おっさんは少女に貸しを作る。
用意したものを食え。
そう言われて固まるレヴィの顔を眺めながら、クトーは道中で自分の考えていたことを思い返した。
おそらく彼女は、金がない。
食事を迷ったのは、先ほど折半した報酬……銅貨4枚では、食事なしの素泊まり程度しか払えないからだろう。
さらにレヴィは風呂上がりにも関わらず、旅装のままだ。
それどころか、中まで変えていないように見える。
人目に触れるところで気を許した格好をしないことも考えられるが、普通、肌着くらいは替えるだろう。
彼女は出会った時に荷物を持っておらず、発言からカバン玉も所持していない。
たった一人であんな場所にいた理由は分からないが、旅をするのに荷物もないのはおかしな話だ。
「ここに来るまでの様子では、荷物もなしに旅をするような命知らずには、見えなかったからな」
そう伝えると、彼女は体の脇でぎゅっと手を握りしめた。
多分彼女は、パーティーメンバーとはぐれたか、捨てられたのだろう。
「……あいつらとは、意見が合わなかったのよ」
「そうか」
クトーは否定しなかった。
どうやら、捨てられた方だったらしい。
吐き捨てた言葉は、精一杯の強がりだろう。
はぐれただけならパーティーメンバーを探しただろうから、そちらの可能性が高いとは思っていた。
可哀想だとは思うが、彼女を捨てた連中の気持ちも理解出来ないわけではない。
目の前でうつむく彼女は、普通の駆け出しと比べても悲しいくらいに弱く、身のこなしはまだしもダガーの腕前を見るに戦力としてアテにはならない。
その上、あれだけの大口を叩けば不快に思う者の方が多いだろう。
冒険者は、常に命がけだ。
分不相応の野心を持つ者も多い。
そんな中で命を預けるに足る存在になれなければ、そもそも対等な仲間にはなれないのだ。
レヴィには、へこたれないだけの強かさと根性はあるように見える。
しかしそれだけでは、冒険者として暮らすには足りない。
「座らないのか? いいか、この食事代は貸しだ。後で返してもらう」
正直に言えば、奢るくらいはなんて事はない。
クトー自身は、金に困るような生活を送っているわけじゃないからだ。
むしろ、奢ってやりたい気持ちはある。
わざわざ貸しを強調したのは、そちらの方がレヴィが受け入れやすいだろうと思ったからだ。
施しを受けるのを、良しとしない性格をしているように見える。
クトーはレヴィがどう答えるかを、観察していた。
手を差し伸べる余裕がある時は、冒険者同士は助け合わなければならない、と思ってる。
その為には、助け合う事のありがたみを知る事が大切だ。
故に冒険者の最初の壁は、自分が差し伸べられた手を取ることの重要性を悟り、感謝できるかどうかだと言える。
レヴィの、冒険者に必要な図々しさに関しては、山分けの話をした時に見た。
だが、今の様子を見るに開き直りが足りない。
冒険者は自分が危機に陥った時に助けられたら、謙虚にならなければいけない。
自分の慢心を反省し、捨てることが出来ない奴は死ぬ、というのがクトーの持論だった。
その謙虚さは傲慢さの裏返しだ。
生きるために必要なら、どんなものでも受け取るという生き汚なさなのだ。
この提案に、レヴィがどう出るか。
クトーの提案をありがたいと思えないのなら、レヴィは冒険者をやめたほうが良いと思っていた。
彼女は、軽く口のはしを震わせてテーブルの食事に目を落としている。
葛藤しているのだろう。
そして、レヴィは答えを出した。
「べ、別にお腹空いてないし!」
彼女の出したその答えを即座に否定したのは……グギュルルル、という大きな音だった。
レヴィの、腹の虫だ。
盛大に鳴き声を立てて、口から出た言葉にこれ以上ない反論を述べている。
「……」
「……」
先ほどとは、全く種類の違う沈黙が降りた。
