第1章おまけ:最強パーティーのリーダーは、働かされるようです。
その男は、シラネア火山の麓にいた。
どこにでもいるような、平凡な容姿の少しふくよかな男だ。
クサッツに温泉の恵みをもたらす火山の前には、掘っ立て小屋があった。
戦闘の痕跡とデストロの血の跡がある場所から、彼は遠くを眺めるように、道の向こうを見ている。
月明かりと闇の中、男の足元から不意に何かが姿を見せた。
片膝をついた姿勢で頭を下げる、礼服の男だ。
「ただいま戻りました」
「うん。彼らの腕前は健在のようで何よりだね」
彼は、満足そうにうなずいた。
ナカイの中から、共鳴の魔法によって一部始終を見届けていたのだ。
「これから、楽しくなりそうです」
彼は、シラミに協力するようにブネに命じた男だった。
「気取られてはいないよね?」
「おそらくは。彼らに遺恨を残さないよう、デストロの死体を利用し、ナカイも無事に返したのですから」
彼がシラミに協力していたのは、ブネがクトーに語った通りに『遊び』だった。
人間に興味があるのだ。
問屋としてシラミが同族を食い荒らすのをニヤニヤと眺めていたのだが、そこに因縁深い相手が現れたので、ちょっかいを出したかった。
「縁とは不思議なものだよね。世界に定められた規律の中でも好ましい部類だよ」
「……魔王様におかれましては」
振り向いた彼に、ブネは頭を上げてその顔を見る。
「彼らに対して、恨みを抱いておられないのですか?」
「おや、なぜ?」
不思議そうに尋ねる彼に、ブネは淡々と答える。
「どこか、嬉しそうに見えますので」
「そうだね……うん、僕は彼らを恨んではいないな。それどころか、あのクトーには感謝しているよ」
柔和な笑みを浮かべて、彼は言った。
「僕はね、ブネ。永い時を生きてきた。力を得ては、そのたびに女神に祝福された勇者と対峙し、倒される事を繰り返してね」
それが彼に与えられた役割だった。
役割を定めたのは神ではない。
神すらも、己に与えられた役割を遂行しているに過ぎない事を、彼は知っていた。
「生まれ落ちた時から架せられた、不滅の魂を持って魔族や魔物を率いる役目を、疑う事はなかった。でも飽きていたのもまた、事実だ」
繰り返される連鎖に、彼自身にとっての意味はない。
それが彼の日常であったから。
「でもね、クトーが神の規律に打ち勝った時に、思ったんだ」
死したる肉体は動かせずとも、その不滅の魂で彼は感じていた。
ただの人間が放った、己という存在を強烈に主張した言葉を、その姿を。
「『己の望みは、神の定めたクソみたいな規律に優先する』というその言葉に、僕は感動した」
ティアムも……あの自分と対となる存在として役割を果たしていた女も、同じ気持ちだっただろうと、容易に想像がついた。
だからこそクトーを認め、祝福を拒否されてもそれを喜びこそすれ、気分を害す事などなかったに違いない。
「役割に従う必要などないんだと。己の道は己で定めていいんだと……これほどまでに感動したのは、初めてだった」
もし勇者が口にしても、あるいはティアムが口にしても、その言葉が彼の心を動かす事はなかっただろう。
役目を持たず、自ら役目を掴み取った、ただ魔力が強いだけの人間がそれを口にしたからこそ……あの言葉には、意味があったのだ。
「そう、良いんだ。魔王としての力を取り戻すまで大人しくしている必要もなければ、なんなら、魔王として再誕しなくてもいい。僕はただ、自分の心のままに」
ひどく優しい笑顔で、彼は……人の内に在って瘴気を蓄え続ける魔王は言う。
「世界を荒らし、絶望や怒りを愉しみ、踏みにじるだけでいい」
無垢なる魔王は、うっとりと口にした。
「邪魔をされる事すらも愉しもう。自分を殺す相手を座して待たなくてもいいんだ。謀略を、血肉を撒き散らす闘争を、自ら求め、愉しんで良いのだと……クトーは、僕に教えてくれた」
「……」
ブネはその言葉に沈黙をもって答えたが、彼の口もとにも笑みが浮かんでいた。
「さ、行こうか。今までは、魔物を暴れさせ、魔族に全てを任せていたけど。今度は自ら人同士の絆を引き裂き、勇者やクトーとの闘争を存分に、最初から味わうために」
「御意」
そうして。
自らの役割を与えられたものではなく、己のものとした人ならざる者は。
従者とともに、静かに闇へと消えた。
※※※
「もう限界だ! お前マジでふざけんなよ!」
