小話①ミズチの策略
「どうしたら、あいつは休む気になるんだ……」
ミズチはその呻きを聞いて、口のはしを上げながら彼に近づいた。
リュウがふらりと現れ、ギルドに併設されている酒場に入っていくのをたまたま見たのが夕方のこと。
ちょっとした残業の後にミズチが立ち寄ると、リュウはまだカウンターでクダを巻いていた。
ミズチが黙って横に腰掛けると、彼はチラリとこちらを見ただけで何も言わずにエールの入ったジョッキを煽る。
「珍しい飲み方ですね」
彼は酒に強いが、普段はあまり量を飲むタイプではなかった。
ミズチの言葉に対して、リュウは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「何だよ。からかいに来たのか?」
どこから調達した服なのか、リュウは作業用と思われるツナギを着て上半分を腰で巻いていた。
そして黒い長袖シャツの袖をまくった手で、ドン、とジョッキをカウンターの上に置く。
ずいぶん酔っているようだ。
どう見ても日雇いの鉱夫にしか見えないが、黒髪でヤンチャそうな顔立ちの彼は、この王都で最も有名な冒険者だった。
横に腰掛けたミズチ自身も同じくらい名を知られている。
今日のミズチは、白くゆったりとした袖のシャツとロングスカートを身に付け、長くウェーブのかかった青い髪をシュシュで顔の横にまとめていた。
酒場の視線がほぼ全てこちらに向いているが、特に気にも留めない。
ミズチにとっても、リュウにとってもそれは日常茶飯事だからだ。
「からかうも何も、事情を知りませんけど。何かありましたか?」
リュウは、問いかけに顔をますます険しくした。
「仕事バカが休まねぇんだよ……」
「あら、体調でも崩しておられるのですか?」
クトーに限ってそれはあり得ないだろうと思いながら、ミズチはマスターにカシスオレンジを注文した。
「いいや。ピンピンしてるよ」
「でしょうね。ではなぜ休ませようと?」
リュウは基本的に自由奔放で、彼が頭を悩ませるのは自分以上の変人であるクトーに関する事くらいだ。
悩んでいる理由には驚かなかったが、何故そんな話になったのかは興味があった。
リュウは口をへの字に曲げて、自分もエールのおかわりをマスターに要求する。
「うちの連中が心配だから休ませろってよ。まぁ俺も言われるまで何とも思ってなかったんだが」
「……2人とも、困った人達ですね」
ミズチはマスターからカシスオレンジを受けとると、頬に手を添えて、微笑んだまま息を吐いた。
元々冒険者にとって、仕事と休みの境目など依頼を受けているかどうか程度の違いしかないが、クトーとリュウは中でも飛び抜けて自分の体を気遣わない。
本来、拠点を構えるほどの大規模パーティーは珍しい。
普通冒険者パーティーと言えば数人程度の根無し草で、依頼を受けていなくてもフラフラと移動しているのが常だ。
リュウのパーティーである【ドラゴンズ・レイド】が拠点を構えているのは、功績の大きさ、国王との契約などの理由もあるが……1番の理由は『強すぎるから』だった。
「大方、真正直に皆でクトーさんに『休め』と言って、説得に失敗しましたか?」
「そうだよ」
「腕っぷしが通じない相手に弱いのは、昔から変わりませんね」
「ほっとけ」
クスクスと笑うミズチに、リュウは拗ねた顔でまたジョッキを干した。
クトーのように、彼や、彼のパーティーメンバーの腕が通じない相手など、大陸を見回しても数えるほどしかいない。
数えるほどもいないかも知れない。
正直に言って、ズメイ、ギドラ、ヴルムの誰かだけでも、Aランクドラゴンを1人で相手にして勝てるほどの戦力だ。
そんな一騎当千の人材が複数集まっていても、頭が上がらない、腕づくでどうにか出来ないのが、クトーという男だった。
「あまり飲むと体に障りますよ」
「死なない体に障るもクソもあるか」
きっとそれは、今正に『休まない』と頭を悩ませている相手が口にするのと全く同じへ理屈なので、ミズチはおかしくなった。
