おっさんは、少女の内心を知る。
『兄ちゃんよ』
リュウが去った後、姿を見せたのはトゥスだった。
クトーは入り口に目を向けたが、ドアが開く気配はない。
「レヴィはどうした?」
『今戻って来てる最中さね。嬢ちゃんが来る前に、兄ちゃんに一個伝えときたい事があってねぇ』
ヒヒヒ、と笑った仙人は、テーブルの上にあるトゥス顔カバンを一瞥するが、特に何も言わずに話を続けた。
『今回の依頼は、やめさせた方が良いんじゃねーかねぇ』
「何か問題があったのか?」
『依頼の死体が、この間強盗に入られた商家の娘でねぇ』
クトーは、かすかに眉根を寄せた。
どこまでも、運のない少女らしい。
トゥスの目を通して見た彼女の姿を思い出し、クトーは少し嫌な気分になった。
ミズガルズの件といい、ここ最近は顔を知る者の死に関する話題が多いような気がする。
トゥスはクトーの方を向いておらず、レヴィが帰ってくる事を気にしているのかドアに目を向けていた。
『嬢ちゃん、少しは落ち着いたが見てるとやっぱ乱れてる。ありゃ失敗するかもしれねぇ』
「別に失敗しても構わないが」
それは、レヴィがDランクに上がるにはまだ早かった、というだけの話だ。
しかし、本当にどうでもいいのならトゥスは何も言わないだろう。
何を気にかけているのかと問いかけるまでもなく、トゥスは続きを話し始めた。
『ちぃと気になる事があってね』
トゥスらは依頼を受けた翌日に少女の両親に会った後、少女が倒れていた場所へ向かったのだという。
『両親の話によると、死んだ子にプレゼントしたネックレスが奪われてたらしい。んで、死んでたとこに行ったら、物取りか犯人かは分からねぇんだが……瘴気が臭った』
「瘴気……」
それが本当だとしたら、かなり重要な情報だ。
王都は聖結界によって守られており、外部からの侵入が出来るなら抜け道があるという事になる。
世の中には天地の気から分かたれた三種の力がある。
魔法という理を行使する為の魔力。
神々と、選ばれし者に宿る神霊力。
そして、魔王を含む魔の者が振り撒く瘴気だ。
聖邪それぞれの性質を表す力であり、瘴気を持つ者は仮に人であったとしても魔に侵されている。
「魔族か魔物が、王都に居るのか?」
トゥスは頭を横に振り、尻尾をゆらゆらと揺らした。
細い光彩を持つ獣の瞳にかすかな憂いを浮かべている。
『さーねぇ。いるかどうかまでは分からねぇが……問題は、それを『何か怪しい事はねーか』と嬢ちゃんに尋ねられてもいねぇわっちが教えるわけにゃいかねーって事と、嬢ちゃんが失敗して遺された連中が報われねぇ結果が出ねぇか、ってとこさね』
「ふむ」
トゥスは依頼としての成否ではなく、事件の内容そのものを気にしているらしい。
1人の少女が死んだ。
それ自体はよくある話だが、レヴィの失敗によって周辺の不幸が増すのはクトーにとっても良いことではない。
「何か口を出したのか?」
『冷静になれって話と、ちぃとばかりの助言だねぇ。この試験は、最終的に嬢ちゃんが考えりゃいいんだろ? 問題があったかい?』
「いや」
クトーはアゴに指を添えた。
トゥスは、レヴィに助言とヒントを出したようだが、それ自体は問題ではない。
欲しいものを与えてくれる相手がいる事……すなわちコネがある事も冒険者の力、というのがクトーの持論だからだ。
助けられるのではなく、上手くコネを使って事件を解決する分にはむしろ評価に値する。
問題は、自分自身が強力なコネを持っていて、それを利用できる立場にあるとレヴィが理解していない事と、被害者が知り合いであるという理由で彼女の視野が狭まっている事だ。
「困ったものだ」
『どうすんだい?』
「……少し口を出すか」
クトー自身も、レヴィのコネだ。
だが、求められていないのにレヴィの試験内容に手助けはしない。
「トゥス翁。試験というものの本質は何だと思う?」
『試験を受ける奴の力量を試す事だろう? 今の嬢ちゃんじゃ足りねぇね』
「そう、足りないな」
クトーはアゴに添えた指を離した。
このままの状態で合格させたところで、レヴィはDランクに相応しい者であるとは言えないだろう。
「だが、試験の間に『相応しい者』になれば、結果としては合格させても問題はない」
筆記試験でカンニングをする、というような話ではないのだ。
正直に言えば、Cランク以下の冒険者に求められているのは実力ではなく基本的な心構えの方である。
まともな冒険者にしか出来ないような依頼、というのは基本的にCランク以上に規定される。
はっきり言えば、街に住む冒険者でない者でも、腕や技術がそこそこあればこなせる程度の依頼がCランク以下の依頼なのである。