そこは、いつぞやと同じようにリュウの部屋の中だった。
周りにもパーティーメンバーが集まっているが、今回はたったの4人だ。
ズメイ、ギドラ、ヴルム、そしてレヴィ。
レヴィ以外は全員目の下にクマがあり、げっそりとした顔をしている。
休暇を終えて帰還したクトーが立てたスケジュールに、不満があるようだ。
「なんだこのスケジュール! 殺す気か! しかも増えてるじゃねーか!」
「一ヶ月も休んだんだから当然だろうが」
クトーはメガネのブリッジを押し上げる。
一ヶ月の休暇分の収入を取り戻すスケジュールだ。
メンバーの休みは半分に減らしたので、大型の依頼を受けると体調に差し障りが出るために増やせない。
代わりに街周辺で出来る細かな依頼を増やし、経費を抑える方向でスケジュールを組んでいたのだが。
「1日に2つも3つも依頼突っ込みやがって!」
「こなせる分量で考えている」
「ああそうだな! 依頼はこなせるな!? 代わりに依頼達成書づくりの仕事が3倍に増えてるけどなぁ!?」
リュウが何を怒っているのかさっぱり分からず、クトーは首を傾げた。
「書類が1枚から3枚に増えるだけだ。大した事じゃないだろう?」
そこに、3バカが口を挟んでくる。
「いやちょっと待つっす!」
「むしろめんどくせぇ仕事が増えてんだよ……」
「待遇改善を要求するス! 受けるのデカい依頼でいいんで、書類仕事減らしたいス!」
「駄目だ。体調を崩したらどうする」
「「「精神的疲労も考慮して欲しいっす!!」」」
書類仕事の方がどう考えても楽なんだが。
そう考えるクトーに、リュウがさらに言い募る。
「大体、あのシラミから奪った金があんだろ!?」
「あれは俺個人の金だ」
「めっちゃ協力しただろうが!」
「お前も依頼を受けていたし、賭けの分け前はやったはずだが」
メンバーの稼いでくれた給与は大切にするが、だからといって個人的な金までパーティーのものにするつもりはない。
そもそも、パーティーとして受けた依頼ですらなかった。
「休んだ分は取り戻す。最低でも、装備品のメンテナンス費用くらいはな」
休暇中、軒並み出かけていた連中のメンテ費用も、装備品のランクが高くてバカにならないし、預けていた予備の装備の金も同様だ。
メンテをしなければ装備品の寿命は短くなるし、不意に壊れることも考えられるのだ。
「もう二ヶ月減俸してもいいなら、考えるが」
「この鬼め!」
「自業自得だ」
リュウは、デスクの上で頭を抱えた。
「ああもう……」
「なんか困ってるわね」
新規に見習いとして入り、装備品も作ってもらったばかりで、自分の生活費を稼ぐだけで良いレヴィがのほほんと言うのに、リュウが死んだ目を向ける。
「このままだと過労死する……」
「大げさだな」
そうならないように、きちんと取りはからっている。
レヴィは、んー、と視線を天井に向けてから、リュウに言った。
「リュウさん、休みたいのよね?」
「ああ。出来ればな」
「私がクトーを説得出来たら、この装備の借金肩代わりしてくれる? 支払い期限も利子もないんだけど」
「……出来るのか?」
ニッコリと笑うレヴィに、リュウはしばらく考えた。
そしてうなずく。
「よし、ノる」
「ふふ……ねぇ、クトー」
「なんだ?」
悪い笑みを浮かべてこちらを見るレヴィは、生き生きとしていた。
「クトーってさ、お休み取らないんだよね」
「必要ないからな」
「じゃあさ、もし他の人たちがクトーのスケジュール無視して、休みの日も働いたらどう思う?」
「む? 体を休めなければ任務に支障が出るだろう」
「そうじゃなくてさ」
レヴィは、クトーの胸に指を向けた。
「クトーは、どう思うの?」
そう問われて、クトーはアゴに指を添えた。
「心配になるな」
仲間が体調を崩しては、スケジュールを管理する意味がない。
レヴィは、その言葉に大きくうなずいた。
「だよね。リュウさんたちはさ、もし自分が平気だと思ってても休むよね。それはクトーを信頼してるからだし、仲間だと思ってるからだと、私は思うんだけど」
レヴィが何を言いたいのか、クトーには分からない。
自分を相手がどう思っているかなど、あまり気にした事がなかった。
「……そうかもしれんな」
「だったら、クトーが休まなかったら皆も、あなたと同じように心配すると思わない?」
クトーは、自分でも珍しい事に思考が停止した。
自分が思うのと同じように。
仲間たちが?
