おっさんは、権力者たちに追い詰められる。
「タイハク老は、なぜここに?」
クトーがメガネのチェーンをシャラリと鳴らしながら首をかしげると、タイハクはホッホと笑った。
ユグドリアがイスを持ってきて宰相へ勧める間に、ニブルが答える。
「話が早いと思いましたからね。宰相自身も、近々ギルドと商業連合に面会を申し入れる予定だったようですし」
タイハクはユグドリアに礼を言いながら椅子に腰を下ろすが、背もたれに体を預けるでもなくピシリと背筋を伸ばしていた。
まだまだ壮健な様子だ。
「ニブル殿のおっしゃる通りじゃの。まさかこの場にファフニール殿も居られるとは思わなんだが」
白く長いアゴヒゲを1つ撫でてタイハク老が豪商に目を向けると、彼はうやうやしく頭を下げた。
「すみませんね。金の匂いがしたもんですから、ついつい」
「取引をお望みかの? しかし、詳細も決まっていない段階じゃが」
ニヤリと笑うタイハクに、へへへ、とファフニールは頭を掻く。
「最初から噛ませて貰えると、より儲けが大きくなりそうですからね。どうせ祭りをやるなら大規模にやった方が良いと思いませんか?」
「しかりじゃの。じゃが、そこまで金に余裕はなくての」
「準備金の話でしたら、立て替えますとも。そして儲けから返していただけれればいい」
「ふむ? 儲けられると思うかね?」
「儲けを増やすのは、得意ですので。それに儲かると思わせれば、場所代以外に参加費を募ったり、場所をセリに掛けたりも出来ます。あるいは大きく諸国に喧伝もさせていただきますよ。マージンさえいただければ、割安で」
ツラの皮が厚いファフニールは、本題そっちのけで商談を始めた。
彼にとってはこちらが本題だろうが。
「各国の勇士を競わせるのは、式典として、というお考えなのでしょう? が、人を募って競わせる方が、色々と金を落として貰えるんじゃないかと思いますのでね」
「ふむ。随分と詳しく知っておるようじゃが。祭りの大規模化については、ファフニール殿個人で、かの? それとも商会連合の総意なのか。それによっても、話は変わって来るのう」
タイハク老は嬉しそうに受け答えしていた。
見た目頑固そうな老人ではあるが、彼は頭が回る者や意欲のある者を年齢に関係なく好む。
だからこそ、若くして国を継いだホアンの補佐を続けているのだ。
「どの程度噛ませていただけるのかでも違いますが、そうですね。動かせる、と思いますよ。小国連は、合わせれば帝国の半分程度の規模はある。農閑期に交通手段をこちらで手配すれば、人もより集まるでしょうしね」
ファフニールは、笑顔の奥で目まぐるしく頭を回転させているのだろう。
優れた話術と金に関する貪欲さこそが彼の武器だ。
「では、一度王城に招かせていただこう。詳細はそこで詰めるという事でよろしいかの?」
「誠に嬉しく思います」
またうやうやしく頭を下げたファフニールとタイハクの話に、ニブルが面白くなさそうに口を挟んだ。
「こちらの手間が増えるので、あまり治安を乱すような真似をして欲しくはないのですが」
「申し訳ないがの、ニブル殿。我が国はまだまだ国庫に不安がある。多少の危険と引き換えであれば、利益を取る機会を逃す手はないのじゃ」
「王都を訪れる者の多くは旅人や冒険者なんですがねぇ。本業に不安があるんですか? ちょっとその椅子に座るのに向いてないんじゃないですかねぇ」
タイハクの現実的な言葉とファフニールの逆撫でに、ニブルが渋面と共に青筋を額に浮かべるが……。
「あら、そんな大会が開催されるなら、アタシも参加したいわ。面白そうだもの」
「ユグドリアがそう言うのなら最大の力をもって尽力しよう」
あっさりと前言をひるがえしたニブルに、クトーはかすかに眉をひそめた。
「公私混同し過ぎじゃないのか」
「総長補佐官の意見を受け入れて、何か問題があるのですか?」
「ユグドリアさんは文官ではなく武官だろう」
「意見は意見です。最終決定は私がするのですからそれでいいでしょう」
Aランク冒険者であるユグドリアは、ギルド副長と同じ程度、総長に近しい立場にある。
ギルド運営に関する権限こそ低いが、ギルドで問題が起こった時の為に制圧武力として留め置かれる役職で、ギルド総長の警護も兼ねているからだ。
もっとも、その警護されるニブルの方は、歴代でも類を見ない文武両道に秀でたSランク冒険者だ。
ユグドリアについては、そばに置きたいから置いている事を誰でも知っている。
しかし、国の利益で見ればニブルの協力があっさり得られるのは好都合だろう。
クトーがユグドリアに目を向けると、彼女は腰に片手を添えてウィンクした。
