おっさん同士の仲違いを、別のおっさんが納める。
「お、もう戻ったのか?」
パーティーハウスへ戻ったクトーは、リュウの元へ向かった。
彼はデスクの書類から目を上げて軽く眉を上げる。
「レヴィにファイアスクロールの使い方を教えただけだからな」
クトーはレヴィと出かける事を彼に伝えて、半日だけデスクワークを代わってもらっていたのだ。
リュウが北へ向かう準備は滞りなく進んでおり、後は3バカの帰還を待っている状態だ。
「どこまで終わっている?」
「日帰り仕事の連中はまだ誰も帰って来てねーな。消耗品の納入と装備整備の工房の奴が来たくらいで、暇なもんだ」
「領収書の計算は?」
「仕分けは済んでる。やろうとしたらミズチが面白いもんを持ってきたからな」
クトーは、ピクリと眉を動かした。
大方、計算するのが面倒でこれ幸いにとサボる口実に読み始めたのだろう、と当たりを付ける。
「サボると給与を差っ引くぞ」
「これもお前の仕事の代わりかと思ってよ」
ニヤニヤと書類を振るリュウに、クトーは軽く息を吐いた。
ミズチ自ら持ってくるとは思わなかったが、おそらくレヴィの昇格試験の進捗に関する事だろう。
彼女もタイミングが悪い。
リュウの様子を観察すると、やはり明らかに普段と気配が違う。
「なんで俺の耳に入れなかった?」
リュウは口元こそ笑っているが、目が剣呑な光を帯びていた。
「……レヴィが試験を受ける事は伝えていたはずだが」
「そうだな。が、殺された子が助けた女の子だった、なんつー話は聞いてねーなぁ?」
マズい状態だった。
リュウが皮肉を交えた絡み口調で話してくる時は、心底不愉快な事がある時だと経験上知っている。
何が不愉快なのかは分からないが。
「言ったところですでに少女は死んでいる。そしてレヴィの依頼だ。お前が口を挟む余地はない」
「お説ごもっとも。で、それで俺が納得すると思ってる訳じゃねぇよな?」
ゴン、とデスクに拳を叩きつけたリュウは、笑みを消した。
「クソ妙な話だ。この辺りに住んでた子が、貧民街で死んでた。なのに壁門を通り抜けた形跡もなけりゃ、死体には外傷も呪いの気配もなく『ただ死んでただけ』?」
「……」
「しかもトゥスが瘴気の気配を察してる。つまり魔族が絡んでる可能性があるって事だ。……なんでレヴィに続けさせてんだ?」
魔族は、高位の魔物だ。
しかし魔物が力を得て成り上がるだけではなく、人や亜人が禁呪によって転化する場合もあれば、瘴気が穢れた魂や怨念を取り込んで生まれる事もある。
魔族は基本的に弱くてもBランク相当であり、大半はAランク以上の力を持っている事が多い。
リュウの懸念はもっともな話で、だからこそクトーは自分が知り得た幾つかの情報をミズチに伝えて他の情報がないかと書類にまとめて貰ったのだ。
「レヴィ自身の依頼は、あくまでも少女の足取りを追う事だ」
壁門の件については、レヴィが調べた事だった。
彼女は話を聞きに行って、そんな人物が通り抜けた記憶はないという憲兵の情報を引き出したのだ。
「仮に根の深い事件だった場合、危険度の変化に伴って彼女の試験内容の変更、もしくはその時点で依頼達成という措置が取られるだろう」
「お前バカか。あの暴走娘がんンな事まで考えるわけねーだろ。もし偶然にでも女の子を殺した犯人見つけたら突っかかりに行くに決まってんだろうが」
「む」
クトーは少し言葉に詰まった。
そこまで愚かではないと思うが、彼女の今までの行動から絶対にしないとは言えない。
「しかもそれが魔族だったら、殺されるどころの騒ぎじゃ済まねぇ。俺らが出張る必要があるくらいの案件だ。なんで言わなかった?」
「魔族が本当に絡んでいる、という確定情報はない。あくまでも情報を組み合わせた上での疑惑だ」
「お前らしいモノの言い方だが、俺の聞きたい答えじゃねーな」
リュウは当然、納得しなかった。
不意に空気が張り詰めるほどの怒気が放たれ、ドアの向こうで待機組が泡立つ気配がする。
「俺は、なぜ、俺に、この件を、伝えなかったのか、を聞いてるんだよ」