「平気でも休む、って、そういう事だと思うんだけど」
「……一理あるな」
クトーの言葉に、なぜかリュウと3バカが息を呑んだ。
「でさ、今クトーが休めないのって、同じように事務仕事できる人がいないからっていうのと、クトーが出来ちゃうからだと思うんだけど」
「それが?」
「だったら、出来るように皆を教育したらいいんじゃないの?」
レヴィの言葉に、クトーは眉をひそめる。
「事務仕事に関しては一通り教え込んでいる」
「自分の分だけ、でしょ? クトーみたいにスケジュールを管理して、きちんと装備品や備品の交渉を全員分出来る人は?」
「……いないな」
「じゃ、クトーが次にやる事ってそれなんじゃない?」
レヴィは、大きく手を広げた。
「畑仕事って、全員でやれば早く終わるものでしょ? その分休めるしさ。事務仕事も一緒じゃないの?」
それはかつて、リュウにかけられたのと同じ言葉だった。
クトーは、レヴィに対して何度かうなずく。
「言っている意味は分かる。だが、それでは仕事が一時期滞るだろう」
「当たり前じゃない。私多分、今ならラージフットくらいは余裕で倒せると思うけど、クトーに会ったばっかりの時は出来なかったよ」
「そうだな」
「でも、あなたはきちんとスケジュールを組んで、私に倒しかたを教えながら、ちゃんと予定通りにクサッツに着いたんじゃないの?」
それはその通りだが、レヴィが何を言いたいのかは相変わらず分からない。
「で、それが休みを減らして依頼をこなすのをやめるのと、どんな関係がある?」
「休んだ分のお金を取り戻す期間を延ばしてさ、代わりに事務仕事出来る人を育てて、クトーが休んだり自分も依頼に出れるようにしたら、もっと効率良くなるんじゃないかなって話」
さらに、レヴィはちょんちょん、と自分の頬をつつく。
「そうすれば、今あんまり出来てない私の訓練も、進むと思うのよね」
「む」
後回しにしていた課題の1つを提示されて、クトーは眉根を寄せた。
確かに、予算を取り戻す事を優先して、レヴィの訓練は出来ていない。
「一人前にしてくれるんでしょ? だったら、早く時間を作れるようにしてくれなくちゃ。……クトーなら、出来るんじゃないの?」
悪戯っぽく笑うレヴィに、クトーは微笑んだ。
可愛い顔をしながら、非常に合理的な事を言ってくれた。
「いいだろう。俺の休暇もスケジュールに組み込み、新たに事務も出来るようにパーティーを教育し直す」
クトーがうなずくと、リュウが戦慄した。
「ま、マジで説得しやがった……!?」
そんなリュウに顔を向けて、クトーは告げた。
「覚えるのは、まずお前からだ。依頼スケジュールを組み直して、明日から始める」
「何ィ!?」
「それと、レヴィの装備はムラクお手製だ。そこそこ値が張るが、お前にツケ直す」
「何だと!? レヴィ、てめぇまさか……!」
レヴィは肩をすくめて小首を傾げた。
「へへ。クシナダの旅館を焼いちゃった借金もあって、ちょっと返済額が辛かったから、助かったわ♪」
「図りやがったな!?」
「承諾したのはお前だろう」
レヴィのせいにするとはどういう了見だろうか。
「レヴィは非常に良いことを言ってくれた」
「そうでしょ?」
レヴィがVサインを突き出す。
「俺が事務仕事苦手って知ってんだろぉ!?」
「関係あるか。そもそもパーティーリーダーが経理の事情を知らん事は問題だった。良い機会だ」
「完全にやぶ蛇だぁああああああ!!」
再び頭を抱えたリュウの絶叫が、リーダー室に木霊した。




