おっさんは少女と共に魔物を退治する。
夕刻近く。
「あれが依頼の魔物?」
「ああ。ラージフットと呼ばれている」
二人で山道を登った先にいたのは、大まかには『人型』に分類される三メートル近い身長の魔物だった。
ラージフットは、顔は人に似ているが牙があり、毛のない頭頂部にコブのようなツノが一本生えている。
そして一番人から外れた形をしているのはその両腕で、直立していても床につくほど長い腕は指先に向かうほどに太く大きくなっていた。
「四つ足なのね」
「そう見えるが、実際は違う」
「そうなの?」
「ああ」
レヴィが勘違いするのも無理はなかった。
五本指の生えた手のひらはラージフット自身の顔よりも大きく、べたりと地面に付けているそれがまるで足のように見えるからだ。
クトーとレヴィは、道の隅に隠れてラージフットを伺っていた。
指定された山道は中腹に差し掛かると徐々に右手側が絶壁に、左手側が崖になっていき、山の周囲を回るように右へ向けて緩やかなカーブに変わっていた。
道は、ラージフットの陣取る平らで少し広い場所に続いていて、クトーたちは右手側の絶壁にへばりつくようにして魔物の様子を伺っているのだ。
魔物の後ろには木々が密集して生えていて、その真ん中に先へ向かう道が口を開けている。
つまりここを抜けるには、絶対にラージフットのいる場所を通らなければならない。
「では、講義の時間だ」
「講義? なんの?」
「ラージフットの特徴と、その対処法について」
クトーは魔物を示して、レヴィに目を向けるように促した。
「いいか。ラージフットは四つ足に見えるが、巨大な方は足ではなく腕に当たる。あの魔物が得意とするのは踏みつけ攻撃と言われているが、実際は巨大で分厚い手のひらを叩きつけて相手を押し潰すんだ」
「……どうやって倒すの?」
レヴィは物怖じしていなかった。
肝が座っている。
そうして冷静な顔をしていると、彼女は小柄ではあるものの年相応以上に落ち着いているように見えた。
「倒し方は後だ。今は状況を把握しろ。まず、ラージフットとこちら側から対峙する場合、道が右曲がりなので背後が崖になる。足場も多少広いとはいえ、ラージフットの歩幅なら端まで2、3歩程度だ」
「そうね。パーティーで戦おうと思ったら、ちょっと狭いわね」
「ああ。人一人が駆け回れるかどうかだろうな」
周囲の幅に対して、魔物が大きすぎるのが対処を厄介にしている原因だ。
だが、レヴィの体格なら十分な広さがある。
「ラージフットは、ノロい訳ではないが素早くもない。得意とする攻撃は、一度あの巨大な腕を持ち上げるから多少隙が出来る」
「その間に近づいてダガーを刺せばいいのね?」
レヴィの言葉に、クトーは首を横に振る。
「いいや。奴の外皮は樹木程度には硬い。ただ刺してもかすり傷程度しか負わせられん」
「じゃ、どうするのよ?」
レヴィが小声で少し苛立ったように言うのを受けて、クトーはラージフットの頭を指差した。
「焦りや苛立ちは集中力を阻害する。落ち着け。……奴の弱点はツノだ。あのツノは武器じゃなく敏感な感覚器官らしくてな。切り落とすとショック死する」
「あんなところに届くわけないでしょ」
レヴィが、絶壁にもたれて鼻を鳴らした。
クトー自身はツノにも跳躍すれば届くし、なんなら足くらいは一息に切り落とせるが、今はそんな事を言う必要もないだろう。
クトーはギルドでも感じたレヴィの短気さを把握して心の中でメモを取ると、さっさと対処法を教えた。
「ツノを切り落とすのは簡単だ。奴の周りを、同じ方向にひたすら走り続ければいい」
「はぁ?」
ますます訳が分からない、とでも言いたげな顔をするレヴィを見返しながら、クトーはトントン、とさりげなくレヴィの肩を叩いた。
「やってみれば分かる。ただ攻撃を避けながら走るだけだ。お前なら簡単だろう?」
言いながら、クトーはこっそりと魔法を発動する。
左腕の籠手は【疾風の籠手】というアイテムだ。
装備者から一定の魔力を吸い上げて、指定した対象の素早さを上げることが出来る。
それを、クトーはレヴィを対象にして使った。
「怖いならやめてもいいが」
「ふん、そんな訳ないでしょ!」
一応心配して声をかけたが、自分で言う通り怯えてはいない。