「ある程度の事には動じない心構えを得るために、下位ランクで修練を積むのだからな。捜査ではなく、レヴィの成長を促す方向で手助けをしよう。ちょうどやりたい事もある」
『じゃ、しばらく事件は放っとくのかい?』
トゥスの懸念に、クトーは薄く微笑んだ。
「レヴィの合否に関わる話をしているのなら、現状で解決は望めないからどちらでも同じだ。もし事件の停滞とそれによって失われる手がかりを気にしているのなら、レヴィが失敗しても巻き返す方法はいくらでもある」
『どんな風にだい?』
「仮定の話をするのなら、ミズチ1人いればこの依頼はほぼ解決するだろう」
ミズチの過去視は、この手の依頼に対しては最上級の解決手段だ。
彼女でなくとも、ある程度の過去視が出来る人物を雇えればそれで済む。
しかし時の魔法の行使は、目的のものを見るために様々な触媒が必要となり、依頼者の経費も必然的に高くなる。
逆に何故、そうした触媒すらも必要としないミズチが視ないのか、と言われれば『必要がないから』だ。
「ギルドは依頼の橋渡しをしているだけで、基本的に内容には関与しないし、事件が未解決となったところで損はしない。憲兵にしても、明確な殺人の疑いや魔力の気配がなければ動かない」
瘴気が臭ったといったところで、それを察知出来る者が場にいなければ感じないだろう。
もしくはトゥスほどの者でなければ感じない程度に隠されていたか、だ。
彼はその可愛らしい外見や俗っぽい口調に反して、自然とともに長きを生きた仙人である。
『依頼失敗となりゃ、ギルドにも悪評が流れるんじゃねえかねぇ』
「依託依頼といって、金を余分に支払えば請け負う相手を選べる制度もある。そうしなかったのは依頼主の責任だ。……が、そして昇格試験には裏がある」
『へぇ?』
「試験を行うのに、見張りを付けない、などという事はないし、低ランクの昇格試験依頼は基本的に達成される。この手の話は、内部機密だがな」
『なるほどねぇ。だから試験に使われるって事かい』
「この試験を選んだのはミズチだろう。自分が手を貸せば即座に解決できる依頼だからこそ、試験内容に選んだんだ」
自分の懸念が杞憂だったと分かったからか、トゥスは手に持ったキセルを吹かしてヒヒヒと笑った。
『兄ちゃんは、怖いね』
「どういう意味だ?」
『人の生き死にに関して、きっぱりと自分の中で分けちまってるみてぇだ。生きてる奴は全力で救おうとする割に、死んじまったら、相手をちっとばかし遠くに置いてる気がするねぇ』
「そうか?」
クトーは首をかしげた。
「死ねば輪廻に還り、また生まれる、というのが神の言葉だ。ならば死した者はまたこの世界に還って来るのだろう? 死んだ者は、またいずれ戻るまで俺の手が届かない場所にいるという事だ」
救った者が死んだと聞いて、悲しむ気持ちがないわけではない。
手の届く場所に戻ってきた時に、また困っていたら助けられればいいとは思う。
が、トゥスは皮肉な笑みを浮かべて、大げさに毛を波打たせた。
『普通は、そんな風には割り切れねぇもんなのさ。人の心ってのはな』
「悲しむという感情は理解しているつもりだが」
『そう、頭ではな。だが、その視野の広さに反して、お前さんの心に在る世界はえらく狭い』
クトーはメガネのブリッジを押し上げ、無言で宙に浮かぶトゥスの姿を目に映した。
仙人は、まるで子どもを見るような目でこちらを見下ろしている。
『昔話じゃ、ギルドの姉ちゃんが死にかけた時は神にも逆らったんだろう? お前さんは嬢ちゃんが死んでも、今と同じように平静でいられるのかねぇ?』
「……」
レヴィが死ぬ。
それを考えた時に、クトーはよく分からない気分になった。
嫌な事だとは思うが、その気持ちを表す言葉が出てこない。
「死なせないように育てているつもりだが」
『兄ちゃんは、失敗する事がねーんだろうねぇ。いや、失敗してもすぐに取り戻せるって方が、正しいかねぇ……』
トゥスのつぶやきを最後に、会話は終わった。
「ただいま」
ちょうど、レヴィがドアを開けて帰還したからだ。
入ってきてすぐに2人に見つめられて面食らったのか、レヴィが目をまたたかせた。
「何? って、姿は見えないと思ったら先に帰ってたの?」
『事件を追う間だけ面倒を見ろ、と言われただけだからねぇ』
「あなたって本当に自由よね」
トゥスが、いつものようにレヴィをからかうが、彼女は気にした様子もなく肩をすくめた。
「で、クトーは何でずっとこっち見てるの? なんかあった?」
小首をかしげ、ポニーテールを揺らすいつも通りに可愛らしいレヴィだ。
表情も焦りや乱れを覚えているようには見えないが、トゥスが乱れているというのなら、クトーには分からなくともそうなのだろう。
