おっさんと少女は、お互いの距離を確認する。
クトーは、【風竜の長弓】を取り出して風の矢をつがえた。
後衛を務める時のいつもの装備だ。
そのまま見守る前で、レヴィがトゥス顔カバンを放り出しながら、自分の倍ほどもあるワイザラッシュ・アリゲーターに突っ込んでいく。
攻撃範囲に入った少女に対し、魔物が首を大きく後ろにたわめる。
直後に、弾けるような速さで首を伸ばした。
レヴィを丸呑みに出来そうなほどに大きく開かれた凶悪な口を、彼女は小柄な体でかいくぐる。
そのまま左の側面に回り込み、レヴィは魔物の前足を狙って毒牙のダガーを突き立てた。
ウロコを貫いて浅く刺さったダガーが『腐蝕』の効果を発動し、アリゲーターの傷口が紫色に染まって腐り始める。
『ギュゥガァアアアア!』
敏感な場所に傷を受けて苦痛の声を上げた後、魔物がぐるりと首を巡らせた。
しかしその時にはもう、レヴィはアリゲーターの背中を飛び越えて反対側に着地している。
相手にした事がある、という言葉通りに、対処法を心得ているのだろう。
「爆ぜろ!」
レヴィは魔物が自分を見失っている間に、ファイアスクロールを握りしめて叫んだ。
魔力の気配が赤い筒から放たれるのと同時に、彼女はそれをワイザラッシュ・アリゲーターの腹下へと放り込む。
そのままどうするのか、と思っていたら、レヴィは魔物の背中に飛び乗った。
「こっちよ!」
レヴィとアリゲーターの目が合う。
そして魔物が行動を起こす前に、ボン、と鈍い音が響いてその体が軽く浮いた。
炎の気配が魔物の体に圧されて左右に吹き出るが、大きく跳ねた背中の上にいるレヴィに影響はない。
バランスすら崩していなかった。
そして一秒にも満たない間の後、痛みを感じたらしき魔物が再び大きく口を開ける。
「爆ぜろ!」
その間にもう1本、皮袋から赤い筒を抜き出していたレヴィが、投げナイフの要領でワイザラッシュ・アリゲーターの口に向かって腕を振るう。
『ギュルォッーーー!?』
喉に入りこんだ異物に、魔物は咆哮と息をせき止められた。
そのアゴを、跳躍したレヴィがブーツの先で蹴り上げる。
「終わり!」
そのまま、くるん、と後ろ向きに宙返りして着地する。
左手と両足で体を支えたレヴィは、動きを止めずに今度は思い切り後ろに跳ぶ。
直後。
蹴られて口を閉じたワイザラッシュ・アリゲーターの体内で、ファイアスクロールが炸裂した。
逃げ場のない威力が魔物の首を膨れ上がらせ、中ほどから弾け飛ぶ。
大きく宙に魔物の頭が舞い、同時に周囲に肉片が撒き散らされた。
レヴィに、飛び散った青い血が少しだけかかる。
「あー!」
クトーは、声を上げるレヴィから魔物に目を向け直した。
天高く跳ね上がってこちらに向かってくるワイザラッシュ・アリゲーターの頭に対して、風の矢を放つ。
キュン、という甲高い音と共に矢がアリゲーターの頭を撃ち抜いて、落下の方向が逸れた。
弓と一緒に視線を下ろすと、慌てて手布を取り出して血を拭き取るレヴィが見える。
しかしその程度で、べったりと張り付いた血が全て取れる訳もなく。
「ぅー……臭いぃ……気持ち悪い〜!」
「格好をつけた真似をするからだ」
ファイアスクロールを魔物の喉に打ち込んだ後にさっさと逃げていれば、楽に距離を取れたはずだ。
しかしレヴィは、むぅ、とクトーの方を睨みつけてきた。
「何よ、あの方が確実でしょ!?」
「威力を密閉せずとも、そもそも炸裂の威力に耐えられる魔物ではなかった。再生能力を備えているわけではないからな。後、ファイアスクロールの発動に声を出す必要はないぞ」
「念じるってのがどんなもんか分からないんだから仕方ないでしょ!? 声出した方が気合い入るじゃない!」
「ふむ」
クトーは弓をしまってアゴに手を当てた。
スキルの発動と何が違うのか分からないが、魔法を使ったことがない者には馴染みのない感覚ではあるだろう。
ファイアスクロールを扱うのに苦労した者を見たことがないので、失念していた。
「次に誰かにファイアスクロールの扱いを教えることがあれば善処しよう。それと一つ質問があるんだが」
