おっさんと少女は敵を欺く。
「おい」
どのくらい時間が経過したのか。
声をかけられて顔を上げると、それぞれ顔の横と鼻にガーゼを当てたノリッジとスナップ、それに見覚えのあるナカイが立っていた。
彼らはニヤニヤしているが、その目が気持ちの悪い光を放っている。
「お前らに朗報だ。ここから出れるぜ?」
「へぇ、どこに連れて行かれるのかしら」
レヴィはじんわりと手に汗が浮かぶのを感じながら、軽口で答えた。
光玉が先ほど消えたので、それなりの時間は経っているだろう。
牢の鍵を開けて入ってきたスナップにアゴを掴まれて、レヴィは頬の痛みが蘇って顔を歪めた。
「ツラだけは良かったってーのに、ボロボロだなオイ」
「黙りなさいよ、デブ。豚っ鼻が腫れて、さらに豚っぽくなってるんじゃないの?」
レヴィの言葉に、スナップの額に青筋が浮かんだ。
「このクソガキ、自分の立場が分かって……」
「そうやって、すぐに油断するからこういう目に遭うのよ!」
レヴィは、膝でスナップの顎を思い切り蹴り上げた。
「ゴガッ!」
即座に縛られているフリをやめたレヴィは、スナップの体を押しのけるように立ち上がり、開いたままの牢の入口に向かう。
ベッドに向かって毛布を剥ごうとしていたノリッジが、驚いたように声を上げた。
「な、てめぇ!」
レヴィの前に立ち塞がろうとしたナカイに向かって、投げナイフを放つ。
刃を避けたナカイの横をすり抜けて、レヴィは廊下の向こうへと駆け出した。
「待ちやがれ!」
「待つわけないでしょ!」
レヴィを追って来る気配がするが、足には自信があるのだ。
このまま外に、と新たな投げナイフを取り出しながら建物の中を走り、昇り階段を見つけて駆け上がる。
ここがどこなのかは分からないが、窓もない部屋であれだけ大きな通気口があるなら地下じゃないかと思ったからだ。
案の定、駆け上がった先はだだっ広いエントランスホールで、二階もないぶち抜きの作りになっている。
レヴィの上がってきた階段から右手側に大きな両開きのドアがあり、そちらへ向かおうとすると声を掛けられた。
「ご苦労なことだ」
目を向けると、左右に階段があってこちらを見下ろせる手すりの向こうに、黒いキモノの男と礼服の男が立っている。
「誰よ、あなた」
「シラミという。君たちが邪魔をしてくれた旅館買い上げ計画を指示した者だ」
淡々と答えたシラミは白髪の混じる老人で、体型は細いのにどこか危険な色を感じさせる男だった。
その横に立っている礼服の男に気絶させられたレヴィは、警戒しながらも両開きのドアに向かう。
相手が黙ったまま何もしない理由は、すぐに分かった。
頑丈なドアは開かず、中には手で鍵を開けるためのツマミもなかったのだ。
「無駄だ。逃げ出さなくとも、元々ここに連れて来る予定だった」
シラミの言葉に、レヴィは相手をにらみ上げる。
「へぇ。それで?」
尋ねたレヴィの言葉を遮るように、バタバタと階段を駆け上がって来る音の後に、ノリッジ・スナップ・ナカイの3人が姿を見せた。
シラミは、彼らを冷たく一瞥する。
「人の招待一つ満足に出来んようだな」
「も、申し訳ありません……」
息を切らせながらサッと青ざめた2人を意に介さず、シラミはレヴィに目を戻した。
「上がってこい」
礼服の男が低い声で言い、ノリッジたちは大人しくそれに従う。
「レヴィ、という名前だったな。女将はどうした?」
「逃したわよ。それがどうかした?」
シラミは、ピクリと眉を動かした。
「なるほど、そして自分だけ残ったか」
「いけない?」
レヴィの問いかけに、シラミは軽く鼻を鳴らした。
「いいや。この段階までくればどうでもいい話だ。これは余興だからな」
「何ですって?」
「1つ、賭けをしよう」
シラミの言葉と共に、礼服の男が動いた。