「レヴィ」
「何?」
「明日、少し付き合え」
「……何に?」
なぜかちょっと嫌そうな顔をするレヴィの目が、テーブルに向けられてからクトーの顔に戻った。
「一応言っとくけど、私今昇格試験の最中だし、それの試着とか言うならぜっっっっっったいに付き合わないからね!?」
「む」
要件を切り出す前にそう言われてしまい、クトーは1秒だけ考えた。
「明日は、人に迷惑のかからない場所でファイアスクロールの使い方を教える」
「は? なんで今?」
「念のためだ」
瘴気が臭ったというのなら、万が一に備える必要がある。
魔族は基本的に夜に力を増し、昼には力が弱まる。
弱点ではなくとも明るさや熱が苦手な性質があり、火を使う手段を得ておくと色々な事に応用できるのだ。
が、その事情はレヴィ自身が尋ねない限りは教えられない話だ。
「もし訓練を拒否した場合、昇格試験を取り下げる」
「何でよ!?」
「その際にこのトゥス顔カバンを背負わないなら、同様に取り下げる」
「ふざけんじゃないわよ!」
「真剣な話だが」
クトーはトゥス顔カバンを取り上げて、レヴィの前に示した。
「余分に支払ったファイアスクロールの金で、今月は少し厳しいだろう?」
「うぐっ……!」
レヴィの弱点は金だ。
まだほんの数ヶ月しか経っていないため手元にあまり金がないレヴィは、他のメンバーと違い一月分の給与を一括支払いではなく、その都度、現金を渡している。
そうして彼女が自分の貯めた中から、1ヶ月の返済分と2人で定めた金額を手渡しで受け取っていた。
もうすぐ、その手渡し日なのだ。
「昇格試験に失敗してDランク報酬を得られない場合、借金のみならず、家賃の支払いも下手すれば滞るんじゃないか?」
「うぐぐ……!」
「内約は、クシナダの旅館にあった庭を焼いてしまった分と旅館の宿泊費。それにこの街に来てから一式揃えた家具の代金と住居の敷金礼金は、パーティーのプール金から出した」
「うぐぐぐぐぐ……!」
徐々に顔色が悪くなっていくレヴィに、クトーはずいっとトゥス顔カバンを突きつける。
「借金を減らしてやる事は出来ない。返済を滞らせる事も同様に許さない」
クトー個人が貸し出した金も、パーティープール金も、元はといえば仲間が稼ぎ出したものだからだ。
「が、最近は俺自身も依頼に出ているのでな。少しは、自分の好きに出来る金にも余裕がある」
ポケットに手を入れて、カバン玉から取り出したのは銀貨の入った小袋だ。
「1ヶ月の稼ぎ分、特別に譲渡してもいい」
「………………………条件は?」
本当に嫌そうに、小袋とトゥス顔カバンを交互に見ながら、レヴィが聞き返してきた。
つり目ぎみの大きな目に輝く、宝石のような緑色の瞳がクトーの顔を映している。
「当然、このカバンを日常的に使用する事だ」
「だと思ったわ! ふざけんじゃないわよ! せめて一回だけにしなさい!」
「では、渡せる金は5分の1に減る」
「どんだけケチくさいのよ!?」
失礼な事を言う。
そもそも、このカバンを作るのに一体いくら掛かったと思っているのか。
頑丈な、それも白の魔物皮は人気もあって高いのだ。
お互いににらみ合ったまま、しばらく沈黙する。
やがて、レヴィが言った。
「……い」
「い?」
まるで身を守るように肩をすくめて片手を体にまきつけ、もう片方の手を口もとに当てたレヴィは上目遣いにこちらを見上げてきた。
小柄な彼女がそうした仕草をすると、まるで何かをねだられているように感じる。
「1ヶ月、なら……?」
そろりと小さく言葉を漏らしたレヴィに、クトーは苦慮した。
「……半分だ」
「もう少し、まからない?」
「いいだろう」
クトーは、最後の一言を発する。
これ以上は銅貨1枚たりとも譲らないつもりで。
「2ヶ月使え。このカバンは、物は良い。それで全額支給だ」
「交渉成立ね!」
レヴィは嫌そうに顔をしかめているが、パッと手を離した口もとは笑っていた。
「また1日1食生活に逆戻りするくらいなら、ちょっとくらい我慢するわ!」
トゥス顔カバンと小袋を嬉しそうに受け取るレヴィに、クトーは、ふむ、と声を漏らす。
「どこか図太くなったように感じるな」
『そりゃ散々、お前さんが可愛い格好をさせようとするのから逃げ回ってるからな』
「無理強いしたことはないぞ」
『丸め込んでんなら一緒さね。……わっちは、生き死にの話も下らねぇ話も、いっしょくたなモンとして考えられちまうお前さんみたいなヤツが、1番面白くて恐ろしいねぇ』
「どういう意味だ?」
呆れたようなトゥスは、プカー、と煙を吹かしてからヒヒヒと笑った。
『お前さんが変人だって事さね。ま、これもいつもの話だねぇ』