「こんなところでお酒を煽っても、何も解決しないでしょうに」
「解決出来りゃそもそもここに来てねぇんだよ……」
カウンターに頬杖をついて、リュウはとろんとした目をミズチに向ける。
「実際、後はパーティー解散するくらいしねーと、あいつ暇にならねぇと思うんだが」
ミズチの手の中で、グラスの氷が溶けてカラン、と音を立てた。
パーティーを解散しないまま、拠点なしに動き回る事は、【ドラゴンズ・レイド】には出来ない。
国家に匹敵する集団が権力の支配下になく野放しになっている事は、それだけで争いの種になりかねないからだ。
リュウたちはそんな事を望んでいない。
だからといって、ミズチのような例外を除いて国や組織のために働く気などさらさらないメンバーばかりだ。
「解散しても勝手に別の仕事を見つけて動き回るでしょうね。クトーさんはそういう人ですから」
【ドラゴンズ・レイド】のメンバーは決して、強要されて王都にいるのではなかった。
リュウとクトーを慕って集まっているだけで、いなくなればあっさりと根無し草に戻るだろう。
クトーが休みなく働くのも、彼が好きなようにやっているだけだとミズチは知っている。
実際のところ、パーティーが望んでいるのは一緒にいる事だけで、拠点を構えて所在を明らかにしていさえすれば、依頼を受けることそのものは強要されていない。
というよりも、誰も彼らに強要する事など出来ないのだ。
それでも、条件がなければ一緒にいる事すら平穏ではすまないのが、リュウ達の立場だった。
だったら、可能な限り自由にいられるように、と、今の環境を作ったのがクトーだ。
【ドラゴンズ・レイド】がまだ存在出来ているのは彼のおかげだと、皆が知っている。
ミズチ自身も、クトーがその件で少し困っていたから、期間限定でギルドに所属しているだけだった。
「休暇を取らせるだけなら、手がない事もないですよ?」
「なんだと?」
リュウが驚いたように顔を上げるのに、ミズチは片目をつぶって唇に手を当てた。
「皆が内緒話をする気があるなら、教えてあげますけど?」
「……なんか条件つける気じゃないだろうな?」
非常に疑わしそうな顔のリュウに、わざとらしく両手を胸に当てて傷ついた演技をしてみる。
「心外です……私がそんな女に見えるんですか?」
「お前の腹黒さはうちで1番だからな」
リュウは誤魔化されてくれなかった。
クトーなら、少し困ったように眉根を寄せてすぐに謝ってくれるというのに。
面白くないと思いながらも、ミズチは話を戻した。
「大丈夫です。クトーさんを休ませるのは、私も賛成ですから」
「……とりあえず、話を聞くだけならいいぞ」
リュウは意外と疑り深い。
というよりも、危険に敏感なのだ。
彼が手放しで言葉を信頼する相手がクトーだけなのを、彼女は知っている。
もっとも、信頼していなくても分かりやすい餌一つで騙されるのもリュウなのだが。
「休暇要請を、命令ではなく依頼にしてしまえばいいんです」
「依頼?」
「そうですよ」
ミズチはさっさとタネを明かした。
「クトーさんは真面目ですから、強制的に依頼にしてしまえば仕方なしに承諾するでしょう。でも面と向かって依頼書を出したところで、正式な手続きで破棄されてしまいます。なので、他の仕事が出来ない状況を作るのです」
だからメンバー全員で休んでしまえばいい、というミズチに、リュウはポカンとした。
「依頼を破棄しても一ヶ月くらい、皆がいなければ休むしかなくなります。そして外部や依頼主からの依頼停止でなければ、パーティーの汚点になります」
そうなれば、仲間たちの功績である依頼達成率の高さに、クトーは自ら泥を塗ることになるのだ。
【ドラゴンズ・レイド】はギルドを通して依頼を受けている。
他の依頼に関するスケジュール調整は、責任者であるミズチには簡単な話だった。
「依頼未達成の記録……クトーさんは、それを良しとしないでしょうね」
少し話して乾いた唇を軽くなめてから、ミズチは手の中にあるグラスに口をつけた。
