おっさんは、新たな着想を得たようです。
「よぉクトー。久しぶりだな!」
帰宅したクトーは、リビングの椅子に堂々とふんぞり返っていたその男を見てかすかに眉をひそめた。
「……見慣れない顔だな。憲兵に突き出すか」
「おいおい、オレとおめーの仲なのにつれねー事言うなよ!」
ガハハ、と笑う彼は、髪に白いものの混じり始めた体格の良い中年だった。
開襟の白シャツの袖をまくって、ごつい金のネックレスとブレスレットを付けており、短く刈った茶色の髪と顎髭を蓄えている。
彼の言葉を無視して、クトーはポケットのカバン玉から風の宝珠を取り出した。
「おい、どこにつなげる気だ?」
「ブルームという憲兵だ」
「無駄だと思うぜ?」
ニヤニヤと言いながら男は一枚の紙をピラピラと示した。
ちらりと目を向けると、そこには『貿易特例証』の文字が最初に大きく書かれている。
「ついさっきまで、王様宛に積荷を運んでてね。今日中は適用されてる」
クトーはため息を吐いて、風の宝珠をしまった。
彼が示したのは、積荷改めなどを行わせない為に宰相か国王によって発令される権利証だ。
この権利証を持つ者に害をなしたり身柄を拘束した場合、それは国王に喧嘩を売っているのと同義、という意味合いがある。
「それで、なんの用だ? ファフニール・ファーフナー」
悪どい使い方の免罪符を示した貿易商に対して、クトーは外套を脱ぎながら応じた。
ファフニールは豪商、あるいは大商人と呼ばれる者の一人だ。
出会った時は街の富豪くらいだった彼は、今や『商業連合』という流通を取り仕切る組織を牛耳る幹部会のメンバーである。
クトーは以前、彼の財産を奪おうとした奴等を暴き出し、彼の命をリュウと共に救った事があり、それ以来の仲だ。
商業連合は、冒険者ギルドと並ぶ大組織であり、ギルド同様に一部では国土なき帝国とも呼ばれるほどの力を持つ。
実際は、権利証などなくても彼は1日と待たずに釈放されるということをクトーは知っていた。
「お前と関わるとロクな事がないんだがな」
「おいおい、オレはこれでも、この国の危機に協力した仁義ある男だぜ?」
「権利証を悪用する輩がどの口で言うんだ?」
「おめーに対するほんのちょっとした冗談だろうが。相変わらず面白くねー野郎だぜ」
やれやれ、とでも言いたげに大げさに手を広げるが、目も口も笑っている。
変わらないな、と思いながら、クトーは外套をコート掛けにかけた。
「それを悪用して密輸などしていないだろうな?」
「商売には誠実に、が信条だ。無様なマネはザコがする事さ」
体を前に傾けてニヤリと浮かべた笑みはうさん臭いが、嫌味を感じさせない。
彼は、同じように人を惹きつけるリュウを陽の雰囲気とするなら、ヤバそうな気配を持ちながら目を惹かずにはおかない、陰の雰囲気を持つ男だった。
「上り調子のこの国は、今のところトップとの繋がりだけで十分だ。妙なマネしておめーを敵に回すのも厄介だしな」
「俺は小さな冒険者パーティーの雑用係でしかないが」
商業連合の幹部に厄介がられるような権利も金も、持ち合わせがない。
胸当ても外して壁にかけたクトーは、ファフニールが座っているのとは別にもう一脚ある椅子に腰かけて足を組んだ。
「それで? 昔話をしに来たわけではないんだろう?」
「しようぜ。ただ、要件が終わった後にな」
自分の足元にある袋からヒョイ、と取り上げたものをファフニールはテーブルに置いた。
青い瓶に並々と液体が入り、ラベルが貼られている。
「エッダ地方で作られた8年もののウィスキーだ。値が張る分、なかなか良い味してるぜ?」
「強い酒が相変わらず好みか」
「そう。そして酒に強い奴も好みだ」
「俺は大して飲めん」
「味の違いが分かる奴はもっと好きでね。さらに商売の話が出来るとくれば最高だ」
ガハハ、と豪快に笑ったファフニールは、そこからいきなり本題に入った。
「近々、この国でデカいイベントがあるだろ。一枚噛ませて欲しくてな。手を借りたい」
