おっさんは、少女を奮い立たせる。
クトーは、レヴィとともに王都の水源となっている川の下流に来ていた。
王都の外壁がまだ見える程度の距離だが、それでも外で街道からは少し外れた場所なので人の姿はない。
レヴィは河原の大きな岩に腰を預けている。
褐色の太ももの間に置いた両手で体を支えながら足をブラブラさせている彼女に対して、クトーは赤い筒状の魔導具を示した。
細い、中指程度の長さを持つ筒は真ん中あたりにフシがある。
「このファイアスクロールの使用方法そのものは、大して難しくはない。狙いを定めて投げるだけでいい」
「……あのさ、クトー」
レヴィは、どことなく不満そうな顔でクトーの説明をさえぎった。
「なんだ?」
「久しぶりに1対1で講義してくれるのはありがたいんだけど、丸1日調査の時間が潰れるのはちょっと困る」
朝早くに出たのでまだ昼にもなっていないが、レヴィは登っていく太陽に目を向けた。
クトーは、そんな彼女の様子に軽くメガネのブリッジを押し上げる。
「今日は夜間の調査を行うんじゃなかったのか?」
「それはそうなんだけどさ……」
レヴィは歯切れの悪い口調で、困ったように唇を曲げた。
ポニーテールも、元気なくへにゃりとしている。
トゥスの言う焦り、はこういう話か、とクトーは内心でうなずいた。
調査以外のことに対して気がそぞろになっているのだ。
依頼に集中するのは大事だが、それで視野が狭くなっているのはいただけない。
目的のみに邁進していると、仮に調査の過程で不審な出来事が起こっても見落としてしまう可能性が出てくるからだ。
「そういえば、朝は食事をしたのか?」
「え? ううん、今日はちょっと寝坊したから……」
よく見れば、目の下に薄くクマが出来ている。
入れ込みすぎて眠れていないのかもしれなかった。
「では、先に食事にしよう」
クトーは一度ファイアスクロールをしまい、レヴィの横にある岩に腰掛けた。
カバン玉から、弁当箱とコップをそれぞれ二つ取り出す。
「何これ?」
「弁当だ」
「それは見れば分かるけど」
一つのフタを開けると、中に入っているサンドイッチが姿を見せる。
コッペパンに切れ込みを入れて具材を挟んだ簡単なものだ。
それを一つレヴィに渡して、クトー自身も手に取った。
間に挟まっているのは、レタスとベーコン、それにマスタードソースだ。
レタスは瑞々しい緑に軽く露を浮かべており、ベーコンはじっくりと熟成させた味の良いものを厚切りにしている。
マスタードの鮮やかな黄色と、赤と緑のコントラストも目に美味しい一品だ。
「……美味しい!」
「そうだろう」
一口かぶりついて、もぐもぐしたレヴィが小さく笑みを浮かべるのに、クトーは満足した。
トゥス顔カバンを背負い、口のはしにマスタードをちょっとつけた彼女は、小さな子どものように可愛らしい。
「お手製だ」
「あなたって本当になんでも自分でやるわね……」
「ポテトサラダもあるぞ」
もう一つは、大きく切ったジャガイモを粗く潰し、千切りにしたキュウリとマヨネーズをあえたシンプルなものだ。
フォークを二本添えてあり、レヴィはそちらも美味しいと言いながら食べる。
クトーはコップに注いだ水を口に含みながら、景色に目を向けた。
軽く自分が手にしたサンドイッチを食むと、ベーコンの弾力とシャクリとしたレタスの食感を感じられる。
噛めば肉の旨味やマスタードのピリリとした辛味が口の中で混じり合い、それをレタスの水気が包み込んで幸せな気分になる。
食事は健康の基本だ。
美味しいものを食べれば張り詰めていた気分も少し外れた安らぐものなのだ。
「見ろ、レヴィ」
「ぅむ?」
夢中で食事をしていた彼女は、クトーが川を指差すと目をそちらに向けた。
陽光にきらめく川と、水草に覆われた川辺。
石の転がる河原の向こうに広がる、夏が近づいて青々と茂る木々。