「何?」
「毒牙のダガーの効果を、好きなように発動出来るのか?」
レヴィは最初に足を攻撃したが、効果込みのダメージを想定していたように見えた。
装備の効果というのは、慣れるまでは発動しない事が多くあり、そのせいで効果付き装備を信用していない者もいる。
だが、レヴィは事もなげに答えた。
「出来るわよ。てゆーか、発動しなかった事とかないし」
「やり方が分かっているんだな?」
「よく分かんないけど、そのつもりで刺せば効果が出るし」
相変わらず経験と素質がちぐはぐな少女だ。
「見所があるとは思っていたが……む!?」
「今度は何よ」
こちらに近づいてきたレヴィが、なぜか不機嫌そうにうめく。
クトーは、放り出していたトゥス顔カバンを背負い直したレヴィの頭が気になっていた。
「センツちゃんが、血で汚れている……!?」
それは温泉街でレヴィにプレゼントしたもので、愛くるしいキャラクターをあしらっている髪留めだ。
それが、血まみれで笑う不気味な代物へと変化していた。
「せっかく可愛らしいものなのに、このままでは台無しだ」
「私の髪が汚れたのは気にしないくせに、髪留めの汚れは気にするの!? って、あ……」
頭に手を伸ばすとレヴィが軽く身を引いたが、クトーは気にせず髪留めを外した。
少し前髪を気にするように頭に手を当てた彼女の前にしゃがみ込み、金属の器を取り出して腰に下げた飲み水を中に注ぐ。
「離れるぞ」
「は、ぅえ!?」
レヴィの手をつかんで少し離れた場所に移動したクトーは、メガネのブリッジを押し上げた。
「燃やせ」
メガネの魔法効果が発動し、クトーは金属の器を吹き飛ばさないように少しズレた位置へ火の矢を撃ち込んだ。
炎が治った後、金属の器が軽く白煙を上げて中の水が沸騰しかけている。
近くに戻ってそれを確認したクトーは、塩をひと匙、湯の中に振り撒いた。
そして中に、センツちゃんの髪留めを入れる。
「これで血の汚れは取れるだろう」
「……………あなたね」
ひくひくと何故か口のはしを震わせているレヴィに向き直り、自分の手巾を取り出して水を含ませる。
どうせ待つ時間があるのなら、動いていたほうが有意義だ。
「少し大人しくしていろ」
「はえ!?」
レヴィの耳から頬にかけて軽く手を添えたクトーは、顔を近づけて彼女の黒髪を見る。
艶やかでしっかりとした髪に、べったりと青黒い血が張り付いていた。
「く、クトー……?」
「動くな」
手巾で、レヴィの髪筋をなぞるように丁寧に血をぬぐっていく。
しばらくして多少はマシな状態になった。
「今日は、調査の前にでも湯屋に行くことだ。このまま放っておくと傷むかもしれん」
言いながらレヴィの顔を見下ろすと、間近にある美貌が真っ赤に染まっていた。
彼女の頭に手を添えたまま、クトーは首をかしげる。
「どうした?」
「なななな、なんでもないわよ! 終わったなら離れなさいよ!」
レヴィに体を押されて、クトーは手を離して屈むのをやめた。
一体どうしたというのか。
レヴィは、少し横を向いて自分の体を抱くように身をすくめていた。
う〜、と呻いている彼女を見ながら、クトーは再び手巾を濡らして染み込んだ血を絞ってから、カバン玉の中にしまう。
やがて、少し顔の赤みが引いてきたレヴィが上目遣いにこちらを見上げた。
「……ありがと」
少し潤んだような目で拗ねたようにそう言う可愛らしいレヴィに、クトーはうなずき返した。
「気にするな」
それよりも、少し気になった事を聞いてみる。
「イリアスの香りがするが。何かつけているのか?」
「……!」
クトーが問いかけると、レヴィはビクッと肩を動かした。
イリアスとは、花の名前だ。
クトー自身も好む香りで、寝巻きである着ぐるみ毛布に香り袋を入れている。
「わ、わかるの!?」
「同じイリアスでも、人につくと微妙に違う香りに変化するからな」
自分のものではないと感じたから聞いてみたのだが、再びレヴィの顔が真っ赤に染まる。
「ききき、気のせいじゃないの!?」
「そうか」
クトーはそれ以上追求しなかった。
五感の鋭さにはそれなりに自信があるが、絶対に間違わないとは言えない。
