少女は、もう一人の少女を救おうと動く。
「レヴィ様」
声をかけられて顔を上げると、廊下の向こうに立っていたのはクシナダだった。
大広間食堂の後片付けを終えてから温泉に浸かるというので、レヴィは別館の軒先で待っていたのだ。
彼女は寝巻き姿をしており、手にした布で下ろし髪を丁寧に揉んでいる。
「部屋に戻る?」
「その前に、少しよろしいですか?」
レヴィが頷くと、クシナダは横に腰かけた。
目の前にあるのは渡り廊下から見える裏庭で、表よりは殺風景だ。
例のシシオドシとかいう、水で音が鳴る飾りもない。
レヴィとしては静かな分だけ虫の音なんかが聞こえるので、こちらの方が落ち着く。
「クトー様に、依頼を受けるかどうかの説明をされた時の事なのですけれど」
言われて、レヴィは表情を強ばらせた。
あの時クシナダに啖呵を切った後、その話題に触れられなかったので気にはなっていたが、なぜ今なのだろう。
横目でちらりと彼女を見ると、クシナダは正座して庭に目を向けていた。
顔は微笑んでいて、怒っているようには見えない。
化粧を落とすと、ピシッとしている普段と違って柔らかい目元をしていた。
レヴィが黙っていると、クシナダは続けて言う。
「ありがとうございました」
「え?」
礼を言われるとは思わずレヴィが面食らっていると、クシナダは話を続けた。
「レヴィ様の言葉で、目が覚めたのです。どうしたら良いのか、と途方に暮れていましたが、手を貸してくださる人がいて、支えてくれる旅館の皆がいる事を、しっかりと理解することができました」
だから感謝しています、と言いながら、クシナダは布を下ろして膝に手を重ねると、レヴィの方を向いて深々と頭を下げた。
「や、やめてよ……」
こんな風にかしこまられると、ますますどうしていいのか分からなくなる。
大体、自分がイライラしたからってあんな言い方したし……と、レヴィはもじもじと指をこすり合わせた。
すると頭を上げたクシナダは、どこか茶目っ気を含ませた表情を浮かべた。
「それに、旅館のためにセンツちゃんの格好をして下さいましたし」
「ちょっとそれ言わないで!」
レヴィは両耳を手で押さえて、首をぶんぶんと横に振った。
あんな恥ずかしい格好で売り込みをしている事を改めて口にされると、本気で引きこもりたくなる。
内心で、これは仕事これは仕事これは仕事、と繰り返して毎回袖を通しているのだ。
焼き鳥の売り込みそのものは、楽しかったけど。
「お似合いでしたのに……」
口もとに手を当ててクスクスと笑うクシナダに、レヴィはけわしい目を向ける。
「小柄でちょこちょこと動き回るさまが、まるでセンツちゃんそのものに見えましたわ」
「……あなた、わざと言ってるでしょ?」
「あら、バレてしまいました」
この女将、か弱そうなフリをしながらなかなかいい性格をしている。
怒鳴られたことの仕返しだろうか。
「では、部屋に戻ります」
「うん」
クシナダが立ち上がるのに合わせてレヴィが立とうとすると、寝室のある本館へ向かう渡り廊下の出入り口からナカイが姿を見せた。
「女将。料理長がお呼びなのですが……」
「あら、何でしょう?」
「食材のことで、1つ相談したい事があると」
「私に? 珍しいですね」
ナカイの言葉に首をかしげた女将は、こちらに目を向ける。
「すぐに終わると思いますので、もう少しお待ちいただいてよろしいですか?」
「別にやる事もないし」
レヴィがうなずくと、クシナダは本館へと向かった。
彼女を迎え入れたナカイが無表情にこちらを見て、軽く頭を下げてから姿を消す。
すると少しして、桶を下げた料理長が裏庭の奥から現れた。
「あれ?」
「なんだ」
この老人の険しい顔はクトーの無表情と同じ類いのものだと、レヴィはもう理解していた。
今は機嫌がいい。
「さっき女将を呼んだんじゃなかったの?」
「いや」
裏庭でスペシャルチキンにエサでもやっていたらしい料理長の言葉に、レヴィはバッと本館に目を向けた。
『嬢ちゃん。追え』
ゆらりと姿を見せたトゥスは、キセルをくわえて疑わしげな表情で指示をしてきた。
「……! 分かった!」
血相を変えたレヴィに、料理長が問いかけてくる。
「どうした?」