その向こう側にある王都はまだ薄い色をした空にレンガの色を鮮やかに浮かばせて、王家の紋章を描いた旗を風になびかせている。
「綺麗だと、思わないか」
かつて魔物が巣食っていた王都は、同じように見ても禍々しさを感じるものだった。
その中に住む人々に喧騒はなく、また笑いもなかった。
多くの人が住みながら誰しもが息を潜め、魔物が今よりも荒ぶっていた森は不気味な何かの鳴き声が常に木霊するような場所だった。
今は、静かだ。
王都とて現状に何も問題がない訳でもないし、森も虫や鳥などの鳴き声や川のせせらぎはそれなりに音を立てているが、肌で感じるひんやりとした自然の空気が静けさを感じさせてくれる。
「リュウが張り詰めて思い悩むだけの男だったら、この景色は存在しなかった」
レヴィに目を戻してあたらめて言うと、ハッとこちらを見た。
「うちの連中は、誰もがあいつを慕っている。その他の多くの者もまた。……どんな逆境でも感情豊かに笑い、奮い立つリュウの姿に希望を見た」
苦難の中で荒んだ者たちは、彼に救われて変わっていった。
平和を手に入れるのだ、と逆境を跳ね除けていく彼は、一つ村を、街を、都を救うたびに飲んで騒いで、誰よりも取り戻した幸せを楽しんでいたのだ。
「お前は、そうなりたいんじゃないのか?」
クトー自身は、リュウのようにまばゆい存在にはなれない。
常から細かいことを気にしてしまい、人の気持ちに疎い自分だが、それでも人々が笑う姿を見るのは好きだった。
「お前が暗い顔をしていたら、お前を頼りにしている者も不安になる。闇雲に突き進むだけでは、やがて折れる」
強い意志は、冒険者には必要なものだ。
だが同じくらい、今在るものに目を向けて息をつくこともまた、必要な資質なのだ。
「少し落ち着け、とトゥス翁にも言われただろう?」
ぽん、とレヴィの頭に手を置くと、彼女は唇をかんだ。
サンドイッチを食べ終えて空になった両手の指をこすり合わせる。
「……せっかく、助けたのに」
そう言ってうつむいたレヴィは、泣きかけているようだった。
「ローラが初めてだった。リュウさんとクトーに協力して、足手まといじゃない冒険者として、助けたのは……」
「クシナダも救った」
「トゥスがいたし、結局任せたもの。ドラゴンにだって、クトーが来てくれなきゃ殺されてた……」
うつむいたレヴィの目は見えないが、声が震えてた。
「なんであの子が殺されなきゃいけなかったの」
「お前は、殺されたと思うのか?」
レヴィは小さくうなずいて、歯を噛みしめる。
「だって、おかしいもの。ブルームだっておかしいと思ってる。似顔絵を受け取りにいった時に聞いたの。調べようとしたら上からダメだって言われたって」
だから、ギルドに委任するように商家の両親にそれとなく伝えたらしい。
クトーはその言葉に目を細めた。
それが事実ならば、今回の件に憲兵の内部の者が関わっている可能性がある。
ミズチは、そうした事情を知らないのだろう。
もし問題が憲兵内部に届くのなら、この件はレヴィ1人の手には余る。
依頼はあくまでも少女の足取りを追う事だが、瘴気の気配といい、そこから出てくる事実次第ではDランク依頼を超える依頼になる可能性があった。
「続けたいか? この依頼を」
「続けたいに決まってるじゃない!」
レヴィがバッと顔を上げがことで、クトーは手を離した。
「ローラは殺されたのよ。犯人を誰かが隠そうとしてる。殺されたなら、そいつを絶対に捕まえるのよ!」
いつもの苛烈なほどに気の強い眼差しに、クトーは軽く首をかしげた。
シャラリ、とメガネのチェーンが鳴る。
「ならば、やはり落ち着く事だ。お前が張り詰めているのは、少女に対する気持ちの問題だけではない。……いつもの自信が、ないからだ」
「自信……?」
