小話④:街中の立てこもり事件
「……立てこもりだと?」
クトーが眉をひそめるのを横目に見て、レヴィもリュウに問いかけた。
「何で、リュウさんがそんな話を?」
その日、レヴィとクトーはパーティーハウスのドアを入ってすぐの大広間にいた。
仲間の高ランク装備点検のやり方を習っている最中に、リュウが『立てこもっている強盗がいる』と駆け込んで来たのだ。
「街中の犯罪を取り締まるのは、憲兵の仕事じゃないの?」
「放っといたらマズいんだよ」
トントン、とつま先で地面を叩きながら問いかけたが、リュウは少し急いでいるようで返事がおざなりだった。
「トゥスはいるか?」
『ヒヒヒ。何かわっちに用かね?』
ゆらりと姿を見せたトゥスにリュウが何かを言う前に、クトーが問いかける。
「状況を説明しろ」
「強盗に、商家の女の子が人質に取られてる。悲鳴を聞いて最初に事件に気づいた憲兵が、ヘマやらかしたんだ。強盗は捕まらなかったが逃げられなくなって店を占拠してる」
クトーは、リュウの言葉を聞いてアゴに指を添えた。
レヴィは、女の子を人質に、という言葉にリュウが苛立っている理由を悟った。
ただ強盗を働いて逃げられなくなっているのは自業自得だが、その状況ならレヴィも苛立ちを覚える。
「なぜ、お前が気づいた」
「俺は近くをブラブラしてたんだよ。悲鳴を聞いて現場に行ったが、ギルドよりこっちの方が近かったからな」
「そういう事か。……分かった」
クトーは、チラリとトゥスを見て全て察したようにうなずいたが、レヴィには意味が分からなかった。
「どういう事?」
尋ねると、クトーは壁際の棚に近づきながら説明してくれる。
「人質の命が危ないんだろう。憲兵は人質がいればとりあえず包囲を選択するが、事件の早急な解決に動く可能性もある。その場合、取る手段は強行突入だ」
彼が棚から取り出したのは、水差しと盆だった。
振り向きながら、ただの事実を口にするようにクトーが淡々と言う。
「その場合、人質の命は保証されない」
「って事だよ」
「だから助けに行くのね?」
「ああ」
クトーは、取り出したものをテーブルに置いた。
何に使うのかとレヴィが思っていると、クトーは続いて、カバン玉から別のものを取り出した。
金属の箱と、発火用の宝珠だ。
トゥスがキセルの煙を吐きながらそれを見て、器用に片方だけ丸い眉を上げる。
『葉巻かい?』
「巻いてあるのは魔薬だ」
クトーは振り返るとトゥスに言い置いて盆と水差しを机に置き、説明を続ける。
「ギルドと国は上層では協力関係にあるが、現場では仲が悪い。そもそも、犯罪を起こす者の中には冒険者も多く含まれるからな」
ギルドの暗殺部隊を動かせれば人質の安全を確保したまま殲滅出来るが、要請するにも時間がかかり反発もある、とクトーは続けた。
冒険者といえどもピンキリだ。
【ドラゴンズ・レイド】のような救国の英雄も、デストロ達のようなチンピラまがいの者も、同様に冒険者と呼ばれるからだ。
そして冒険者には基本的に誰でもなれるので、世間的に名の売れていない冒険者に対する国民の心象はさほど良いものではない、と、レヴィもそれくらいは経験として知っていた。
「でも、憲兵たちがもういるなら、私たちが協力を申し出て受け入れられるの?」
「現場指揮官次第だな。パーティーハウスを構える以上、この辺りの治安を任されている憲兵との付き合いもそれなりにある」
『で、わっちやお前さんらが行くと、その女の子を助けられるってーのかい?』
クトーはいつも通りの無表情で、葉巻を3本取り出しながら平然と答えた。
「トゥス翁の協力があって、これを使えばな」
「それ、何なの? 麻薬って違法の品じゃないの?」
戦争なんかに行く兵士には恐怖を紛らわすために与えられる事もあるらしいが、見つかれば捕まるようなものだったはずだ。
しかしそんなレヴィに、クトーは銀縁メガネのチェーンをシャラリと鳴らしながら首を傾げた。
