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小話③トゥスの夜散歩


 クサッツの山で、女将を魔物が襲撃した事件の後。


 トゥスは1人で、フラフラと夜の散歩をしていた。


 面白い男と気の強い少女にくっついて街に来てみたら、男の方が自分から厄介ごとに首を突っ込んでいったのだ。

 男は休暇中と言う割に、ちっとも休んでいる感じがしない。


『ヒヒヒ。あの兄ちゃんは生まれついてのお人好しかお節介か。放っといたって自分に害はねぇだろうに』


 が、随分と強い力を持っているのに、まるでそれを鼻にかけない気性は好ましい。

 くっついている少女も根性の塊みたいな跳ねっ返りなのに、上手いこと付き合っている。


 そんな男に、女将を襲った魔物を操っていた奴の気配を辿って欲しい、と頼まれたのだ。


 それを了承してブレイクウィンドの死んだ場所に行ってみると、まだ魔力の残滓(ざんし)がうっすらと残って、街に向かって伸びていた。


『めんどくせぇが、ま、散歩のついでさね』


 山籠りをするうちに仙人となって数百年、トゥスは未だに自分が高尚な存在だとは露とも思っていなかった。


 働くのは気が乗らないし、嫌な事はしたくない。

 だがそれでも、歯に絹着せない2人と、一方的に拝まれるわけでもない関係であること自体は心地良かった。


『いい天気だねぇ』


 魂のみの存在となり、姿を人から獣のようなものに変えてなお手放せなかったキセルを咥えて、ふー、と煙を吐き出す。


 満天の星と、薄雲を纏う綺麗な月。

 夜風が体をすり抜けて行く感触に、トゥスは目を細めた。


『静かな夜だしねぇ』


 また姿を消してフラフラと街へ戻った。


 空から見下ろすクサッツの街並みは、彼の生まれ故郷の辺りの景色に似ていた。

 極彩色の都ではなく、自分が育った大した名産もない街に。


 その街は戦争で滅び、今はもう存在しない。


『ん?』


 だが、そんな感傷すらも楽しんでいたトゥスの目に、ふと1人の女が見えた。

 

 まだ夜に遊ぶ人々が往来する中で、豪奢な布の黄色いキモノを着て湯畑を見下ろしている。

 その横顔に、まるで今にもそこに飛び込みそうな悲痛な表情が浮かんでいた。


 美しい外見などに興味はないが、何か訳ありの匂いがする。

 下世話な自覚のあるトゥスはその顔に興味を引かれたので、湯畑の近くに降りた。


『さて、どう声をかけようかね?』


 このまま姿を見せては、魔物扱いで悲鳴を上げられるかもしれない。


 トゥスは少し思案して、ぐにゃりと姿を変えた。

 平凡な顔に、青いユカタという姿の白いヒゲをたくわえた老人に。


 若い姿や獣姿よりは警戒されないだろう。

 昼日中なら透けた体を不審に思われるかもしれないが、暗がりの中にいれば少しは目立たない。


 キセルを手にしたまま目立たない場所で隠形を解いたトゥスは、さりげなく歩き出して手すりにもたれた。


『べっぴんさん、なんか悩みごとかい?』


 ハッと顔を上げた黄色い着物の女性は、そこでトゥスに初めて気づいたようだった。

 ニッ、と笑みを浮かべた仙人は、片目をつぶってみせる。


『綺麗な顔が台無しさね。こんな良い夜には似合わねぇね』


 トゥスの言葉に、女は困ったような顔をした。


「どなたですか?」

『怪しいヤツさね。もっとも、別にお前さんに何かしようとは思っちゃいないがねぇ』


 トゥスがキセルを吹かしながら返事をすると、女はすぐにその場を離れようとしたが。


『憂い顔の原因は男かい? 心変わりか、死に別れか……ま、お前さん自身が死ぬ気じゃなかったんなら、それで良いさね』


 去ろうとしたという事は、身投げとは違ったか、と判断したトゥスを、女は立ち止まって睨みつけてきた。


「何なんですか、一体」

『おや、気に障ったようだねぇ。別に何もねぇさね。悲壮な顔してたから興味を持っただけでねぇ』


 訳あり話を聞かせて貰えれば面白い。

 が、トゥスは別に無理に聞き出すつもりもなかった。


『年寄りは暇なのさ。ついつい、若いとちょっかいかけたくなっちまう。わっちは、悩みってのは誰かに話せないから辛ぇもんだと思うんだよねぇ』


 仙人はニヤリと笑い、白ヒゲを撫でた。


『行きずりなら害もねぇかと、声をかけただけさね』


 女は、トゥスの顔を見て目をしばたたかせた。

 不思議そうな表情を浮かべる彼女に、ヒヒヒ、と笑ってみせる。


『下世話だと思うかい? でもね、べっぴんさん。本人にとって世界で1番の悩みも、他のヤツから見りゃくだらない笑い話ってぇのもよくある事さね。わっちのように、そんなグチのゴミ箱になるのが楽しいってヤツもいるのが、世の中の面白ぇとこさ』