その言葉に、クトーは眉根を寄せた。
「イベント……?」
「おおよ。知らねぇか? 同盟国と親睦を深めるとかいうの、王様が主催するんだろ?」
「その話か」
クトーは、ファフニールが何を言っているのかを理解する。
来年を目処に開催すると噂がある、国主の集まる同盟国会議。
その際に祭りが行われる、という話の事だろう。
「大規模になるのか?」
複数の国主が集まる時に、パレード目当てに人も集まる。
屋台が立ち並ぶ程度には盛り上がるが、ファフニールが自ら動くほどのものではない気がした。
「なる、って話だ。この会談に合わせて、各国の勇士を集めて競わせる祭りをやるってぇ噂がある」
笑みを深めながら、ファフニールは目を輝かせて身を乗り出した。
この男の金脈を嗅ぎつける鼻に疑いの余地はない。
規模が大きくなると彼がいうのなら、おそらくはそうなのだろう。
だがクトーにとっては、次に彼が告げた事の方がはるかに聞き捨てならない話だった。
「それに今回の集まりは、同盟国会議じゃねぇ。北も参加するって言ってるそうだ」
「なんだと……?」
北の王国。
それはこの国を含む中央・東の同盟国と長く対立している国だ。
魔王が存在していた頃からそうだったので、歴史はかなり長い。
厳しい環境から食糧をほとんど輸入に頼っている北の王国は、代わりに南西に莫大な国土を持つ帝国へと、北でしか取れない希少な素材や細工品を輸出している。
だが、食糧を自ら得ることが出来ない状況に甘んじるつもりはないらしく、北の王国は狭くとも豊かな土壌を持つ国々……この国を含む、通称小国連の土地を狙って小競り合いを繰り返していたのだ。
広く豊かな帝国との対立は自らの首を絞める事になり、また帝国と戦って勝てるほどの武力は北の王国にはない。
戦力事情は小国連も同様だ。
「魔王が倒れた後、侵攻の手が緩んだとは聞いていたが……」
「あの国は、氷の魔物が鳴りをひそめた事で気候が緩くなって少し食糧事情がマシになってるからな。商業連合も協力して、帝国より少し安く輸入してるしよ」
「……そんなところでもホアンに恩を売っていたのか」
ホアンは、国王の名だ。
クトーの旧知でもある彼の名にファフニールはへっへ、と楽しそうに顔のシワを深め、ひょうきんな仕草でアゴを掻いた。
「一言だけですぐに色んなことがバレる。おめーは油断できねーよなぁ。話は早ぇけどよ」
「北は、友好を求めているのか?」
「可能性はどっこい、ってところだろうな」
片方の目を細め、もう片方を大きく見開きながらファフニールはテーブルに指を二本立てた。
「油断させて、内部から食い荒らそうとしてる可能性もなくはねぇ。食糧事情が改善されたって言ったところで、相変わらず厳しい事にゃ変わりねーからな」
「帝国に優位に立たれている状況に我慢がならなくなったか?」
「ありえるね。今の北の王は野心家だって聞いてる」
クトーはアゴに指を添えて、腕を組んだ。
北の王国が、南西の帝国との状況を改善しようとしている、と考えた場合。
こちらと友好を結ぶ事で平和的に帝国との関係を正常にしようとしているのか、あるいは逆にこちらの国を呑む事で力を蓄え帝国に進撃しようという腹積もりか。
可能性は、ファフニールの言う通り五分五分だろう。
「情報が足りないな」
「上は持ってるだろ? お伺いを立ててみちゃどうだい?」
何気ない言葉に、クトーはアゴに添えた指を離した。
「なるほど、それが狙いでここに来たのか」
「おめーに貴重な情報をもたらした提供者様を、ほんのちょっと同席させてくれりゃいい。良い塩梅の取り引きじゃねぇか?」
北も参加する国主の会談と、それに合わせたイベント。
確かに、表も裏も大きな金が動くとファフニールが思ってもおかしくはない。
「俺を通さなくても、お前自身がホアンやタイハク老に直接言いに行けばいいだろう。その程度は出来る付き合いがあるはずだ。大体俺に、そう易々と国王に会えるような権限はない」