「お前が今やるべき事は、北の偵察へ赴く準備をする事だ。そしてこの依頼は、厳密にはパーティーへの依頼ではない」
【ドラゴンズ・レイド】として受けたのではなく、あくまでもレヴィ個人として受けた依頼……休暇中にリュウやクトーがギルドから受けたものと同じ扱いである。
リュウはすぐに情を移す。
関わった者が少しでも困っていれば、即座に手助けをしようとするような男だ。
それがいい方向に出ることもあれば、今のように悪い方向に出ることもある。
彼に、レヴィの依頼へ介入する権利はないのだ。
しかしリュウは、苛立ちを納めなかった。
「お前、本当に分かってんのか? 魔族だぞ? 確定だろうが不確定だろうが、間近で危機が起ころうとしてるかもしれねー時に、先の事ばっか言っててどーすんだ、このボケが」
「まだ確定した訳ではない、という部分が重要なんだろうが。全ての疑惑に対してお前が動かなければならないのなら、なんの為のギルドで、なんの為の国家だ」
ミズチへの情報提供と同時に、クトーはギルドと国の上層部へ同じ情報を上げるように伝えていた。
彼女は滞りなくやっているはずだ。
「リュウ。俺たちは一介の冒険者パーティーだ。魔王を倒したからといって、街で起こる問題に首を突っ込み、闇雲に動いていい権利を与えられている訳ではない」
「一介の冒険者パーティー? おお、そうだな」
納得するような言葉と裏腹に、リュウの額に青筋が浮いた。
「国だの権利だの、そういうクソみたいなしがらみを気にしねぇために、俺らは冒険者のまんまでいるんじゃねぇのかァッ!?」
ゴッ、という音と共にデスクを膝で蹴り上げたリュウが、クトーに向かってまっすぐに突っ込んで来た。
放たれた全力の右拳を、クトーは片手でいなす。
「俺が、助けなきゃなんねぇかもしれねーと思ったら、助けんだよッ!」
激情に支配されたリュウの動きは直線的で、クトーでもどうにか見切れる。
ポケットの中にあるカバン玉にもう片方の指を添えながら、リュウに制止をかけた。
「落ち着け」
「うるせぇ! 一発ぶん殴って目ぇ覚まさせてやらァ!」
今度は流れるように左回し蹴りを放つリュウに、クトーはカバン玉から取り出していたピアシング・ニードルを介して即座に術式を発動させた。
「硬めろ」
中級の肉体強化魔法を使用したクトーは、蹴りを脇を締めた腕で受ける。
メキィ、という鈍い音はお互いの体から聞こえ、強化魔法を行使しているにも関わらずクトーは痛みを感じた。
相変わらず規格外の破壊力だ。
「そんなにこの件に噛みたいのなら、自ら上に話を通せ」
「なんで俺が、わざわざホアンやニブルのご機嫌伺わなきゃいけねーんだァ!?」
リュウの突き上げるような右のアッパーを、クトーは体とアゴを最小限だけ逸らして避ける。
シャラシャラと風圧でメガネのチェーンが鳴るのを聞きながら、クトーは硬化した拳をリュウの腹に向かって放った。
常人であれば確実に体を貫ける一撃を、リュウは腹筋を固めるだけで受ける。
「何をそんなに荒ぶっているんだ?」
「お前こそ、なんで落ち着き払ってんだよそうやってよぉ! レヴィが心配にならねーのか!? 悠長にしてる間に殺される連中が出たらどーすんだ!? なぁ!?」
拳を受けた直後に胸ぐらを掴み上げてくるリュウの腕に手を添えて、クトーは首が締まるのを避ける。
リュウの顔はキツく歪み、目にはぬらりとした怒気が宿っていた。
牙を剥くように歯を噛み締めて睨むリュウを見慣れてはいても、その覇気は決して慣れるものではない。
「お前が何も考えずに動く事で、余計に混乱が起こるとは考えないのか」
それでもクトーは冷静に告げた。
レヴィには、ギルドの手練れが見張り役としてついている。
そして魔族が本当に暗躍しているのなら、今の段階で味方側が混乱するような動きをするべきでもない。
あの種族は嗜虐的な性質を持っていて、混乱はつけ込む隙を与えてしまうからだ。
「意思を統一して動く事は、重要な事だ」
「そうやってノロノロ悠長にしてて誰か殺されたらお前が生き返らせんのか!?」
「動いた挙句に被害が拡大する可能性の方も考慮しろ」