突っ込むのも野暮か、と思いながらクトーが待っていると。
レヴィが、んんッ! とわざとらしい咳払いをして正面に腰かける。
「ありがたく食べるわね! なんなら奢ってくれても良いのよ!」
やはり偉そうだ。
何事もなかったかのように前言を撤回しているが、実は恥ずかしがっているのだろう。
耳が真っ赤に染まっているし、取りつくろった表情をしつつもテーブルの食事にかたくなに目を向けていてこちらを見ようとしない。
まるで小動物のような可愛らしい様子のおかげで、その尊大な言葉に全く腹が立たない。
「奢らん」
ここで良いぞといってしまうと、今度は食事にまともに手をつけなくなりそうだからな。
それに、クトー側の事情もある。
「なによ。あんなに強いビッグマウスを一緒に倒したんだから、食事代金くらいケチケチしなくても良いじゃない!」
内心どう思っているのか知らないがそんな風に噛み付くレヴィに、クトーは首を横に振る。
「俺の持っている金は、仲間の稼いでくれた金だ。土産の味見の為に大エビガニを購入したからな。これ以上の無駄遣いは出来ない」
与えるものが労力ならば、惜しむ気はない。
しかし金は、仲間が危険な場所へ赴いて得た対価なのだ。
「何、あなたもお金を借りてる立場なの? やっぱり自分で稼げるほど強くないんじゃない」
少し違うが、レヴィは恥ずかしさを忘れて生意気さを取り戻していた。
彼女はどうやら、多少、見どころがあるらしい。
ちっとも素直ではなかったが。
レヴィが差し伸べた手を取ったので、クトーは薄く笑った。
せっかくの休暇でもあるし、少し一緒にいるのは楽しそうだ。
「何よ、ニヤニヤして」
なぜか律儀に合図を待っているらしく、レヴィはチラチラとクトーを見ながら言う。
「なんでもない。好きに食って良いぞ」
クトーが言うと、レヴィは。
いただきます! と大きな声で言って、テーブルの食事に手を伸ばした。
※※※
翌日、クトーはレヴィを連れて冒険者ギルドと服飾店を回った。
防具屋ではなく普段着を扱う店に寄ったのは、装備品よりもレヴィの中着とせめて外套を調達しておく必要があったからだ。
「え、新品買うの? ふ、古着で良いんじゃない?」
「体に合わない服は良いことがない。ダボついて動きを邪魔したり、短くて体が冷えたりするからだ」
レヴィの口から出てきた言葉が『買わなくていい』ではない辺りが、謙虚なのか図々しいのか、判断に迷うところだ。
そもそも奢りではないのだから、お互いに遠慮する必要もないのだが。
採寸などをしてもらう最中、明らかに慣れていない様子のレヴィは居心地が悪そうだった。
しかし、中着を包んでもらい、外套を腰に巻いて店を後にすると嬉しそうに笑みを見せる。
「ありがと!」
そんな言葉に水を差すようだが、きちんと伝えておく。
「購入代金も貸しだ。……昨夜のうちに、食事代を踏み倒して逃げるかと思っていたんだがな」
「そ、そんな事しないよ!」
どこかギクッとしたのは、少しは考えたのだろう。
やはりレヴィは根の部分が素直だ。
彼女は、何故かちらりとクトーの外套にあるポケットに目を向けた。
そこにはカバン玉が入っているだけなんだが。
クトーの視線に気づいたのか、レヴィはえへへ、と愛想笑いのようなものを浮かべて、そそくさと中着の包みを腰の皮袋に仕舞う。
昨日、もし隣の部屋で寝ている彼女が逃げようとすれば首根っこを押さえにいくつもりだった。
その後金だけ返済させて放っぽり出すつもりでおり、それをしないならば、最後まで面倒を見ようと方針を固めていた。
冒険者として暮らせそうならしばらくサポートをして、どうやっても無理そうならどこか働き口でも紹介してやるつもりだった。
クトーはなぜかそれをいつもの事だと感じて、自分で首をかしげる。