彼が自分たちの後ろにあったカラクリを操作すると、左右階段の間にある扉が、ギィ、と音を立てて開いていく。
「つい先日、私の手の者がBランクの魔物を馴らす事に成功してな」
扉の奥からズン、と音を立てて姿を見せたのは、巨大な緑色のドラゴンだった。
フライングワームと違って四肢を備え、代わりに翼がない。
「ミッシング・ドラゴンという地を歩く竜だ。なかなかの魔物だろう?」
直立すれば天井のシャンデリアに届きそうな巨躯に威圧感を覚えたレヴィは、そのトカゲに似た無機質な目に見下ろされて唇を噛んだ。
「これを倒せれば、君を解放しよう。負けた時に奪われるのは、君の命だ」
死刑宣告のつもりか、ザラついたような喜悦を滲ませたシラミの声。
レヴィは、ふー、と息を吐くと、恐怖心を押さえつけた。
相手は巨大な魔物。
倒し方なんか知らない。
でも。
「この私を、ナメて後悔しない事ね」
レヴィはそう言い返しながら、ちっぽけな投げナイフを構えた。
逆の手でカバン玉を探り、左手の指に4本挟み込む。
どんな魔物でも倒し方はある、ってクトーは言っていた。
観察して、それを見つけろって、スライムを相手にした時にも言われた。
「そもそも私って、クシナダを逃がせた時点で……あなた達に勝ってるのよね!」
レヴィが床を蹴るのに呼応するように、目の前のドラゴンが喉を鳴らしながら、ズン、と足を踏み出した。
※※※
「ここか?」
「そうだ」
デストロによってリュウと共に案内された場所は、山に近い場所にある街から外れた掘っ建て小屋の前だった。
一緒にいるのは、クトー以外はズメイとギドラだ。
肩をリュウに掴まれたデストロが、小屋に向かって声を上げる。
「来たぞ!」
その言葉に答えて小屋の中から姿を見せたのは、クシナダ……では、なかった。
周囲に飛び散るように幾つもの黒い影が走り、同時にデストロがストンと腰を落とすようにリュウの手から逃れる。
「スタンダウト・シャドウか」
ニヤけるリュウが再びその体を掴む前に、デストロの目が赤く光った。
ズブリと、地面に沈み込むように姿を消した男は、1匹のスタンダウト・シャドウの背後に現れる。
数十匹の魔物がこちらを囲っているのに向けて、ズメイとギドラが棍棒と拳を構えた。
リュウとクトーはそれぞれに似た剣を抜き、ダラリと体の脇に下げる。
「それで、人質は?」
「いないな」
デストロが薄く笑い、不意にざわりと魔力の波動が空気を震わせた。
徐々に膨れ上がるそれは、デストロの体から放たれたもの。
魔力が脈打つと、彼の体が膨れ上がり始めた。
全身が黒い毛に覆われてゆき、髭面の口が裂けて牙が大きく鋭く伸びる。
ブチブチと縄と服を引きちぎりながら姿を見せたのは、見上げるほど巨大な、翼を持つ悪魔だった。
それはダークネス・マインドと呼ばれる魔物であり、邪悪な儀式によって人を変質させる事で発生する。
「なんだ、もう人をやめてたのか」
『上手くいったようで何よりだ。お前たちの推理は、残念ながら外れている』
ゲハゲハと喉を鳴らした魔物は、ナイフのように尖った爪先でこちらを指差した。
『俺は、デストロだ。素晴らしい肉体を授けて下さったブネ様ではない……元々、こういう予定だった』
「へぇ?」
『旅館を奪う計画など我々にはどうでもいい……貴様らが現れた時点で、最初から狙いは貴様らの抹殺なんだよ』
調子よく喋りながら、デストロは両手を広げる。
『女将とレヴィは殺す。そして貴様らもここで死ぬ。ゲハ、今頃は、あの小娘どもはドラゴンの餌食だろうなァ……財産も、殺してからゆっくり漁るとしよう』
愉快そうに告げる魔物になった男に対して、リュウは笑みを消さなかった。
こちらに目を向けて、片目を閉じる。
「だとよ、クトー。お前の読み通りだな」