 トゥスは、少しぽかんとする女の顔を観察してこう思う。

 

 いけねぇな、べっぴんさん。

 騙されやすいヤツの顔しちまってるよ。


 そんな内心をおくびにも出さずに、トゥスは女に興味を失ったような態度で、手すりから湯畑を眺めてキセルを吸った。


『どっちでも良いんだけどね。ゴミ箱に捨てちまいたい悩みがあんなら、ちぃっとばかし暇なわっちにでも投げ込んでみねぇかい?』


※※※


 黄色いキモノの女は、自分の名を名乗らなかったがトゥスの横に戻ってきた。


「……ただのひとり言です」


 ポツリと声を漏らした女の話に、トゥスは黙って耳をかたむける。


「最近、目をかけていただいていた方の様子が、おかしくて」


 女が語るところによると、その男は荒くれ者ではあったが、身内には優しく接する気性のさっぱりした男だったらしい。


 だが、ある日『親分に会いに行く』と出かけて戻った後から、様子がおかしいのだそうだ。


「今まで親しくしていた舎弟の方々にも、冷たく接するようになって。私を抱いて下さる事もなくなりました」


 そしてほとんど帰ってこなくなり、つい先日、手切れ金をもらったのだと。

 湯畑を見下ろしていたトゥスに彼女の顔は見えなかったが、声は震えていた。


「手紙もなく、言づてだけで。お金を持ってきた舎弟の方も、怯えているようでした。『ブネさんは人が変わっちまった』って」


 ブネ。

 それが女が愛を育んだ男の名なのだろう。


「理由が知りたくて……私に何か至らない事があったのでは、と。でも、門前払いを」


 会うことすら出来ない、それが女の悲壮の理由だったのだ。

 

 トゥスは、おそらく親分のところで何かあったのは間違いがないと思った。

 それは女も感じていることだろう。


 しかし尋ねたところで女が親分の事を喋るとは思えず、ブネという男の所在もまた、直接訊いたところで答えはしないに違いない。


『忘れちまえ、というには、まだ傷が新しそうだねぇ。おっと、わっちもひとり言さね』


 女が、この短い会話をする為の決め事なのだろう、とトゥスは思っていた。

 お互いにひとり言を聞くだけ、そんな関係を女は望んだのだ。


『誰かの態度が変わると、冷たくあしらわれたと、人は思うのかも知れねーけどねぇ』


 トゥスは、女の心の慰めになりそうな言葉を選ぶ。

 耳に甘く心地いい、なんの解決にもならないが少なくとも今の辛さを乗り切れそうな、そんな話をしてやる。


『辛いから顔を合わせたくねぇ、って事も、世の中にはあるもんさね』


 好ましいからこそ、あえて素っ気ない態度をとる、という事も実際にある。


 離れがたい、と思う相手に迷惑がかかろうという時。

 やせ我慢をする人間も少なくはない。


 あるいは、自分が命の危機に身を投じる時。

 愛する者の災いになるならば離れてしまえと思う事もある。


 愛する者の幸せを願うから、あえて離れるーーーそんな矛盾した心情を持ってしまうのが、色恋の難しさだ。


 愛しているという想いだけで続けられる関係は多くない、と思う者もいるだろう。

 だが愛さえあれば、2人で苦労しても生き抜けると信じる者もいる。


『人それぞれさね。相手の気持ちをおもんばかる必要こそねぇが、そう考えちまえば楽になるってぇ事も、あるんじゃねーかねぇ』

「人それぞれ……」

『やせ我慢をする男ってのはしょーもねぇが、すがって泣くヤツを情けねぇとも思う。どっちつかずがこの老いぼれの信条でねぇ』


 誰かが無理をする必要など、この世のどこにもありはしない。

 誰もが無理せずにすむ道が、きっとある。


 それが別れるということなのかも知れないし、逆に、共に連れ添うことなのかもしれない。


 一方的に与えられただけの別れであろうとも、辛さを紛らわせる事が出来る心の持ちようがある。


『答えが分からねぇ時、それでもどうしようもねぇ時は、自分の心に都合がいいように物事は考えるのさ。ブネという男は、愛しているから女に素っ気ない態度を取り、寄り添う事をやめた。本当のところがどうなのかなんてぇのは、どーでもいい話だ』