理由には、すぐに思い至った。
よく考えなくても【ドラゴンズ・レイド】が大所帯になったのは、こういうことを繰り返していたからだ。
リュウが考えもなしに困っている奴に手を出して拾ってくるのを、クトーが金を稼げるように、死なないようにと教育している内に、気づけば最強などと呼ばれていたのだ。
理由に思い至ったクトーは、改めてレヴィに問いかける。
「ちなみに、稼ぐ当てはあるのか?」
「当然よ! この私に掛かればちょっとした借金くらい、すぐに魔物を狩って返せるし!」
ふふん、とレヴィが平らな胸を反らすが、どう考えても無理だろう。
そもそも攻撃すら当たらないのに、どうやって狩るというのか。
クトーがジッと見つめると、レヴィは少しだけひるんでからすぐにアゴを上げた。
「何よ?」
「なら、手伝わなくて良いか?」
歩いている内に目の前までたどり着いていたフシミの街のギルドを、クトーは親指で示した。
「俺はここで依頼を受けるつもりだが、お前はお前で依頼を受けるのか?」
「う……」
レヴィは困ったように眉根を寄せる。
彼女の反応が微妙な理由を、クトーは正確に察していた。
「い、依頼は受けてるわよ! ここで!」
「どんな依頼を?」
「えーっと……」
クトーの問いかけに、レヴィはふらふらと視線をさまよわせて、また言葉に詰まった。
困った顔もちょっと可愛いかもしれん、と思いながら返事を待つ。
レヴィは軽く視線をさ迷わせた後、うつむいて小さく言った。
「薬草採取……」
ギルドで受けられる、最低ランクの常時依頼だった。
依頼には、三つの種類がある。
一つは、レヴィの受けている『常時依頼』という、素材集めなどの常に募集をかけているものだ。
危険な区域での収集や上位モンスター素材でなければ普通に手に入るものも多いため、かなりランクが低くても豊富な種類の募集がある。
二つ目が、問題が発生した時に出される『募集依頼』。
主に害獣や魔物退治、護衛依頼などであり、大体の冒険者は常時依頼を片手間にこなしながら、この募集依頼を行うのが一般的になる。
そして最後が、早急に対処する必要がある場合に出される『緊急依頼』だ。
どこかの街がモンスターの襲撃を受けていたり、突然大量発生したり、Bランク以上のモンスターが近くに出現した時などに出されるものだ。
クトーのパーティーが受けるのは大体Bランク以上の常時か募集依頼で、万一の緊急に対応するために、依頼を終えた何人かを自分を含めて常にハウス待機にしていた。
レヴィの受けた薬草集めなど、手間こそかかるが1日もあれば済む。
普通、ビッグマウスの受け渡しの時には終わっていたはずだ。
「なんで完了しない?」
「だって、薬草集めるより魔物を倒したほうが手っ取り早いじゃない!」
どうやら、薬草集めを冒険者として街の外に出る口実にしたらしい。
依頼書があれば、受けた街ならその日1日は検問をフリーで通れるからだろう。
クトーはため息を吐いた。
「言っておくが、低ランクの冒険者が単独で魔物を狩っても、討伐数にカウントもされないし報酬も支払われない」
「え?」
レヴィが、思いがけないことを言われたようにきょとんとする。
やはり知らなかったようだ。
ビックマウスを換金する時の様子から、そんな事だろうと思っていた。
「低ランクに対しては偶発戦闘だけは報酬が支払われるが、それにも上位の冒険者の付き添いと証明がいる。理由は、慣れていない者が魔物といきなりやり合うのは危険だからだ」
だから、薬草採取などの危険度の低い依頼で外に慣れながら、あるいはギルドで申請して上位者の付き添いをして貰い、ランクを上げなければならないのだ。
「ギルドで、最初に依頼を受ける時に説明されるはずだが」
「そ、そうなんだ……」
クトーがレヴィを見つめると、彼女は軽くうつむいて視線を逸らす。
