きく開いた男の股下へ飛び込みつつ、男の腹の前に留めるように赤い筒を投げ上げる。


「1!」


 レヴィは、すり抜けた直後に片足を軸に回転して伸び上がった。

 そして目の前に見える男の背中に、上げた足を振り下ろす。


「2!」


 そのまま自分の体を持ち上げて男の頭にも足を下ろすと、レヴィの重みで相手の体が沈む。

 グッと両足に力を込めて、最後に男の背中を足場にして上空に飛び上がった。


「3!」


 炸裂。


 腹に赤い筒を抱き込むように丸まっていた男の腕関節が、爆発の勢いで外れ、壊れかけた人形のようにその両腕がありえない方向に捻れる。


 さらに男が大きく天を仰ぐように背後に向けて吹き飛ばされた。


 威力は減ったが、それでもレヴィの体ギリギリの範囲まで炎を広げた爆風の熱に、目を細める。

 さらに風圧で体を上空へ押し上げられたレヴィは、チリチリとした痛みを顔に感じながらも姿勢を整える。


 布を口もとに巻いていて良かった。

 下手をすると喉を焼かれていたかもしれない、と思いながら着地し、頭の脇に手を当てる。


 爆音のせいで、キィン、と耳鳴りがしていた。


『無茶し過ぎだねぇ。火傷してねぇかい?』

「さぁ」


 顔がヒリヒリしているところをみると、軽く焼けているかも知れない。

 爆圧をモロに受けて吹き飛んだ男は、地面を転がってうつ伏せに倒れていた。


 明らかに死んでいる。


「……嫌な気分ね」

『命を奪うってぇのは、そういうもんさね。生きる為に魔物を殺すのと特に違いはねーよねぇ』


 トゥスは先ほどまでと違い、感情を殺した声で言った。


『そう、割り切っちまった方が良い』

「そうね」


 きっとトゥスは気遣ってくれているのだろう。

 だが、初めての人殺しは気分が悪くて動けない、というほどでもなかった。


 魔物なら殺した事がある。

 トゥスの言う通り、人間だから、魔物だからと、殺すことに違いがある訳ではないはずだ。……本来は。


「……ネックレスを回収するわ」


 レヴィは男の死体に近づくと、煙と共に肉の焼ける嫌な臭いをなるべく吸わないように身をかがめて、手を伸ばした。


 焼けてはいたが、壊れてはいない。

 グローブ越しに熱さを感じながら、なんとかレヴィがネックレスに触れると。




 男が、ニヤァと笑った。




『ゲゲゲ』

「!」


 レヴィが息を呑んで動きを止めると、ズルリと体の中に、なにかが入り込む感覚を覚えた。

 