「おめーの自己評価の低さは、いつか足元すくわれるぜ? 明晰な頭脳と数々のコネ、そして各国の精鋭すら太刀打ちできない戦力を有するパーティーを育て上げ、自分も劣らぬ戦力を有する男……それがおめーだ」
ファフニールの目が鋭い光を帯びて、その本性をさらけ出す。
百戦錬磨の、巨大経済を牛耳る男の覇気を受けて、しかしクトーは特に動じる事もなかった。
「俺はただの雑用係だと言っているだろう」
「そうさ。世界最強の雑用係だ。おめーが本気でのしあがろうと思えば、オレ以上に稼ぐことも造作もねぇだろうに、もったいねぇ」
「買いかぶり過ぎだ。それに興味もない」
「知ってるさ。が、おめーに向けられている大物たちの信頼を、オレは利用したい。自ら商機に切り込むよりも有益だ、とオレが判断する相手は多くないぜ?」
ファフニールの買いかぶりと正直すぎる物言いに、クトーは首を横に振った。
こちらは手に届く範囲の物事しか解決出来ない、ただの冒険者だというのに。
「情報の押し売りをしておいて、協力を引き出すようなやり方は卑怯だと思わないか?」
「思わないね。仮に前置きをしたところでおめーは聞いた。仲間の危機かも知れねぇ状況を放っておくような男じゃねぇのは、よく知ってるからな」
クトーは、ため息を吐いてから立ち上がった。
せっかく家に帰ってきたというのに、まだ楽しい事には手をつけられないらしい。
「今日はこれから、物作りをしようと思っていたのだがな。用事が2つ出来た」
「お? 呑み交わさねぇのか?」
「お前の相手をするのが、1つ目の用事だ。もう1つはこれから済ませる」
クトーの言葉に、ファフニールは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「取り次いでくれるんだな?」
「そうせざるを得なくしたのはお前だろう。ただし、今回取り次ぐ相手は最初はギルド総長だ」
ファフニールが、嫌そうに顔を歪めた。
彼がギルド総長と相性が悪いことを、クトーは知っている。
「あの慇懃無礼の腹芸野郎に会えってのか」
「戦争の火種は、ギルドにとっても望ましくない。ギルドの本拠があるこの国で生まれようとしているならなおさらだろう。総長から、上に話を通してもらう」
嫌がらせに嫌がらせを返すと、ファフニールはそれ以上ゴネなかったが、カーッ! と喉を鳴らした。
「国の上との場が設けられたら、同席はさせろよ!?」
「約束しよう」
ファフニールは金儲けが好きだが、信頼には値する。
不正な問題を起こさない、と思える人間はそう多くはない。
1度自室へ戻って凄まじく不機嫌そうなギルド総長との連絡を終え、着替えてから戻ってみるとファフニールは勝手にグラスを用意して酒盛りの準備を始めていた。
ご丁寧に、ツマミになりそうなものが揃っている。
袋の中身はそれだったようだ。
「相変わらず、珍妙な格好だな。で、おめーが作ろうとしてたってもんは一体なんなんだ?」
商人の顔は鳴りをひそめ、ただの酒好き中年になっているファフニールに、部屋用の着ぐるみ毛布に着替えたクトーは少量の酒が注がれたグラスを取りながら答えた。
「背負いカバンだ」
「カバンだと?」
「ああ」
オコリンボ草を相手にしていたレヴィの後ろ姿を眺めて、クトーは思ったのだ。
せっかく黒うさ型着ぐるみ毛布を着ていても、あの無骨な皮カバンは可愛さを損なう、と。
何が良いかと帰りの道中で考え、思いついた事があった。
「とある仙人と先日知り合ったんだが、可愛らしい獣の姿をしていてな。その顔をかたどったカバンを作ろうと考えていた」
「……おめーが使うのか?」
「まさか」
お互いに掲げたグラスを合わせてから、クトーは軽く中身を舐めた。
ファフニールは、一気に干している。
「背負いカバンを自分で使っても眺められないだろう。新入り用だ」
「その新入りの不幸に心から同情するよ」
どこが不幸なんだ?
ファフニールの言葉の意味が理解出来ず、クトーは軽く首を傾げた。