「なぜ聞いていない」
「えーっと、その」
レヴィはもぞもぞと、体の前で両手の指をこすり合わせた。
戦闘に関することには自信満々なのに、事務的なことになると途端に自信を失う。
冒険者にはありがちだが、レヴィは特に極端なようだ。
「私くらいになると、初心者用の説明なんか必要ないし……」
「つまり、聞く前に飛び出したのか」
「そ、そうとも言うかな?」
「馬鹿か」
「うぐ……!」
昨夜、命知らずではないと思ったのは間違いだったかもしれない。
駆け出し、という言い訳だけで済ますには、いくらなんでも考えが浅過ぎる。
「冒険者ギルドのルールは、破ると想定外の危険があるから定められている。『知らない』という事は、自らの命をみすみす危険に晒しているのと同じ事だ」
はっきり告げると、レヴィは少し顔を歪めた。
しかしどれほど耳に痛かろうと、言うべきことは言っておかなければならない。
クトーは自分の胸を人差し指で示して、トントン、と叩いた。
「自分の命をここにあって当たり前だと思っている人間は、冒険者には向かない」
「……ッ!」
ギルドの前で対峙するクトーとレヴィを、ギルドに出入りする冒険者が無遠慮に眺めながら通り過ぎていく。
目の前のレヴィは、くちびるを震わせて拳を握りしめていた。
「何よ……」
外套のポケットに片手を入れて立つクトーを、レヴィはギラリと睨み上げる。
「あなただって駆け出しのくせに!」
「少なくともお前より経験を積んでいるし、無謀でもない」
クトーは全く動じなかった。
世の中には、負けん気の強さだけで許されることと許されないことがある。
「知恵が浅い。だからお前は、パーティーから外されたんだ」
「意味分かんない! 何にも関係ないじゃない! ちょっと知らなかっただけでしょ!?」
レヴィはカッとなったのか、足を一歩踏み出して声をさらに大きくした。
「ルールを知らなかったのが、そんなに悪いことなの!?」
「そうだ。知識も力の一部であり、冒険者の稼業では命を守る方法を知らない奴が悪いんだ」
『命を守る』ことは何よりも大切にするべきことだと、クトーはパーティーメンバーに叩き込んできた。
危険をあらかじめ知っていれば、先に対策を立てる事が出来る。
だからクトーは、どれほど必要なさそうに見えても魔物に関する様々な知識を蓄えるのだ。
【ドラゴンズ・レイド】の依頼達成率は100%。
だが、不測の事態による外部からの強制停止やパーティー死亡率は0%ではない。
「俺は昔、無謀な行いをした者のせいで大切な仲間を失った。敵を倒すのと引き換えにな」
「え……」
「パーティーの誰かが無謀であれば、自分だけでなく他者の命を危険に晒すんだ」
レヴィはあくまでも静かに告げるクトーに勢いを削がれたのか、前のめりになるほど体に込めていた力を抜いた。
「気概があるのはいい。だが、二度と自分の命を粗末にするような真似をするな。油断すれば、人は死ぬんだ」
関わり合いになった以上、クトーにはレヴィを死なせるつもりなど毛頭ない。
その為には、心に深く、命の大切さを刻んで貰わなければいけない。
「お前は生きたいのか、死にたいのか、どっちだ」
「……そんなの、生きたいに決まってるじゃない」
レヴィはふてくされたような顔で言葉を吐き捨てたが、語気は決して強くなかった。
「なら、そろそろ中に入るぞ。生きるための方法を、全て1から教えてやる」
クトーがギルドの入口に足を向けると、背後からぶつぶつと声が聞こえる。
「何よ偉そうに……ちょっと私より先に冒険者になっただけのくせに……」
それでも、レヴィがついて来ているのは声の距離と足音で分かった。
内心では多分、こちらの言葉を認めたのだろう。
ただ、素直になれないだけで。
クトーは、ギルドの入口をくぐりながらそう思った。