彼女の発言自体も、国益を優先したものだったようだ。
ファフニールの用事が終わり、ギルドと国の協力が滞りなく進んだので、クトーは自分の懸念に話を戻す事にした。
「北の危険はどの程度のものなのでしょう、タイハク老」
「かの国は、以前ほど好戦的ではない」
穏やかに微笑むタイハクは、歯切れの良い口調で返事をした。
「現王は、魔王が倒れてから即位したお人じゃ。即位後の幾度かの外交とその成果を見る限り、攻めてこようというつもりではなさそうじゃの」
「……王が変わったという話は聞いておりませんが。かの武人が自ら王位を譲るとも考えにくい」
王の交代に関する情報が出回っていない、という事に、クトーは不審を覚えた。
タイハクが、ぬ? と声を上げる。
「北の王と懇意であったのか? ほんにおぬしは顔が広いの」
「いえ。北の王国を旅していた際に出会う機会があっただけです」
北の国の内部で、魔族が民衆を扇動して反乱を起こそうとしていたのだ。
その魔族を退治する過程で、反乱軍と国軍の衝突に巻き込まれた事があった。
魔族を暴き出すために、両方の指導者を【ドラゴンズ・レイド】が取り持ったのだ。
「北の王は己の信念に準じてはいましたが、一本芯の通った武人でしたので」
『己より、この厳しい大地に相応しい王はいない』と、その言葉だけを聞けば不遜な物言いも、彼が身にまとう覇気や武術の腕、苛烈さと知性を見る限り、決して身の程知らずな発言ではなかった。
「詳細は知らぬ。が、死んだと聞いた。事情により、先王の退位は伏せていて、現王は同じ名を名乗っている。北の王は自国から出る事はなかったからの。その外見を知る者も国外にはおらん」
「死……」
「左様。表向き病死と言われているが、暗殺か、革命か。高い位にある者には常について回る危険よの」
ありうる話ではあった。
食物という生命線が保証されない地では、反乱の火種は1つではなく、魔族のせいばかりでもない。
そしてどれほど強い者も、常に気を張っている事は出来ない。
自室で安息している時、あるいは体調が優れない時に襲われて殺される事は、考えられなくもなかった。
それでもクトーには、彼がみすみすそうして殺される人物とは思えなかったが、自分の気持ちと事実の間には何も関係がない。
殺された、というのなら、そうなのだろう。
クトーは納得してうなずき、その場にいる人々に背を向けた。
「分かりました。では、俺は帰ります」
「「「「ん?」」」」
その場にいる4人が疑問を声を重ねるが、クトーはさっさとドアに手をかける。
「おいおい待て待てクトー。なんでおめー、いきなり帰ろうとしてんだ!?」
ガシッとファフニールに手を掴まれるが、逆にクトーは疑問に思った。
「俺の用は済んだだろう? ここから先はお前たちの話し合いだ」
「なんでそーなんだよ!?」
クトーはドアノブから手を離して周囲を見回したが、全員が同じように思っているようだった。
というよりも、そもそも何で留まらねばならないのか。
誰も理解していないようなので、クトーは状況を口に出した。
「まず、ファフニールに頼まれたのはタイハク老との面会と商談の機会を設けること。これは達した」
先ほどのやり取りで話し合いの機会を設けるとタイハクが口にした以上、直接商談をするだろう。
「次に、総長に面会を求めたのは北の危険性についてのギルドの対応を知るためだ。タイハク老も来られたので直接北について聞いたが、あまり危険は感じていないという。そして現王はかの武人でもない」
クトーは、手のひらを上に向けてこの場の面々を指し示した。
ギルド総長に武官の妻、商会連合の豪商に一国の宰相。
これだけの肩書きの中にいるクトーは、ただの冒険者だ。
「憂いがないのなら、一冒険者でしかない俺がこの場にとどまる理由はない。聞きたい事は聞いた。以上だ」
何も疑問などないと思うのだが、ユグドリアが小首を傾げる。
「じゃ、クトー君は今回の件に協力してくれないの?」
「国家の危機や火急の事態ではないようだ。それに陛下の要請もない。ましてこのメンツが揃っているのなら、危険度の低い事柄に関して俺が手を貸す理由はない」
「久しぶりに一緒に働けるかと思ったのに」
一体何を言っているのか。
この場にいるのは、放っておくと何をしでかすか分からないパーティーメンバーや新米冒険者と違って、百戦錬磨の剛の者たちだ。
むしろ、ユグドリアの発言にまた殺意を秘めた視線を向けるニブルを見ると、この場にいるだけでこちらに危険が起こりそうですらある。
真竜の薙刀もなしにニブルの最上級聖魔法を防ぐのは、それなりに骨も折れるしコストもかかるのだ。
「理由がない。依頼として、正式に報酬を出すのなら話は別だが」