 が。


『嬢ちゃんに、手をつけるのは許せねーねぇ』


 それを、即座にトゥスの気配が押し戻すのを、レヴィは感じた。


 しかし、異様な気配とトゥスが体内で蠢く感覚に吐き気を覚える。

 まるで内臓を無遠慮に掻き回されているかのようで、視界が歪むほどに気持ち悪い。


「ガ、ハ……!?」


 レヴィが、指をかけていたネックレスを男の首から引きちぎりながらふらふらと後退すると、異様な気配は体から抜けて、男が倒れて動かないままさらに声を上げる。


『活きの良い(にえ)であるな』

「!」

『取り込んでやろうと思えば、先に妙なものがついていたようである』

『……お前さんが、魔族かい?』


 男の言葉に、トゥスが重い言葉を投げる。


『ゲゲゲ。どうであろうな』

『惚けるのかい? それだけの瘴気を放っておきながら、他の種族である訳がねぇさね』


 男はその疑問には答えずに、ゆらりと体から黒いモヤを立ち上らせる。


『目論見を邪魔され、そのまま取り逃すのもシャクであるな。嫌がらせくらいはしておこう』

「質問に答えなさい!」


 ようやく不快感の波が収まったレヴィは、声を上げた。


「魔族が、なんでローラを……!」


 しかしレヴィが声を出し切る前に、男の体からモヤが爆発的に広がって思わず両手で顔を庇う。

 閉じた目を開けると、周囲がいきなり闇に包まれていた。


「な……? なにこれ!?」

『嬢ちゃん、周りを!』


 トゥスに言われて耳をすませると、周りの闇の中を何かが駆け回っている音が聞こえた。

 他にも、妙なものが上空を飛び回っているのを感じる。


 視界が利かない中で得体の知れないものが多く周囲にいる状況に、レヴィの背筋がゾクリと泡立つ。


『照らすぜ、嬢ちゃん!』


 トゥスがレヴィの体から抜け出ると、ヒュ、と何かを振る音と共に火の玉が出た。

 視界が戻り、薄くなった闇の中にチラチラと見える謎の影が走り回っている。


 犬のような。

 次に上空を見上げると、鳥のような。


 魔物だ。


「闇の魔物、かしら……強くはなさそうだだけど、数が……」


 レヴィはダガーを胸の前に構えながら、自分を取り囲むように駆け回っているらしい魔物を警戒しつつジリジリと壁際に近づいた。

 ドン、と背中が当たったところで、いくつかの気配がそれを聞きとがめて動きを止め、こちらを見たように感じる。


「トゥス……結界とかいうのの中だと、元の街ってどうなるの?」


 レヴィが問いかけると、近くに青く浮かんでいるトゥスは眉を上げた。


『迷いの結界ん中だからねぇ。多分影響はねぇとは思うが……』

「そう……」

『どうする気だい?』

「闇の魔物は、火に弱いのよね」


 レヴィは恐怖を感じた時に乾いてしまった唇を舐めた。

 幽霊の類は苦手だ。


 でも魔物なら、倒せる。


 レヴィはそっと空いている手で赤い筒を取り出して、手に握った。

 まったく手に入れたばかりでこんなに役に立つとも思わなければ、一気にこんなに使ってしまうとも思わなかった。


「高いのに、これ。でも、焼き払うには最適よね」


 笑みを浮かべるレヴィに、トゥスが呆れたようにキセルをふかす。


『兄ちゃん、持たせる道具を間違えたんじゃねぇかねぇ……嬢ちゃんがますます物騒になった気がするねぇ』

「爆ぜろ!」


 レヴィは叫んで、空中にファイアスクロールを放り投げた。

 そしてすぐそばの路地に飛び込んで、耳を塞ぎながら体を小さく丸める。


 すると想像以上の閃光が巻き起こり、閉じたまぶたの中にある瞳を突き刺した。


 爆発音の隙間に、魔物の悲鳴がいくつも響く。

 一体なにが起こっているのかと思いながら、どう考えても明らかに長い閃光の中でレヴィが待っていると、不意に喧騒が耳に届いた。


「……?」


 体を丸めた姿勢から恐る恐る目を開けると、視界が明るい。

 ガバッと体を起こして振り向くと、人々の姿が表通りに戻っていた。


『結界から抜けたようだねぇ。そうか、ありゃ魔力の炎か……』


 1人納得しているトゥスを放っておいて、レヴィは男の死体があった場所に目を向ける。

 男の死骸は元の場所になかった。


「何だったの……?」

『どうやら、ファイアスクロールが迷いの結界まで焼いたんだろうねぇ。戻れて良かったじゃねぇか』


 ヒヒヒ、とようやく笑うトゥスに、ホッと息を吐いたレヴィはすぐに立ち上がった。

 手を見ると、ネックレスはきちんとそこにある。


「報告しなきゃ……」

『無茶を怒られなきゃ良いがね』

「へ? 誰に?」


 レヴィが首をかしげると、トゥスは黙ってキセルの先を表通りに向けた。

 すると、そちらから歩んできたのは、紺の髪色をした美人。


 ミズチだった。


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