「この魔法薬が違法、などという話は聞いた事がないな」
「まほ……?」
「お前が紛らわしい言い方するからだろうが。レヴィは麻薬だと思ったんだろ」
こめかみを指でトントンと叩きながら呆れ顔のリュウを見て、自分の勘違いに気づいた。
「ああ、魔薬って、魔法の薬って事なのね……」
「そうだ。これは、感覚共有の媒体となる魔薬で、発見者の名を取って【メリアレット・シガー】と呼ばれている」
クトーは無表情にリュウを見た。
彼が『一本よこせ』とでもいうように手を差し出すのに、器用に指先で弾いた葉巻を飛ばす。
リュウはそれを受け取って、先端をレヴィに向けた。
「クトーを中心に人の感覚を繋げられる。便利だぜ? 昔はよく使ったもんだ」
「レヴィにも覚えがあるだろう。トゥス翁と視覚を共有したのと似たようなものだろうしな」
「ああ……」
クシナダがさらわれた時の事を思い出して、レヴィはうなずいた。
こちらにも一本投げてよこしたクトーは、自分の葉巻に宝珠で火を付ける。
「トゥス翁」
立ち上った煙に目を細めるクトーの呼びかけに、トゥスがニヤニヤと言った。
『わっちはそれ、吸えねーんだけどねぇ』
「煙を取り込んでくれればいい。後、少し葉巻に触れてくれ」
その要望に、トゥスがふよん、と宙を漂って手を差し出した。
毛皮に包まれた手の先に葉巻の火がついた側を触れさせたクトーが、すぐに離す。
クトーはそのままリュウに近づくと、こちらも葉巻をくわえて待っていたリュウの分にも火をつけた。
そして自分の口にした葉巻を指で挟んで固定すると、向かい合ったまま、火のついた先端同士を触れさせる。
「っ!」
レヴィは、その光景に息を飲んだ。
ジジ、と葉巻が焼ける音と共にどこか清涼感のある香りが漂う。
クトーとリュウは、お互いを見つめ合っている。
特に感情は浮かんでおらず、しかもほんの一瞬の景色だったが。
ーーーなんか、まるで、ちゅちゅ、ちゅーをしてるみたいな……!
と、うろたえるレヴィとは違い、魔法の効果を受けているらしいトゥスが面白そうに笑みを浮かべる。
『へぇ、便利なもんさね。何人でも視界を繋げられるモンなんだねぇ』
「人数は術者の技量による。持続時間は、解除しなければ俺の魔力が続く限りだ」
最後に、クトーはレヴィに近づいてきた。
見下ろされて、上目遣いに彼を見るとぼそりと言われる。
「お前もだ」
「え……え!?」
「どうした?」
思わず後退るレヴィに、クトーが少し不思議そうな顔をした。
頬が熱くなるのを感じながら、レヴィは視線をさ迷わせる。
さっきリュウにしたのと、同じ事をするのだろう。
「な、なんか心の準備が……」
「何を訳の分からない事を言っている」
近づくクトーに、レヴィがさらに一歩後退るとそこはもう壁だった。
彼は壁に手をついて、軽く首をかしげる。
「時間は無限じゃないんだ。急ぐぞ」
クトーは言いながらレヴィの手の葉巻を取り上げると、それを口に突っ込んできた。
「むぐっ!」
「火を付ける。むせる事はないから吸い込め」
レヴィは言われて、反射的に息を吸い込んだ。
絶妙のタイミングでクトーは火を付け、先ほど感じた清涼感のある香りが口と鼻一杯に広がる。
葉巻なんか、吸った事もないのに。
そう思いながらクトーの顔を見ると、彼は不意に顔を近づけてきた。
青い目のそれなりに整った顔が視界いっぱいに広がり、思わず目を閉じる。
口にしている葉巻の先に何かが当たると、クトーから得体の知れない感覚が流れ込んできた。
「……!」
「終わったぞ」
葉巻を口から取られて目を開けると、クトーはもう背を向けていた。
机の上にあった盆に水差しから水を注いで、クトーが二本の葉巻を放り込んで火を消す。
リュウが、ニヤニヤとトゥスと目を見かわしてから、自分の分もその中に入れた。
『ヒヒヒ。魔法よりも面白ぇね』
「違いない」