「じゃ、報酬出すから協力しろや」
「依頼のランクとしてはどの位かしらね?」
「街中の警備計画に携わらせるのなら、Aランクの長期任務だな」
「ふむ。確かにタダ働きで動く冒険者はおらんの」
話が即座におかしな方向に向かったので、クトーは鼻の頭にシワを寄せた。
「……俺の協力が必要な状況とは思えないが」
「必須ではないの。が、物事を滞りなく進める上でおぬしの存在は限りなく有用じゃ」
タイハクが平然と言いながら、クトーの方を指差した。
どこか意地の悪そうな半眼と笑みに、嫌な予感を覚える。
「おぬしは貴重なのじゃよ、クトー殿。金に辛いが執着するでもなく、他の欲に目がくらむでもない。人助けにこだわり過ぎるきらいはあるが、それだとて己で全てを賄えると思っているわけでもない」
タイハクの言葉に、他の面々も黙っている。
「物事を外から見る公平な視野を持ちながら、あくまでも人の分を弁えた中で、正当な対価に見合うだけの働きをする。そうそうおらんのじゃよ、そんな者はの」
「……普通の事だと思いますが」
「「そんなわけねーだろ」」
ファフニールとユグドリアが声を重ねた。
ずいぶんと買い被られている。
なぜ彼らの自分に対する評価がこれほどまでに高いのかは全く分からない。
クトー自身は単に、出来ることをやっているだけなのだ。
「北に、儂の目から見て危険はないように思える。が、それが正答であるかどうかは分からぬ。もし本当は危険があれば、おぬしなら見抜くじゃろう」
「ミズチのような特殊な目を持っているわけではありません。現に、北の王が代替わりしている事も知りませんでした」
「そうじゃな。じゃが、ここに来て知った。知りに来て、そしてそのようにして『知る』事そのものがなかなか万人に出来ることではない。つまり情報に触れられる場所にいれば、おぬしは他人が見えないものにも気づく、という事じゃ」
煙に巻くような物言いだったが、タイハクははっきりと続けた。
「おぬしに、会談までの間、北の動向を探り続ける立場にある事を望む。報酬は改めて、迅速にギルド側と詰めようかの。会談の滞りない終了をもって達成としよう」
「じゃ、俺はタイハク様と祭りの案を詰めた後、実行の補佐を依頼しようかね」
ファフニールが両手をパン、と叩き、ニヤニヤと続けた。
「依頼表を作り月ごとの進捗で精算する。達成報酬の下限は一応決めるが、出来高で増やしてやるよ」
「じゃ、ギルドからの依頼は警備計画ね」
嬉々とした様子のユグドリアが、可愛らしい仕草で投げキッスをよこした。
「こちらが集めた警備側の人手と、国が出す警備に当たる兵士を含む者の配置決めとローテーション、それに当日の対応を任せようかしら。立ち位置としてはギルド総長の臨時補佐官ね」
「…………サボらせんぞ」
地獄の底から響くようなニブルの声は、絶対に投げキッスのせいだろう。
もし断れば、暗殺部隊が放たれる可能性を考慮しなければいけないほどの威圧だ。
クトーは押し黙り、それらについて思案した。
「全ての要望を聞き入れた場合、会談から祭りの下準備、当日の運営まで全て俺1人でやれと言っているように聞こえるが」
「あら、警備計画は私も一緒にやるわよ」
「有能な部下を補佐につける。祭りが近づけば俺もここに来るしな」
「全てを押し付けはせぬよ。儂とセキ殿、それに将軍と諜報部の人員も動く。おぬしが相手であれば、逆らう者はおらぬじゃろう」
ほんの数分のやり取りで、大半の逃げ道を塞がれた。
「……パーティーメンバーの事務指導も終わっていないし、カバン作りもしたいんだが」
最後に小さくそう言ってみるが、誰も答えない。
まぁ、報酬が出るのならやってもいい。
長期休暇前と同じように働けばいいし、これだけの数の依頼であればメンバーの半分をこちらに従事させてもしばらく経費は賄えるだろう。
「仕方がないな。……実働の人手が多く得られるだけ、魔王を倒しに行った時よりは楽そうだ」
あの時は20人程度で各国を回って魔族を叩き潰しながらパーティーを運営していたし、戦闘になれば自分も出張っていた。
必要な資金集めをする時間すらままならなかったのだ。
準備期間がある点も、あの時よりは幾分マシに思えた。
「やろう」
結局引き受けたクトーに、4人は目を見交わした。
「言ってはみたけど、本当にそれだけ出来そうなのってクトーくんくらいよね」
「俺にゃ無理だな」
「国の幹部が納得する人材でもあるしの」
「ユグドリアの投げキッスなど、私でももらった事がないというのに……」
1人、とてつもなく私的な怨嗟を放っている者がいるが、クトーは無視する事にした。