『ああ。素直に案内するとは思っていなかった。レヴィたちはどこにいる?』
『川沿いの倉庫街だよ。ゲハゲハ、ここからじゃいくら急いだって間に合わねぇぜ? その前に、逃げられねぇけどなァ!』
リュウは、ゆっくりと肩に剣を担ぎ上げた。
「だってよ、クトー。すぐに始末してそっちに行くわ」
『ああ。……ヴルム、ご苦労だった。もう喋っていいぞ』
クトーが言うと、ヴルムが口を動かした。
「めんどくさくなくて良かったのに、残念っす」
同時にクトーの意識が遠ざかり始め、ヴルムが魔力の光に包まれる。
『何ぃ……!?』
「残念だったなぁ。ペラペラ喋ってくれてありがとうよ」
リュウは、どこまでも楽しそうだった。
「ハメたつもりでハメ返された気分はどうだ?」
そんな言葉を最後に視界が暗転し……クトーはゆっくりと目を開いた。
座っていたのは、街の真ん中にある湯畑のベンチ。
クトーは、デストロの案内に同行していなかったのだ。
敵を油断させるためにヴルムに変化の魔法を掛けて、ソーサラーが使う初等魔法である共鳴の魔法で意識をリンクさせていた。
本来、共鳴の魔法は仕掛けられた側が故意に動くと解けてしまう弱い魔法だ。
だから面倒くさがりのヴルムの体を借りていたのだ。
クトーが立ち上がって倉庫街の方に目を向けると、地平に近い空が白み始めている。
すぐに駆け出して、風の宝珠を使用した。
「ミズチ」
『はい』
ミズチはクトーらがいなくなった後に襲われた場合に備えて、旅館に待機させていた。
答えた仲間に向かって、クトーは指示を出す。
「倉庫街だ。魔力の気配か、不自然に魔力を遮断している建物は『視え』るか」
彼女の遠見や過去視は優秀だが、当然ながら制限もある。
世界を巻き込むような大きな物事を視る広い視界があっても、目印となる何かを指定しなければ小さな無数の情報を読み取りすぎてしまうのだ。
それは、ミズチの目を潰すほど大きな負担になる。
最初は馬車の痕跡を追わせようとしたが、そちらは途中で読み取れなくなったらしい。
不可思議な出来事に疑念が頭をよぎったが、クシナダを助ける事を優先して作戦を切り替えた。
クトーの問いかけに対するミズチの返答は、意外なものだった。
『その事ですが、すでに捕捉しています』
「何?」
『今、こちらからも連絡を入れようと思っていたのです。ギルド支部に所属する冒険者を数名連れてきていますので、私も向かい始めています』
「どういう事だ」
『クシナダさんが戻りました。今、私はトゥスさんと一緒にいます。レヴィさんが囮になって敵のところに残っているというので、記憶を読みました』
急いでいる口調でそう告げたミズチに、クトーは深く息を吸い込んだ。
いつまでたっても戻って来ないので、捕まっているだろうとは思ったが。
「……分かった。俺の位置は分かるな?」
『はい。読み取ったものを送ります』
風の宝珠によって繋がったミズチから、クシナダの記憶をもらい受ける。
レヴィとのやり取りと、旅館に逃げ帰るまでのものだ。
彼女が振り向いて見た建物の姿と辿った道筋を、頭の中の地図と照らし合わせた。
「受け取った」
『では、向こうで』
ミズチは余計な事を言わずに通信を切った。
クトーは疾風の籠手ではなく、ニードルを一本抜くと自分の腕に軽く針先を当てた。
「漲れ」
疾風の籠手に数倍する身体能力をもたらす補助魔法を自分にかけたクトーは、崩れ落ちる針を投げ捨てて跳ねた。
頭によぎるのは、受け取った記憶にあるレヴィの姿。
頬を腫れ上がらせ、カバン玉を有効に使うために体を張り、笑みを浮かべてクシナダを励まして。
そんな彼女を。
「……傷つけた事を、後悔するがいい……」
クトーは呻きながら、遥か眼下にある街並みの中に目的の場所を見つける。
そのまま一度着地し、次の跳躍でその建物の前に降り立った。