「そう。入れ込んでいるが、同時に不安を感じている。この手の依頼は、苦手な依頼だろう?」
レヴィは、瞳を揺らした。
彼女は自分の力量に不安を抱いている。
魔物が相手だったり、体を動かす明確な目的がある物事には過剰なほどに自信があるのに、事務仕事や調査など、目に見えない何かを相手にすると途端に不安になる。
「レヴィ。戦闘も事務も、そして今回のような調査も、物事の本質は変わらない。『何のためにそれをやるのか』を1度明確にする事だ」
不安を感じるのは、自分の中に指標がないからなのだ。
「戦闘で初めての魔物を相手にする時、必要なのは観察する事。そして弱点を見つけるか、相手の実力を見切る。その上で自分に有利に状況を進めて目的を果たす。逃げるのでも、立ち向かうのでも」
それは散々教えた事だ。
たった1つしかない命の危険は、魔物という脅威に対しては明確に見える。
「事務仕事も、なぜ手続きを踏み、申請をする必要があるのか。結局は、自分や仲間の身を守るためだ。それをしない事で損をする、将来的な危機や目の前の利益を逃さないために備える」
手続きのための手続き、という無駄は、そういう点を考えない時に発生する。
何が根本的な目的で何の為に成すのか、を考えるのは、目先にとらわれない為に必要な事だ。
「調査は、一体何の為にそれをするのか、だ。自分の報酬の為か、依頼内容だけをこなしたいのか……あるいは、真実を暴きたいのか」
レヴィは、ジッとクトーを見つめていた。
「試験に合格する事が目的ならば、やめておけ。試験を受けるのは自分の力量がどの程度かを量るためであって、決して試験に合格する為にやるのではない。それは本来、ただの結果でしかない」
「……!」
「試験であっても依頼は依頼だ。何をすれば自身や依頼者の利益となり、目的を妨害し何かを隠す者がいれば、なぜ隠したいのか。自信がないのはそういう点が曖昧だからだ。感情のままに動いて、試験に合格する為に動いて、お前はその目的を達成出来るか?」
そうした点を踏まえて、自覚し、そして目的の段階を徐々に手元に引き寄せていくのだ。
隠れた者を暴くには、誰が隠しているのかを見つけなければならない。
誰が隠しているのかを知るには、その手がかりとなるものを見つけなければならない。
そして手かがりが落ちているのは死んだ少女の周囲であり……その為に足取りを追う。
必要なのは、雑念に惑わされない心持ちだ。
レヴィは指先をこすり合わせるのをやめて、グッとアゴを引いた。
「……どうすればいいの」
「落ち着き、堂々としていろ。自分はやれるんだと、いつものようにな」
そしてクトーは、レヴィの様子に薄く笑う。
「『この私の手にかかれば、こんな調査くらい余裕』だと。魔物を相手にする時のように、そう思え」
レヴィは、軽く口を開いてポカンとした顔をした。
特におかしな事は言っていないはずだが、とクトーは問いかける。
「なんだ?」
「……そんな事言うの、クトーっぽくない」
呆けた顔から、少し恥ずかしそうな顔に変わったレヴィは上目遣いにこちらを睨みつけてきた。
いつもの調子に戻ってきたようだ。
「バカにしないでよね! いいわよ見てなさい、私だってやれるんだから! 全然焦ってなんかいないんだから!」
「その意気だ」
そうは見えなかったがな、と思いながらもその言葉は胸に秘め、クトーはサンドイッチ最後のかけらを口の中に放り込んだ。
「では調査の時には、目を皿のようにして色々な物事を見聞きしろ。そして疑わしいものに気付け。お前ならやれる」
クトーはレヴィを信頼していた。
危なっかしいのは相変わらずだが、自分をしっかりと持てていれさえすれば、彼女には十分すぎるほどの素質があるのだから。
「では、食事も終わった事だし、ファイアスクロールの使い方を教えよう」