甘い果実の味と香りを楽しみながら、笑みを深める。
そんなミズチを、リュウは恐ろしいものを見るような目で見てきた。
「どうされました?」
「よくそんな事を思いつくよな。いつもいつも……」
「皆が素直過ぎるのです」
大体、10代前半から一緒にいれば性格くらい把握していて当然だと思う。
「か弱い私は、頭を使うくらいしか生き残る方法がありませんからね」
クトーも権謀術数には長けているが、人の気持ちに疎いし、仲間と見ればその頭を悪い方向には働かせない。
気持ちに疎い部分はリュウが補っているし、この2人は後ろから刺されそうになっても、その段階から逆転出来るような反則的なコンビだ。
でも、どっちも身内に刺される事は考えていない。
そこを補っていたのは、ミズチだった。
「嘘つけ」
リュウが、ミズチの言葉に呆れた表情を浮かべた。
「一体どこの世界に、時の神と四元素神全ての最上級魔法を使いこなす『か弱い』女がいるってんだよ」
複数の神との契約は限られた魔導師にのみ許される事であり、中でも時の神からの祝福を生まれながらに受けている者は稀だった。
だからこそ、ミズチの目は権力者の道具にされそうになり……そのおかげでクトー達と出会って、今こうしていられるのだから。
リュウに対して首を傾げたミズチは、それに答えずに最後の問いを投げかける。
「悪し様に言いますが、私も、クトーさんに休んで欲しいだけですよ。どうです? 乗りますか?」
しばらく返事を迷っていたリュウだが、結局は承諾した。
※※※
リュウと別れた後、ミズチはギルドの近くに戻りながら風の宝珠を取り出す。
「ギルド総長? 夜分に申し訳ありません」
なんだ、と不機嫌そうに答えるギルド総長に、ミズチは今、リュウと話した事を喋った。
「……それで、陛下に話を通していただきたいのですけれど」
なぜ私が、と嫌そうにするギルド総長に、特にためらいもせずに答えを投げる。
「クトーさんに向かってもらうのは、クサッツです」
その言葉に、ギルド総長は沈黙した。
優雅に微笑みながら、ミズチは話を続ける。
「あの地を任されている領主は、地主に苦戦しているのでしょう? 街に根を張る権力の繋がりは腐敗も激しく、ギルドもなかなか踏み込めない……そんな状況をなんとかしたいと、本日ご相談を受けたばかりですが」
それがミズチの残業の内容だった。
【ドラゴンズ・レイド】を高い金で動かすほどの状態ではない、と言うギルド総長に、ミズチは微笑む。
「あら、タダですよ。クトーさんはたまたま休暇でクサッツに赴き、リュウさんもオーツ辺りで羽を伸ばすだけです。そんな2人の耳にちょっと噂を吹き込めば、お人好しな2人は喜んで問題を解決してくれます」
そんなミズチを、ギルド総長は恐ろしそうに、元仲間とは思えんな、と評した。
「今でも仲間ですよ。ギルドに在籍するために名前を抜いただけです。期限が終われば、パーティーに戻ります。……ああ、私もクサッツに向かいますので、王都ギルドの課長代理を選定しておいて下さいね」
ギルド総長は少しの間沈黙した後、国王に掛け合ってみる、と短く言って通信を切った。
ホアンは、確実に了承するだろう。
今、国は落ち着いていて、大きな物事があるのはもう少し先だ。
ミズチの特性である未来の予兆の中には、この先しばらくは、大規模な魔物災害も、強力な魔物の発生も大きな可能性として存在していない。
今がチャンスなのだ。
「ふふ……」
ミズチは宝珠をしまって、少し酔いが回ったまま、軽やかな足取りで家へ向かう。
「これで、リュウさんと、クトーさんと、温泉で休暇……♪」
2人の前では決して見せない、まるで少女のような嬉しそうな顔で両手を胸に当てたミズチは、その場でダンスを踊るようにくるりと回った。
「楽しみー!」
世の中の男性には非常に残念なことに、きゃー、というミズチの弾んだ声とその可愛らしい姿を見たのは、近くの塀の上を歩いていた黒猫だけだった。