腰の鞘からダガーを引き抜いて、笑みすら浮かべながらラージフットを見据える横顔は、今度は凛々しく見えた。
レヴィは魔物から目を逸らさずに、クトーに問いかけてくる。
「本当に、走るだけでいいのね?」
「ああ。方向は変えるなよ。そしてツノに手が届くようになったら切り落とせ。油断せずにな」
「分かってるわよ。なんか体が軽いし、イケるイケる!」
口から出る言葉も調子に乗っているが、イケるのは確かにその通りだ。
クトーの見る限り、レヴィの身体能力そのものはさほど低くはない。
いくら最弱とはいえ、素早いビッグマウス3体を相手にそれなりの時間、無傷で避け続けていたのだ。
レヴィが外套をクトーに預けて、ダガーを引き抜く。
「行くわよ。よーい……ドン!」
言いながら、レヴィは飛び出した。
疾風の籠手の補助効果で、動きがさらに素早くなっている。
ラージフットが飛び出したレヴィに気づいて、のそりと両腕を持ち上げた。
だが魔物が腕を叩き落とすよりも前に、レヴィがその足元に到達し、クトーの言った通りに走り続ける。
「へっへーだ! 私の足について来れるもんならついて来なさい!」
クトーは万一に備えて旅杖とレヴィの外套をカバン玉に収納し、代わりに素早く武器を取り出した。
【風竜の長弓】と呼ばれる自身の身長ほどもある長弓で、鉉を引くと使用者の魔力を吸い上げて風の矢を生み出すそれを構える。
長弓は取り回しは悪いが、射程が長く威力はそこそこあり、矢は魔力がある限り連射出来る便利なものだ。
クトーは、風の矢をラージフットに狙いを定めてつがえたまま、レヴィと魔物の成り行きを見守った。
「当たらないわよーだ!」
駆け回るレヴィに何度か手を振り下ろすラージフットだが、レヴィを捉えることが出来ない。
魔物が手を叩きつけるたびに地面が少し揺れるが、レヴィがそれで足を止めることもなかった。
ラージフットは人間ほど賢くはないので、ひたすらレヴィを追いかけてその場で彼女を叩こうとグルグル回り続ける。
その危なげのない様子に、クトーはレヴィの才能評価を少し上向きに修正した。
悪くないじゃないか。
クトーがそう考えていると、ラージフットがついに目を回して、ズゥン、と倒れ込む。
「……これで終わり?」
倒れて動かないラージフットを見て、足を止めたレヴィに、クトーは声をかけた。
「油断をするな。すぐにツノを切り落とせ」
「何よ、後ろでこそこそしてただけの……」
と、こちらを振り返るレヴィの背後で、ラージフットが倒れたまま、ぐぐ、と腕を持ち上げるのが見えた。
目を回したくらいで、気絶する魔物はいない。
「減点だ」
言いながら、クトーは風の矢を解き放った。
キュン、と空気を焼くような音を立てて、矢が顔を上げていたラージフットのツノを正確に射抜く。
敏感なツノに風穴を穿たれたラージフットは、断末魔の絶叫を上げた。
※※※
レヴィが、魔物の声に驚いたように身を竦ませた。
あわてて振り返るのと同時に、ズゥン、と立っている場所のすぐそばに落ちた魔物の手の衝撃で、彼女の体が軽く浮き上がる。
レヴィはしばらく固まってからラージフットの腕を見て、それからクトーに顔を向けてきた。
口元が引きつり、少し青ざめている。
「あの……ありがと……」
クトーはその言葉に答えずに、カバン玉に弓を仕舞った。
「そ、それ、魔導具、ってやつ?」
話題を逸らそうとしているのか、武器の話をし始めたレヴィにクトーはうなずきながら歩み寄る。
「弓も使えるんだ……」
「冒険者になって、最初にパーティーを組んだ奴が突撃バカでな。サポートの為に覚えた」
「それも高いの?」
「大したものじゃないが、魔力で矢を生成するから経費が浮く」
風竜の長弓は、ランクで言えばBランク相当だ。
普段パーティーの連中に用意しているものに比べれば、武器としての格は劣る。
「クトーって、魔法も使えるの?」
「使えない事もないが、得意な訳ではない」
そもそも戦闘全般、クトーは得意ではなかった。
必要だから仕方なく覚えたようなものだ。
クトーのクラスは魔導戦士と呼ばれる系統に当たる。
魔法と剣技を複合させて戦うのを得意とする、といえば聞こえは良いが、要は器用貧乏だ。