「だから被害が出る前に、速攻で潰すんだろうがァ!!」
平行線だ。
そして、話し合う事を諦めるか、とクトーが考えていると。
「なぁに? またケンカしてるの?」
ガチャリと、閉めていたドアが開いて、パーティーメンバーの1人が顔を見せた。
顔を出した相手をクトーの肩越しにチラリと見たリュウが、眉をしかめる。
「引っ込んでろよ、ジョカ」
「ダメダメよん。どうせ2人が言い争いしてるなら、話に決着つかないでしょ?」
うふふ、と笑いながら中に入ってきた人物は、リュウの不機嫌さを恐れた様子もなくこちらに近づいてくると、そっと彼の肩に手を添えた。
クトーが見上げたジョカという名前の彼は、強面の男である。
筋骨隆々とした体を開襟シャツで包み、きっちりとした角刈りに顎髭も丁寧に整えていて清潔感があるが、顔には女性のように化粧を施していてそれが非常に奇妙な印象を与える。
「今度の理由はなぁに?」
彼は野太い声で言いながら、クトーから離れるリュウの肩に添えていた手を柔らかく頬に持っていった。
※※※
ジョカは、常からパーティーハウスにいるメンバーではない。
依頼以外では、この王国から外へ出られないパーティーの代わりに『外を見る目』になってくれている人物だ。
定期連絡をしたところ、たまたま実家の方の用事で少し前まで北の国に滞在していたらしく、詳しく話を聞こうと王都に赴いてもらっていたのだ。
クトーたちは以前、彼に自分たちではどうしようもない問題を解決してもらった事があり、人格者でもある彼に恩を感じていた。
「なるほどねぇ」
クトーが現状を説明すると、ジョカは困ったように眉根を寄せた。
ケッと、忌々しそうに顔を背けたリュウは、そのまま言葉を続ける。
「危険すぎてDランク案件じゃねぇよ。このボケはそれを理解してねぇ」
「お前のそれはただの直感だろう。根拠もなしに動くなと言っているんだ」
「黙れよ能面野郎。どう見ても明らかにおかしいのが分かんねーなら文句垂れんな」
「はいはーい。分かったわよん。リュウちゃん、ちょっと落ち着きなさいな」
また歯を剥いてクトーに顔を寄せようとするリュウの胸元を、ジョカは優しく抑える。
「レヴィちゃんね。あの子、今はあんまり強くなさそうだけど、クトーちゃんが育ててるのよね?」
「ああ」
彼は片腕を腰に回して、もう片方の手で頬を撫でながら、ううん、と唇を尖らせる。
「なるほどねぇ……難しいところだけど、この場合はリュウちゃんの方が正しいかしらねん」
「何故だ?」
クトーの疑問に、ジョカは軽く眉根を寄せたまま困ったような笑顔になった。
「そうねぇ。普段あなたが言っている事が、その理由かしら」
「……俺が?」
よく意味が分からず、クトーはシャラリとメガネのチェーンを鳴らしながら首を傾げた。
「そうよん。よく言うじゃない。『困っている人を助けるのに、何か理由がいるのか』って」
「言っているが。魔族の暗躍に関する話と、どう繋がる?」
「そうねぇ……例えば、レヴィちゃんの依頼の件で、依頼主さんは困っているのじゃない?」
「娘の死に関する疑惑を明かしたいというのは、そうなのだろうな。だが、周辺情報が失われる以上の時間的な意味はないはずだ」
今回の依頼主は死んだ少女の両親である。
事件が解決しなければ困りはするだろうが、肝心の娘が死んでおり、事件を解明しても蘇るわけではない。
その辺りの機微は、クトーにはいまいちよく分からないものだった。
「死者は死者だ。救える可能性があるのなら全力を注ぐが、すでに手を離れてしまった者をどうやって救う?」
「クトーちゃんはその辺り、ドライよね。でも人間っていうのは皆がクトーちゃんみたいに強いわけじゃないから、なかなかそんな風には割り切れないの」
ジョカは、胸に手を当てた。
そしてチラリとリュウを見てから、クトーに目を戻す。
「大切な人が突然失われると、心の中ではまだ生きているものなのよ。そうね……ミズチちゃんを失いかけた時に、クトーちゃんは乱れたと聞いているわ。その時の気持ちを、思い返してごらんなさい」