2人のやり取りに思わずレヴィが睨みつけるが、もちろん毛ほども効かずにそのムカつく笑みが消える事はなかった。
「何の話だ?」
まるでこちらの間に流れる空気に気がついていないクトーが、カバン玉に金属の箱と宝珠をしまって壁際の外套を手に取る。
「行くぞ」
レヴィは、脳裏に浮かんだトゥス、クトー、リュウの視界を見て、思わず顔を伏せた。
他人の視界から、自分の顔が真っ赤に染まっているのを見せつけられたからだ。
「……一体何の嫌がらせよ」
ブツブツと文句を言いながらも、レヴィは他の3人と共にパーティーハウスを後にした。
※※※
「リュウさん?」
「ブルームか」
憲兵と野次馬によって囲まれている商家を訪れると、こちらに気づいたブルームにリュウは手を上げた。
「お前で良かった。ちょっと手伝わせろよ」
ブルームはリュウより少し年下の青年で、この辺りの憲兵のまとめである分隊長を務めている男だった。
若いが負けん気と腕前は相当なもので、物腰が柔らかく、もう1人の分隊長である老齢のレインズよりもリュウと仲が良い。
レインズは悪い男ではないのだが、自分の職務に対してあまり外から手を借りる事を好まないのだ。
「なぜリュウさんが?」
「人質がいるんだろ?」
問い返すと、それでブルームは納得したようだった。
「説得に耳を貸さなくて、困っていました」
「誰か殺されたか?」
「いえ、誰も……」
ブルームの言葉に、リュウは笑みを浮かべた。
「殺してたら死罪だっただろうな。なるべく生かして捕らえるから、やらせてくれ」
「一人でですか?」
ブルームの戸惑いに、リュウは横にある背の高い建物に顔を向けながら、首を横に振る。
「いいや。仲間が3人いる」
※※※
リュウの見上げた建物の屋上にちょうど着いたクトーは、その縁から顔を見せて、ブルーム達の方を見下ろした。
ブルームがこちらを認識して手を上げるのに答えず、カバン玉から風竜の長弓を取り出す。
そのまま、繋がった視界で全員の位置を把握した。
「トゥス翁。準備はどうだ?」
魔法の効果で聴覚を繋げてクトーが問いかけると、姿を消しているトゥスが応えた。
『ヒヒヒ。このまま壁をすり抜けて、覗き見すりゃいいんだろ?』
「ああ」
レヴィは、商家の裏窓の近くで待機していた。
突入そのものはリュウがメインで、万一逃げ出した場合に備えてレヴィをそこに配置しているのだ。
クトーの立つ建物から見える商家の窓は、薄い木の板が落とされていて中は伺えない。
だが、長弓の矢なら貫通できる。
後は視界の確保だけが問題だった。
トゥスが動き出して壁をすり抜け、部屋の中の様子がうかがえるようになる。
入り口付近に1人。
おそらくは外部との交渉役兼監視役。
部屋の中央付近に、縛られた少女とその首筋にナイフを突きつける男。
そして、レヴィの近くの窓際に1人。
合計3人の強盗らしい。
中央の男は、窓から狙える位置にいた。
「誰も答えなくていい。全員、中の状況を把握したな? レヴィは窓のところにいる男の不意を打て。リュウは入口ごと監視役を叩けばいける。人質を取っている男はなるべく第1射で殺さないようにするが、抵抗されたら始末していい」
動きを伝えながら、クトーは長弓に魔力の矢をつがえた。
「トゥス翁は、俺が見ている窓の近くに移動して中央の男を見ていてくれ。矢が刺さったら全員突入。レヴィは、少女を確保したらそのまま入口から出て憲兵に保護させろ」
クトーは目を閉じ、頭の中に景色を思い描いた。
トゥスの視界から得られた情報を自分の位置と照らし合わせ、風の動きを読む。
微風なので、さほど影響はない。
ゆっくりと目を開いて、2つの視界に合わせて弓の向きを微修正したクトーは、カウントダウンを始めた。
「3……2……1……」
矢を、0、のタイミングで解き放つ。
キュン、と薄い板を貫いた矢は、トゥスの横を抜けて狙い違わずに人質を取る男の肩を射抜いた。