武器の扱いも一通り出来るが、これといって得意な事などない。
そもそも、特化クラスである戦士系統や魔導士系統には専門技能で劣る為、上位の冒険者にはあまり見かけないクラスでもある。
ちょっとした事情により今は魔法が使えなくなったが、魔力を持ち腐れにするのは性分に合わなかった。
なので今は、手に入れた魔導具……定量魔力を消費して効果を発揮する魔法のアイテムで身を固めている。
籠手や弓だけでなく、腕輪も銀縁メガネも全て魔導具だ。
「そんな事よりも」
レヴィの目の前に立ったクトーは、小柄な彼女を目を細めて見下ろした。
愛想笑いを浮かべようとして失敗したような顔で、レヴィが身を引く。
「お前は今、俺がいなければ死んでいた。それを理解しているか」
「う……」
楽観的なのはいいが、何事も行き過ぎは良くない。
一度、締め上げておく必要があった。
「命があるのを当たり前と思うなと、さっき言ったな。戦闘が始まる前には、油断をするなとも言った」
「うん、だからその、戦ってる間は油断しなかった、でしょ……?」
クトーは、言い訳がましく目を伏せるレヴィに手を伸ばした。
幼さを残しながらも形の良いアゴに軽く指を添えて、上向かせる。
「!?」
「人が真剣な話をしている時は、相手の目を見ろ。講義はまだ終わっていない」
驚いたような顔をした後に何故か顔を真っ赤にするレヴィに、クトーはかがんで顔を寄せた。
指導する立場ではあるが、レヴィと自分の関係はあくまでも対等だ。
対等な相手とは、目線の高さを合わせなければ気持ちが伝わらない。
「敵を前にした時は、無力化するまでどんなに格下の相手であろうと油断をするな。ツノを切り落とせと言ってすぐに動かない。それではいつまで経っても一人前にはなれん」
パクパクと口を開いたり閉じたりしているレヴィに、クトーはさらに言葉を重ねる。
「次の戦闘の時は、トドメの瞬間まで気を抜くな。今ので分かっただろう。自分の命は、自分で守らなければいつでも誰かが都合よく助けてくれるという訳ではない」
クトーは彼女の返事を待つが、いつまで経っても何も言おうとしない。
「聞いているのか」
「きききき、聞いてる!!!」
ようやく口を開いたレヴィに、クトーはうなずいた。
「ならいい。次は気をつけろ」
アゴから手を離したクトーは、そのまま横をすり抜けてラージフットをカバン玉に仕舞うと、旅杖を取り出してレヴィを振り向いた。
自分の体を抱きしめるように、真っ赤な顔のままこちら見ているレヴィに、軽く微笑みかける。
「だが、目を回させるまでの動きは良かった。次は最後まで自分で出来るようになれ」
「うぇ……?」
褒めたのだが、理解出来ていないのだろうか。
曖昧な返事を聞いて、クトーはもう一度レヴィに歩み寄った。
肌寒くなってきたので、仕舞っていた外套を取り出してかけてやり、その上から肩を叩く。
「実際、Fランクでここまで出来る奴は中々いない。……良くやった」
褒めるところはきちんと褒め、ダメな部分はきちんとダメだと指導する。
それがクトーの指導方針だ。
レヴィはようやく体から力を抜いて、まだぎこちない笑みと共に腰に手を当てると胸を逸らした。
「と、当然よ! この私の手にかかれば、この程度の魔物余裕なんだから!」
「素直なのは良いが、調子に乗るな」
レヴィを褒め過ぎるのは良くないかも知れない、と再び胸の中のメモに追加しながら、クトーは奥の道に向かって歩き出した。
「行くぞ。今のうちに報酬を受け取って、すぐに出る」
「え? 宿は?」
「修験者は俗世との関わりを嫌う。泊めて貰うことは出来るだろうが、必要もないのにあまり厚意に甘えるものでもない」
相手のスタンスは尊重するべきだ。
魔物退治の報酬だけで、相手はこちらに十分な対価を支払っているのだから。
「そっか……」
「お前用の毛布くらいは分けて貰おう。野宿をするのに、外套だけでは寒いからな」
追いついてきたレヴィと並んで歩きながら、クトーは彼女に目を向ける。
嬉しそうな顔をしている足取りの軽い彼女の耳は、何故かしばらく赤いままだった。
お楽しみいただけているでしょうか。
もしお手数でなければ、ご評価などいただけると非常に嬉しいです(๑╹ω╹๑ )よろしくお願いいたします