言われて、魔王城での最後の時の事を思い返してみた。
これからミズチが生きていくべき未来が失われると感じ、焦げ付くような情動を覚えたことを。
「どんな気持ちだった? 何が何でも死なせたくないと、思っていたかしら?」
「ああ」
「それをもし、邪魔する者がいたらどう思う? 救えたかもしれないのに、邪魔をされてミズチちゃんを救う機会を奪われてしまったら。でも、それが誰なのか分からなかったら」
「……世界の隅々まで探し尽くして、報いを受けさせるだろうな」
「それが、娘さんを失ったご両親の気持ちよ。そして、リュウちゃんが怒る理由」
ジョカは、その奇妙な外見や口調に反して、人の気持ちに理解を示す上に冷静な人物だった。
クトーとリュウが言い争いをしている時に、どちらも納得させる事ができる稀有な存在だ。
「クトーちゃん。あなたは強くて、賢くて、とても凄い人よ」
ジョカは、言葉を選ぶようにゆっくりと告げた。
「でも強すぎて、賢すぎて、自分の心まで押さえつけてしまえる。折り合いのつかない感情を、理性で整理出来てしまう。すごく歪で、少し心配になっちゃうくらいにね」
リュウも、彼の言葉に口を挟まなかった。
黙って先をうながすと、ジョカはクトーから目を逸らさずに首を横に振る。
「でも、普通の人はそんなにすぐには折り合えないのよ。もし仮に、ミズチちゃんをあなたが救えなかった時に抱くような感情を、ずーっと持ち続けてしまうの。なんで、なんで、って。原因が分からないなら、なおさら長く、折り合えないままに潰れてしまう人もいるのよ」
「……それで、何がどう魔族の話に繋がるんだ」
自分が人の気持ちに疎いことは理解している。
クトーの疑問に、急かさないの、とジョカはウィンクした。
「リュウちゃんが言ってたでしょう? レヴィちゃんが心配じゃないのか、魔族に殺される人が出たらどうするんだ、って。クトーちゃんは、本当に魔族が関わっているのなら、こちらの混乱に乗じて魔族が動き出さないかを危惧してる。……魔族による被害を望んでいないのは、どちらも同じよ」
クトーはリュウに目を向けた。
少し落ち着いたのか、苦虫を噛み潰したような顔で頭を掻いている。
「私は、この件に魔族が絡んでいるっていうリュウちゃんの意見を支持するわ」
「なぜだ?」
「杞憂で構わないから」
ジョカは、それをはっきりと言い切った。
「魔族がいないなら、それでいいのよ。でももしいたら、それはレヴィちゃんの試験より優先して解決しないといけない事柄じゃないかしら。その段取りを、クトーちゃんが人任せにしてる事が、リュウちゃんは気に入らないのよ」
でしょ? と問いかけられて、リュウは大きく息を吐いた。
クスリと笑ってから、ジョカは今度はクトーの肩に手を置く。
「リュウちゃんは、ある意味であなたより弱いの。力じゃなくて、心がね」
そっと肩に置いたのと逆の手を自分の胸元添えるジョカに、リュウが何か言いたげな様子を見せたが、彼は目配せでそれを制した。
「人の気持ちにより添えてしまうから、失われた時に人が抱く感情もあなたよりきちんと知っているわ。だからこそ、リュウちゃんはあなたより強いとも言える」
ジョカは後じさってこちらとリュウを見回した。
「お互いに分かったかしら? あなた達は両輪なのよ。すぐに喧嘩腰にならず、ちゃんと歩み寄りなさいな」
「クトーの頭が硬いからだよ」
「お前の言葉が足りないんだろうが」
「言ったそばから喧嘩しないの。相変わらずねぇ」
呆れた笑顔で腰に手を添えたジョカは、さらに言い募る。
「リュウちゃんは短気にならずに。クトーちゃんの性格なんて、私よりもよほど知っているでしょう?」
「……」
「クトーちゃんは、リュウちゃんが本気で怒った時は、こう考えなさいな。リュウちゃんは、あなたが救うべき力のない人々の心を代弁しているんだって。さまざまな物事を理解できてしまうからこそ、ついあなたが忘れがちな事を、リュウちゃんは思い出させてくれるから。ね?」
「覚えておこう」
クトーがうなずくと、ジョカはようやく満足そうな笑みを浮かべた。