「そろそろいいか」
頃合いだろうと思い、クトーは器に入れた髪留めを取りに行く。
背後でレヴィが何かつぶやいたが、よく聞き取れなかった。
「…………もらった着ぐるみ毛布を、着てたのがバレる……………!」
「何か言ったか?」
「なな、何でもないって言ってるでしょ!?」
こんなやり取りも久しぶりな気がするな、と思いながら、クトーは帰る準備を始めた。
※※※
危なかった。
レヴィは少しホッとしながら、クトーと別れて王都の大通りを歩いていた。
「クトーにバレたら、普段から着てろとか言われちゃうからね……うん、絶対言う」
黒ウサ型の着ぐるみ毛布は、身につけてみたら思ったよりも暖かいものだった。
ここ最近寝付けずに少し寒気を感じていたから、どうせ寝れないならと布団にくるまる代わりに着ぐるみ毛布を着ていたのだ。
イリアスの香り袋は、以前温泉街でクトーに貰ったものだった。
良い香りに包まれると落ち着くというから。
実際にそのままウトウトしてしまい、気づいたら朝だったのだ。
元々野宿用なだけあって、全然体も冷えなかった。
レヴィは、口で言うほど可愛いものが嫌いな訳ではない。
でも、単純に喜ぶのはなんだか気恥ずかしい。
髪留めも、着ぐるみ毛布も、トゥスの顔の形したカバンも、人前で付けるのは恥ずかしいが実は貰って嬉しかった。
クトーには絶対に言わないけど。
「っと、ここかな?」
トゥスとの待ち合わせはお昼過ぎで、ちょうど良い時間になっていた。
待ち合わせ場所は、パーティーハウス近くの広場が見える側道で、あんまり人が通らないところだ。
連れて行かなかったのは、あの仙人はレヴィの練習を見たら絶対に茶化すから。
「……トゥス?」
『ヒヒヒ。お楽しみだったかい?』
声をかけると、トゥスがゆらりと姿を見せた。
相変わらず空中にあぐらを掻き、気だるそうにキセルを吸っている。
「それさ、いつも思ってたんだけど火とか消えないの?」
『別に燃やしちゃいねぇからねぇ。霞を食いながら香りを楽しんでるだけさね』
「……前に火の玉出してなかった?」
『ありゃ術だからねぇ。コイツ自体が媒介になってんのさ』
トゥスのキセルでコンコン、と頭を叩かれて、レヴィは驚いた。
「さ、触れるの!?」
『こいつは特殊なモンでね。この衣も。……まさか体の一部だと思ってたのかねぇ?』
「……」
そもそもトゥスについてそこまで深く考えた事がなかった。
頭をさすりながら黙るレヴィに、何を思ったのか仙人はヒヒヒと笑った。
『そんで嬢ちゃん、今日はどこに向かうのかねぇ?』
「えっとね……」
レヴィは、ゴソゴソとポケットを探って、クトーから預かった藁半紙を取り出した。
別れる前に、クトーに1つだけ教えてもらったのだ。
「腕利きの情報屋で、貧民街に詳しい人がいないかって聞いたら、この人を教えてくれたのよ」
名前と、どこへ行ったら会えるかを記した紙を見て、トゥスが驚いたように片眉を上げる。
『へぇ、どういう心境の変化だい?』
「……自分に出来ない事なら、人に頼るしかないじゃない」
聞き込みをしても、有力な情報を得られないまま数日が過ぎたのだ。
そしてクトーに問われた。
自分にとって大事なのは何なのかを。
「別にこれで、試験を落ちても良いわ。それより、早くローラの件を解決する方が大事だって、気づいたのよ」
『……ヒヒヒ』
トゥスは、さすが兄ちゃんだ、と手で膝を打った。
『人を育てることにかけては、本質を見抜くあの目はすげぇね。ご本人のデコボコっぷりにはたまに呆れるが』
「……クトーがデコボコ?」
確かにかなりの変人ではあるが、この仙人の口ぶりはまるでクトーが子どもであるかのようだった。
レヴィから見ると、実力と冷静さを持つ大人にしか見えない。
でも、その疑問を口にする前に、トゥスは目を背けてしまった。
『ま、嬢ちゃんの肩の力が抜けたなら良いことさね。その情報屋とやらに、さっそく会いに行くんだろう?』
「あ、うん」
レヴィは、クトーに言われた事を頭の中で思い返しながら、紙に記された場所へ向けて歩き出した。