「女将が、あなたに呼ばれたって言われてさっき連れて行かれたのよ!」
レヴィが駆け出すと、料理長も桶を置いて付いてくる。
裏庭を突っ切り、厨房へと向かうが板前が1人いるだけで女将の姿が見えない。
「女将は!?」
「見てませんが……」
不審そうな板前を放って今度は本館の表に向かうレヴィの耳に、すり足のような足音とドアを開け閉めする音がかすかに聞こえた。
「勝手口!」
『珍しく兄ちゃんの読みが外れたか? 強行手段を取る理由は思い当たらねぇって話だったんだけどねぇ』
レヴィが飛び出すと、馬車がかなりの勢いで走り出していた。
あれに女将が乗っている、と直感したレヴィは、すぐさま後を追う。
『やれやれ。疲れるが、少し力を貸してやろうかねぇ。嬢ちゃん、『目』になってやるから頑張って追いな』
言いながらトゥスが尾の先だけ走るレヴィの首筋に挿すと、長く尾を伸ばして上空であぐらをかいた。
仙人の見たものが、頭の中に浮かんでくる。
視界が二重になったような気持ち悪い感覚だが、離れて行く馬車の姿を見失う事はなくなった。
「はぁ、はぁ……ここ?」
『そうさねぇ』
着いた先にはすでに馬車はおらず、1つの建物があった。
外観の古ぼけたそれの中に、トゥスを通して眠るクシナダを連れ込むナカイの姿が見えたのだ。
「旅館の中に裏切り者がいたのね……」
『とは、限らねぇがね』
「どういう意味?」
近くに戻ってきたトゥスは、あまり好ましくなさそうにヒゲをひくつかせる。
『テイマーは、傀儡使いさね』
「……ナカイを操ってるってこと?」
『あのナカイは、通いの女だったねぇ。兄ちゃんに気付かれないように潜らせてても、おかしかねぇ』
レヴィは、仙人の予測に不快感を覚えた。
禁呪を使われた相手は苦しむのだと、クトーは言っていたのだ。
「人を何だと思ってるの」
『道具さね。自分の事しか考えてねぇ奴にも種類がある。金に汚ぇのは、命がある奴と喋るよりも、石ころ集める方が好きなのさ。……兄ちゃんに連絡しねぇでいいのかい?』
言われて、レヴィは匂い袋を思い出した。
預かっているカバン玉から取り出すと、握りしめる。
「これ、どうやって使うの?」
『わっちが知ってる代物なら、魔力は宝珠に込められてる。握って願えば、兄ちゃんにつながるはずさね』
レヴィは匂い袋を手に、クトー、と頭の中で念じた。
ぼんやりと緑の光を放つ宝珠が袋の中から透けるが、何が起こるでもなく光が収まる。
「……あれ?」
『つながらねーねぇ』
トゥスは、ヒヒヒ、と声を上げた。
だがすぐに笑うのをやめて、レヴィに目を向けてくる。
『妨害か、兄ちゃんの事情か……どうするね?』
問われて、レヴィは考えた。
敵にあのテイマーがいるのなら不利かもしれない。
中に何人いるかも分からない。
ーーーでも、今から戻って、その間に逃げられたら?
「……あなたが知らせてきなさい」
『お前さんはどうするね?』
レヴィは、黙ってダガーを引き抜いた。
「……クシナダは依頼人よ。危険にさらしたまま放置なんかしないわ」
『無謀さね』
「知ってるわ。だから、奪って逃げる」
レヴィの言葉に、トゥスはキセルを吹かした。
目を細めて、小バカにしたようにレヴィを見下ろしてくる。
『わっちもおらずに、成功するもんかね』
「じゃあどうするの?」
『そうさなぁ……お前さんが上手くいきゃ、わっちの魔力で宝珠を繋げてやろう。失敗すりゃ、仕方ねぇから呼びにいってやろうかね』
「心配性ね」
トゥスは、ちらりと犬歯を見せて笑ったレヴィに、アゴをコリコリ掻いた。
『皆で女将と一緒にくたばるのは上手くねぇと思ってるだけさね。一番安全なのは宿に戻って兄ちゃんを待つ事だ』
「そうすれば、私は安全ね。どうでもいいけど」
女将を殺すつもりならわざわざ攫わない、と考えるのは、甘いんじゃないかと思う。
バレないように殺すつもりかもしれない。
……それ以上に、酷い目に遭わされるかもしれない。
「行くなら行くわよ。クトーに任されたんだから、自分でやるわ」
『仕方ねぇね。ああ、そうそう。1つ忠告しとこうかねぇ』
トゥスに憑依されたレヴィは忠告を受けて口もとに手をやりながら、建物に向けて歩き出した。