 トゥスは手すりから身を起こして、こちらに目を向ける女に、ヒヒヒ、と笑う。


『気のいい野郎だったんだろう? だったら、お前さんの中では気のいい野郎のままでいさせてやりゃ良い。べっぴんさんが愛した男は、意味もなく冷たい態度を取るようなヤツじゃなかった、と、思う事が大事なのさ』


 それ以上は何も言わず、トゥスはフラフラと人ごみにまぎれて、適当に路地をそれて再び姿を消した。

 

 仙人の言葉をどう受け取るかは、女の勝手だ。

 聞きたいことは聞き、言いたい事も言った。


『しかし、人の姿は肩が凝るねぇ』


 元の獣に戻って大きく伸びをしたトゥスは、また宙にフワフワとただよい始めた。

 

『しかし、いい話を聞いたかも知れねーねぇ。荒くれ者で舎弟付き、その上で魔力の気配とくりゃ……案の定』


 黄色いキモノの女の残り香を、彼女が向かって来ただろう方向に辿ったトゥスは、屋敷のような建物のそばに来た。


 魔力遮断の結界が張られていて、女の残り香と魔力の残滓はその中に消えている。

 屋敷の中には入れないが、奥に大勢がざわめく気配を感じた。


『賭博場かねぇ』


 しばらく観察を続けて、明らかに屋敷には不釣り合いな連中が何度か出入りするのを見たトゥスはそう呟いた。


『ま、こんなモンだろうねぇ』


 散歩のついででやっているお使いで、無理をするつもりなどトゥスにはさらさらない。


 魔力が消えた場所は分かった。

 後は場所を伝えてやれば、それでトゥスの仕事は終わりだった。


『わっちの生には、なべてなべて、事もなしさね』


 そのまま思う存分夜の散歩を楽しみ、トゥスは明け方近くなって旅館へと戻った。


※※※


『兄ちゃん』

「なんだ」


 旅館を襲った男が死んだ後、憲兵の到着を待つ間にトゥスはクトーという名の銀髪の男に話しかけた。


 無表情だが、別に無口というわけではないこの男は、女を着飾ってそれを眺めるのが好きだという随分と変わった趣味を持っている。


 手を出すわけでもなく本当に愛でるだけなので、その真意は計りかねるが……相手をさせられるレヴィという少女の反応が面白くて、ついついちょっかいをかけたくなったりもする。


 だが、今それは本題とは関係がなかった。


『兄ちゃんに、ちょいとばかし頼みてぇ事があってね』

「聞こう」

『死体に触ってもいいかい?』


 トゥスの言葉に、ピクリと眉を上げたクトーはうなずきながら答えた。


「身につけているものを荒らさないのであれば」

「ちょっと触るだけさね」


 仙人は旅館を襲撃した暗殺者の体に近寄ると、キセルの先を体の中に突っ込んだ。

 すくい出したのは、体を乗っ取られた男の体に残る魂のカケラだ。


 引き裂かれてしまった魂は、二度と輪廻の輪には戻れない。


『不憫だよねぇ』


 それから半日程度経って、クトーがレヴィを伴って出かけた後に動き出した。


 隅の小机に残されていた紙と筆を操り、手紙をしたためる。

 軽いものであれば実体を操れる事を、トゥスは言う必要もなかったのでクトーには言っていない。


 書いた手紙を天井近い場所に隠した後、言いつけ通りに旅館でゴロゴロしていても暇なので、魂のカケラを加工した。


 作り出したのは、緑の小さな宝石だ。

 手紙は、賭博場を突き止めた後に続けた散歩の間に、今度は家までの匂いを辿った黄色いキモノの女に宛てたものだった。


『男との別れが死に別れだと思っちまったら、しばらくはしんどいだろうねぇ。けど、心の整理はつけやすいさね』


 『お前は生きろ』と死の間際に告げられた言葉がある、という嘘を書いた手紙と一緒にその宝石を隠す。


 トゥスはキセルを一吸いして縁側に行き、晴れ渡った空と美しい庭の緑に目を細めた。


『いい天気だねぇ』


 素性の知れない仙人は,あぐらを掻く。


 そしていつものように、何も考えていないようなお気楽な様子で、ヒヒヒ、と笑った。

 

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