悲鳴を上げて男がナイフを取り落とすのと同時に、リュウとレヴィが動く。
リュウは一足飛びに跳ねるとそのままドアに突っ込み、派手な音と共に後ろにいた男ごと蹴り倒した。
レヴィは、毒牙のダガーで窓を塞ぐ木板を腐蝕崩落させる。
そのまま窓枠を掴んで身を潜り込ませると、驚いて人質の方を振り向いていた窓際の男の後頭部に、両足を揃えて蹴りを見舞った。
薄暗かった家の中が一気に明るくなる。
リュウは肩を押さえる男に向かって、レヴィは窓際の男を蹴り倒した勢いのままに少女に、それぞれに突っ込んでいく。
リュウの肩口からの体当たりを食らって男が吹き飛んだ足元で、矢が命中すると同時に動き出していたトゥスがレヴィに憑依した。
レヴィは強化された膂力で少女を抱き上げて、入口から外へ駆け出す。
自分自身の視界でそれを確認したクトーは、少女がブルームに保護されるのを見届けてから、伝達した。
「リュウ、そのまま抜け出して帰れ。レヴィ、目の前にいるのはブルームという男だ。落ち着いたら後でパーティーハウスに来いと伝えろ。そこで賠償の有無と協力報酬の話をする」
クトーは商家に突入する憲兵や野次馬に見られない内に、奥へと引っ込んだ。
窓板2枚にドアは弁償が必要だろう。
事前交渉をしていないので依頼報酬は望めないが、協力報酬でチャラに出来そうなくらいだ。
わずかな時間とシガーを使った以外に支出もないので、後は魔法薬の補填くらいで手を打っても特に問題はない。
クトーはそれ以上興味もなくなり、1人でさっさとパーティーハウスに戻った。
※※※
「結構上手く行ったわね」
全員が即興で動いた割に連携を潰さなかった事に安堵しながら、レヴィはつぶやいた。
『ヒヒヒ。兄ちゃんの手にかかりゃ、大したことでもなかったんだろうからねぇ』
「でしょうね」
トゥスが体から抜けた感覚がする。
何よりも少女に怪我がなくて良かった、と思っているレヴィに、少女を渡した男が問いかけてきた。
「君は?」
クトーがブルームという名前だと言った男だ。
彼の腕の中で、何が起こったのか分かっていない様子の少女に笑みを向けてから、レヴィは答えた。
「最近【ドラゴンズ・レイド】の見習いになったレヴィよ。クトーが、後でパーティーハウスに来いって」
「え? いやちょっとこれから結構手続きがあるから、一緒に来て欲しかったのに」
「知らないわよ、そんなの」
レヴィは言われた事を伝えただけだ。
そのまま場を後にしようとしたら、肩を掴まれた。
「何よ?」
「いやだから、待ってってば。どうせクトーさんのするだろうお金の話は後でもいいけど、事情聴取の書類は必要なんだって。リュウさんも嫌がるだろうから、君が詰所まで来て」
「はぁ!? 私だって嫌よそんなの!」
レヴィだって書類仕事は嫌いなのだ。
だが、ブルームの力は思ったよりも強くて、トゥスの助力なしでは振り払えなかった。
『頑張れよ、嬢ちゃん』
「あ、ちょっと逃げる気!?」
姿を消したままのトゥスとレヴィのやり取りにブルームがいぶかしげな顔をしたが、深く追求してこなかった。
そして押し問答の末に、詰所に行く事を承諾させられてしまう。
彼が少女を家族に引き渡し、処理が終わる間に商家の人々が喜んでいるのを見ながら、レヴィはうんざりとため息を吐いた。
「ああもう。これって完全に貧乏くじじゃない……」
レヴィが嘆いていると、少女を連れた家族がこちらを見て頭を下げた。
「あの、ありがとうございました! なんとお礼を言っていいか……」
「へ? えっと……」
言われた通りに動いただけのレヴィは面食らった。
しかし礼を言われて何も言わないのもどうかと思い、視線をさ迷わせると、少女と目が合う。
レヴィは軽く頭を掻きながら、曖昧に笑みを浮かべた。
「えっと……無事で良かったわね?」
そう少女に声をかけたレヴィに、少女も細い声で、ありがとう、と言ってくれた。




